十話 這い寄るスライム!? 聖少女を守れ!
脅迫状は矢文から悪化していた。いろんな意味で。
ポエミーな文面から何をしでかすかわからない、カルトめいた恐ろしさを感じ、マルコは身震いした。
これは一刻の猶予もない。やはりスライム使いへの偏見は根強いのだろうか。
「……というわけなんだ」
放課後の空き教室には男女が二人。
一人はねずみ色の髪の、平凡な男子生徒。
もう一人はその姿を目にした瞬間、天才が己の生涯をかけて制作した彫刻を、絶望と共に叩き割りたくなるような容姿の少女。
「……なるほど、脅迫状ですか」
真剣な面持ちで頷くシルフィは、淡い唇に拳を当て考え込む。
マルコの話を聞いた限りでは、脅迫状の方向性が微妙に違う印象を受けたのだ。
矢文では、スライム使いであるマルコへの釘刺し。
机の中の手紙では、マルコが何者かに近づくことへの牽制。
だが、シルフィはそれを口にできなかった。
まず、連日で異なる相手から脅迫状が送られるというのは考えづらい、という点。
そして、真っ先に思いついた何者かというのがシルフィ自身だったからだ。
「私と普通に会話をできるマルコに嫉妬しての犯行では?」などとは自意識過剰で、恥ずかしくて口が裂けても言えなかったのだ。
そもそもシルフィを呼び捨てにしている生徒はマルコ以外にもたくさんいる。いまだにクラスメイトの半数近くは呼び捨てにしてくれないが。
それに手紙の文面にある偶像とは、シルフィではなくヘルミナを指している可能性も大いに考えられるのではないか?
帝國の紋章は太陽を模した鬣の紅獅子である。
ヘルミナがマルコのスライムを絶賛したのは記憶に新しい。
スライム使いごときが皇族に取り入ろうとしている、そう見ての犯行かもしれない。
――そう、天だとか太陽だとかいう表現から、皇族の可能性が高いに違いない、きっと、たぶん。と、シルフィは自分を納得させようとしていた。
シルフィは学園に潜む闇をまだ知らない。
ディアドラ理事長の存在が眩いほどに濃くなる学園の影を。
「それで、シルフィに頼みがある」
「はい?」
マルコの声で、シルフィは現実に引き戻された。
「スライム親善大使をしてほしい」
「……なぜ私に?」
つい最近、同じようなやりとりをしたばかりなのを思い出し、両者はぎこちなく笑った。
端から見たら、見つめ合ってるように見えなくもない。
マルコがシルフィの笑顔に照れている、青春の一ページに見えなくもない。
「これは多くの人に信任され、影響力のあるシルフィにしかできない任務なんだ。……具体的にいうとだ。今度の休みにスライムの人気が出て、社会的立場が向上するような宣伝をしてくれないか?」
「……スライムの社会的立場、ですか?」
スライム親善大使といい、聞いたことのない言葉の連発に、シルフィは眉根を寄せる。
マルコはスピードが肝要だと考えていた。
すぐにスライム使いへの蔑視を改善するには、影響力が桁外れであろうシルフィ以外に適任はいない。
一方、シルフィはシルフィで、神官の中には、魔物使いの才能を持ち魔物をペットにしている人もいる、と勘案していた。
さすがにスライムはいないだろうが、マルコのスライムなら外見上問題はないだろう。
「……わかりました。承りましょう」
――ふっ、ジュリアスの件の貸しはしっかり取り立てさせてもらうぞ、とマルコは満足そうに口元で笑う。
――ふふっ、実力者に恩を売るのはやぶさかではありませんよ、とそろばんを弾き、シルフィはいつもと変わらぬ天上の微笑で応じる。
笑顔で見つめ合っているが、内心はこんなもんである。
こうしてスライム使いと小聖女の密約は成った。
その教室の扉に耳をピタリと貼り付け、小さな窓から中を覗き込んでいる人物がいた。
最近ますますワインレッドの縦ロールに磨きがかかっていると評判の、ヘルミナ殿下であらせられる。
「殿下、何をなさっておいでで……」
「しっ」
ヘルミナは人差し指を自らの口に当てる。
彼女に声をかけてきたのは、三年生の男子生徒だ。
彼は扉にはめ込まれたガラス越しに、教室の中を見て驚愕する。
「……シルフィネーゼ様が、男子生徒と二人きりで話している!?」
神殿、メセ・ルクト聖教の敬虔な信者の家で生まれ育った彼にとって、シルフィは特別な存在だ。
神聖不可侵な神の愛し子なのだ。
よからぬ虫が付きそうなら、命を賭けてでも阻む、その覚悟が彼にはあった。
よからぬ虫は悪巧みが成ったのか満足したような笑顔で、あろう事かシルフィと握手を交わしている!
シルフィネーゼ・ノーマッド親衛隊の一員である、彼ですら触れたことがないというのに!
「……何ということだ。……隊長、隊長に早く伝えないと……」
「あらあら」
決意と覚悟に漲る彼の横で、ヘルミナはとてもいい顔でにやにやしている。
よからぬ虫は、ここにいた。
大聖堂と一筆の土地に建つ、大きな邸宅。
時代がかったその建物は大聖堂ほど上質な石こそ使用されていないが、よく似た雰囲気の造りをしていた。
それもそのはず、大聖堂の建築資材の残りを使って建築されたのが、このノーマッド邸である。
ノーマッド家へと続く道の傍らには、ドクダミ、シラン、ユキノシタなど薬効のある草花ばかりが植えられている。
よく手入れされたその小道は、花畑の華やかさとは異なる、落ち着いた趣の美を作り出していた。
「ただいま帰りました」
「お帰りなさいま……せ?」
ぱたぱたとシルフィに駆け寄った、亜麻色の髪の侍女は言葉を失った。
帰宅したシルフィの肩に、見慣れぬ物体が乗っている。
ぶるぶるしている。たとえるなら巨大なゼリー。青空と大海を溶かして固めたような、蒼色の透明な物体。
「ふふ、可愛らしいでしょう。これスライムなんですよ」
シルフィはそう言って、侍女にスライムを渡す。
「……えっ?」
青いスライムを両手で受け取って、侍女は困惑した。
何故、お嬢様がスライムを肩に乗せて帰ってきたのだろうか? と。
「友人からの預かり物です」
誰だ!? うちのお嬢様に魔物を預けるなどという不埒な真似をしたのは! と、叫びたいのを侍女は堪えた。
シルフィの前で取り乱すなど、とんでもない。
「ちゃんとテイムされているから危険はありませんよ。でも魔法使いの使い魔と同じように視覚と聴覚をリンクできるそうです。このスライムにはそのような能力はないそうですが、取扱いには気をつけてくださいね」
「はい、わかりま……視覚と聴覚!?」
侍女は両の手のひらで支えるスライムを、食い入るように見つめる。
「……どこに目と耳が?」
「……さあ? どこなんでしょうか」
実際、視覚を共有するには目玉スライムの成分を、聴覚を共有するには風のスライムの成分を混ぜる必要があり、この枕スライムにそのような能力は与えられていない。
マルコはあらかじめそう断っておかないと、後で視覚を共有できると知られた時に疑いをかけられかねない、と判断し念のために伝えておいたのだ。
その判断が、後のリスクを恐れて前もってある程度のリスクを許容した判断が、吉と出るか凶と出るか。
マルコの望んだ結果とはならなかった、とだけいっておこう。
自室へ戻るシルフィを見送り、侍女はまじまじとスライムを観察する。
スライムは泰然としている。
「くうっ、表情が読めない……」
顔はどこだ? スライムに顔はない。
確かに可愛らしいと言えなくもない。 しかし、魔物である。
シルフィが幼い頃より仕えてきたこの侍女の名はメアリー。彼女が知る限り、今までシルフィに魔物を預けるなどという、不敬なことをした輩は一人たりともいなかった。
「まして視角と聴覚をリンクできるなど、なんてふしだらな!」
マルコのあずかり知らぬところで、また新たな敵が生まれようとしていた。
「ああ、お嬢様の学園での交友関係はどうなっているのでしょうか……」
侍女メアリーは心配げに呟く。
「学園で変な友人ができていないか、親衛隊の情報網を使って調べないと……」
ノーマッド家に仕える忠実なる侍女メアリー、彼女こそシルフィネーゼ・ノーマッド親衛隊の隊長その人である。筋金入りであった。
月明かりを雲が隠していた。
「さすがに、何日も厄介になるわけにはいかないからなぁ」
昨日はディアドラ理事長の厚意に甘えさせてもらったが、マルコはそう思うのだ。
「そもそも襲撃してくれれば、そっちの方が捕まえやすい」
そんな甘いとも自信ともつかぬ考えで、マルコは一人帰路につく。
商店街から遠い閑静な住宅地、夜も更け、通りに人影は無い
襲撃には絶好の場所ではないだろうか。
空間収納はあえて使用せず、両手は買い物籠でふさがっている。
襲撃には絶好の無防備さではなかろうか。
夕飯を外で済ませた後、マルコは時間つぶしもかねて、帝都の賑わいを確かめるように街を歩いた。
パン屋に寄り、八百屋に寄り、肉屋に寄りと眠らぬ都ウーケンの商業力と物流を堪能してから帰宅するマルコ、なぜか食べ物関係ばかりである。
帝都の一角、北の貴族街にほど近い、高級住宅地の外れに佇む、なかなかに立派な一戸建て。
そこが現金一括購入したマルコ宅だ。
何事もなく家にたどり着いてしまったマルコ、期待外れかと思いきや、玄関扉になにか張り紙がしてある。
そこには、こう書かれていた。
汝、天を脅かすことなかれ。
人の道は人と共にあり。
汝の行為を悔い改めよ。
誠実たれ、欺く事なかれ。
大地に歩む営みを忘れ、人の道を踏み外す者には神罰が下されよう。
「またかよっ!」
ポエムを一瞬で読み取ったマルコは、玄関扉にハイキックをお見舞いした。
張り紙の下部、筆跡を汚さぬよう配慮された蹴りがマルコ宅の玄関を襲う。
「ああっ!? ……やっちまった」
扉は家主に蹴られて、物理的に凹んでいた。
思わず自宅の扉を傷つけてしまったマルコも精神的に凹んだ。




