四六話 小聖女の本音!
夕刻、帝都の中心で人々の暮らしを見守ってきた、白い時計塔の上。
シルフィは、いつの間にか背後に忍び寄っていたマルコの存在に、悲鳴を漏らした。
「マルコ、どうしてここに……。いえ、どうやってここに?」
「まず体の表面をスライムで覆う。そして時計塔の外壁に偽装するんだ。最後に壁をよじ登れば、このとおり」
「あっ、はい」
ニヤリと、不審者のクセしてマルコはちょっと得意げだ。
メティスレイヒェ大聖堂とノーマッド家は帝國神殿の中枢である。
警備は厳しいはずなのだ。が、マルコを防ぐことなど不可能だった。
シルフィの目もとがぴくりと引きつる。
もうマルコのやる事にいちいち驚くべきではないのかもしれない、と。
「率直に答えて欲しいんだけど、……結構まずい状況なのか?」
「……マルコはどこまで知っているんですか?」
「推測に過ぎないんだけど、いいか?」
シルフィが頷くのを見て、マルコはしかめっ面をして言う。
「ナイトシフトが死霊と魔蟲の大群を率いて、帝都襲撃を企てている」
限られた情報から導き出されたマルコの推測は、ともすれば帝國上層部よりも事態の本質をぶち抜いていた。
マルコの頭は戦闘絡みとなると中身も髪の色と同様、灰色の脳みそとして回転を増すのだ。
普段はお察しである。
「……そうなのでしょうか?」
「うん?」
「私は、一億の魍魎バッタが帝都に向かっている、としか聞いていませんが」
シルフィはあっさり白状した。
ディアドラとシルフィの口の堅さの違いは、持っている情報量の違いが原因だ。
ディアドラは帝都に迫る危機を知り、自分が知る以上の情報がないことを知っている。
シルフィは魍魎バッタが押し寄せることを知らされながら、それ以外の事を知らされずにいた。
事態の全容を知らぬがゆえに、マルコからもできる限りの情報を聞き出したかったのだ。
「魍魎バッタか……」
マルコは空間収納から魔物目録をとりだして、パラパラとめくる。
魍魎バッタ。
体調三十センチほどのE級の魔物。
魔石は小さく質も低い。
食べようとしても身の少なさに嘆くことになるだろう。
しかし、脆弱な魔物と甘く見てはならない。
群生相と呼ばれる変異体の体は紅く染まり、翅からは麻痺毒を有す鱗粉がばら撒かれる。
変異したその外殻は体当たりで鉄の鎧をへこませ、牙は石を噛み砕く。
赤い魍魎バッタはC級相当の魔物となるのだ。
この赤い魍魎バッタに遭遇した際は注意が必要だ。
付近に他の個体が大量に潜んでいる可能性が極めて高いからだ。
もし群れに出会ってしまったなら、真っ先に逃げなさい。
蝗害となれば、どのような強者であれ為す術なく飲み込まれ、骨すら残らず食い殺されるだろう。
パタッ、と魔物目録を閉じる。
「……対処法くらい書いといてよ、マンチカンさん」
マルコは海の向こうにいるであろう師にぼやいた。
魔物目録の著者はマルコの師匠だ。
魔王軍四天王の一人、人猫族の剣士マンチカン。
彼は魔物の脅威とその対処法を知らせるべく、魔物目録を書いている。
にもかかわらず、討伐方法が載っていない。
師が有効な手立てがない、と判断しているのだ。
マルコの喉がゴクリと鳴る。
「これの対処に追われているってわけか……」
「はい。皆の力を借りて、私が帝都を覆う結界を張ります」
「シルフィが? それはいくらなんでも……」
無理がある、とマルコは驚いた。
いくら才能があろうと、シルフィはまだレベル三七に過ぎない。
巨大な帝都を覆う結界を張るには、あまりにも力不足だ。
「神官は他の魔法職よりレベルが低いんですよ」
シルフィは力なく言った。
回復魔法の使える神官はそれだけで希少な存在である。
わざわざ危険を押して魔物を討伐する必要などないのだ。
必然的に高レベルの神官は少なくなる。
高レベルの神官を育成するより、神官の数を確保することが優先される。
それが神殿の方針だ。
シルフィが皆に期待される『初代聖女の再来』には絶対になれない、と自覚しているのは、この神殿の方針があるからだ。
十英雄の一人、初代聖女アセリア・ノーマッド。
聖女アースは人類の版図を広げるため前線に立ち続け、強大な魔物と戦い続けて真の英雄となったのだから。
シルフィが生徒会に入ったのも、冒険者になることが許されぬ身で、一度でも多く外で活動する機会を得るためであった。
帝都にはシルフィよりレベルの高い神官もいるにはいる。
しかし、結界を張るのに必要な聖属性の適性の高さを考慮すれば、レベル三七であっても既にシルフィが一番の適役なのだ。
「……できるのか?」
「やらなければなりません。避難も勧められはしました。しかし、この地を故郷とし愛しているのは私も変わりありません。私だけ帝都を離れるわけにはいかないのです」
シルフィの口から、不可能に近いと、覚悟の言葉が発せられる。
それでも立ち向かわなければならない、それは英雄の答えだ。
マルコは同じような事を平然と成し遂げた男を知っている。
「同級生にそんな立派なことを言われてもな……」
最強の竜人、魔王ドラエモフ。
魔都リョーシカに迫る神獣ベヘムトの脅威を取り除くため、戦いを挑んだ男。
アレはこんな立派なことなんて言わない。
ただ、夕日に照らされながらも、色を失った顔を隠せぬシルフィに、アレと同じような真似が出来るとはマルコには思えなかった。
「俺だったら見知らぬ人を守るのに、そんな無茶な真似なんてしないけどな」
「私だって、そんな立派じゃありませんよ。……本当は、家族が逃げないから、私も逃げないだけです」
シルフィは乾いた笑いを見せ、声を震わせた。
聖女として帝都の民を守るのではない。
ただ、家族と一緒にいたいだけ。
普通の少女の、普通の願いは、マルコの胸に届いていた。




