三話 偏見に挑め! いでよスライム!
パラティウム帝立学園大ホール。
入学式の日は生憎の曇天だった。
漠然とした不安と、それに倍する期待に目を輝かす若人たちを前に、学園長が壇上で挨拶をしている。
「新入生の皆さん、入学おめでとう。パラティウム帝立学園は心より貴方たちを歓迎します」
白髪を後ろで束ねた、品のよいおばあさんはディアドラ理事長の幼なじみである。
――ハーフエルフ恐るべし。
新品の制服に袖を通したマルコは、戦慄混じりの視線を学園長から横にずらした。
挨拶をする教師が控える席に、理事長であるディアドラも当然のように座っている。
ディアドラの姿は、座る席を間違えた新入生にしか見えなかった。
教師席に座る同年代にしか見えない麗しい少女に、新入生の何割かは目を奪われている。
――なんという詐欺。
マルコが同じ学び舎の仲間に同情していると拍手が巻き起こった。
マルコも慌てて拍手を合わせる。
学園長の挨拶が終わり、次に壇上に上がるのは騎士風の青年。
帝國騎士団の黒い鎧を身につけた美男子が壇上に立ち微笑むと、少女達から黄色い声が漏れ、ざわめきがおこる。
パラティウム帝立学園の設立理念は「国に資する人材の育成」である。
学園の理念がそうである以上、ガルマイン帝國の守護者たる帝國騎士団は、その最も栄誉ある就職先といえよう。
壇上の帝國騎士も学園の卒業生であり、次に控える魔導師の女性も同じように宮廷魔導師として国に仕えている。
とはいえ、この二人はあくまで模範例である。
優秀な成績を修めながら、帝國に仕える道を選ばぬ者も多い。
なにしろ帝國最大、いや世界最大の規模を誇るこの学園には、他国からの入学希望者も少なくない。
多様な人種、国籍、……定まっているのは年齢くらいのものだろう。
この場に並んでいる新入生達は、同じ制服を着て三年間を共に過ごす。
その後、それぞれの道へ羽ばたいていくのだ。
青空よりも輝かしい面持ちの雛たちに紛れ、同じ制服を着ているマルコの期待は否応なく高まっていた。
高まっていた期待が、急速にしぼむこともある。
のんびりしてそうなまだ若い担任の女教師、ホリー先生に率いられ、割り振られたクラスに入ると自己紹介がはじまった。
「僕の名はジュリアス・デルバイネ。伯爵家の者だ。適性は魔法剣士だ」
見覚えのある金髪碧眼の少年、ジュリアスが自己紹介をし、席に座る。
悪役令息っぽい貴族の少年を目にして、マルコの期待は急降下している。
根に持つつもりはなくとも、笑われたことはしっかり覚えているのだ。
マルコの隣に並んでいた茶髪の少年も、例の少女も同じクラスだった。
自己紹介の順番が回ってきて、マルコは立ち上がった。
「俺はマルコ。適性はスライム使い」
教室内が何とも言えない沈黙に包まれた。
やはりスライム使いを見る目はなかなか厳しいようだ。
しかし、それは偏見である、とマルコは訴えたい。
「どんな職業でも極めれば道は開ける。強いスライム使いがいてもいい。便利なスライムがいてもいい。俺はそう思っている」
「ククッ、例のスライム使いか」
ジュリアスの嘲笑は小さなものであったが、静まりかえった教室内に響くには充分であった。
「俺はオキア! 魔法戦士だ!」
マルコが席に座るより早く、後ろの席、茶髪の少年がジュリアスの嘲笑を遮るように、勢い込んで立ち上がった。
玩具を見るようなジュリアスの視線と、オキアの怒りがこもった視線がぶつかり合う。……席に座ろうと中腰になったマルコを挟んで。
中腰で一旦動きを止めたマルコだったが、座っちゃっていいのか? いいんだよな? と自問しつつ、そのまま席に座った。
またか、とうんざりしたような声を漏らしたのは誰だろうか。
……どうせなら俺と揉め事になればいいのに、なぜ素通りしてこの二人が対峙するのだろう、とマルコは思った。
そうすれば、
「決闘だ!」
「こんなにスライムが強いなんて、うわああぁああ!」
「スライム使いって凄い!」
なんて展開が待っているかもしれない。
はぁ、とマルコはこっそりため息をついた。
上手くやれば望み通りの展開にもっていけるのかもしれない。しかし相手は貴族様である。
実力で誰かに後れを取るつもりなど微塵もないが、できれば権力は相手にしたくない、というのがマルコの本音だ。
魔都リョーシカなら最高権力者の魔王が相手でも喧嘩を売れるが、帝都ウーケンではそうはいかない。
魔王といっても支配力の及ぶ範囲はリョーシカ一都市のみ。ガルマイン帝國とは権力の規模が違う。
搦め手や組織という、戦い慣れてない存在には気をつけなければならない。
端から国家権力との喧嘩を考える辺り、マルコの思考回路は魔大陸で修羅に染まっていた。
はあ、と前方から大きなため息が聞こえた。
初日からいきなりの不穏な空気に、新米女性教師が頭を抱えていた。
「やあ、スライム使い君」
空き時間になると、ジュリアスがマルコに話しかけてきた。
「やあ、ジュリアス、だっけ」
仕方なく応えるマルコの表情は硬い。
ジュリアスは不遇な底辺スライム使いをからかおうと、嗜虐的な笑みを浮かべている。
何が起きるのかと周囲の視線が集まった。
心配げな顔が多いなか、面白そうに眺めている生徒は、おそらくジュリアスと同じ貴族なのだろう。
「使えるスライムってのを見せてもらいたくてね。雑用くらいこなしてくれるのかな?」
「……見てみるか?」
「見せてもらえるならね」
それまで大人しくしていたマルコはほくそ笑んだ。
かかったな! と勝利の確信をこらえきれないかのように。
「では、お見せしてさしあげよう! スライム召喚!」
空中に魔法陣が光り輝く、などという格好いいエフェクトは全くない。
さも元からそこにいましたよ、といったていでマルコの手の平にスライムが現れた。
「「「おおっ!?」」」
唐突な召喚術を目の当たりにし、一斉に驚愕の声が上がる。
そのスライムは丸餅だった。青く透き通った色合いは陽光を反射して煌めく海を思わせる。そしてゼリーのようにプルンプルンしていた。
「こ、これはっ……」
「ス……」
「スライムなのに……」
「可愛い……?」
スライム……、一般にスライムという名で想像されるのは動く吐瀉物。
イメージとかけ離れたスライムの姿に、クラスはどよめいている。
マルコ、青いスライムを手にのせてドヤ顔である。掴みはバッチリだ。
スライム使いの立場を向上させるには、何よりスライムの価値を示さなければならない。
何を隠そうマルコ自慢のスライムは、昨年の魔王軍ゆるキャラコンテストでグランプリを獲得しているのだ!
「あの、あたしが触っても大丈夫かな?」
おそるおそる手を上げたのは、マルコから見て斜め前の席の少女。
黒髪黒目で頭に青いターバンを巻いた、ルカという名の少女は、確か魔物使いと自己紹介していた。
「もちろん」
マルコが頷くと、ルカはスライムに手を伸ばした。
プルンッ!
「ふおぉぉお!」
少女が感動の奇声を発する。
――職人が最もこだわったのは質感である。
普通、スライムといえばべちゃべちゃで汚らしく気持ち悪い。
触れれば粘液がこびりつくし、それ以前に溶解させられる。
素手で触るようなものではない。
その点、マルコのスライムは、どこまでも指がめり込みそうな柔らかさでありながら、べたつかなかった。
触った後に残るのは、アルコールが揮発するかのような爽快感だけである。
丸みを帯びた形状、宝石のごとき色合いよりも、はるかに触り心地に苦労したものだ。
好奇心から次々と手が伸び、スライムは教室内をたらい回しにされていく。
そのたびに歓声が上がる。
スライムがこんなに求められる光景がかつてあっただろうか。
学園デビュー、スライムデビューを成功させたマルコの胸に熱い物がこみ上げた。
その光景が面白くないのがジュリアスだ。
「で、これは何の役に立つのかな」
「枕」
「ま……くら?」
「熱帯夜の寝苦しい夜に快眠を約束します」
この青いスライムは枕として開発したのだ。
万が一、顔を押しつけて窒息しそうになったら、酸素が供給される素敵な能力もついている。
マルコの使っている枕はスライム製だ。
「フ、フフ、ハハハハッ。見せかけだけか。何の役にも立ちゃしないじゃないか」
「おい」
「戦闘に役立つ系スライムもたくさんあるぞ」
「ハッ、それじゃ体育の授業で相手をしてもらおうじゃないか」
「おい! お前、いい加減にしろよ!」
バンッ! とオキアが机を叩いた。
教室内は静まりかえった。
オキアとジュリアスの間に漂う物騒な空気が、暴発寸前の緊張感をもたらす。
その剣呑な空気はまさに一触即発。
これは武力介入のチャンスでは? とマルコは内心身構えた。
スライム使いの実力を披露するチャンス到来、しかとご覧じろ、と。
しかし、マルコの物騒な思考が行動に移される事はなかった。
その静寂を突き破ったのは、教室内にいた人物でもスライムでもなく、勢いよく開いたドアの音だった。
「シルフィ! あなたの皇女が来ましたわよ!」
闖入者は頭に赤いドリルを装備していた。