二九話 蠢動! ノーステリア平原!
窓の外、夜明けはまだ遠かった。
夜の間に冷え込んだ空気をはねのけるように、マルコは布団から身を起こす。
並んだベッドにはヴァリオスが行儀良く、ユリアンが掛け布団をはだけて寝ている。
どうやら、叫び声は夢の中だけで抑えられたようだ。
北都ノーケンと違い、ノルマリアには貴族が泊まるのにふさわしい宿屋などない。
武人肌に見えるユリアンが簡素な宿に顔をしかめ、ヴァリオスが何の抵抗も見せないのは意外だったが。
「ダルジン、どうして盗賊なんかに……」
悪夢を見たのは、ダルジンの名を目にしたからだろう。
マルコは心を落ち着かせるよう、ゆっくり呼吸した。
暗闇の中の空気は、昔と変わらぬノルマリアの匂いがする。
――あの後、魔王軍に保護された一行は、魔都リョーシカの港からイスガルド大陸へと帰って行った。
ただ一人、魔大陸に残る道を選んだマルコを除いて。
別れるときのダルジンは酷く衰弱していた。
誰もが肩を落とす中、船長は大きく息を吐いて、マルコに言葉を残す。
「魔大陸へ渡るというのはこういうことじゃ。どんなに強かろうと、数を頼もうと……」
顔に刻まれたしわをさらに深くして、船長はマルコに別れを告げた。
生き残ったのはわずか八名。
七人がイスガルド大陸に戻り、一人が魔大陸に留まった。
これが船員、商人、冒険者、合わせて三九名でイスガルド大陸、港町キルキスを発った、一隻の船の顛末であった。
そしてここから、魔王軍で保護されてからマルコの成長は始まったのだ。
「目的地がノルマリアな時点で、誰かしら昔の知り合いに再会するだろうとは思ってたけど……」
まさか、魔大陸で別れたダルジンの名を目にするとは。
手配書によると、ダルジンが率いる盗賊団は商人や村人から金品を奪うばかりか、人身売買にまで手を出しているらしい。
盗賊に身をやつしたダルジンにだけは会いたくないな、とマルコはため息をつく。
しかし、大貴族のヴァリオスとユリアンがいて、何より、世界中の回復魔法の使い手をほぼ独占しているといっても過言ではない神殿の秘蔵っ子、シルフィがいる。
客観的に見て、これほど美味しい獲物はいない。
帝國騎士団序列九位がいても手を出すほどの馬鹿か、それでも勝つ自信があるほどの戦力を備えているのであれば、マルコ達一行は狙い目ではあるのだ。
もっとも盗賊団にそれだけの戦力があれば、脅威と見なした軍や騎士団がとっくに動いてるだろうが。
「ここがノーステリア平原か……」
「平原なのよねえ?」
「平原と名付けた奴を問い詰めたいな」
三年組の三人、ヴァリオス、サディナ、ユリアンが口々に目の前の風景に対し辛辣な評価を下す。
平原といいながら森であったり湿原であったりする、実にいい加減な地名だ。辺境の地名なんてこんなものである。
本当に広大な平原が広がっているならば、もう少し開拓が進んでいるだろう、と、うすうす考えていたヴァリオスは小さく肩をすくめた。
「我々がやることに変わりは無い」
「ここにいる魔物の種類を記録すればいいんだろ。演習で新入生の手に負えない相手がいたら被害が出るからな」
「はぁ、……私、戦闘苦手なのよね」
「ユリアンが前に出て私とサディナが支援、無理はしないで落ち着いていこう」
そう言いながら、ヴァリオスは新入生二人の姿を思い浮かべた。
自信があるのか、新入生は二人とも少人数での別行動を提案してきたのだ。
調査する範囲が広ければそれだけ都合がいいので、拒みはしなかったが。
「さて……、彼らにも個人的な思惑がありそうに見えるが」
上級生達は各々得物を構え、魔物狩りを始めた。
場面はシルフィへと変わる。
木立の中で、シルフィは、ロロのみをお供に、魔物討伐に精を出していた。
「てえい!」
気合い一閃、巨大トカゲの魔物が吹き飛び、その頭部が潰れて脳漿をまき散らす。
「ふう。……レベルが上がった気はしませんね」
メイスを片手に汗を拭うシルフィに、手持ち無沙汰なのか頭の後ろで手を組んでいるロロが指摘する。
「そりゃあ、嬢ちゃんのレベルと、ここら辺の魔物の強さを比べるとな」
「やはり、もう少し強い魔物じゃないと効果ありませんか」
シルフィは唇をとがらせ、メイスにこびりついた魔物の血を見て表情を曇らせる。
神官戦士は杖を使うことが多い。シルフィも同じだが、その杖は明らかに大きかった。そして黄金色であった。
見た目に似合わぬ膂力、魔物の動きに合わせるセンス、たまに立ち上る気の揺らめき。
強さへの執着と可能性を見せるシルフィに、意外そうな視線を向け、ロロは助言する。
「やらないよりゃマシだろうが、効果的にレベルを上げたきゃ、それこそ魔大陸の魔物でも狩らないとな」
「魔大陸……」
そこはマルコが強くなった修羅の大地。
シルフィでも、いやシルフィだからこそ、簡単には行けない場所。
イスガルド大陸とは比べものにならないほど、強大な魔物の闊歩する地だ。
「マルコに一撃入れるくらいの力があれば、いけるんじゃね」
そう言ったロロは、よからぬことを思いついて口を大きく歪める。
「よし、マルコに一撃入れて親御さん説得できたら、オレが連れてってやんよ」
なかなかマルコを倒せない腹いせに、襲撃者を増やしてみたのだ。
「ほほう、マルコに一撃……ですか」
ほほうじゃない、と制止するはずのマルコは、この場から離れていた。
マルコは盗賊団を警戒して、シルフィ達と三年生組のちょうど中間で魔物を狩っている。
二組の動きは召喚したスライムで監視、今のところ近寄る怪しい影は見えない。
隠蔽魔法のかかった魔道具らしいマントを頭からすっぽり被り、腹ばいで移動するシルフィ親衛隊の女二人は除く。
彼女たちはこの上なく怪しいが敵ではない、身元ははっきりしている。
シルフィ影の護衛が軍人顔負けの行動力を発揮している頃、表の護衛と半ば公認されているものの戦闘力があまりないホリー先生は、シルフィではなくマルコに同行している。
ロロが護衛についていれば、ホリーの出る幕はないのだ。
そのロロも剣は鞘に収めたまま、手を出さずにシルフィの戦闘を見学していた。
新たな魔物、ハイドウルフを発見し、黄金のメイスが唸りを上げる。
「えい! あっ」
魔物を潰したメイスが勢い余って木にぶつかった。
メリッ! バキバキッ!
巻き添えで潰された恨み、とばかりに木はシルフィめがけて倒れる。
硬直したシルフィの前にロロが回り込み、
「ハッ!」
掌底で倒れ込んできた木を弾き飛ばした。
護衛対象を傷つける? 冗談じゃない。
容姿やサクセスストーリーなど飾りに過ぎない。ロロは実力と任務遂行能力で認めさせてきたから序列一桁なのだ。
「あー、もうちょい視野広げとけ」
「あ、ありがとうございます」
やっぱ経験不足だよなあ、とロロは手を振って指南する。その手は傷つき血がにじんでいた。
「……手を貸して下さい」
シルフィがロロの手を両手で包み込むと、淡い光が木漏れ日のようにこぼれ出す。
「……」
ロロが照れたような何とも言えない表情を見せる。
無詠唱の回復魔法を凄いと思う以上に、シルフィに手を取られるのがどうにもくすぐったいのだ。
怪我を治したシルフィが、ロロの顔をじっと見据えた。
「……その額の傷、治せると思いますよ」
「あん? これはこれでいいんだよ。この傷を見るたびに、人を斬りたくてうずうずするしな」
「また物騒な話だな」
唐突な声にシルフィが振り返ると、いつの間にかマルコが立っていた。
そのマルコ、何故かびくついて、シルフィから一歩距離をとる。
どういうわけか、マルコの本能がシルフィから攻撃されるビジョン、危険信号を発したのだ。
「けけけっ」
困惑するマルコの様子を、ロロは実に面白そうに鑑賞する。
「……なんか物音がしたから来たんだけど」
マルコは嘘をついた。
本当はスライムとの視角共有で、木が倒れるところを覗いていたのだ。
ロロが木を張り倒さなかったら、マルコが処理していただろう。
「けっけっけ、こっちは順調だぞ。そろそろ時間じゃねえか」
「ええと、ホリー先生は……」
「あっ!」
忘れてた! という風にマルコが振り向いたその先で、ホリー先生はひいひい泥をはねながら、泣きそうな顔で走って来ていた。
「ううっ、急に走り出すもんだから……」
「……すみません」
マルコは、湿地帯を走ったため、裾を泥だらけにしているホリー先生に謝った。
比べて、ホリー先生を置き去りにして現場に直行したマルコの足元は、ほとんど汚れていない。
足元のぬかるむ湿地帯を素早く移動するため、足場代わりにスライムを召喚して、その上を飛ぶように走り抜けたのだ。
「面白いものを見させてもらったよ」
とは、刻限が迫り、下級生と合流しようとしていたところで、マルコの飛翔するかのごとき高速移動を目撃したヴァリオスの言である。
「風切り虫、ハイドウルフ、ポイズンリザードにパラライズリザード、あとはジャイアントスパイダー。注意すべき魔物の種類はこんなところか。新入生にはちょうど良い相手だろう」
「数が多いのはちょっと気になるわね。沼や森の奥深くはやっぱり危ないんじゃないかしら」
ユリアンとサディナが見ているのは、今日の成果を記したメモ。
どうやら、ノーステリア平原を演習地とするのに大きな問題はないようだ。
及び腰だったサディナも、魔物の心臓から剥がした魔石でリュックをぱんぱんにして、わずかばかりテンションが上がっていた。
帝都は普通に生活するだけでお金が掛かる。
平民の彼女は今までお金のやりくりに苦心してきたのだ。
これだけ魔石があれば、とサディナはにんまりしている。
仕事を終えて、気が緩んでいる帰り道。
彼らは視界の悪い森の中で一人の冒険者、いや元冒険者と出会った。
その男は、マルコの恩人である武器屋のガルド。
現役の頃の装備を身につけたガルドが一人、道ばたの手頃な岩に腰掛けていた。




