67話 襲撃者
火柱と化した猛火は、すぐに消えるような勢いではなかった。
熱風にあおられ、一行が唖然とした瞬間、事態はさらに加速した。
遠くの木陰から、襲撃者が飛び出したのだ。
襲いかかる側からしてみれば、好機にちがいない。
護衛が減り、動きを止めた一行は、かっこうの標的となっていた。
襲撃者はたったひとり。
黒装束をまとった男だった。
服はおろか、顔まで黒い布で覆い隠している。
手にする得物は半月刀。その刀身までもが黒く塗られていた。
黒ずくめが、標的をめがけて走る。
足場の悪い森のなかとはとても思えぬ、征矢のごとき速さで駆け抜ける。
標的となったのは、シルフィだった。
彼女は半身になり、狼牙棒を構えようとする。
その動きは、魔物狩りのときと比べて、精彩を欠いていた。
いや、シルフィの動作がさきほどより緩慢になったわけではない。
単純に、四つ足の魔物の速度を、黒ずくめの動きが上回っているのだ。
「くっ」
メアリーがメイド服のスカートをひるがえして、シルフィの前に出た。
軽装でありながら、そこに怯懦は一寸たりともない。
メイド服の護衛はショートソードを手に、黒ずくめを迎え撃とうとする。
その身のこなしは、熟練の騎士もかくや、と思わせるほどだった。
しかし、黒ずくめの速度は、メアリーの反応をも容赦なく上回っていた。
黒い半月刀が鋭く弧を描いた。
黒い刃がメアリーの肩に吸い込まれようとする寸前、激しい金属音がひびきわたる。
黒ずくめの鬼気に満ちた瞳に、動揺がはしった。
横合いから斬撃を受け止めたのは、マルコが手にするミスリルソードだった。
炎にのみこまれたはずのマルコが、冷ややかに言う。
「残念だが、あれはミラージュスライムでつくった偽物だ」
あの炎の矢がただの炎の矢ではないことを、マルコは見抜いていた。
小細工には小細工を。
マルコはとっさにミラージュスライムを使い、脱皮するように身代わりをつくった。そして、炎にのみこまれたと見せかけることで、襲撃者を誘い出したのだった。
小細工合戦は、マルコに軍配が上がったはずだった。
だが、黒ずくめの動揺は一瞬でかき消えていた。
剣を合わせているマルコには、それがわかった。
かわりに、黒ずくめの瞳に冷徹な光がよみがえる。
その紫色の虹彩が、獲物を探すように横に動いた。
視線の先に誰がいるのか、マルコは把握していた。
フレーチェだ。
ヴィスコンテ女王のターゲットは、シルフィひとりではない。
しかし、十中八九、この視線の動きは陽動だろう。
苦し紛れの、フェイクの類のものだ。
マルコには、それもわかっていた。
それでも。もしもを考えると、無視するわけにはいかない。
横に一歩、フレーチェをかばえる位置に、マルコは動いた。
その隙をつくように、黒ずくめが大きく飛びすさった。
同時に、半月刀を持たぬほうの手が動き、地面になにかを叩きつける。
直後、地面からおそろしい勢いで白煙が噴き出した。
広がる煙幕を前に、マルコは油断せずに剣を構え、目を凝らす。
その煙が晴れるのに、さほど時間はかからなかった。
だが、そのときすでに、黒ずくめの姿は影も形もなかった。
「逃げた、か」
マルコは、ふうと小さく息を吐いた。
戦闘が終われば、マルコの作りだした小さな風の柱も、黒ずくめが作ったであろう大きな炎の柱も、もう消えようとしている。マルコのガワをしていたミラージュスライムは、燃え尽きて灰になったのか、跡形もなく消滅していた。顔に灼きつける熱風が過ぎ去るころには、ただ、焦げた樹木だけが戦闘の爪痕として残されていた。
もう襲ってはこないだろう、と判断して、マルコは剣を鞘におさめた。
シルフィも緊張を解いたようで、狼牙棒の先を地面におろして、口を尖らせる。
「マルコのことだから、なんともないんだろうな、とは思ってましたよ……。けど、今のはちょっと心臓に悪いです!」
「うまくおびき出したと思ったんだけど、あっさり逃げたな」
マルコは曖昧な表情を浮かべて言った。
あっさり、とは言ったものの、あのまま戦いつづけたところで、黒ずくめに勝ち目はなかったろう。
撤退を選んだ判断は正しい。逃げる手際も見事だった。
マルコの目から見ても、あの黒ずくめは、間違いなくこの大陸において一流の襲撃者といえた。
「み、見ましたか、エスクレア様! あれぞまさしく、伝説の戦闘民族『シノビ』が使ったといわれる幻の技、変わり身の術ッ!! まさか、この目で見ることができようとは!!」
老騎士が童心に返ったかのように、目を輝かせていた。
たしかに、ミラージュスライムを使った変わり身の術は、『シノビ』が使うとされる変わり身の術をヒントに、マルコが編み出した技だ。けれど、今回の戦闘にかぎっていえば、敵のほうがよほど『シノビ』らしかったように、マルコには思えた。
「え? ええ……」
老騎士のシノビ発言に、しかしエスクレアが見せた反応は、ひどくにぶかった。
彼女は顔色を失い、心臓を掴むかのように銀色の胸当てをおさえていた。
「エ、エスクレア! これは、どういうことですかっ!?」
詰問するフレーチェの声が、裏返っていた。
「ちっ、ちがいます、私ではありませんっ。このようなことになるなんて、わかるわけないでしょう!!」
エスクレアは声を張り上げて反論するも、その声は震えていた。
そうか、とマルコは心のなかでつぶやく。
この魔物狩りは、エスクレアが招待したものだ。
そこで襲撃を受けたとなると、彼女が手引きをしたと疑われるのも当然なのだろう。
なら、このままにはしておけない。
「そこまで!」
マルコの声は大きくなかったが、マルコ自身にも意外なほど鋭かった。
声のトーンを落としてつづける。
「……とにかく、まずは聖都に戻ろう」
自分は時間稼ぎをしているのだろう、とマルコは思った。
誤魔化して、なにがもたらされるかはわからない。
けれど、この場で正直に話すわけにもいかなかった。
ステータスが見えるマルコには、あの黒ずくめの名前も見えていた。
エスクレアがこの襲撃の手引きをした、ということはないはずだ。
エスクレア・トトと、あの黒ずくめが協力しているとは思えなかった。
黒ずくめの正体はトト公爵家の政敵、ベンドネル公爵家の人間だったのだから。
レベル六二の魔法剣士、ティオレット・ベンドネル。
フレーチェの兄だったのだ。