四話 スライム使いの謎!? 皇女と小聖女の密談
「シルフィ! あなたの皇女が来ましたわよ!」
教室に飛び込んできたのは赤髪の少女だった。
少しきつそうな眼差しだが、問われれば十人中十人が美人と答えるであろう。
その制服の襟元についているリボンは赤色。赤は二年生のカラーだ。
マルコ達一年生のカラーは青。三年は黄で、来年の新入生もまた黄色となる。
皇女様はお目当ての少女、シルフィを発見すると躊躇なく抱きついた。
「……ヘルミナ様?」
「あら?」
「……お姉様」
「うふふ、よろしい」
戸惑う、というよりはどこか諦めたようなシルフィと満面の笑みを浮かべるヘルミナ。
二人の胸の狭間で、生徒の間を巡り巡って、ちょうどシルフィの手に渡っていたスライムが潰れそうになっていた。
主に困惑を伝えるようにスライムはぷるぷる震える。しかしスライムの主は別のことに気をとられていた。
縦ロール! 本物のお姫様だ!!
マルコはよくわからん感動をしていた。
伝説の縦ロールである、まさか実物にお目にかかろうとは! と。
頭に角が生えてたり髪の毛が蛇だったりは見たことがあっても、縦ロールはお話の中だけだったのだ。
教室の入り口に付き人っぽい生徒が控えているのが、一層お姫様力を高めていた。
「あら、これは……」
「スライムだそうです」
ヘルミナが潰れそうになっているスライムに気がつき首を傾げると、シルフィが答える。
見つめ合う赤髪の皇女とスライム。
皇女の燃えるような赤い瞳が、じっとスライムを見据える。
しかし、スライムだから目はない。
ヘルミナはシルフィからスライムを受け取って両手で持ち上げた。
窓から射し込む光に透かすように。
煌めいていた。青く深く輝いていた。陽光に磨かれた海のように。
プリンプリンとして、なんだか美味しそうだ。
手に伝わるみずみずしい感触、それはヘルミナに帝國の南西で食される水餅を思い起こさせた。
形状も似てる。
「このスライムの飼い主はどなたかしら?」
何かに納得したヘルミナ皇女は、ガラスの靴を手にした王子様のような台詞を発した。
皇女の凜とした問いかけに、周囲の視線がマルコに集まった。
ヘルミナはにっこり笑う。
「このスライム、わたくしに譲っていただけません?」
「……お断りさせていただきます」
「……どうしても?」
「いや、その、申し訳ありませんが無理なんです」
ヘルミナの上目遣いでのお願いを、マルコはぺこぺこ丁重にお断りした。
皇女様の上目遣いに可愛らしさはない。
あるのはただ見下ろしてくるような威圧感だけだ。
権力者に逆らうつもりはない、でも無理なものは無理なのだった。
マルコのスライムはそこにあるべきスライムではない。召喚された仮初めの存在なのだ。
一部を素材として残すことはできるものの、いずれ消え去る運命にある。
マルコは内心、不敬罪に問われないかとハラハラしている。
「そう、それは残念。どこで捕まえたのかしら?」
「いえ、その、自分で配合・進化させたオリジナルなんです」
「ほほう」
皇女様、スライムと情熱的に見つめ合う。くどいがスライムに目はない。
「素晴らしい仕事ですわね」
ヘルミナは片手にスライムを乗せ、もう一方の手でサムズアップしてみせた。
自分の生み出したスライムが、世界最大の国家ガルマイン帝國の皇女に認められた。
マルコの感慨もひとしおである。
思えば魔王軍でも、強くなるたび、新たな役立つスライムを創るたびに評価され、それが嬉しくて日々修練に励んできた。
地道に積み上げてきたもの(スライム)はイスガルド大陸でも通用するのだ。
安堵の息がどこからともなく漏れる。
突然の皇女乱入に緊張していたのはマルコだけではない。
オキアとジュリアスの衝突による教室内の不穏な空気は、突如現れた皇女ヘルミナによって一掃されていた。
掻き回されただけともいう。
次代の聖女と目されるシルフィネーゼ・ノーマッドの朝は早い。
場所は帝都の中心に位置するメティスレイヒェ大聖堂。
掃き清められた祭壇の前で、神への祈りを捧げる。
大聖堂が開放されるより早い時間帯である。
なぜそんな時間に大聖堂にいるかといえば、同じ敷地内にノーマッド家があるからだ。
ヴォールト天井の荘厳な大聖堂の中を、ステンドグラス越しに朝日が照らし出す。
早番業務が回ってきた神官がこっそり窓から中を覗くと、煌びやかで幻想的な空間の中、天使が一人、神に祈りを捧げているのだ。
その噂は本人の知らぬところでこっそりと広まり、いつの間にやら彼女は『メティスレイヒェの天使』と褒めそやされていた。
……実はこのメティスレイヒェ大聖堂は魔術的な建物である。
魔力を増幅し調和が取れるように設計されており、シルフィは毎朝、魔力量を増やすために使用しているのだ。
「訓練しているだけなのですけれど……」
ちょっとした誤解なのだが、正直に言うのも不信心である。
誰がどこから見てるかわからないので、しっかりと時間をかけて神に祈りを捧げる、と見えるように魔力量増加の訓練をする。
その姿を見た神官は感極まって言う。
「おお、まさに初代様の再来……」
こうしてますます誤解は深まっていく。
初代聖女の再来だと褒め殺しにされたところで、シルフィは自分が先祖に遠く及ばないことを自覚しているのに。
礼拝を終えると、治療院へと向かう。
すでにシルフィの回復魔法、聖属性魔法は帝都屈指のレベルだ。
朝夕の一日二回、治療に当たる。
これ以外の治療行為は、原則として禁じられている。
神殿としては、ただで治療するなどもってのほか。
高額な寄付金を払った人を優先して、治療を受けられるようにしているのは公然の秘密だ。
もちろん回復魔法の使える神官は皆、この原則を守っている……フリをしなければならない。
ある意味、形骸化した原則といってもよいのだが、この原則があるが故に、好き勝手に治療してまわるわけにもいかないのだ。
朝のお勤めを終え、家へと戻ると侍女のメアリーが玄関で出迎えた。
「お嬢様、お客様がお待ちです」
「私にですか? こんな朝早くから?」
シルフィは首を捻る。
ノーマッド家は名家である。訪れる客はお偉いさんばかりだ。
彼女に会いに来る客はまずいない。
仮に会おうとしても、シルフィの両親から許可を得るのは難しいだろう。
ある意味、神官長の父と大神官の母よりも面通しするのが難しいとされているのがシルフィネーゼ・ノーマッドという少女である。
そんなシルフィ個人への客は限られる。例えば目の前にいる赤髪の少女。
「おはようシルフィ。迎えに来ましたわ」
「おはよう……ございます」
居間に皇女殿下がいた。
学園の制服を着て、ワインレッドのツインドリルは、一点のほつれも許さぬと完璧に固められている。
シルフィはヘルミナを待たせて、着慣れた神官服を真新しい学園の制服に着替える。
二度手間だが、学園の制服で治療をするわけにもいかない。
登校の準備を整えると、皇族専用の豪華な箱馬車が待っていた。
「お姉様、この馬車では目立ちますよ」
「あら、私は毎朝この馬車ですもの、気にする必要はありませんわ」
シルフィも馬車通学ではあるが、神殿の馬車はもっとありふれた、簡素な物だ。
馬車で通学する時点で結局は目立ってしまうのだが。
重要人物のシルフィが街中を一人で歩くことは、まず許されない。
身の安全を図るためであり、怪我人や病人、その家族が治療を請い、直訴するのを防ぐためでもある。
「さあ、手を」
「……ありがとうございます」
ヘルミナは妙にハンサムな顔で手を差し出した。
シルフィは何故エスコートされているのか不思議に思いながらも、真っ赤なクッションの席に腰を下ろす。
シルフィとヘルミナは遠い血縁関係にある。
そもそもノーマッド家は十英雄の二人、『初代聖女』と『竜殺しの皇弟』を祖とする。
だから遠い血縁関係にあるのは当然ではあるのだが、シルフィの祖母もまた皇族出身なのだ。
二人の箱入り娘を乗せて馬車が動き出した。
がらがらと車輪が石畳を切りつけ、朝の街を馬車は走る。
「どう、クラスには馴染めそう?」
「はい。初日はどうなることかと不安でしたが……」
ジュリアスとオキア、入学試験でくすぶっていた火種の爆発。
のちに皇女の乱入。
初日から波乱の気配が濃すぎである。
「ふふ、いきなりだったものね。そういえば今日は体育があるのでしょう? ……面白くなりそうね」
「……面白いのでしょうね。クラス全員を巻き込んで、あの二人の対決が賭け事になってしまいました。賭け事は好きじゃないのですけれど」
シルフィはため息をつく。
あの二人とはオキアとジュリアスのことではない。
マルコとジュリアスだ。
「揉め事は勘弁して欲しいのですけれどね……」
何故か喧嘩を売られたマルコも乗り気なのだ。その態度が余計にジュリアスを逆なでする。
「入学早々、全員参加イベントを無視するのは浮いてしまいそうですし。ただでさえ目立つ立場なのに……」
呼び方一つとってもそうだ。「シルフィと呼んで欲しい」といってもクラスの半数はシルフィネーゼ様呼びである。
クラスメイトに様付けされたくはないのだが、なかなかそうもいかない。
妹分の困り顔をうっとりと眺めるヘルミナは幸せそうだった。
可愛いもの美しいものが嫌いな人間がいるだろうか。
少なくともヘルミナは大好きだ。
「賭け事っていっても可愛いものでしょう。シルフィも割り切って楽しめばいいのよ」
「賭けに勝った方が負けた方におごってもらうそうです。学食にするか大通りのケーキ屋さんにするかは意見が割れていますけれど」
ヘルミナの目に真剣な光がともる。その光は危惧の光。
彼女はこの一年間、学園に通ってきた。
その経験を後輩に伝えるときではないだろうか。
「……学食はやめるように。学食はやめなさい」
「……わかりました。私からケーキ屋さんにするよう提案させていただきます。……男子は嫌がるかもしれませんね」
「問題ないわ。男子だもの」
学食に味を期待するな、と忠告し、先輩としての務めを果たしたヘルミナは、そう言って男子生徒をばっさり切り捨てた。
男子がシルフィの提案をはねのけるわけがない、という確かな判断である。
「それで、賭けの状況はどうなっているのかしら?」
「今のところは九対一でジュリアス優勢といったところですね」
その一割もマルコが勝つと思っているからではなく、ジュリアスに対する反発の意趣が多くを占めるだろう。
「シルフィはどちらに賭けたのかしら?」
「私はまだ決めかねています。……だって、アレはおかしいでしょう?」
「アレ? 何かしら?」
とぼけるヘルミナ。
豪奢な箱馬車が朝の帝都を駆けていく。
窓に掛けられた編み目の大きな布越しに、外の景色が流れていく。
「マルコのスライムですよ。あんなスライム、魔物目録にも載っていません」
「自分で配合したといってたものね」
魔物目録、それは一人前の冒険者には必需品とすら言われているベストセラー。
あらゆる魔物が網羅され、その調査範囲はイスガルド大陸どころか魔大陸にも及ぶ。
その魔物目録に、あのような形状のスライムは載っていない。
スライムといえばヘドロ状、悪臭を放つというのが定番なのだ。
スライム使いが蔑まれるのにも相応の理由がある。
「それにスライムを召喚するなんて、おかしいでしょう?」
召喚術、それは世界に遍在する精霊を召喚する、高度な魔法体系である。
そして、精霊以外を召喚する魔法は、基本的に存在しない。
他に可能性があるのは、せいぜい死霊くらいのものだろう。
召喚したのが、たかがスライムだったから、精霊とは比ぶべくもない矮小な存在だったから気にしていない生徒も多かったのだろうが、魔物を召喚するということがそもそもおかしいのだ。
スライム使いは魔物使いの一種であり、魔物使いは魔物と意思疎通し飼い慣らす職。
召喚などという高度な魔法なんて出来るはずがない。
スライム使いと魔法剣士、戦えばどうなるか、普通に考えれば結果は明白である。
しかし、マルコが垣間見せた力は、既存のスライム使いの枠から大きく外れていた。
立場上、シルフィは幾人か強者と呼ばれる人物との面識がある。
マルコからは彼らと似通った匂いを感じるのだ。
ヘルミナは妹分の勘の良さに目を細めた。
「ふふふ。それでは私からシルフィに極秘情報を提供しましょう。まずはオードブル代わりにジュリアスから」
ヘルミナは鞄をあさって、メモ帳を取り出した。
ジュリアス・デルバイネ。
帝都生まれの帝都育ち。
伯爵家の三男で、剣術道場では極めて優秀な生徒だった。
伯爵家を継ぐ長兄は父の補佐をしており、次兄は騎士団に所属している。
ジュリアスは次兄と同じ道を進むようだ。
得意な武器は騎士剣。
宮廷魔導師を家庭教師につけていたこともあり、風魔法も使えるが実戦で有効に使えるほどではない。
「……詳しいのですね」
シルフィは目を丸くして驚いた。
「皇女ですもの。……そしてマルコについて」
ヘルミナが悪戯っぽく笑う。
告げられた内容に、シルフィは再び目を丸くした。