68話 ベンドネル邸侵入
その日の夜、マルコは貴族の屋敷に侵入していた。
不法侵入である。
が、もちろん、これにはれっきとした理由があるのだ。
黒ずくめの襲撃を切り抜けて、まだ森のなかを歩いていたころ。
「なにか隠してるでしょう?」
シルフィがささやくような声で、マルコに訊いた。
昼夜の空が混ざり合ったような、不思議な色合いの瞳が、じっとマルコを見つめていた。
問われたマルコは、黒ずくめの正体がティオレットであったことを、こっそりシルフィに耳打ちした。
実はマルコも、秘密をひとりで抱え込みたくなかったのだ。
シルフィと、そこに割りこまんばかりの勢いで耳を寄せてきたメアリーは、さすがに驚いたようだったが、
「それは……、少しのあいだだけ、秘密にしておきましょう」
とシルフィがそっと言い、彼女たちはまたたく間に表情を消した。
「秘密にしといたほうがいいよな、やっぱり」
と、マルコもふたりの真似をするように、表情を消そうとした。
黒ずくめの正体をエスクレアに知られるのは、よくないことに思えた。
それに、フレーチェが知ればどのような反応をするか、マルコには想像もつかなかった。
しかし。さすがに、襲撃そのものをなかったことにはできない。
トト家の馬車に乗って、そのまま聖宮殿へむかうことになった。
聖宮殿は男子禁制であるため、マルコはなかに入らず、門で待つ。
ティオレットがシルフィを襲撃したことが広まれば、フレーチェの立場にも影響がでるだろう。なので、謎の黒ずくめに襲われた、とだけシルフィは報告したそうだ。
ただ、相手は『読心スキル』をもつグラータだ。
おそらく、すべて筒抜けだったろう。
だが、グラータはなにも言わなかったという。
「つまり、グラータ様は猶予をくれたのだと思います」
とシルフィは神妙なようすで言った。
宿に戻ってからも、マルコたちは頭を悩ませることになった。
どのような形をもって、解決とすればいいのか。
これといった名案は浮かばなかった。
とにかく、どうすべきかを決める前に、まずはティオレットを問い詰めなければならない。
ということで。
夜になるのを待って、マルコは聖都の北西区域にある、ベンドネル邸に忍び込んだのだ。
ベンドネル邸の庭は広い。身を隠す場所はいくらでもある。
いろいろ教えてくれる宿の従業員によると、聖都に数多くある貴族の別荘のなかでも、最も立派な屋敷で、これを上回るのは王家の別荘だけだそうだ。
マルコは大きな庭木のそばに身を潜め、目を閉じていた。
屋敷のなかを探るスライムが、マルコの視覚に情報を伝えてくる。
どうやらティオレットは、書斎らしき部屋にいるようだ。
「あの部屋か」
目を開けたマルコは肉眼で、二階の一室に明かりが灯っていることを確認した。
大きな屋敷だが、明かりのついている部屋は少ない。
侵入しやすそうな部屋を探す。
使用人は、まだ何人か起きているようだった。
人目につきやすそうな階段は、できれば使いたくない。
ティオレットのいる書斎の近くがいいが、気配をけどられないくらいには離れている部屋がよかった。
建物の内側と外側から目星をつけると、マルコは闇にまぎれ、建物に忍び寄り、外壁をよじのぼる。ベランダにあがって、暗い窓の前に立ち、窓の隙間から流し込むようにスライムを侵入させる。内側から錠を開けさせて、マルコもそっと部屋に侵入した。
「なんだか、のぞき見と不法侵入ばかり、上手くなってるような……」
とマルコは顔をしかめた。
ドアを静かに開ければ、廊下の照明が差し込み、明かりの筋が暗い床に広がっていった。
二階の廊下に、人はいないようだ。
物音を立てないよう、慎重に廊下を進む。
そうしてようやく、ティオレットのいる書斎に、マルコはたどりついた。
ドアを開ける。
重厚な机の奥に、ティオレットは座っていた。
その部屋は、本がびっしり詰め込まれた書棚と、中央に机がおかれただけの部屋だった。
ティオレットが、弱々しく顔を上げた。
突然あらわれたマルコの姿に、かすかに驚いたようでもあり、待ちかまえていたようでもあった。
「……正体がわたしだったことに、気づいていたのね」
「まあね」
そういって、マルコは後ろ手にドアを閉めた。
「……強いのね、信じられないくらい。これは、どうにもならない相手だと思ったわ」
「……相手が、悪かったな」
「ええ。シルフィネーゼ様は、とても優秀な護衛を手に入れておられる……」
「どうしてシルフィを狙ったんだ?」
マルコはさらに、決めつけるように、
「やっぱり、ヴィスコンテ女王から命令されたのか?」
血の気のない顔をしたティオレットは、こくりとうなずいた。
「ええ。……ほかに方法なんてなかったの……。
わたしはもう、ヴィスコンテの命令に従うしかない。
それが、どんな命令であろうと」
ティオレットは、机の上で重ねた両手を握りしめた。それをじっと見つめるように目を伏せて、
「手を汚すのも、いまさらの話よ」
「いまさら?」
マルコは眉を曇らせ、聞き返した。
「……最初の選択が、すべての間違いのもとだったの。
ヴィスコンテが女王になったとき、この国は内乱になるところだったのよ。
内乱をさけるために、わたしは反ヴィスコンテ派の中心的人物を、まとめてだまし討ちにした。それが内乱をふせぐ、唯一の方法だったから。
でもね……」
それが失敗だったの、とつぶやき、ティオレットは力なく首を振った。
「それからすぐよ、ヴィスコンテがほかの王位継承権者の殺害をはじめたのは。
……誰も、彼女から女王の座を奪おうだなんて思っていない。
あらそえる立場の人間なんて、もういないのに……」
王位継承権者。そこにはティオレットの妹、フレーチェも含まれていた。
「わたしはフレーチェの命を守る算段をした。
ただ王位継承権を放棄するだけでは、とてもヴィスコンテの粛清はまぬがれそうになかった。
だから、完全に、貴族の社会と縁を切らせなければならなかったの……」
うつむいたまま、ティオレットは嗚咽するように、罪を告白した。
「わたしなの。……あの子がスライム使いだという噂を流したのは、わたしなのよ」
それは、懺悔の声だった。