四七話 マルコとシルフィの約束!
無力感に苛まれ、こらえることしかできないシルフィがこぼした本音。
家族という言葉は、マルコの心の琴線に触れていた。
否応なく蘇るのは五年前の記憶。
マルコが全てを失ったときのこと。
病に倒れ、冷たくなった父の骸。
病床でマルコの手を握り返す母の、あまりにも弱々しい手。
……子ども達が集められた小屋の窓から覗く、四角い小さな青空へ昇っていく煙。
その煙を見て、閉じ込められた小屋から飛び出そうとしたマルコを押し倒す、隣の家に暮らす四つ年上の少年。
「駄目だ! 見ちゃ駄目だマルコ! 見るなっ、行くなっ!」
「でも、でもっ、まだ生きてるっ!」
マルコの顔をぬらす生暖かいものは、マルコの涙で、隣の兄ちゃんの涙だった。
もう見捨てることしかできない病人は、村はずれの納屋に集められ、疫病が広がるのを防ぐため火をつけられた。
残酷なようだが、無い話ではない。
貧しい村が全滅を防ぐには必要な措置だったのだ。
隣の兄ちゃんのたった一人の家族だった父親は、まだ起き上がることも出来たというが、マルコの母と同じく納屋に集められた。
小屋に押し込められたマルコ達には、手の届かない、見えない場所で、病人達の魂は煙と共に天へと還っていった。
隣の兄ちゃんは、既に父親と一緒に大工として働いていた。
今頃、違う場所で同じように働いているのだろうか。
マルコは、故郷を思い出し潤んだ目元をごしごし手の甲で拭うと、気持ちを落ち着かせるように軽く息を吐いた。
「いいかシルフィ。聖女とか英雄とか、そんなものは周囲によって作られた偶像だ。ただそう持ち上げられてるだけだ」
マルコの言葉は、シルフィにとってある意味酷な言葉だろう。
彼女の育った環境こそが、まさにそうなのだから。
一方、マルコの人生に聖女や英雄が存在しないのもまた事実である。
あの時、泣きじゃくるマルコ達は、なぜルコリラ村に神官がいないのか、なぜ神殿は神官を派遣しないのかと呪ったものだ。
都合良くマルコの故郷ルコリラ村を通りがかって、両親を救ってくれる聖女なんかいなかった。
「死にそうな俺を救ってくれたのは、盗賊に堕ちるような男だったり、魔王だったよ。本物の勇者や英雄なんていたら、退治されるような奴ばっかだ」
魔都リョーシカを守るため、魔王軍を率いて地獣ベヘムトと戦う魔王ドラエモフは、間違いなく英雄の気風を纏っていた。
それでも彼は、あくまで魔王であって、英雄と呼ばれることはない。
「そうなのかもしれません。それでも私がやらなければ……」
もしノーマッド家がルコリラ村で暮らしていれば、きっと彼女たちは最後まで村を救おうとし続けたのだろう。
あの時、差し伸ばされなかった救いの手を、差し伸べようと足掻く人がここにいる。
それは、かつてルコリラ村の住人全員が望んだ神殿のありようで、それだけでマルコには充分なのだ。
「力が欲しけりゃ、俺がやる。魔物の群れなんて俺が倒せばそれでいい」
マルコの言葉は勇ましくも静かで、夕日を背に立つその姿は微塵も揺るぎない。
どぶねずみ色と揶揄されたこともある瞳は、鍛え上げられた鋼のように力強い。
「何を言ってるんですかっ……、いくら何でも無理に決まってるでしょう! 一億なんですよ、一億!」
「大丈夫だ。俺は絶対に負けない。バッタなんか全部呑み込んで溶かして吸収しつくしてやる」
「友人が命を粗末にしようとしてるのを止めないわけがないでしょう! 駄目ったら駄目ですっ! マルコのそれこそ英雄願望ですよ!」
涙声で怒るシルフィに、マルコはフン、と鼻を鳴らした。
スライム使いのマルコは英雄にはなれない。
しかし、五年前、泣くことしか出来なかった幼子は、魔王をも上回る力を手に入れた。
魔王に出来て、マルコに出来ぬ道理はない。
「勘違いするなよ、俺は帝都の為に戦うつもりなんて全くない。俺が守りたいものを守るために戦う、それだけだ! 危ないと判断したらさっさと逃げ帰ってくる!」
格好いいのか悪いのか、これほど力強い逃げ帰ってくるという言葉をシルフィは聞いたことがなかった。
「……駄目です。……やめてください。帝國騎士団が全滅を覚悟しても数万しか減らせないんです。無茶なことはやめてください!」
「そう聞き分けのないことを言わない。ちゃんと帰ってくるって約束するから」
「マルコの頭の中では私が聞き分けない事になってるんですかっ!?」
マルコは不敵な笑みを浮かべ、不敬な言葉を言い放つ。
「信用出来ないって言うんなら、今から皇帝の首根っこひっ捕まえてここまで引きずってきてみせようか。帝國騎士も宮廷魔導師も一人も殺さずに」
「……捕まっちゃいますよぅ」
「英雄や勇者とは違う、スライム使いにはスライム使いなりの戦い方があるんだよ。……少なくとも俺は全く死ぬ気は無い」
「マルコ……」
「いや、そんな泣きそうな顔しなくても……」
泣いている女の子を慰める方法を、マルコが知っているわけがない。
不動の態度は一変、どうしていいかわからず、オロオロしだす。
眉尻を下げ、瑠璃紺の瞳から涙をこぼすシルフィは、口をへの字に結んだ。
「ちゃんと帰ってこれるんですか……」
「任せとけ。どこまで減らせるかはわからないけど、無事に帰ってくることだけは約束する」
「……約束ですよ」
「ああ」
絶対に破るわけにはいかない約束を交わし、マルコは全身スライム塗れになって白い石壁に偽装すると、いそいそと壁を伝い降りていく。
なんてしまらない退場の仕方だろうか。
シルフィの口元が淡くほころぶ。
「……もう少し格好良く立ち去れないものでしょうか」
夕日に火照った頬に手を添え、シルフィは残念そうに呟いた。
何故、マルコに格好良さなど期待してしまったのだろう。
この夜、自分の気持ちに気がついたシルフィは、耳まで真っ赤に染まったのを隠すように、顔を枕に押しつけることになった。




