六二話 守り抜いた平和!
世界中の富が集まるともいわれる、ガルマイン帝国の首都ウーケン。
その空は、災害を乗り越えた人々を祝福するかのように、晴れ渡っていた。
蝗害から避難していた住民が続々と帰還し、帝都ウーケンは活力のあふれる、日常の姿を取り戻しつつあった。
食堂で、恰幅のいい女が胸を張る。
「だから言っただろう。帝國と神殿が一丸となって力を合わせるんだ。魔物が帝都の城壁を越えることなんてない、ってさ!」
帝都で代々続く食堂を経営している彼女にとって、帝都の豊かな物流とそれを守護する帝國騎士団は、親から受け継いだ誇りだ。
「今回ばかりは危ないと思ったけどな」
肩をすぼめる客の男は、避難していた同業者。
帝都から離れず店を開いていた女将に、降参だ、とばかりに苦笑して訊く。
「で、噂の結界とやらは、どうだったんだい?」
「そりゃあ凄かったさ。帝都全部を光の傘が守ってくれたんだ!」
興奮する女も、それに聞き入る客達も顔を輝かせている。
避難指示が余計だった、と言う者はここにはいない。
南北への避難民を、皇族と帝國騎士団が率いていた。
帝國が真剣に民を守ろうとしたことを、帝都の人々は知っているからだ。
今は、結果的に犠牲が最小で済んだ僥倖を、皆で喜ぼう。
平民、貴族、身分も立場も関係なく。
帝國と神殿の垣根を乗り越えたから、今日があるのだから。
マルスボルク城のバルコニーで、明るい声の戻ってきた帝都を睥睨する男がいた。
逞しい巨躯を、豪奢な衣服に包んだ赤髪の男。
オズカート皇帝は帝都に戻った賑わいを眺め、ふぅ、と息をつく。
「何とか、しのいだな」
帝都は落ちなかった。
大きな隙を見せなかった以上、西に国境を接する聖国と王国にも動きはないだろう。
「我々の功ではありませんがね」
帝國最強の男、サーラターナが悔しさも見せず、しれっと言う。
鋼の肉体を感じさせぬ、覇気のない護衛の言葉に、オズカートは顔をしかめる。
「ディアドラ先生も、とんでもないのを連れてきたものだ……」
「陛下……、何をへこんでおられるので?」
オズカートは嘆息した。息とともに威厳が吹き飛ぶ。
まるで、大きな子どものような姿になって言う。
「例の少年を、帝國騎士団に入れようとしたら怒られた」
「それは残念」
「全くだ」
二人はおどけたように顔を見合わせた。
敵対したらどうする?
皇帝の無言の問いかけに、帝國騎士団団長サーラターナは答える。
「聞いた分には、良い統治者であれば敵対することもないでしょう。あとは帝國騎士団が彼の望む場所であるかどうか、ですかね」
「うむ」
皇帝と英雄、遠目では想像できないであろう会話を交わす。
まさか一人の少年が、底辺職のスライム使いが話題になってるとは誰も思うまい。
「休暇を増やしたり、給料を上げてみるのもいいかもしれません」
「しっかり整備された環境と、強靱な仲間こそ肝要だろう」
そう言って、オズカートは従者を視線で呼び寄せた。
環境を整備するには、書類仕事が必要となる。
オズカートは従者から受け取った書類の束を眺め、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
サーラターナはことさら神妙な表情で発言する。
「そういう仕事は、ルミナリオに任せた方が上手くやるでしょうよ」
「奴はもう北へ派遣した。張り切っておったぞ」
「なんと……」
サーラターナは頼りになる副団長の不在を嘆いた。
一旦、帝都に帰還したルミナリオ達は、ナイトシフトの残党を狩るために帝都を発った。
北の街で掃討したのは、あくまでナイトシフトの一部。
残りはノーステリア平原を越えた、北東国境の砦にいると思われる。
S級兄弟、ヴィルマーンとパルティマスのいないナイトシフトは、間もなく瓦解するだろう。
既に、この一連の騒動は、『ナイトシフト動乱』と呼ばれるようになっていた。
彼らの壊滅と共に、その幕は下りる。
結界の中心となった、メティスレイヒェ大聖堂。
美しいステンドグラスから、極彩色の光が降り注ぐ、ひんやりとした聖堂の中。
危機を乗り越え、いつにもまして神へ祈りを捧げ、喜捨する参拝客の数は多い。
普段なら病人扱いされてしまいそうな、熱に浮かされたような様子で参拝している人すら見受けられる。
神官達は、参拝客の興奮と隔絶したかのように、冷静に振る舞っていた。
ある男の神官が、ふと大聖堂の中央に視線を向ける。
光の柱がそびえ立っていた場所には、もう魔法の絨毯も無い。
結界の儀式に参加していた彼は、あの時、ここで何が起きたかを目撃していた。
唇をそっとかむ神官の肩に、手が置かれる。
手を置いたのは、彼の先輩神官。
先輩は結界を張るメンバーにこそ選ばれなかったが、この場で何が起きたかは伝え聞いている。
後輩を見る目には、労りが浮かんでいた。
「交代の時間だ。もういいぞ」
「……はい」
彼は先輩の心遣いに甘え、予定より少しばかり早く大聖堂をでる。
「あ、あの人、結界を張った人だ!」
陽光が射す、緑煙る庭で、子どもが無邪気に彼を指さした。
彼は純粋な眼差しから逃げるように、大聖堂の裏手に回った。
大聖堂の裏からは、同じ敷地にあるノーマッド邸の屋根が見える。
帝都が喜びにあふれる中、神殿関係者は一様に浮かない顔をしていた。
中枢に近いほど深刻に、陰鬱にふさぎ込んでいた。
最小の犠牲。
犠牲となった、たった一人の少女の存在が、メティスレイヒェ大聖堂に、神官達に影を落としていた。




