三五話 故郷の仇! 帝國の屈辱!
帝都ウーケンで最も高い建築物といえば、天使のごとき少女が毎日祈りを捧げていると噂される、メティスレイヒェ大聖堂に併設された白い時計塔である。
では最も大きい建物は? と尋ねれば、帝都の住人はまず間違いなく、皇帝陛下の居城であるマルスボルク城の名を挙げるだろう。
帝都の北区画に位置するマルスボルク城は、周囲に水堀が掘られ、街とは跳ね橋でつながっている。
帝都を囲む堅牢な城壁が灰色なのに比べ、マルスボルク城はより濃い黒曜石のような色合いだ。
複数の建物が並ぶパラティウム帝立学園に匹敵する、広大な敷地を有するマルスボルク城では、今日も中庭で騎士団の訓練が行われていた。
今にも雨が降りそうな曇り空の下、騎士団は一糸乱れぬ動きを見せる。
だが、その光景を見下ろす男には不満のようだ。
「たるんどる」
彫りの深い顔と大きな体躯が見るものに威圧感を与える赤髪の男、オズカートは眉間に皺を寄せる。
イスガルド大陸最大の国、ガルマイン帝國の皇帝陛下その人であると知れば、その威圧感に誰もが納得するだろう。
こうして真面目な顔をしていると、はちまきを巻いて「マルコを殺せ!」と音頭をとっていた人物とはとても思えないが同一人物である。
オズカートはつまらなそうに椅子に腰掛け、机に肘をついた。
行儀が悪いと彼を叱れるものなど、この城にはいない。
ディアドラが宮廷魔導師を辞めてなければ、叱りつけただろうが。
「帝國騎士団のようにはいきますまい」
皇帝の愚痴につきあい、騎士団を庇うのは、細やかな刺繍の施された真紅のローブを纏った壮年の男、名はセフォン。
帝國騎士団は騎士団の上澄みであり、他の騎士団のトップが帝國騎士団にスカウトされることも多い。
同じ騎士団と名は付いているが、そもそも練度が違うのだ。
「ふん」
皇帝の機嫌は直らない。セフォンは心持ち机から距離を置いた。
細身で髭を蓄えたこの男は、帝國騎士団と対をなす宮廷魔導師のトップである。
セフォン本人は、本来宮廷魔導師長の座にいるべきはディアドラだと考えているのだが、彼がこの地位にいることに異議を唱えるものはいない。
「エルフの血が混ざり長寿な私が宮廷魔導師長になると、風通しが悪くなるだろう」
ディアドラはそう表明して、宮廷魔導師長への就任を断り、宮廷魔導師まで辞めてしまった。
教師と宮廷魔導師を兼任していたディアドラが、パラティウム帝立学園に専念するようになったのはそれからだ。
城からディアドラが姿を消して、皇帝陛下は大層落ち込んだ。三日ほど職務放棄した。
マルコが知ったら「権力者ってのはどこもそんなのばっかなのか」と呆れるに違いない。
落ち込んだ皇帝陛下に「もうこいつでいいか」と、軽いノリで宮廷魔導師長に就任させられたのがセフォンである。
就任のいきさつはともかく、数多くの上級魔法を使いこなすセフォンの腕前は誰もが認めるところだ。
加えてセフォンは内政にも通じている。
帝國騎士団の現団長が剣の腕以外はあまり頼りにならないので、その印象はさらに際立つ。
平時のセフォン。戦時のサーラターナ。
どちらに対しても揶揄と取れなくはないが、この二人が帝國の魔と武を代表していることは間違いない。
そのセフォンが報告書を渡すと、皇帝は鼻息も荒く受け取り、ギロリと目を通す。「この手がディアドラ先生のお手々だったらなあ」と思ったかどうかは定かではない。
宮廷魔導師長は、皇帝陛下の機嫌の悪さが伝染したかのような声を発する。
「危惧したとおり、魔物の動きが活発化しているようですな。活動範囲が人里に近づいております」
その報告書の内容は、グリフォンとの遭遇から始まる、帝都南西の森における魔物の分布についての調査結果である。
A級討伐対象とされるグリフォンが、森の奥地から浅い場所まで移動していたことには、宮廷魔導師からも懸念の声が上がっていた。
冒険者ギルドや騎士団と連携し、魔物の勢力範囲を調べ直した結果、明らかに魔物の生息地域に異変が見受けられたのだった。
皇帝は机の上に置いてあった別の書類をセフォンに渡す。
「これを見るがよい」
「これは……」
中身を見て、セフォンは髭を撫でさすり、しかめ面になる。
「陛下が不機嫌になられるのもわかりますな」
その書類は西都ウーバンからの報告書だった。
西都は三大国の二つ、聖国と王国に対する備えの中心でもあるため、帝都に次いで常駐する戦力は多い。
報告書に記されていたのは、西都の騎士団及び軍隊による魔物の調査報告。
帝都で調べたのと同様、魔物の活発化、生息域の変化が見られるという内容であった。
「思っていた以上に大規模のようですな。何が原因なのか……」
ふうむ、とセフォンは唸る。
帝都と西都の間で、魔物の分布が大きく変わるような、何かが起こっている。
天変地異か、それとも強力な魔物、例えばドラゴンのような存在が近くに移住し、他の魔物が追い出されたか。
思考に沈もうとしたセフォンの背後で、ノックの音が聞こえた。
「サーラターナ様がおいでになられました」
「入れ」
オズカートが入室を許可すると、重々しい扉が開く。
帝國騎士団の黒い鎧を纏った、どこかとぼけた青い髪の男が入室した。
こちらも報告書を手にしている。とはいえその紙は一枚のみだ。
サーラターナが自ら書いたのだろう、ぺらぺらな報告書。
もしも報告書が分厚ければ、部下に書かせたに違いない。そういう男だ。
報告書を受け取った皇帝の表情が、一瞬怒気をはらんで燃え上がり、その炎が嘘のように消えた。
このまま報告して良いのか、とサーラターナはちらりと視線をセフォンに向ける。
「よい。どうせ必要になるだろう」
皇帝の言葉に、帝國騎士団と宮廷魔導師が協力して当たらなければならない事か、と魔導師長は居住まいを正した。
「はっ、ロロが帝都に帰還しました。シルフィネーゼ・ノーマッドは報告書にある通り無事ですが、どうやらまたナイトシフトが暗躍している様子」
セフォンは思わず天を仰いだ。
ナイトシフト、その名は帝國にとって特別な意味を持つ。
「ナイトシフトとは……凶事は重なるといいますが……」
「ふん、のこのこと現れおったわ」
S級犯罪組織ナイトシフト。
犯罪組織にランクなど存在しない。
ランクなどないが、それを率いる双頭、死霊使いヴィルマーンと魔蟲使いパルティマス。この兄弟が揃ってS級冒険者だったため、ナイトシフトはS級犯罪組織といわれている。
そもそもS級冒険者とは、強力な魔物を退治した、という実績だけでなれるものではない。
他を圧する実力、比類なき実績、そこにもう一つ隠された意味がある。
冒険者ギルドの一支部や都市レベルではその個を抑えきれない、国家レベルで対処しなければならない存在。
地方の冒険者ギルドや貴族が下手に手を出して、大やけどを負わないよう自重させるための称号でもあるのだ。
帝國は一度、ナイトシフトに苦杯を嘗めさせられていた。
五年ほど前、帝國の北東部で、流行病により幾つもの村落が壊滅した。
その中には、死んだ住人がアンデッドと化した村まであったという。
しばらくして、その流行病はナイトシフトによる人災だったと判明する。
無論、オズカート皇帝は激怒した。
ナイトシフトは帝國の民を踏みにじったのだ。
帝國はナイトシフトの犯行と知るや、彼らの居場所を突き止め、包囲殲滅しようとした。
ナイトシフトがねぐらとする山間の廃城を帝國軍が包囲したのは、今から三年前のことだ。
帝國騎士七名、宮廷魔導師五名、騎士五十七名、兵士約四百名。
対するナイトシフトはS級冒険者が二人いるとはいえ、その数わずか十八人。
戦力は足りているはずだった。
だが、戦場で繰り広げられたのは悪夢。
味方は次々と魔蟲の毒に倒れ、先ほどまで肩を並べていた仲間が、アンデッドとなり襲いかかってくる。
結果、帝國は肝心のS級二人を取り逃してしまうことになる。
帝國軍側の被害は甚大なものであった。
指揮を執っていた当時の序列四位を含む帝國騎士三名、宮廷魔導師二名、騎士や兵士に至っては、その大半が死亡した。
惨敗である。
S級冒険者は確かに強力だが、帝國騎士団の序列一桁は十分それに対抗できる実力を有しているはずだった。
しかし、死霊使いと魔蟲使いの戦い方があまりにも特殊だったのだ。
ヴィルマーンとパルティマスの二人は帝國の追っ手を振り切り、大陸北東の都市連合へ逃亡した。
帝國は都市連合に圧力を掛け、様々な手を使い彼らを捜索したが、そこで二人の消息は途絶え、今に至る。
「今度は私が行きましょう」
三年前の戦いに参加できなかったサーラターナが、彼には珍しく強い決意を表明する。
当時、帝國騎士団の団長に就任したばかりのサーラターナは、帝都を長く留守にすることが出来なかった。
帝國北東のノーステリア平原は帝都から遠く、脅威となり得る聖国、王国とは反対に位置する為、部下に任せることしかできなかったのだ
「無論だ。お前以外の者では手に負えんだろう」
むざむざと部下を死地に追いやってしまった無念は、皇帝も同じだ。
「厄介な相手ですからな。我々宮廷魔導師も色々と準備しなければなりますまい」
セフォンは死霊や魔蟲に対して有効な魔道具を、幾つか頭に思い浮かべる。
あれから宮廷魔導師達も、死霊や魔蟲に対する有効な手立てを考えてきたのだ。
この場に集まる三人。
ガルマイン帝国の軍・武・魔のトップは、三者三様に為すべき事に思いを巡らす。
その対象は、北東で暗躍するS級犯罪組織ナイトシフト。
彼らは北東のナイトシフトに比べれば、南西の森や西都で観測された異変は些事であると、この時は考えていた。




