78話 マルコの選択
室内に流れる空気があまりにも重苦しくて、耐えかねたマルコは、つい首すじをポリポリかいた。
マルコ、シルフィ、ティオレット、フレーチェの四人は、ほどよい大きさの丸テーブルにつき、メアリーはいつものようにシルフィの背後に控えている。
みんな深刻な顔をしていた。
シルフィからベンドネル公討伐軍の動きを知らされると、フレーチェがようやくといったふうに声をしぼり出す。
「あの叔父様が謀反だなんて……。そんなだいそれたことを企むわけがないですぅ」
「……となると、ヴィスコンテがベンデルまできた真の目的は、ベンドネル領の地理と軍備を調べるためであり、戦後の統治を円滑におこなうためだったのでしょう」
ティオレットはすこし考えてから言った。
理性で感情を抑えこんだ、淡々とした声だ。
女装をしていないことが、なおさらその印象を強めている。
「占領後の根回しをしていた、ということですか?」
シルフィの問いに、ティオレットはうなずいて、
「はい。混乱を収拾するには、そくざに領民の生活を元どおりにしてみせるのが一番です。ヴィスコンテはベンデルに滞在しているあいだに、そのために必要な街の有力者、行政や経済の中心となる人物と面識をもったのでしょう」
「ヴィスコンテの統治に協力するよう圧力をかけておいた、ということでしょうか?」
「いえ、圧力をかける必要も、利益を約束する必要もありません。なにも、出兵を勘づかれるようなことはしなくともよいのです」
と、ティオレットはくやしそうに口元を歪めた。
「ただ会うだけでいい。権力とはおそろしいもので、顔をあわせるだけで、相手を魔法にかけることができるのですから」
強大な力に当てられて身がすくむようなものか、とマルコは思った。
権力だって、力は力。
そう考えれば、ヴィスコンテはこの国でもっとも力のある人物だ。
直接顔をあわせれば、それだけで誰もがおそれいるのだろう。
目をかけてもらったと思えば、ヴィスコンテをその人格よりはるかに素晴らしい人物だと錯覚してしまう。
目をつけられたと感じれば、それ以上機嫌を損ねないようにふるまうしかなくなる。
反抗はおろか、どこかに逃げて身を隠すことすらむずかしい。
女王に顔を知られてしまっていては、国内に逃げ場はない。
逃げるには、この国で築いたものを捨てて、異国に逃げる覚悟が必要になるのだ。
「元ベンドネル公爵の目から見ても、ベンドネル領を守る方法はありませんか?」
シルフィが、目を鋭く細めて言った。
「残念ながら」
ティオレットはあっさりと白旗をあげた。
「そうですか……。聖国軍はそのまま聖都に攻め込んでくるでしょうか?」
「ヴィスコンテがどちらを選ぶかによります」
「どちら、とは?」
「このまま聖都を占領するか。それとも、聖都の民に神殿上層部への不平不満を植えつけてからにするか」
「不平不満……ですか」
シルフィは苦い顔をして、小声で繰り返した。
「ベンドネル領を直轄地にしてしまえば、聖国は聖都への人や物資の流入を自由に制限できます。それに、ベンデルに軍を駐留させれば、攻め込まずとも聖都の住民は重圧にさらされましょう。物資を制限され、喉元に刃物を突きつけられて生活する日々は、ヴィスコンテへの批判だけでなく、神殿上層部への不満もつのらせるはずです」
「ヴィスコンテ女王へとむかう批判は……」
「あの女は、それをおそれとして統治に利用するのに長けております」
シルフィの疑問に、ティオレットは首を横に振った。
悪名をもって統治するという手法に納得がいかないのか、シルフィは、むぅと口を引き結んだ。
「どちらにせよ、シルフィネーゼ様はベンドネル領が占領される前に帝都にもどったほうがよいでしょう」
「ええ。そのつもりです」
と、シルフィはフレーチェを見やる。
「フレーチェ。私はあなたを帝都に連れて行くつもりです」
「えっ」
ふいをつかれたフレーチェは凍りついた。
けれど、その提案を予測していたらしいティオレットは、
「妹をお願いします。厚かましい願いではありますが、弟のワシュレットも同行させていただけないでしょうか? このような事態になった以上、もう聖国に我々の安住の地はないのです」
そこで、シルフィがマルコに視線をむけてきた。
護衛するマルコの判断を訊きたいのだろう。
「すこしくらい人数が増えても大丈夫だ」
そう保証しつつ、マルコはちらりと横目でドアを見る。
部屋の外で、動揺する気配があったのだ。
「私とワシュだけって、兄様はどうするんですかっ!?」
部屋のなかでは、気色ばんだフレーチェがテーブルに手をつき、身を乗りだしていた。
「私はここで謹慎中の身だからね。それに、領民が戦火に巻き込まれようとしているんだ。ふがいない元領主であろうと、せめて状況が落ち着くまでは聖都に残らなければ――」
「話は聞かせてもらいました!!」
ティオレットの言葉をさえぎるように、壊れそうな勢いでドアが開け放たれた。
そこに立っていたのはワシュレットだった。
肩をいからせて、ずかずかと部屋に入り、フレーチェのとなりで同じようにテーブルに手をつく。
「兄上が聖都に残ったところで、なんになるというのですか!」
「逃げるのなら、いっしょに逃げるべきですぅ!」
声を張り上げる弟と妹に、ティオレットが苦笑をむける。
「落ち着いたら、私も帝都にむかうよ。私ひとりなら抜け道はいくらでも――」
「それです!! 兄上!!」
「それがいけないんですぅ!! 危ない行動ばっかして!!」
たしかに、聖国軍が聖都を包囲していようと、ティオレットなら独力で脱出できるだろう。
けれど、そうやってひとりで危ない橋を渡ってきた結果が、いまの謹慎状態だ。
どちらの意見に組みすればいいのか。
マルコが決めかねて傍観していると、
「……それでは、今日のところはおいとましましょうか」
何度かまばたきをしてから、シルフィが椅子を立った。
どうやら必要な話はすんだらしい、とマルコは思った。
ベンドネル領が占領されたあとの話をして。
聖都から逃げる話をして。
それで終わり。
つまり、神殿もベンドネル公爵家も、聖国軍を敵に回して打つ手はない、ということだった。
マルコも立ち上がった。
花や木の透かし彫りが施された椅子の背に手をかけて、
「ティオレット。聖国軍の食料って、どう確保してるんだ?」
質問すると、ゆるみかけていた室内の空気が一瞬で張りつめた。
マルコがなぜその質問をしたのかは、誰の目にも明らかだった。
不安、期待、焦燥……。
それぞれの視線に、さまざまな感情が混ざりあう。
元ベンドネル公爵は、端正な顔に憂いの色を浮かべて答える。
「軍の糧食をまかなう基本は、輸送と倉庫。輜重隊と兵糧庫だ。しかし、あらかじめ行軍ルートに兵糧庫を設営していれば、今回の聖国軍の動きは予測できたはず。ヴィスコンテは輜重隊を重視して、それだけでまかなうつもりだろう」
「そうか」
「マルコ。君は、……戦争に参加するつもりなのか?」
「いや……」
この国のことは、この国の人が決めればいい、とシルフィは言った。
それは正しい、とマルコも思う。
戦場で多くの命を奪うことにも、聖国の将来に責任を持つことにも、力だけでなく覚悟が必要とされる。
「俺は、戦争には参加しない」
いくら力があるといっても、マルコはしょせん部外者だ。
聖国の内情に深く関与すべきではないのだろう。
わかっている。
わかってはいるが、それでも限度というものがある。
ヴィスコンテの思うとおりにだけはさせない。させてたまるかと思う。
知らず、椅子の背をつかむマルコの手には、力がこめられていた。
闘争を求め、血を欲する氷の女王。
彼女の望みはなにひとつ叶わない、叶えさせない。
「戦争にはならない。聖国軍には、ベンドネル領にたどり着く前に引き返してもらう」
はがね色の瞳に決意を宿してから、マルコはすこし照れくさそうに笑った。