63話 聖宮殿のフレーチェ
聖宮殿の侍女となったフレーチェは、それなりに多忙で、なかなかに精力的な日々をおくっている。
朝起きて身だしなみをととのえると、スライムに手製の餌をやり、自分も食堂で手早く朝食をすませる。メニューは裏庭でとれた野菜と、半熟の目玉焼き、それにやわらかい白パンが定例で、日によってベーコンなりハムなりが添えられる。
それからすぐに掃除に取りかかるのだが、そこでスライムを使うことを、フレーチェはよしとしなかった。
「どうして、スライムを使わないの?」
あるとき、いっしょに掃除をしていた侍女が、不思議そうな顔をしてフレーチェに訊いた。
「うちのスライムは、スペシャリストなんですぅ」
はたきを手に、フレーチェはそう答えて胸を張った。
スライム使いといえば、ゴミ掃除。
それが、ごく一般的な認識だ。
だが、ゴミ掃除をつづけたスライムは汚れていき、やがて、耐えがたい悪臭を放つようになる。
そして、いずれ処分されることになるのだ。
捨てるにしろ殺すにしろ、自分の従魔を廃棄処分する。
それは、スライム使いにとって当たり前の光景であり、スライム使いが忌まわしい職とみなされる理由のひとつでもある。
フレーチェは手塩にかけて育てたスライムと、そんな別れ方をするのはごめんであった。
だから彼女は、掃除を自分の手ですることにしている。
掃除の時間は、そう長くはない。
しばらくすると、馬車に乗ってシルフィとマルコ、メアリーが迎えにくる。
本来ならば、世話役であるフレーチェのほうが迎えに行くべき立場だ。
逆になっているのは奇妙なことにもみえるが、これはシルフィとフレーチェの身を守るための措置である。ヴィスコンテ女王に狙われている彼女たちは、マルコが同行するときをのぞき、外出を控えているのだった。
今朝も、いつもと同じ時刻に、シルフィたちはやってきた。
いつもとちがうのは、正門にむかうフレーチェの手に、グラータからあずかった一通の封書があること。
正門に停めた馬車のなかで、シルフィはその手紙を受けとって一読し、軽く目をみはった。次に手紙を渡されたマルコは戸惑うように片眉を上げて、最後に読んだメアリーにいたっては不快そうに眉を怒らせた。
「どうしたんですぅ? ……帝都でなにかありましたか?」
とフレーチェは首をひねりつつ、メアリーの正面、マルコのとなりに座った。
メアリーが御者に目的地をつげると、馬車がゆっくり動き出す。
車輪から伝わる揺れが一定のリズムをきざみだしたころ、シルフィが不明瞭な表情でフレーチェに訊く。
「エスクレア・トトとは、フレーチェから見て、どのような人物ですか?」
フレーチェは、しばし考えてから、
「……見たとおり、貴族らしい貴族ですぅ。ただ、身分には義務がともなう、と考えているだけ、ちゃんとした貴族。って感じですかねぇ?」
「彼女から、魔物狩りの誘いが届くみたいです」
「……は?」
フレーチェは呆けたように口をあけた。
男性同士ならともかく、次期聖女を誘うのに魔物狩りとは、いささか礼を欠いている。
「……なにを考えているんですか、エスクレアは?」
らしくもない、とでもいいたげなフレーチェに、シルフィが聞き返す。
「さあ? フレーチェはどう思います?」
「どうですかねぇ」
フレーチェは浮かぬ顔をして、
「……むしろ、グラータ様から話がまわってきたことが気になるというか。追い出された実家を心配する、家族思いな自分がいたことに感心してるところですぅ」
グラータが手紙をしたためたのは、神殿とトト家が直接交渉した結果、とみてよかった。聖都でトト家の発言力が増すことは、神殿との窓口であるベンドネル家の弱体化を意味している。
眉を八の字にするフレーチェに、シルフィは穏やかなまなざしをむけた。
「大丈夫ですよ。もし、神殿がベンドネル家との接しかたを改めるつもりなら、グラータ様はフレーチェに手紙をもたせないでしょう。……それに、トト公爵家は遠すぎます」
「……ですね」
それが、まったくの正論であったため、フレーチェはただ苦笑いを浮かべた。
トト公爵は丞相をつとめるだけに、優秀な人物なのだろう。
それでも、距離を変えることなどできやしない。
領地から遠く離れた聖都で、影響力を確保することは容易ではないはずであった。
「こまかい話は実際に招待されてからになりますけど、グラータ様のすすめですから、この話は受けるつもりです。もし、フレーチェがエスクレアと顔を合わせるのが嫌なら、同行しなくてもよいのですけれど……」
「そんなこと気にしてたら、お役目はつとまらないですぅ」
心外そうに口を尖らせて、フレーチェは同行を表明した。
それを聞いて、シルフィはやわらかな笑みをこぼした。
もし、フレーチェが同行しなかったら。
それこそ、神殿はベンドネル家から距離をおきトト家と近づこうとしている、などと憶測が流れるにちがいなかった。
フレーチェとベンドネル家が絶縁状態にあろうと、世間はそのように見てはくれないものだ。
魔物狩りの誘いが来たら全員参加、と話がまとまったところで、シルフィが突然、
「あっ」
と、なにかに気づいたような声を上げて、
「……武器が、ありません」
車窓を、武器屋の看板が流れていく。
ちょうど馬車が、武器屋の前を通りすぎたのだった。
聖都まで石像になって運ばれたシルフィだ。
木箱の中で丁寧に梱包されていた彼女が、武器など携帯しているはずもない。
シルフィは口元に手を当て、やがて、こくりと首をかしげた。
「……素手?」
「いけません! お嬢様っ、それはいけませんよっ!? どこかで調達しましょう!!」
「ぶっ、武器なら、俺がいろいろ持ってるからっ!」
あわてたメアリーとマルコが、座席から腰を浮かした。
素手で魔物を殴り倒す次期聖女は、さすがに絵面がまずすぎる。
ふたりのうろたえる様子を見て、きょとんとしたフレーチェは、その絵を想像して楽しそうに笑った。