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三三話 さよならダルジン!


 あの日のように大地が波打つ、溶けるように、踊るように。


 ダルジンの脳裏には、全てを奪われたときの光景が鮮烈に蘇っていた。


「……あ、……ああ」


 恐怖と絶望、怒り、それらを上回る無力な自分への呪詛。

 皮肉にも負の感情が、彼から全てを奪ったスライムが、ダルジンの瞳に光を取り戻させようとしている。


「このスライムは悪食(あくじき)スライムっていうそうだ。大昔に魔王暴食(グラトニー)と呼ばれていた個体もこの種族らしい」


 マルコは淡々と説明する。当時は知らなかったが、実はあのスライムは魔物目録にも載っていたのだ。


 穴が空くほど見たスライムの項ではなく、魔王の項に。


 魔王という単語には二つの意味がある。


 一つは魔大陸唯一の都市リョーシカを統べる王。

 人類最強の軍隊を率いる力の象徴。


 もう一つは魔物の頂点に立つとされる王。

 単なる強力な魔物から、群れを統べる魔物、群れを越える影響を持つ魔物まで。


 個体によって違いはあれど、人類を危機に陥れた魔物、人類にとって脅威となる規格外の魔物につけられる異称が『魔王』なのだ。


「……『雷鳴の旅人』は、かつて魔王と呼ばれた悪食スライムと遭遇し全滅した。そうだろ、ダルジン」


 覚悟を決めたマルコの顔が青白くなるのと対照的に、これから死にゆくダルジンの顔色は血の気が戻り赤らんでいた。


 まだ涙を流せるのかと自分の体に驚きながら、ダルジンの口元がほころぶ。


「……ありがてえ」


 ダルジンの仲間はこのスライムに殺されたのだ。

 時と場所は違えども同じ死に方は出来る。


 盗賊に身をやつしたダルジンには望むべくもない、最高の死に方だった。


 それぞれがA級冒険者だった『雷鳴の旅人』ですら手も足も出なかったスライム。

 それを召喚したマルコの力量に感嘆しながら、ダルジンの胸の内から熱いものがこみ上げ、止めどなく目からこぼれ落ちる。


 自然と口が開いた。


「……ナイトシフトだ。俺たちはS級犯罪組織ナイトシフトの別働隊だ。気をつけろよ、奴ら何かでかいことを企ててやがる。それも近いうちにだ」

「ダルジン……」


 ダルジンの周囲の大地が、エサを急かすように大きくうねりだす。


「フン、冥土の土産が犯罪者の情報じゃ、あいつらに殴られちまうからな」


 マルコの氷の表情に亀裂が走る。


 語りかけるダルジンは先ほどまでの、生きながら死んでいたダルジンではない。


 ダルジンは『雷鳴の旅人』として最期を迎えようとしていた。


 それだけが彼の望みだったのだ。


「ああ、持ってくのはお前が凄い男になってたって情報だけで十分だ。おかげでいい土産が――」


 最期は一瞬だった。


 ダルジンは瞬く間に大地に飲み込まれ、この世から姿を消した。


 きっと仲間達の最期と同じように。






 ヴァリオスとエメルがノルマリアから連れてきた応援が、馬車で盗賊団を輸送する。

 盗賊団は泣きわめき助命を懇願し、それが通用しないと見るや罵声を浴びせかけてきた。


 彼らの声を無視しながら、マルコ達はノルマリアの街へ戻った。


 昨日と同じ宿。

 北都ノーケンの宿屋ほどではないが、それなりに広さだけはある、しかし雑草が伸びている、あまり手が入っていない庭で、マルコは一人、槍を振るっていた。


 この槍は魔王軍の名工アマリーズがマルコのため特別に鍛えた槍だ。


 その銘も『マルコの槍』。


 もっとかっこいい名前がいいと要望したところ、「知るかっ」の一言で却下された総オリハルコン製の槍である。


 マルコ専用だけあってよく手に馴染む。

 手から伝わる不思議な暖かさにすがるように、マルコは一心不乱に槍を振るう。


 夜陰にまぎれ、その光景を覗き見ている人物がいた。


 かつての仲間を自らの手で殺めたマルコ。

 こんな日にも鍛錬を欠かさないのは大したものだが、その動きは洗練されるでもなく、ただ闇雲に体を動かしているに過ぎない。


 呼気に乱れが見える。勢いに任せた無駄な動きが制御し切れていない。


 好機とみたその人物が夜に同化し、滑るように背後から襲いかかった。


 剣刃に反応したマルコは、振り向きざまにオリハルコンの槍で受け止める。


 ピシィッ!


 思わず本気で対処してしまったマルコの槍とぶつかり、襲撃者の剣が悲鳴を上げた。


「ちぇっ、隙だらけだと思ったんだがな」

「今、ピシッて、……ヒビ入ったろ?」

「は、入ってねえし」


 白眼で見やるマルコの冷静な指摘に襲撃者、ロロは剣が使い物にならなくなって内心涙目である。


 この短期間に氷竜刀に続いて二本目。馬鹿にならない出費だ。


 風呂上がりのロロはタンクトップにホットパンツという軽装だ。

 それでもちゃんと剣帯だけは帯びているのが実にロロらしい。


 護衛のロロがいるということは、シルフィもここにいるということだ。

 シルフィはパジャマの下をくぐる夜気で湯上がりの肌を冷ましながら、やり合うマルコとロロを眺めている。


 ――シルフィから見たらこの二人はよく似ている。


 一人で、自分の腕でここまで生きてきたことや、変なところで強がりなところが。


 剣にヒビが入ったことを隠すロロに、ダルジンを殺めたことを顔に出さないよう努めるマルコ。

 バレバレなところもよく似ている。


 マルコは間違っていない、ダルジンにとってはあの死こそが救いだっただろう。彼を救えたのはマルコだけだったはずだ。


 そんな慰めを言ったところで、かつての仲間を殺め、失った事実が変わるわけではない。いずれ立ち直るにしろ少しでも早く元気になってほしいものだ。


 そこでシルフィは、つい最近の会話を思い出してしまったのだ。


 それはある早朝のことだった。


 学園に行く準備を終えたところで、皇女ヘルミナが部屋に乱入してきて、髪を掻き上げているシルフィを見て言った。


「まあ、これで今日も一日頑張れるわ」


 翌日のことである。


 メアリーに髪を結い上げて貰っていると、首筋を人差し指がつつーと這い、シルフィはびくっと反応した。


「お嬢様のうなじは世界一魅力的ですね」


 世界一魅力的なうなじとはどういうものだろう? ちょっと理解しがたいが、ともかく男性は女性のうなじに色気を感じるという。


 シルフィはちょっとした悪戯心とともに思った。これだ!


 勇気を出して、シルフィは水分を拭き取りながらもまだわずかに水気を含む翠銀の髪に、夜気を取り込むようふわっと掻き上げてみせる。


 マルコは鍛錬に戻っていた。


 自らが考える大人の女性の色っぽい仕草が見事なまでの不発に終わり、マルコを元気づけるどころかシルフィはこっそり落ち込んだ。


 無論、顔はにこやかな微笑をキープしている。何もしてませんよ、と。

 鋼鉄の笑顔である。


 少し考えれば、すぐそこに同じ年頃の少女が腕や足どころかへそまで丸出しにしていることに気づけただろう。


 ロロは馬力が抜きんでているため、脱いだら筋肉質でガチムチだろうと思われてしまいがちだが、実際目の当たりにしてみると、しなやかで健康的な肢体をしている。


 腹筋は割れているが、年頃の少女としてもそれなりに魅力的といえないこともない。

 そもそもベリーショートのロロは掻き上げるまでもなく、うなじなんか丸出しである。


 やはりシルフィには視野を広げる訓練が足りなかった。


 シルフィが笑顔の裏で、羞恥心ととっくみあいになってキャットファイトを繰り広げているのをよそに、ロロはマルコに話しかける。


「冒険者なんて何が切っ掛けで転落するかわかんねえだろ。こんなことよくあることじゃねーか」


 マルコは槍を止める。その顔は弱々しさを隠しきれない。


「俺にとっては命の恩人だったんだよ。あのとき俺を救わなけりゃダルジンは右手と雷神剣を失わずにすんだかもしれない。そうしたら……」

「ハッ、盗賊になんかならなかったってか、ばかばかしいッ」


 ロロは嫌悪もあらわに吐き捨てる。胸糞の悪さを隠そうともしない。


 マルコはロロが同年代で後塵を拝した唯一の相手であり、唯一認めた男である。


 ロロがパラティウム帝立学園ではなく帝國騎士団を選んだのも、このふざけた強さの男を叩っ切るためなのだ。


 腑抜けた姿を見せられると、その強さが陰るように感じられてむしゃくしゃするのだ。


「うがああああぁぁぁぁ!」


 だから吠えた。


「なんだよ? 近所迷惑だろ」

「くそっ、非常識野郎に常識説かれた。全部てめえのせいだ、てめえの!」


 剣もまた使い物にならなくなっちまったし、とロロは地団駄を踏む。


 宿の庭先で槍を振り回す怪奇スライム男と、遠吠えする剣ペロバトルジャンキーの傍迷惑な夜は続く。

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