二二話 帝都を守る戦士達!
驚くほど軽々と宙を舞いながら、オキアは死を覚悟した。
脳裏をよぎるのは、オキアの街を救った青い鎧の冒険者、入学試験で手を差し伸べるシルフィの天上の微笑。
走馬燈を幻影ごと踏みつぶすかのように、凄まじい勢いで、オキアは頭から木に叩きつけられた。
「ぐえっぅ!!」
オキアが潰れた悲鳴を上げる。即死のはずが、悲鳴を上げることができた。
予想とは違う柔らかい感触に戸惑うオキア。
その感触には覚えがあった。
オキアがぶつかった木は、馬車の中でさんざん戯れたスライムの柔肌に覆われていたのだ。
「なんだ、こいつは!?」
「どこにいやがった!」
不意をつかれた冒険者達が、遅ればせながら戦闘態勢をとる。
オキアを突き飛ばしたのは、鷲の上半身に獅子の下半身を持つ魔物だった。
「グリフォンだ!」
「なんでグリフォンがこんな場所にいるんだよ!?」
「潜んでいたんじゃない! 俺たちがオークと戦ってる間に近づいてたんだ!」
グリフォン、それはA級の討伐対象。
つまりA級冒険者で組まれたパーティで討伐すべき魔物とされる。
この戦力で戦える魔物ではない。
オーク討伐隊は絶望的な状況に凍りついた。
グリフォンは獲物を見定める猛禽の眼差しそのままに一同を睥睨すると、ヒャッハに飛びかかった。
「ぐおっ!」
盾で頭部を庇うヒャッハ。
その盾を足場に、グリフォンは荒々しく羽根を広げ空へと駆け上る。
衝撃で尻餅をつくヒャッハを尻目に、マルコは左手をグリフォンにかざした。
振り向いたグリフォンの喉奥に炎がちらり、と揺らめく。
「クリスタルスライムウォール!」
マルコは一瞬ためらい、攻撃をあきらめて防御に転じた。
刹那、炎のブレスが冒険者を飲み込まんとし、彼らの頭上で透明なスライムが壁となり炎を遮る。
炎が消え失せ、マルコが冒険者達を守り切った、その空にグリフォンの姿はすでになかった。
「逃したか……」
マルコは空を睨み、顔をしかめた。
惜しいほどの獲物ではないが、野放しにしておいたら帝都の冒険者に被害が出るかもしれない。
「た、助かった……?」
誰かが地面にへたり込んだ。
――とはいえ、依頼を完了し、全員無事に帰還する。これに勝ることは無いはずだ。
その光景を木の根元にもたれたまま眺めているオキア。
鈍痛に頭がぼんやりするなか、おそらく彼だけが気づいていた。
マルコはグリフォンを仕留められたはずだ。
あの一瞬、マルコは確かにグリフォンのブレスより速く攻撃しようとしていた。
オキアがいなければ、他の冒険者がいなければ、そのまま攻撃していたのだろう。
オキアの目には、マルコの背中がひどく大きく映っていた。
その背中は、彼の街を救った青い鎧の男と重なって見えた。
――こうしてオークの緊急討伐依頼は完了した。
オーク討伐隊はオークの巣殲滅という朗報と同時に、グリフォンの出没という凶報を帝都へ持ち帰ることとなる。
夕刻、赤く照らされた石造りの外廊を、小柄な黒い人影が歩いていた。
廊下に佇む二人の男が、小柄な人影を目にして薄ら笑いを浮かべる。
この二人も小柄な人影と同様、黒を基調にした服を着ていた。
「あいつ、学園生に負けたそうだぞ」
「ふん、アムカとなったのが間違いなのだ。化けの皮が剥がれ始めたのであろう」
小柄な人影、ロロが立ち止まる。
夕日で長く伸びたロロの影が、同僚の帝國騎士二人の足元に重なった。
「やあ、ロロ殿、ご機嫌はいかが」
「帝國騎士、それもアムカともあろうものが嘆かわしい」
嘲笑には嘲笑で返す。
ロロはハッ、と鼻で笑い飛ばした。
「馬鹿かお前ら。マルコがオレより強くても、お前らがオレよりずっと弱いことに変わりはねえだろが。ってゆーかあの一戦で得たモノはお前らの訓練一年分より余裕で価値があるってーの」
「なっ!?」
「侮辱するか貴様!」
「おっ、やるか。まとめて揉んでやるよ」
「どちらも矛をおさめろ。帝國騎士同士で揉めてどうする」
そう声をかけ、場を収めたのは、冴えない青髪の男だった。
帝國騎士団団長サーラターナ。
ガルマイン帝國筆頭騎士を前に、部下達は襟を正し敬礼する。
「ロロ、お前は元冒険者だったな。仕事だ。南西の森にグリフォンが出没したそうだ。退治してこい。何人か連れて行ってかまわん」
「あいよっ!」
ロロは威勢よく返事をして、固まったままの二人を横目で見る。
ちょうどいい機会だ、と、ロロは悪魔のような笑みを浮かべた。
オーク討伐を終えた日の夜。
貴族街の近く、帝都の高級住宅街のはずれにある、マルコの家には客が訪れていた。
この家に客を迎えるのはディアドラ理事長に続いて二人目である。が、望まぬ来客であった。
「――というわけで、役立たずを引き連れてグリフォン退治に行くことになった」
ロロが楽しそうに言う。
同僚への嫌がらせなんだろうな、とマルコは思った。
その帝國騎士が元冒険者でもないかぎり、この任務中に相当ロロとの差を見せつけられ、思い知らされるに違いない。
「そんなことより、なんで俺の家の場所知ってんだ?」
「帝國騎士団を嘗めるなよ。帝都の住人がどこに住んでるかなんて、その気になりゃ簡単に調べられるんだよ。なかなか立派な家じゃねえか」
「ちっ、権力者め。お土産どうもありがとう」
「けっ、なんかリンゴばっか贈られてくんだよな。毎日食ってるのに全然減らねえ」
マルコは大量のリンゴをもらって、どうしたものかと思案に暮れる。
ロロが街中でリンゴをかじってるから贈られてくるのか、それともリンゴが贈られてくるから街中でかじってるのか。
どちらが先かはロロ本人にもわからない。
「で、何の用なんだよ?」
「グリフォンと遭遇した冒険者の名簿にマルコの名を見つけてな。ちょっと情報収集」
「情報って言われてもな。特に変わった個体じゃなかったと思うけど。場所だって報告上がってるだろ? まあ、グリフォンの機動力で場所の情報がどこまで意味あるかは別として」
マルコもロロもソロ冒険者として生きてきた。情報収集の大切さは骨身にしみている。
事前準備が生死に直結するのは冒険者の常だが、ソロで生き延びてきたというのは、その準備を個人で怠らずにやってきたということでもある。
もしくはどんな状況でも打破できる力を備えているか。
今の彼らは後者といえなくもないが、最初からそうだったわけでは無論ない。
「てめーがグリフォンごとき逃すなんてなあ」
「依頼内容はあくまでオーク討伐。依頼をこなし、みんなで無事に帰る。それが一番大切に決まってるだろ」
「けけっ、足引っ張られたか?」
「……リンゴジャム持って帰るか?」
「いただこう」
マルコがちゃっちゃぱぱぱとスライム魔闘術(料理)で手早くジャムを作り、キッチンから戻ってくると、ロロは煎餅をボリボリ食いながら、ソファーに横になってリラックスしていた。
「く、めっちゃくつろいでやがる。ああ煎餅のカスが」
「堅いこと言うなって。ああ、誰かさんがグリフォン逃がしたせいで仕事が増えるー。学園生のくせに立派な一戸建てに住んでる奴のミスで、帝國騎士なのに宿舎暮らししてるオレの仕事が増えるー」
口ではそういうものの宿舎暮らしは便利なのだ。
食事は食堂で、好きなときに好きなものを安く食べられる。
しかもお城の中だから、質は冒険者ギルドの酒場とは比較にならない。
服装は支給される制服で済ませて、洗濯、部屋の掃除はメイド任せ。ベッドメイキングもだ。
ロロは帝國騎士という立場をしっかり満喫している。
とはいえマルコがグリフォンを退治してたら、こんな仕事に出張る必要はなかったのも事実だ。
A級討伐対象のグリフォンが帝都近郊に出没したという報告は、すぐに冒険者ギルドから国へと伝えられた。
冒険者だけには任せておけないと判断し、国が直接軍や騎士団を派遣するというのは希にあることだ。
今回の場合、軍を派遣したところで、空を飛んで逃げられるのがオチである。
相手はグリフォン、A級の魔物。
グリフォンを森の中で追うとなれば、少数精鋭でいくしかない。
少人数でグリフォンを狩れるのは、帝國騎士団を置いて他にないのだ。
結構大事になってしまったかもしれない、と今更ながら、グリフォンを逃したことにマルコは少々ばつが悪くなった。
「……リンゴのタルトもいるか?」
「いただこう」




