102話 見送り
マルコとシルフィ、メアリーの三人が聖都を去る朝がきた。雲ひとつない、よく晴れた朝である。じりじりと肌を灼くような日差しに、フレーチェはまぶしそうに目を細めた。
見送る側も大仰にならないよう、フレーチェとグラータ、ハイデマリーの三人だけにした。
帝國行きの馬車は東門から出る。しかし馬車では時間がかかるからと、マルコたちは空を飛んで帰るらしい。そうなると、人通りの多い東門を通る理由はない。
見送りに選んだ場所は、人の少ない南門を出て少し歩いた、白い城壁のそばにある小さな野原だった。背の低い草が青々と茂るそこは、フレーチェがマルコの修行を受けた場所でもある。
「いろいろお世話になりました、グラータ様」
シルフィがお辞儀をすると、グラータが苦笑する。
「こちらこそ。お土産はちゃんと持った? 帝國神殿のみなさんによろしくね。なんだったら、聖女の任命書もお土産に持っていってよかったんだけど」
「それはまたの機会にしておきます」
と真顔で言ってから、シルフィも遠慮がちに苦笑を返した。
次にグラータの視線は、マルコに向かう。
マルコは召喚した雲スライムを腰の高さに浮かべて、手で押し込んでいるところだった。座りやすいように、くぼみをつくっているようだ。
「マルコ。あなたにはずいぶん世話になったわね。大変なことばかり起こった気がするけど、おかげで助かったわ」
「どういたしまして」
納得いったような顔で作業を終え、マルコが頭を下げた。
それを眺めていたフレーチェが、一歩、マルコのほうに踏み出した。
「師匠っ!」
奇妙に気合いの入った呼びかけに、マルコがびっくりしたように目を丸くする。
夏の太陽が白い城壁に反射して、強く照りつけていた。いつか修行したこの場所。そのときよりも少し濃くなった緑。強くなった草の匂い。
早朝だというのに、汗ばむような陽気のなか、フレーチェはきゅっと唇を引き結んでから、声を張った。
「次に会うとき、私は女王様になってるですぅ。でも、貴族だろうと、平民だろうと、女王だろうと、私は私ですぅ!」
フレーチェの背負った桶から、にゅっと三色のスライムが身を乗りだした。フレーチェの頬に寄り添う三匹の姿は、まるで主を支えるようでもあり、マルコとの別れを惜しむようでもあった。
うれしそうに、マルコが笑う。
「ああ。なんかあったら連絡しろよ。すぐに飛んでいくから」
その言葉に、フレーチェは胸を詰まらせた。
マルコは本当に飛んでくるだろう。
そう思うと胸が詰まって、言葉にも詰まった。
「…………はい」
なんとかひとことだけ、しぼり出す。
その声があまりにもか細くて、頼りなさげで、自分をひっぱたきたいとすらフレーチェは思う。
「……フレーチェ、立派な女王様になってくださいね」
と、やわらかく笑いかけてくるシルフィに、フレーチェは胸を張ってみせた。情けない姿で別れるのはいやだった。得意げな笑顔をつくって、
「すぐに一人前の女王になってみせますよ。シルフィが学生のうちになってみせるですぅ」
シルフィが目をぱちくりさせた。どうやらふいをつかれたらしい。つかの間の動揺のあと、いずれ神殿の聖女になるであろう少女は、なにかを通じ合うように、フレーチェとそっくりな表情を投げ返す。
笑顔のまま視線をぶつけ合うフレーチェとシルフィを見て、聖女グラータは肩をすくめ、つぶやいた。
「ワオ」
マルコたちを乗せた小さな雲が、東の空に吸い込まれていく。
「言わなくて、よかったのかしら?」
小さな点となって青空に溶けていく彼らを見送りながら、グラータがぽつりといった。少しばかりの困り顔。目がやさしく笑っていた。
「いまはまだ。すがっちゃいそうですから」
フレーチェは無理に笑ってみせると、両手を腰にあてて、
「さっさと聖国を落ち着かせて、今度は私が帝都まで会いに行くんですぅ」
オレンまで、あっという間に行き来するマルコだ。この時間に出発すれば、帝都にだって今日中に着くだろう。
そう考えると、遠いように感じた帝都への距離も、なんてことないようにフレーチェには思えるのだ。
「帝都にねえ。……まあ、戦争しにいくわけじゃないんだし、大丈夫だろうけど。それでも、言うだけは言っといたほうがよかったと思うのよねぇ……」
グラータは悩ましげに眉根を寄せて、首をかしげた。
「…………」
反論できずにいるフレーチェの小さな肩に、背後からポンと手がおかれる。
「ようこそ、喪っ友の会へ」
ハイデマリーの手だった。
「モットモノカイ?」
フレーチェはきょとんとする。聞き慣れない言葉だった。けれど、そこはかとなく不吉な響きをともなっているように聞こえた。
ハイデマリーがからかうように目配せをする。
グラータは目をそらすと、東の空を見上げて、
「け、気高き乙女の会のことよ」
きまりが悪そうに声を震わせるのだった。