三四話 狂剣の原点!
パチパチとはぜる焚き火が、火の粉を散らして夜空に吸われていく。
夜に溶けるかのような黒髪を肩ほどに伸ばした少女は、焚き火に朱く照らされ、じっと座り込んでいた。
少女は今日、冒険者になった。
西都ウーバンの近く、とある街の孤児院で育った少女は冒険者ギルドに登録を済ませ、一番簡単な、初心者にうってつけな依頼を請けると、早速近くの採取場へと一人で足を向けた。
しかし、今、この場にいるのは少女一人ではない。
「そろそろ寝ないと疲労が取れないぞ。途中で見張りは交代して貰うからな」
焚き火にくべる枝を折りながら、勝手について来た男が語りかけてくる。
見知らぬ男ではない。
このクセ毛の男は孤児院の先輩だ。
男が孤児院を出て行ったのは、まだ少女が幼かったとき。
おぼろげな記憶しかないが、今でもたまに孤児院に顔を出して、食料を寄付しているのは知っている。
人なつっこい男で、冒険者としてもそれなりに暮らしていける腕を身につけているようだ。
「うん、わかった」
疲れていた少女は男の忠告に素直に耳を傾け、孤児院から持ってきた粗末な外套に包まり横になる。
薬草や木の実の採取、それに魔物狩り。
スライム三匹、岩兎一匹と獲物は小さく金にはほとんどならないだろうが、怪我をすることもなく、なんとか冒険者としてやっていけるのではないかという期待の持てる一日だった。
同業の先達からアドバイスを受けながら、初仕事をこなせたのは大きかったのだろう。
少女は目を閉じ、疲れた体を休めようとする。
しかし、胸に穴が空いたような、落ち着かない気持ちが睡魔を寄せ付けない。
冒険者になることは自分が望んだことだ。
なのに自分の居場所はここでは無いような気がして、少女は眠れない。
しばらく目を閉じていた少女は、空気が変化したことをかぎ分けた。
静けさはそのままに、何かを不自然に感じる。
注意深く意識を耳に傾けると、何やら物音が聞こえる。
そっと目を開けると、男が恐ろしいほど真剣な顔で袋から何かを取り出そうとしていた。
少女はいつでも跳ね起きれるように姿勢を調節し、腰に差したナイフにそっと手を伸ばす。
男の手が掴んでいるものを、焚き火が赤く照らし出した。
鎖のついた手枷。
それを見た瞬間、少女は跳ね起きると同時に男に襲いかかった。
「ぐぅ!」
不意を突かれた男がくぐもった声を漏らす。
少女のナイフは男の腕を浅く切り裂いた。
引き替えに男の蹴りを受けた少女は地面に転がる。
「くそっ、このガキが!」
本性をあらわにした男が、鬼の形相で剣を抜いた。
ロングソードが焚き火を照り返し、赤く鈍く輝く。
男のロングソードが少女を襲う。
威嚇のためか、大振りな攻撃。
ロングソードとナイフ、違いを見せつけるかのような雑な攻撃が繰り返される。
雑な攻撃で十分だった。
武器の違いだけではない。
体格、経験、力量、いずれも男と少女の間には大きな差がある。
少女は手にしたナイフを構えながら必死にロングソードを躱し、受け止める。
「大人しくしろ! 死にたいのか!」
男にとっては苦戦などするはずのない相手。
幼く小柄な少女に勝ち目などあろうか。
得物の差を覆せるはずもなく、少女の体は傷ついていく。
息を荒げ必死に防戦する少女に、男はドスの効いた声で恫喝する。
「死にたくなければそのナイフを捨てるんだ」
少女の黒い瞳は焚き火を映し、真っ赤に燃え上がっていた。
獣のように目を見開き、命を掴もうとする。
だが、あらゆる面で少女は劣っていた。
ガッ!
ついにロングソードが少女の額を切り裂いた。
鮮血が宙を舞う。
少女はぐらりと大きくよろめいた。
勢いよく流れる血を見て男は勝利を確信し、舌打ちした。
「ちっ、売値が下がっ――」
コヒュッ!
そこで男の言葉は止まった、呼吸と同時に。
男の喉元をナイフが切り裂いていた。
額から大量の血を流し倒れると思われた少女は、戦意を失うどころかさらに踏み込んでいた。
男が勝ちを確信し、商品価値の下落を嘆いた瞬間、ロングソードをかいくぐり、ナイフを男の首へと差し込んでいたのだ。
ゴボッと泡立つような音とともに血が噴き出す。
信じられないような顔をした男が、首を押さえるが止まるはずもない。
男は倒れ、その場には少女の息づかいだけが残った。
少女はあらゆる面で劣っていたはずだった。
否、一つだけ少女は男に勝っていた。
それは戦場における心構え。
売り物を傷つけまいとする男と、相手を噛み殺してでも生き延びようとする少女の覚悟の差。
息絶えた男の周りに、血の池が広まっていく。
少女は息を整えながら、その様子をただ眺めていた。
いや、少女の視線は男の手からこぼれ落ちたロングソードへと、抗うことなく吸い寄せられる。
少女の血がべったりと付き紅く染まったロングソードは、焚き火に照らされ朱く怪しく揺らめいていた。
その蠱惑的な、幻想的な輝きは少女を魅了した。
渇いてひりつくのどを潤すように唾を飲み込み、少女はロングソードに手を伸ばす。
切れ味が良いのは自分の体で知っている。
新人冒険者の稼ぎで、これだけの剣を手に入れるには何ヶ月かかるだろうか。
――ああ、初日からなんてツイているんだろう。
「ふ、うふふふふ」
少女は初めて手に入れた自分の剣に陶然と見惚れ、自分の血の味、掴み取った命の味を確かめるように、刀身にそっと口をつけた。
これが後に『狂剣』と呼ばれるようになる少女の、冒険者としての最初の一歩。
少女はこの日、冒険者になった。
初めて依頼をこなし、人を殺した。
こうして少女は前途洋々たる未来に歩み出したのだ。
ロロの凄惨な過去に、マルコとシルフィは無言で聞き入っていた。
「ちょっとでもためらってたら、今頃オレは奴隷か、額の傷を治されて娼館行きさ」
ロロは自分で自分の道を勝ち取れた。
しかし、ロロが男を殺すまで、その男に売られた子どもが何人いたことか。
男は孤児院を出てから悪事に手を染め、近くの街の孤児院にも頻繁に顔を出しては獲物を物色していたらしい。
行方不明になっても騒がれないような獲物を狙うため、孤児院と顔をつないでいたのだ。
ロロと同じ孤児院で育った三つ上の男の子は、ロロより少し早く冒険者になり、男の手によって奴隷へと落とされたそうだ。
その子達とロロとの違いは何だったのか。
相手を噛み殺してでも生きようとする闘争心か。
生まれ持った戦闘の才か。
無論、どちらも必要だろう。しかし、運がなければどうにもならない。
もしロロがあの夜、あっさり眠っていれば、目を覚ましたときにはその子達と同じ運命を辿っていたはずだ。
ロロほどの才がなくとも、良い出会いに恵まれていれば、その子達の未来は大きく変わっていただろう。
「ロロ。お前、戦い以外のこともちゃんと考えてたんだな」
マルコは戦闘狂が意外にしっかり考えて生きてきたことに驚いていた。
「マルコに言われたくはないでしょう」
「何でっ!?」
「けっけっけ」
シルフィが呆れたようにため息をつき、非常識っぷりに自覚のないマルコがショックを受ける。
ロロはこんなことでも、なんとなくマルコに勝ったような気がして楽しげに笑った。
冒険者として芽が出ず、魔王軍に保護されてから猛特訓を受け急激に成長したマルコに比べ、ロロは依頼をこなし、我流で腕を磨き、一歩ずつこの地位まで上り詰めてきた。
階段を上るように着実に。
決して天賦の才に任せてきたわけではない。
風に流されるままに生きる者の多い冒険者でありながら、大地に根を張るようにしっかりと前へ進んできたのだ。
ロロは才に恵まれ、悪縁を断ちきってここにいる。
マルコは才はなくとも、良縁に恵まれここまで来た。
そしてダルジンは才も縁もあったが、それでも全てを失い、立ち直れなかった。
そこには些細な違いしかなかったのだろう。
マルコはノルマリアで暮らしていた頃と、何一つ変わらないであろう月を見上げる。
『雷鳴の旅人』のダルジンも、盗賊団のダルジンも、見上げる月は同じ顔をしていたはずだ。
どれだけ強くなっても、周りを羨みながら歯を食いしばって生きていた頃の自分と、本質が変わったわけではないのだろう。
そう思うと不思議なことに、マルコの心は少し軽くなっていた。




