98話 王宮の地下
王宮の地下にある石牢に、ティオレットは閉じこめられた。
対面の牢では、ガイヤール将軍が悠然とあぐらをかいていた。牢に入れられて数日経っているらしく、裸足で灰色の囚人服を着たその姿には、牢名主のような風格すらあった。
どうやら、囚人は彼らふたりだけのようだ。
看守がはなれると、将軍がそうしているように、ティオレットも床にあぐらをかいた。
「ガイヤール将軍、奇妙なところでお会いする。わが家の討伐に失敗した責を負われたか?」
「そちらこそ、どうしたというのだ? おぬしは聖都で隠居していたのではないのか?」
囚人たちの鉄格子ごしのやりとりには、状況のわりに悲壮感がなかった。まるで王宮の廊下で立ち話でもするような、軽い調子だった。きわめつけに、ティオレットはちょっと買い物に、とでもいうように、
「ヴィスコンテ女王を殺しに」
「……正気か」
唖然としたガイヤールだったが、ティオレットの様子からその成功を悟ったのだろう。
「……そうか」
と言ったきり、黙りこくった。
しばらくして、薄暗い牢に不気味な足音が響きだした。
足音が近づいてくると、視線をあげたガイヤールが皮肉げに唇をつりあげる。
「これはこれは丞相どの。このような薄汚いところに、よくぞ足を運ばれた」
足音の主は、聖国の丞相レストバル・トト公爵だった。
右手に聖剣を、左手に牢の鍵束をもったレストバルは、冷たい瞳をじろりと動かし、
「……意外に元気そうではないか、ガイヤール。牢屋でしおれているかと思ったがな」
鍵束をガイヤールの牢のなかに放り投げた。
鍵束をひろい、順番に錠に差していくガイヤール。その目が、レストバルの手にある聖剣に向けられた。将軍は茶化すように片眉を上げて、
「聖騎士に転職でもしたのか? 年を考えたほうがいいぞ」
「フン。これは聖騎士がもてるような、そこらの聖剣ではない」
レストバルがあごでティオレットのほうをしゃくる。
「そこの男がもっていた、光の剣だ」
「……なんだと? ……アゼルの聖剣か?」
ガイヤールは目を丸くして、鍵を探す手をとめた。
「なぜ、そんなものがここにある?」
すると、沈着な丞相は柄にもなく、おどけるように肩をすくめて、
「くわしい話は、本人に聞くとしよう」
牢のなかのティオレットに向きなおった。
「ティオレット・ベンドネル。お前の夢に、退魔の騎士アゼルがあらわれた。その夢で、『女王を討て』との啓示を受け、目を覚ますと枕元にこの剣があった。捕まった際に、そう述べたそうだが、相違ないか」
「間違いなく」
ティオレットは床に座ったまま、レストバルをしれっと見つめ返した。
「お前は剣聖シャルムートを倒した。その後、服毒してみずから石像となった陛下の石像を両断した。これも相違ないな」
「ええ」
ティオレットはうなずいた。
ふいにレストバルが鋭く目を細めた。
「そうか。廊下で眠りこけていた聖騎士が目を覚まして『顔を隠した男に襲われた』と証言したが、これはお前のしわざではないな。お前が正面から堂々と王宮に入り、顔を隠さずに歩いていたのは確認済みだ」
「……………」
「侵入者が、もうひとりいたのだろう?」
「……………」
質問に答えず、さて、どうしたものかとティオレットが考えていると、錠のあく音がした。
鉄のきしる音とともに、対面の牢があく。
よっこらしょ、と牢から出てきたガイヤールに、レストバルが訊ねる。
「……ところで、聖国軍が引き返したのは、空から降ってきた白いスライムに食料を食い荒らされたから。そうだったな」
「うむ」
敗北の屈辱を思い出したのか、ガイヤール将軍は渋面になった。それからなぜか、片足をあげて足の裏を撫でまわすと、満足そうにうなずいた。
それを見て、冷静沈着で知られるレストバルが顔を強ばらせた。ものすごくいやそうに、さっと将軍から距離をおきつつ、
「民衆は、女王陛下の命令に背くための作り話だ、と思っているようだが?」
「嘘だと思うなら、いくらでも調べるといい」
「いや、曖昧なままにしておいたほうが、よいかもしれん」
「どういうことだ?」
ガイヤールの疑問に、レストバルが苦い笑みをはりつけた。
「聖都にいる娘から、手紙が届いてな。泣き言であったよ。自分が手配した魔物狩りで次期聖女が襲撃されたために、犯人を手引きしたのではないか、と疑われているとな。ことの経緯、襲撃の状況、子細に記されておった。襲撃犯の戦いかたも含めてだ。私は、その犯人に心当たりがある」
と、かすかに親の顔をのぞかせたレストバルは、その犯人をあきれ顔で見下ろした。
「シルフィネーゼ・ノーマッドの護衛にあしらわれたそうではないか。……その護衛は、卓越した技量のスライム使い、だそうだが?」
「なにっ、スライムだと?」
はっきりと反応をみせたのはガイヤールだった。
ティオレットのほうはというと、ピクリとも眉を動かさなかった。
「面白い話だとは思わないか、ガイヤール。しかも、そのマルコというスライム使いは、フレーチェ・ベンドネルの師でもあるそうだぞ」
「ほう。それは、……なかなか興味深い情報だな」
ガイヤールはあごに手をあて、考え込むようなしぐさをした。
「うむ、興味深いどころか、無視できることではない。聖国軍の撤退と、陛下の暗殺。この件に外部の人間が関与していたとなると、ちと厄介なことになる」
レストバルの双眸に深刻な光が浮かんだ。
聖国軍は、天災の前に撤退を余儀なくされた。
ヴィスコンテ女王は、国内の権力闘争のはてに殺害された。
そうあるべきだった。
これらが外部の人間の手によって行われたとなれば、聖国の基盤が揺さぶられる。
レストバルはため息まじりに言う。
「今夜、聖国の歴史は大きく動いたのだ。外に情報が広まる夜明けまでの準備いかんで、この国の命運が左右されかねん。なにより、正しい情報が必要だ。洗いざらい吐いてもらうぞ、ティオレット」
「……牢屋で話すには、ずいぶんと壮大な話ですね」
ティオレットは唇を歪めた。先行きを考えると、苦笑すら浮かんでこなかった。
これから、聖国は変革のときを迎える。
嵐を乗り越えなければならない。
この事態を引き起こしたティオレットは、あらゆる手を使い、それにそなえねばならなかった。
ガイヤールはひとつうなずくと、ティオレットの牢に手を伸ばした。錠を手にとり、束ねられた鍵をひとつずつ試していく。
「まずは、そのスライム使いと話をさせろ。察するに、お前の協力者は姿を隠したいのではないか? だとしたら、こちらと利害は一致するはずだ。私も外部の人間に、この国を荒らされたくないだけなのだからな」
荒波を前にした老船乗りのような声で、レストバルは言った。何度も何度も嵐を乗り越えてきた、積み重ねを感じさせる落ち着いた声だった。
「彼が話しあいに応じるかは、わかりませんがね」
ティオレットには、そう返すことしかできなかった。
マルコの協力を完全に隠し通すのは、もはや不可能だった。すでにマルコの存在も、王宮にもうひとりの侵入者がいたことも知られてしまっている。
「おっ、これかの」
ガイヤール将軍が、ようやく鍵を探しあてた。
鉄格子が耳障りな音を立ててあく。
ティオレットはすっくと立ちあがり、短い牢屋暮らしに別れを告げた。動作こそきびきびしていたが、じつのところ、頭のなかでは、考えたところで答えがでないことを考えていた。
レストバルはマルコと話したがっている。だが、ティオレットはマルコと連絡をとる手段などもっていないのだ。この地下牢での会話を、マルコは把握しているのだろうか。ティオレットが王宮の廊下で倒れるなり、すぐさま救助に動いたマルコのことだ。聞いている可能性は高かった。しかし、ヴィスコンテの死を確認したあと、さっさと聖都にもどった可能性だってある。そもそも、マルコは聖国の丞相と顔を合わす必要を感じるのだろうか。
こちらから連絡をとる手段がない以上、なにもかも確かめようがないのである。
レストバルとティオレット、ガイヤールの三人は歩きだした。
空になった牢に、不気味な足音が響きわたる。
牢から出ても、ティオレットに解放感はなかった。
一歩足を動かすごとに、やらなければならないことばかりが頭に浮かぶ。時間に押しつぶされるようだった。焦燥感に囚われていくようだった。
前を歩くレストバルにつづいて、薄暗い階段に足をかける。そこを上がると、王宮につながる扉があった。
看守が敬礼をしてから、その扉をあけた。
きらびやかな照明。白い通路。赤い絨毯。目がくらむほどに壮麗な王宮。
それがまるで、ぱっくりと口をあけ、待ちかまえている怪物のように、ティオレットの目には映った。