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69話 呼び出し


 のどの奥が張りついたように感じて、マルコは唾を飲みこんだ。


 フレーチェがいじめを受けた要因は複雑に絡まり合っていたが、スライム使いだという噂が決定的だったことに疑いの余地はない。

 ティオレットは、妹がいじめられるように仕組んだのだ。

 それがたとえ、彼女の生命を守るためだったとはいえ。


「……なんで、そんなフレーチェを傷つけるようなことを……」

「ほかに方法がなかったのよ!」


 うつむいたまま、ティオレットは叫んだ。


 悲痛にまみれたその声を聞けば、彼も苦しんでいたことくらいわかる。

 それでも、マルコは彼のしたことを受け入れたくなかった。


「あのとき、フレーチェを亡命させることだって考えたわ。帝國なら、フレーチェを聖国に引き渡すことはないでしょう。……でもね、結局、利用価値があるから身柄を保護してもらえるのよ。帝國に逃げのびたところで、政戦の道具として扱われるだけ。あの子に自由なんてないの……」


 ティオレットは、なにかに憑かれたかのように、ぼそぼそと低くつづける。


「……それなら、聖都で平民として暮らしていくほうがいい。聖都なら、女王の強権もおよばないはず。でも、一市民を殺そうと思えば、いくらでも手はあるわ」


 そこで、ティオレットは大きく息をはいた。


「あの子から、目を離すわけにはいかなかった。……だから、わたしは政治の一線から身を引いて、聖都で隠居することにしたの。公爵の地位にあるまま、聖都で暮らすことはできないもの。……けれど、もう聖都も安全ではなくなってしまった」


 マルコはなにも言わずに、ティオレットの自白を聞いていた。


 聖国の繁栄は、神殿との親密な関係があってのもの。

 神殿の自治領である聖都を攻撃したところで、聖国の利をそこなうだけで益はないはず。

 ティオレットはそう計算し、ヴィスコンテ女王はその前提をくつがえしたのだ。


 ティオレットのガラス玉にも似たうつろな瞳が、マルコをうつした。


「……剣聖が聖都を離れたあとよ。わたしがヴィスコンテに呼び出されて、命令を受けたのは……」






 ティオレットを呼び出したのは、叔父から届いた一通の手紙だった。


 そのころ、ティオレットは、ほとんどやけになって思い詰めていた。

 なにしろ、フレーチェが連れ去られたのだ。助かったのは、それこそ奇跡といってよかった。いや、奇跡と呼ぶべきだろう。そのときティオレットには、なにもできなかったのだから。


 不穏の予兆は嗅ぎとっていた。

 ヴィスコンテ女王の切り札ともいうべき剣聖が、なんの用もなく聖都にやってくるはずがない。けれど、懸念が現実のものとなったとき、ティオレットにはなにもできなかったのだ。


 こうなると、聖都を選んだのは失敗だったというしかない。

 つらい思いをさせてまで、フレーチェを聖国にとどめたのは間違いだったのだ。

 やることなすこと、裏目に出てばかりだった。


 それでも、まだ遅くはなかった。いまからでも、異国に活路を見いだすことはできる。


 帝國ならば、喜んでフレーチェを迎え入れるだろう。

 かの国からしてみれば、国境を接するベンドネル公爵家の娘であり、かつては王位継承権すら有していたフレーチェの身柄には、計り知れない価値がある。


 しかし、そうなるとティオレット自身はどう身を処すべきか。この聖都で、無為にふらついていてもしょうがない。


 フレーチェとともに亡命するか。ティオレット自身にも元公爵としての価値は充分にある。そばにいれば、妹がただの駒として扱われないよう、手を打つこともできるだろう。


 元当主まで亡命するとなれば、名門ベンドネル公爵家といえど取り潰しはまぬがれないだろうが、家族を犠牲にしてまで存続をはかるようなものでもない、とティオレットは考えていた。なにも知らない弟まで巻きぞえにしてしまうが、兄弟三人で亡命してしまえばいい。


 ティオレットの行動は、帝國と聖国が戦端をひらくきっかけとなる可能性が高かった。

 もちろん戦場となるのは、彼が守らなければならないはずの旧ベンドネル領だ。


「知ったことか!」


 と、ティオレットがほとんどやけになって叫んだその日。


 叔父フンボルトから手紙が届いたのである。


 手紙によると、ベンデルの街に滞在しているヴィスコンテ女王が、ティオレットを呼べと命じたという。


 ティオレットはため息をついて、手紙を握りつぶした。


 聖都で楽隠居を決めこんでいるとはいえ、彼は耳を閉ざしていられる立場にはない。

 ヴィスコンテが、聖都からほど近いベンデルにきていることは知っていた。


 それだけでも、剣聖がきたときの比ではなく、悪い予感がしていたというのに。

 そこに、召集ときた。


 が、嘆いてばかりはいられなかった。

 女王の不興を買わぬよう、ティオレットは、ベンデルに急いだ。


 三年ぶりにベンデルを訪れたティオレットは、懐かしく感じる時間すら惜しんで、女王が滞在する宿屋にむかった。


 最上階の一室に案内されて扉が開かれると、多趣味なティオレットでも知らぬ、不思議な香が焚かれていた。頭の芯がくらりとするような、甘い匂いだった。


 部屋に通されるなり、さっと室内の様子をうかがう。

 上品な赤を基調とした部屋で、黒髪の女王は安楽椅子に深く腰かけていた。

 ヴィスコンテの白い首はほっそりとしていて、武器を持たぬティオレットでも、たやすく折れそうに見えた。


 むろん、そのようなことは許されない。


 女王の左右には従者が、女官長のレオノーラと剣聖が控えている。

 シャルムートなのかシャルシエルなのか、ティオレットには判別できないが、どちらにせよ、護衛に剣聖がついていては手出しできなかった。


 物騒な内心を表情の下に隠して、ティオレットは流れるようにひざまずいた。


「ティオレット・ベンドネル参上いたしました」

「うむ、面をあげよ。……ふむ。耳にしていたが、しばらく見ぬうちに、おもしろい格好をするようになったのう」


 ヴィスコンテは、化粧を施したティオレットの顔をまじまじと見た。

 この化粧は、意思表示だった。

 王宮に戻るつもりがないことをしめす、ティオレットの意思表示。

 その化粧を、はかるような目でヴィスコンテは見ていた。


 ティオレットは目を伏せてこたえる。


「どうやら、この姿のほうが性分に合うようにございます」

「よい。道化を演じようとおぬしの価値は変わらぬ。優秀な部下には厚遇をもってこたえるべきだ、とわらわはつねづね、思うておる」

「……ありがたきしあわせに存じます」


 息苦しさをおぼえて、ティオレットはわずかに眉を動かした。

 むせかえるような、香の甘い匂いに、ではない。

 ヴィスコンテの薄青の視線に、重圧を感じていた。

 三年の月日で強靱となった女王の権勢が、圧力として感じられたのだろう。


 ヴィスコンテは目を細めて、赤い唇をつりあげた。


「わらわがこの地に足を運んだのは、おぬしと話すためではない」

「はっ」

「わらわはこの地に、フレーチェを迎えに来たのじゃ」


 邪魔が入ったようだがのう、とヴィスコンテは音もたてずに笑った。


「なぜ、フレーチェを連れてくるよう命じたか、わかるか?」

「……いえ、あれはすでに、わが家から除籍された身。もはや、ただの一市民でございますれば……」

「わらわが死ねば、次の女王となるのはフレーチェだからじゃ」


 女王の言葉は、ティオレットを凍りつかせた。

 予想もしていなかった言葉に、ティオレットは天地がひっくり返るほどの衝撃をうけた。




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