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75話 オレン東門


 聖国の首都オレンは西を海に面し、三方を山に囲まれた天然の要害である。

 西のオレン湾は貿易港として、また漁港として多くの富をもたらし、南北には肥沃な土地が広がっている。そして東には、世界で最も重要な道がのびている。


 その道こそが大陸を横断する大街道だ。


 オレンの東門、英雄の門とも呼ばれるそこは聖国流にいえば大街道の起点であり、帝國流に表現するならば大街道の西端となる。


 ベンドネル公爵領からオレンに舞いもどったヴィスコンテ女王は、巨大な東門の上から、聖国正規軍の行軍を見送っていた。


 山あいの道を、彼女の軍勢はどこまでもつづいている。


 謀反人ベンドネル公を討つ。


 聖国軍の出陣とともに発せられたその報は、たちまちオレンを席巻した。

 あと十日もすれば、聖国中を震撼させるだろう。


「ふむ。民兵なし、正規軍のみで二万七千か。なかなか壮観なものよのう。そうは思わぬか、トト公」

「さようでございますな」


 白髪をひっつめた男。

 聖国の丞相レストバル・トトは無愛想にあいづちを打ちつつも、


「しかし、士気のほうはけっして高いとは言えませぬ。なにせ、聖国人どうしの戦となるのですからな」


 と苦言を呈した。


 この軍を差配(さはい)したのはレストバルである。

 もちろん、女王の命令によるものだが、そもそもは、軍事演習のために編成した軍だったのだ。

 それがベンドネル領からもどってきた女王の一声で、またたく間にベンドネル公討伐軍へと姿を変えることになった。


 レストバルは女王の命令に粛々と従ったが、現場の兵たちはそう簡単にはいかない。

 突然の実戦、それも同胞が相手とあって戸惑い困惑する向きも多かった。


「ほう。おぬしは不安か」


 女王の声に微量の揶揄がにじんだ。


「いえ。気勢が上がらぬのは、相手も同じことかと」


 レストバルは表情を変えることもなく淡々と返す。


「帝國軍が侵略してきたならばともかく、聖国の正規軍が相手となれば、ベンドネル公が募兵したところで兵は集まらぬでしょう。陛下もご存じのようにベンドネル領の常備軍は五千ほど。質においても、正規軍を上回るということはありますまい」

「四千六百二十二じゃ」

「……」


 異様に細かい数字を耳にして、レストバルの片眉がいぶかしむようにピクリと反応した。

 ヴィスコンテは鼻先で笑い、背後に控える従者にうながす。


「レオノーラ」

「はい。公称五千のベンドネル公爵軍ですが、正確には四千六百二十二名となっております。誤差があるにしても数名でしょう。この数には兵だけでなく、騎士も含まれております」


 ヴィスコンテは、レオノーラの言葉にうなずき、


「シャルムート」

「はっ。従軍する騎士の数には余裕をもたせ、質で劣ることがないよう、聖騎士も同行させております」


 剣聖シャルムートが報告すると、ヴィスコンテの口辺に満足げな微笑が浮かぶ。


「軍事力に経済力、そして地理。戦をはじめる前に、報告や地図との差異は、あらかじめ確認しておかねばならぬ。そうであろう?」

「……やはり、はなからベンドネル公を討つおつもりで、東へ足を運ばれましたか」


 レストバルの口調は、無感情を一段階通り越していた。

 ヴィスコンテは意外そうに目を細める。


「浮かぬか。トト公にとっては、政敵を葬り去る好機であろう」

「ご冗談を。憎くていがみ合っているわけではございませぬ。トト家とベンドネル家が争うのは、聖国にとって健全なことでございましょう」


 そういうと、レストバルは東へと遠ざかる馬上の将軍を指さした。


「私は、この軍の総大将であるガイヤール将軍とは年も出身地も近く、長いつきあいをしてございます」

「うむ。知っておる」

「『グルガリアの盾』と呼ばれるガイヤール将軍も、寄る年波には勝てませぬ。そろそろ後進に道をゆずるときか、とこぼしておりました」

「ほう」

「聖国を守るために幾度も剣をとりながら、最後の最後に、同胞と干戈(かんか)を交えることになる。もしそうなれば、彼もさぞや無念でありましょう」

「ほう? なかなか言うではないか」


 女王の視線が氷の短剣となってレストバルの頬を撫でた。

 老練な丞相は、動じることなくつづける。


「将兵だけではありませぬぞ。ベンドネル公が討伐されれば次は自分の番か、と貴族も陛下をおそれましょう」

「ふむ。おぬしもわらわをおそれるか」

「私はもとより陛下をおそれてございます」


 レストバルはしれっと一礼すると、


「それでは、私はさきに政務にもどるといたしましょう」


 うやうやしい言葉を残して、その場を去った。


「……くぎを刺すだけさしておいて、なにがおそれておるじゃ」


 ヴィスコンテの声に咎める調子がなかったため、周囲をかためる聖騎士や文官たちから安堵の息がもれた。

 丞相が女王の怒りを買うかに見えたのだろうが、老獪なレストバルがそのような失態を犯すわけがない。


 回転の速い人材を好むヴィスコンテは、愉快そうに唇をつり上げた。


 レストバルは、部下の心情を汲めと女王にくぎを刺すと同時に、周囲の人間にもくぎを刺したのだ。

 丞相みずから上申して、おそれいってみせることで、それ以上の献言(けんげん)は不要であると周囲に印象づけたのである。


 出兵にともない、王宮はいつにもまして忙しい。

 戦が終われば、さらに多忙を極めることになろう。

 女王の勘気にふれて、文官がひとりでも首になれば、それだけしわ寄せが及ぶ。

 三文芝居でそれがふせげるというのなら安いものである。

 なにしろ元手は、三文どころかタダなのだから。


「トト公のおっしゃりようも事実ではございましょうが……」


 とシャルムートが丞相の進言に同意した。


「うむ、わかっておる」


 だが、聖都を手に入れるためには、なんとしてもベンドネル領を直轄地にせねばならない。


 ヴィスコンテは彼女の軍勢を薄青の瞳にうつした。


 聖国軍が東へ進むその一歩ごとに、彼女の覇道も一歩ずつ踏み固められていく。

 そのさきには、既成の権威への挑戦が待っているはずであった。


「ティオレットはもう動いたでしょうか」

「さて、どうであろうな」


 レオノーラに答えるヴィスコンテの声はそっけない。


「なにぶん、聖都の情報が手に入りにくくなったからのう」

「申し訳ありませぬ」


 シャルムートは頭を下げた。

 彼が聖都に残っていれば、聖都でなにが起きているか、ヴィスコンテは逐一把握できたのである。


 シャルムートとシャルシエル、表裏の剣聖には魔銅鏡という希少な伝達用の魔道具がひとつ貸し出されている。

 鏡面に文字を書くと、もうひとつの魔銅鏡にその文字が浮かび上がるという魔道具で、そのもうひとつはヴィスコンテが手もとに置いている。

 きわめて希少なものだけに、よほど信頼の置ける人物でなければ、あずけられない。

 残念ながら、聖都にいる人物のなかに、女王の目にかなう者がいなかったのだ。


「ふむ、気にすることもなかろう。ティオレットがどう動こうと、ベンドネル公討伐軍の行軍予定に影響はない」


 ヴィスコンテは気を悪くした素振りもなく、はるか東に視線を送りつづける。


「あれを動かすのは余興にすぎぬ。どのような結果となろうと、神殿が頭を悩ませることに変わりはない」


 ティオレット・ベンドネルが次期聖女の誘拐に成功すれば、もちろん喜ばしいことではある。

 しかし、失敗したら失敗したで、ベンドネル家と神殿のあいだには大きな亀裂が入るであろう。


 ヴィスコンテはまぶしそうに目を細めた。

 雲のすきまから初夏の朝日が顔をのぞかせ、彼女の軍勢を祝福していた。




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じゃない孔明転生記。軍師の師だといわれましても
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