一話 入学試験を乗り越えろ! シルフィとの出会い
「ふう……。一応それなりにはできたかな」
一ヶ月に及ぶ苛酷な猛勉強をこなしたマルコにとって、入学試験はもはや難敵と呼ぶには値しなかった。
実はパラティウム帝立学園は生徒に入学時点での学力をさほど求めていない。
最低限の学力と常識さえあれば充分なのだが、幸か不幸かマルコはそれを知らなかった。
猛勉強をしたのは入学後も勉強についていけるように、とのディアドラ理事長の親心である。
入学試験を終えたマルコは、他の受験生と一緒に廊下に並んでいた。
これから受験生の皆さんお待ちかねのステータス鑑定が行われるのだ。
受験生達は期待と不安にざわついている。
ステータスを鑑定し、その人に適した職業を伝えるのは、受験者全員へのサービスといわれている。
たとえ不合格だったとしても、自身の適性を把握し将来に役立てて欲しい、というのが学園側の建前である。
試験の出来が悪くとも、ステータス鑑定で将来有望と判断されれば何かしらの優遇措置がとられる、という噂の方が実態には近いだろう。
「鑑定、か……」
スライム使いのマルコにとって、ステータス鑑定はトラウマだった。
マルコが冒険者を志した五年前のことだ。
生まれ育った村が流行病で壊滅的な打撃を受け、マルコの両親も病で亡くなり、身寄りのないマルコは生きる為に冒険者ギルドの門を叩いた。
冒険者として登録した際にステータスを鑑定してもらい、でてきた職業適性が『スライム使い』。
将来性もない十才の子どもだ。馬鹿にされ、誰ともパーティーを組めず、そんなマルコに近づくのは肉壁に、あるいは犯罪に利用しようとする悪人ばかり。
……結局、強いスライムを求めて魔大陸へ渡るまで、冒険者としてまともな活動はできなかった。
しかし、今は違う。魔大陸で、魔王軍で磨き上げられたマルコの実力に疑問の余地はない。マルコはトラウマを克服したのだ。
ぐっと拳を握りしめるマルコに、周囲が怪訝な眼差しを向けた。
マルコの望んだ環境がここにはある。
ずらっと二列に並んでいる少年少女、マルコは帝都に来るまで、同世代の人間がこれほど多く集まるのを見たことがなかった。
人間の友達作りにもってこいだ。
ちらりと隣に並ぶ茶髪の少年を見る。
学園に誘ってくれたディアドラに感謝しつつ、友達候補に話しかける。
「いい天気だね」
「……何言ってんだ?」
白い目が返ってきた。
日常会話の王道「いい天気ですね」が通用しない、……何故だ? マルコは首を捻った。
天気はいい。窓から覗く空一面、いい感じに分厚い雲に覆われている。
暴風が荒れ狂ってもいなければ、雷が鳴っているわけでも、雹が降っているわけでもない。
ドラゴンも飛んでいなければ攻撃魔法も降ってこない、穏やかな空。
そこでマルコは思い出した。
イスガルド大陸では、このくらいの天気を、いい天気とは言わなかったのだ。
長らく魔大陸で暮らしていたがゆえのカルチャーギャップである。
魔大陸の常識ではなく、学園生らしい会話力が試されているのだ。
「試験どうだった?」
「ぐふっ」
茶髪の少年は胸を押さえてうずくまった。
何故だ!? 再びマルコは面食らった。
マルコの脳内における学園生らしい会話とは、
「試験どうだったー」
「宿題写させてー」
「あの先生イケメンだよねー」
だいたいこんな感じだ。参考資料は魔王の書斎にあった小説である。
おかしい、どうしてダメージを受けて胸を押さえているんだろう。
これが帝都のリアクションというものだろうか、とマルコは訝しんだ。
「くそっ、お前、いきなりなんてことを」
少年がマルコを睨みつける。その表情が一変した。
胸を押さえてうずくまっていた少年に、綺麗な少女が話しかけてきたのだ。
「あの、具合が悪いのでしたら保健室へ行きますか?」
翠銀の髪に瑠璃紺の瞳、その整った容貌に浮かぶ柔らかな微笑に、茶髪の少年の顔はあっという間に茹で蛸になった。
少女を呆然と見上げる少年を、からかう者はいない。
見惚れていたのは少年だけではなかった、その場の誰もが、少女に魅入られ固まっていたのだ。
なんかキラキラしてる!? とマルコも驚いた。
だが、マルコの反応は少しばかり人と違った。
少女のオーラを見て、ただ者ではないと判断し、ステータスを鑑定する。
一般にステータスの鑑定には鑑定板という魔道具を使う。しかし、ステータス鑑定を行う魔法やスキルも存在するのだ。
ごく希にだが、相手のステータスを見抜く魔物すらいる。
魔大陸中央の黒樹海。そこには目玉スライムという魔物が生息している。冒険者のステータスを見破り、自らの属性を変化させて襲ってくる嫌らしいスライムだ。
スライム使いマルコは、瞳に極薄の目玉スライム製コンタクトレンズを貼り付けることにより、人知れずステータスを鑑定できるのだ!
その結果がこちらである。
シルフィネーゼ・ノーマッド
種族 人
性別 女
年齢 十五
適性 聖女
レベル 三七
称号 初代聖女の再来
この年齢で称号持ち、レベルもなかなか高い。
称号とは実績や周囲からの評価で与えられ、能力に隠れた補正がかかるといわれる。
レベルとは単純にステータスの総和から判定されるものだ。
そして、かつて聖女と呼ばれた、帝國で最も有名な英雄と同じファミリーネーム。
「ふむ」
将来有望の一言に尽きる。
うんうん頷いているマルコの前で、貴族っぽい金髪の少年が場に割って入った。
「シルフィネーゼ様、あなたはこのような下賤な平民に関わるべきではありません」
金髪碧眼の美少年の言葉に、多くの者が顔をしかめる中、少女の微笑は一点も曇らない。
……うん? マルコは少女の笑顔に違和感を覚えた。
少女、シルフィは穏やかに語る。
「学園内では、貴族も平民も関係ないそうですよ」
「シルフィネーゼ様はもう少し御身を大切になされた方がよいのでは。礼儀を知らず、恩を恩とも思わぬような平民に手を差し伸べ、噛みつかれでもしたら大事になるのですよ。だいたいこのような者に触れて病気でも移されたりしたらどうするのですか」
「なっ、ふざけんなよ! 俺は病気なんか持ってねーよ!」
うずくまっていた茶髪の少年が勢いよく立ち上がり、性格の悪そうな少年に噛みついた。
「ハッ、あんな簡単な試験に頭を抱えているような輩は、もとから頭に病気を抱えているに決まっているではないか!」
「てめえ!」
睨み合う二人の少年。
茶髪少年はなかなか整った顔立ちをしている。金髪少年も口を開かなければ文句なしに美形だ。
ヒロインを巡り三角関係で争うような構図に、マルコは置いてきぼりをくらっていた。
手持ち無沙汰なので、少女の笑顔の違和感について考察してみる。
普通、自分の行動をあんな野卑な言動で咎められたら、いい顔はしないはずだ。
しかし、周囲の関係ない人ですら嫌そうな顔をしていたというのに、彼女は一片も不快な感情を表さずに笑顔で対処していた。
よく訓練された笑顔と鑑定で見破ったステータスを材料に、マルコの脳内ではシルフィネーゼ・ノーマッドという少女のバックストーリーができあがっていく。
彼女は偉大な英雄、聖女アースことアセリア・ノーマッドの子孫である、たぶん。
血筋のみならず、その優れた才能と際だった容姿からも、周囲から特別扱いされて宝物のように大切に育てられたに違いない。
年の割にレベルが高いことからも彼女の努力がうかがえる。
幼い頃より期待に応えようと努力し、周囲に望まれる自分を演じ続けているうちに、自身の感情を表に出すことよりも、作り物の笑顔を振りまくことに慣れてしまったのだ。
なんと悲しい笑顔だろうか。
交友が許されるのは上流階級のみ。その美貌から嫉妬や羨望の対象となり、貴族社会でよくあるパーティとかで嫌がらせを受けたりするのだ。
きっと友達も少ないに違いない。
スライム使いと馬鹿にされてきたマルコとは全く逆の意味で、彼女もまた苦労してきたのではなかろうか。
マルコは勝手に共感を覚え、ハンカチを取り出し目の端にたまった涙をぬぐう。
「次の方、どうぞー」
教師の声で唐突に目が覚めた。言い争いもマルコの妄想もストップである。
いつの間にかステータス鑑定の順番が回ってきていたのだ。
まずは茶髪の少年が鑑定板に手を乗せる。
鑑定板は二枚の金色の板で、金属を編んだ線でつながっている。片方に手を当てると、もう片方には鑑定結果が表示される仕組みだ。
教師の手元にある板に少年のステータスが浮かび上がると、教師は少年に告げた。
「あなたの適職は魔法戦士です」
「よっしゃ!」
茶髪の少年には、魔法使い系の才能と戦士系の才能、両方が備わっているようだ。
喜ぶ茶髪の少年に、貴族の少年は面白くなさそうに舌打ちをする。
次はマルコの番だ。
マルコが手を置くと、鑑定板の魔力が手のひらをスキャンしていく。
教師が信じられないものを見てしまった、という顔をした。
「あなたの適職は……スライム使いです」
「ぶっ、く、ハハハハッ。ス、スライム使い。何だそれは、魔物使いですらないじゃないか。そんな職業初めて見た。とてもレアな職業じゃないか!」
貴族の少年は、茶髪の少年に対する苛立ちも合わせてぶつけるかのように、盛大に笑った。
それはもう唾をとばすくらい盛大に腹を抱えて。
茶髪の少年は気の毒そうにマルコから目をそらし、少女は、
「ええと、適性が最も高いというだけで他の職を選べないわけではありませんから」
とマルコを慰め、微笑みかける。
周囲が笑いと同情に包まれるなか、一人だけ笑うことのできない人物がいた。
瞬き一つせず、凍りついたように動きを止めた人物。
「……ありえない」
ステータスを鑑定した教師、その人である。
鑑定板でわかるのは職業適性だけではない。レベルや特殊なスキル、称号もわかる。
適性のみを告げるのは、あくまでその子の将来の指針としてほしい、という名目で鑑定しているからだ。
レベルは実技試験の代わりに用いており、受験者に伝えることはない。
特殊なスキルを有している場合は、将来性も加味し合格させるか、国の機関を紹介する。
教師が見たマルコの鑑定結果は一言で言うと、全面的におかしかった。
マルコ
種族 人
性別 男
年齢 十五
適性 スライム使い
レベル 八三
称号 スライムマスター 災果て踏破者 三界の覇者
特殊スキル スライムマスター
ベテラン教諭の彼は今までの受験生、在学生や教師のレベルをよく知っている。
この学園で最もレベルが高いのはディアドラ理事長であり、そのレベルは六三。
そろそろ年齢がレベルに追いつくのではないか、ともっぱらの噂である。
それはともかく、帝國最強と謳われる帝國騎士団団長サーラターナのレベルは七十近いとも言われている。
十五才の少年が百手巨人殺しの英雄サーラターナを超えるレベル八三、ありえないことだ。
レベルが強さそのものというわけではないが、ステータスの総和であることは間違いない。
つまり帝都、いや帝國内にこの少年に匹敵するステータスの持ち主はいない、ということになるのだ。
適性のスライム使い、はまあ良い。
本人にとってはかわいそうだが、数年に一人くらい、このように不遇な適性の子は見受けられる。
スライム使いは一般に底辺不遇職といわれて蔑まれているが、使いどころがないわけではない。
地方はともかく、帝都では下水掃除やゴミ処理などに重宝されているのだ。
ここで国家機関の目にとまったのは、この少年にとっても悪いことではないだろう。
そこで、教師は思い違いに気がついた。
スライム使いじゃなくスライム使い?
称号、特殊スキルにも記載されているがスライムマスターって何だ? と、混乱に拍車が掛かる。
一説によると、精霊が授けるともいわれている称号。
十五才でつくことなどまずない。なぜか三つもあるが。
スライムマスターはもとより災果て踏破者、三界の覇者という称号も、この教師は聞いたことがなかった。
特殊スキルとは先天的、後天的を問わず、一般には出回っていない珍しいスキルのことで、強力なスキルが多いとされる。
スライムマスター……、一体どんなスキルなんだ?
教師は目の前で困ったようにたたずむマルコを見る。
少し濃い灰色の髪の、いたって普通の少年だ。
凡庸な顔立ちで、はっきり言うと華がない。
体格も普通、鍛えられて引き締まってはいそうだが背が高いわけでもなく、筋骨たくましい印象もない。
凄そうにはとても見えないが、ショックで立ちすくんでいるようにも見えなかった。
うがった見方をすれば、余裕があるようにも見えてくる。
「も、もう一度鑑定してみますか?」
鑑定板のエラー、そうとしか思えなかった教師は、試しに聞いてみた。
そんな教師の黒目に映る自分のステータスを、目玉スライム製コンタクトレンズの驚異的な視力で確認し、マルコはぱたぱたと手を振る。
「それでたぶんあってるんで結構です」
周囲の視線、憐憫や嘲りを一身に集め、マルコは一見、申し訳なさそうだ。
不憫なその姿はまるでさらし者のようで、教師は早く解放してあげようと思い、再鑑定を行わなかった。
この教師はただ、マルコの鑑定結果を書き写した用紙に、要注意、とだけ記したのだった。