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58話 ベンドネル公爵


 さて、舞台を王宮から聖国東部へと移したヴィスコンテ女王は、上品な赤色を基調とした室内で、不機嫌そうに椅子に座っていた。


「ようやく来たか」


 彼女の赤い唇からは冷ややかな声が紡がれ、氷を思わせる薄青色の瞳は、紫色の頭を見下ろしていた。ベンドネル家によく見られるその頭の主は、ベンドネル公爵フンボルトである。


 彼は女王の前でひざまずき、ひたすらかしこまっていた。


 宿の調度品が気にいらぬ、とヴィスコンテがこぼせば、


「も、申し訳ありませぬ。我が領はなにぶん、オレンとは比べるまでもない田舎。陛下に満足していただくには、力不足だったやもしれませぬ……」


 と、フンボルトはさらに頭を低くするしかない。


 公爵の座が転がり込んできた幸運な人物、とフンボルトをうらやむ向きもあるが、今この瞬間、彼は間違いなく不運であった。

 なにしろ、王宮に勤める人々が日々堪え忍ぶ重圧を、一身に浴びているのである。それに加えて、女王の左右に立つ女官長と剣聖が、無表情のままフンボルトを注視しているのだから、たまったものではない。


「よい。ベンドネル公、面をあげよ」


 女王に命じられて、フンボルトは弾かれたように頭をあげた。


「わらわはのう、恥ずかしい思いをしておる。ベンドネル領で、一番の宿がこれではのう……」


 あくまで不満そうに、女王の白い指、赤い爪が椅子の肘掛けをコツコツ叩く。


「この宿の支配人……あのような無能は、処分してしまえ」

「へ、陛下……」


 フンボルトは青ざめ、うろたえ、言葉を失った。

 おそらく、この宿の支配人に瑕疵はない。

 彼は貴族を相手に、ずっと接客をしてきた人物だ。

 あったとしても、些細なものにちがいなかった。

 そう思いはしたものの、フンボルトの喉は凍りつき、擁護の言葉は出てこなかった。

 フンボルトも女王の怒りがおそろしい。


「ふふふ、冗談じゃ」


 女王は真っ赤な唇をつりあげた。


「……たしか、先代ベンドネル公ティオレットは、芸術や文化に造詣が深かったと聞いておる……」

「はっ、いろいろと中途半端に手を伸ばす道楽者ゆえ……」

「ならば、ティオレットをここへ遣わすがよい。建設的な意見が聞けたなら、この件は不問としようぞ」

「今のあれは、とても陛下にお目通りできるような……」


 ヴィスコンテは、口答えは許さぬとばかりに、目を細めた。

 こうなっては、フンボルトに反論などできようはずもない。

 彼は、ふたたび頭をさげた。


「……御意に」


 恐縮しきりの公爵が退室すると、ヴィスコンテの瞳から退屈の色が消えた。

 かわりにその瞳は熱にくすぶり、忠実な女官長にむけられる。


「不満かの、レオノーラ」

「はい」


 非常に珍しいことに、レオノーラが女王の決定に異をとなえた。


「私のなかでは、ティオレット・ベンドネルは危険人物のままですから」

「ふむ。……あいかわらず心配性よのう」


 ヴィスコンテは、理解を示すかのようにうなずいた。

 レオノーラの懸念にはしっかりとした根拠があり、それはティオレットの過去の行いにあった。






 今でこそ隠居するオネエにすぎないティオレットであるが、かつては、聖国を担う人物になるであろうと将来を嘱望されていた。


 いや、すでに実権を握りつつあった、といってもいい。


 亡き父の後を継ぎ、公爵として大領地を管理することになったのは十八才のとき。二十才になれば、その手腕を高く評価されて、王宮でいくつもの要職を兼務することになった。剣を持てば聖騎士を上回り、魔法を唱えれば宮廷魔導師にも劣らない。


 絵に描いたような才気あふれる貴公子、それがティオレット・ベンドネルという青年だった。


 レオノーラが彼を危険視するのは、その才覚が、表向きのものだけではないからである。


 ヴィスコンテの覇道を振り返るに、ティオレットがなした仕事は印象深いものがあった。


 母王と姉を殺めて女王の座を手に入れたヴィスコンテだ。

 経緯が経緯だけに、王族、貴族を問わず、彼女の即位を認めぬ者も多かった。

 首都オレンから地方へと波及していったのは、新女王ヴィスコンテへの畏怖ではなく、彼らの義憤の声であった。


 高まるヴィスコンテへの反発を背に、反ヴィスコンテ派が決起するのは時間の問題かと思われた。


 そんなある日、王宮に、ある噂が広まった。

 新女王ヴィスコンテとベンドネル公爵ティオレットが婚姻を結ぶ、という噂である。


 反ヴィスコンテ派を激震が襲った。


 彼らもまた、ティオレットを同志に引き込もうと、何度も交渉を重ねていたのだ。

 ベンドネル公爵家は聖国でもっとも力のある名門であり、ティオレットはこれから長く聖国を支えていく人物と目されていた。


 仲間にできなくとも、敵にしてはいけない相手であった。


 この婚姻が事実となれば、ヴィスコンテは、強力な後ろ盾をえることになる。

 そうなれば、もはや決起どころではない。


 反ヴィスコンテ派とて、義を名目に内乱を企てて、力を握ろうと画策している身である。

 ヴィスコンテが力をえれば、彼らの主張など風の前の塵に等しいことを、誰よりも彼ら自身がよく知っていた。

 用意周到に整えられた反乱への道筋は、そのまま逆進して、彼らの首に鉄枷をはめるための道標(みちしるべ)となるであろう。


 ……結果として、彼らの首に枷がかかることはなかった。


 ティオレットは彼らの希望にこたえるかのように、婚姻の噂を一笑に付したのである。


 それまで旗色(きしょく)を鮮明にしなかったティオレットが、ヴィスコンテ側には立たぬ、と明言したのだ。

 反ヴィスコンテ派は安堵し、勢いづいた。

 これは脈あり、と見て、ティオレットのもとに集まった。集まってしまった。




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じゃない孔明転生記。軍師の師だといわれましても
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