54話 第三王女と聖女候補
学生時代、聖女と女王の間になにかあったのか。
シルフィの疑問に、フレーチェが訝しげな表情を浮かべた。
「あのふたりも同級生だったんですぅ。でも、なにかあったとは……」
「個人的な確執といえば、三角関係が定番なところですが」
ずっと沈黙していたメアリーが、そこで唐突に口を挟んだ。
ぶしつけな言葉に聞こえるが、だからこそ、メアリーは自ら発言したのだろう。
シルフィの口から、そんな質問をさせないために。
聖女候補のイメージ戦略である。
それが理解できるマルコは、この主従に慣れてきたのかもしれなかった。
しかし、あの聖女様のことだから、痴情のもつれはないだろう、とマルコは思う。
授業中に居眠りしてしまったグラータに、教師がチョークを投げつけて、狙いがそれて後ろの席のヴィスコンテに命中!
こっちのほうがよっぽどありえる。
もっとも、そんな事件が起きてたら、教師の首が物理的に飛んでいそうだ。
マルコの想像はなかなかに失礼なものであったが、ベッドの上で頭を抱えてごろごろしているグラータの姿を思い出すと、本当はポンコツなんじゃないか、という気がしてしょうがないのだった。
「いえ。私の知るかぎり、おふたりの間にトラブルらしきものはありませんでした」
マルコの推測は半分当たっていたというべきか、エスクレアによると、三角関係やチョーク誤射事件といったことはなかったようだ。
「けれど、女王陛下が神殿に厳しく当たる理由など、個人的な事情以外に考えられない。そう考える人が多いから、このような噂が流れるのです。
当時を知る人なら、なにか知っているかもしれませんね。
ティオレット様にでも聞いてみたらいかがかしら。
たしかおふたりが三年生の時に、一年生だったはずです。学年がふたつ違いますけれど、同時期に、この学校に在籍していたのですから」
「勘当された身として、あの家には近づきたくないんですけどねぇ」
気乗りしないフレーチェの様子に、エスクレアは心外そうに片眉を上げる。
「あら。あなたが大通りに店を出せたのは、実家の資金があったからでしょう?」
「……それは、わかってるですぅ」
「それならよいのですが……」
金髪の公女は、もの言いたげな目で元公女を見てから、視線をふたたび窓の外にむけた。
校庭では、つむじ風が起こっていた。
風魔法の訓練をしているのだろう。
生徒が手にした杖の先で、土埃がぐるぐる渦巻いている。
「女王陛下は、当時はまだ王女でしたが、とても優秀な生徒だったそうです。当然のように首席で。
魔法の成績だけは、どうしても平民のグラータ様には敵わなかったそうですけれど……」
エスクレアは口を閉ざした。
続けようとした言葉は、マルコにもわかる。
神殿を敵視する理由が成績にあるとは、さすがに思えなかった。
なにしろ、競争相手は聖女候補、後に聖女となるグラータだ。
聖女に選ばれるのは、例外なく、抜きんでた回復魔法の使い手。
回復魔法というのは、最も高く評価される魔法でもある。
ヴィスコンテが魔法でトップに立てなくとも、誰もそれを責めることはなかっただろう。
「女王陛下が聖女様にどのような感情を抱いておられるのか、私などにはわかりかねます」
そこに十年前の光景が映っているかのように、エスクレアは校庭を遠い目で眺める。
なぜ、ヴィスコンテは聖国を危うくしてまで、神殿に強硬な姿勢をとりつづけるのか。
その答えを持っている者は、この場にはいなかった。
学校の視察を終えると、まだ日が高いうちにマルコとシルフィ、メアリーは宿に戻った。
すでに顔なじみとなっている宿屋の従業員が、メアリーに大量の封書を手渡す。
この光景もまた見慣れたものだった。
顔を隠すのをやめてから、シルフィには連日、大量の手紙が送られてくる。
そのほとんどは、貴族からの、パーティーや茶会へのお誘いだ。
彼女を招くことに成功すれば、それだけで箔がつくそうなのだ。
行く気がないのならさっさと断ればいいのに、とマルコは思うのだが、それも上手い手ではないらしい。
無下に断ると、取り付く島もないと判断されてしまう。
できるかぎり、多くの貴族に誘わせることが重要だとかなんとか。
それが上手くいっているのかどうか、なにはともあれ手紙は山のように送られてくる。
ところが、今日はそのなかに妙な手紙が一通、紛れ込んでいた。
「こちらはマルコ様への手紙です」
「へ?」
従業員から封筒を差し出され、マルコは思わず自分を指さした。
受けとって、宛名を確かめる。
なにかの間違いではない。本当にマルコ宛だった。
飾り気がないのが逆に目を引く、差出人の名すらない封筒である。
シルフィの護衛をしていたから、目についたのだろうか。
でも、どこでも名乗ってないよなあ、と封を切り、中身を目にしたマルコは、肩口からのぞき込もうとしていたシルフィに言う。
「剣聖からだ。なんか……果たし状?」
よくわからない比喩や時節の挨拶などない、用件だけを告げる実直な文章。
それは、決闘の申し出であった。
剣聖シャルムートが、一度、マルコと手合わせしたいそうだ。