49話 メイド服
神殿には聖国と戦えるような軍事力こそないものの、争う力までないわけではない。
膨大な数の信徒によって支えられる権威。
大陸中の、回復魔法の使い手を統括する組織力。
それらが、神殿が持つ力。
大国にも匹敵するとされる力の源泉である。
そう。
交渉をするにしても、よりどころとなる力が必要なのだ。
フレーチェは化粧台に置かれた鏡を見つめる。
かつての自分には、そのよりどころとなる力がなかった。
常なら尊ばれるであろう公爵家の血も、一族の汚点扱いされている状況では中傷の材料でしかなかった。
「鏡よ鏡、私は負け犬の顔をしていませんか?」
聖宮殿にある一室。
新たに与えられた自分の部屋で、彼女は鏡に映る自分を睨みつけていた。
そこにいるのはまだ真新しいメイド服を着た、紫色の髪の少女。
いつも着ていたライトグリーンのエプロンドレスから、黒と白のメイド服へ。
色こそ変わったもののデザインはよく似ているので、しっかり着こなせている、と思う。
けれど、気負いのせいだろうか、少々目つきが悪い。
これではいけない、と新米侍女のフレーチェは目元に両手をやり、ほぐすように撫でさすった。
このメイド服は見習い用ではなく、正規のものである。
てっきり、侍女見習いに戻るものとばかり思っていたが、正規での採用となったのだ。
理由ははっきりしていた。
シルフィの歓待役を仰せつかったからだ。
次期聖女のそばにはべる大役である。見習いに任せられるような仕事ではない。
聖女と剣聖の会談後。
神殿の存在感を高めるために、歩く広告塔シルフィは街のいたる所に出没した。
宝石をちりばめたような、きらきら輝く翠銀の髪が通りすぎれば、それだけで、布教となり啓蒙となってしまうのだ。
普通に、
観光を、
していた、
ともいう。
フレーチェもおろしたてのメイド服に身を包み、お供した。
もうひとりのメイド服、メアリーはというと、聖都の観光地どころか名店マップまで暗記して、気合いを入れて観光案内をしていた。
ちなみに、護衛のマルコは護衛のわりに、ごくごく普通に観光してた。
「フフ」
思い出して、フレーチェは小さく笑った。
彼女の師匠はそうしていると、ごく普通の年下の少年にしか見えなかった。
シルフィが歩き回っていたのは、個人的には観光を楽しむ面もあったのかもしれないが、神殿の影響力を強めるためであり、ヴィスコンテ女王と聖国貴族との歩調を乱すためである。
今日はそのために、最も重要な場所に行かなければならない。
学校。
フレーチェが一番苦手とする場所に、行かなければならない。
回復魔法の使い手として多くの人を救った偉人、聖カエリウスの名を冠する学校には、大勢の貴族子女が通っている。
フレーチェにとって、その中等部はいやがらせを受けた場所であり、高等部は、いやがらせをした人たちが通っている場所だ。
敵地におもむく主人を心配しているのか、三つ並んだ桶から、三色のスライムが顔をのぞかせていた。
フレーチェは自分の従魔に穏やかに笑いかけ、安心させるように言う。
「大丈夫ですよ。師匠もいますし、いざとなったらシルフィガードがありますから」
聖国貴族の子女が、シルフィの従者に強く出られるわけがない。
それだけ聖国に対する、神殿の影響力は大きい。
……ヴィスコンテ女王は、それが気にくわないのだろうか。
まあ、氷の女王がなにを思って神殿を毛嫌いするのか、推し量ってもしょうがない。
フレーチェにはフレーチェの戦いがある。
この視察は、フレーチェがすでに神殿の庇護下にあると、印象づけるための視察でもあるのだ。
「先輩っ、もうシルフィさまがいらしてますよ。用意はできましたか?」
金褐色の髪の少女、アリシアが、部屋に入ってくるなり声をかけてきた。
「もう先輩じゃないですよ」
「あっ、いけない。フレーチェさん、でした。
なんだか慣れませんね。ワタシが先輩だなんて。
フレーチェさん、困ったことがあったらワタクシに聞いてくださいね、なんて。
今でもドジばっかりなんですけれど」
えへへ、と照れるアリシアは、フレーチェが学校をやめてからしばらく、侍女見習いをしていたときの後輩だった。
貧しい貴族の家に生まれ、学校に通うよりも侍女の道を選んだ少女だ。
辛いこともあっただろうに、いつも明朗快活で、スライム使いのフレーチェにも偏見をもたずに接してくれた。
聖宮殿には、貴族階級の者も多く働いている。
学校ほど露骨にいじめられることはなかったが、奇異の目はさけられない。
当時のフレーチェにとって、この年下の少女の存在は、服の虫食いを防ぐために用いられる、ゼラニウムやラベンダーの香り袋のように感じられたものだ。
「貴族がみんなこうなら、よかったんですけどねぇ」
「どうかしました?」
「なんでも。アリシア先輩を頼りにしてる、ってことですぅ」
これから顔を合わせなければならない、貴族たちとは大違いだ。
とくに女子。
はやし立てるだけの男子とちがい、あいつらときたら粘着質で陰湿なのだ。
――ふん。あんなやつら、アリシアの、爪のアカでも飲んでればいいんですぅ。
フレーチェは最後に、鏡にむかって、ニヤリと口角をつりあげた。
口が三日月を描く、せせら笑うような、蔑むような、そんな悪そうな笑顔である。
「よしっ」
この顔なら、気後れしてると思われることはないだろう。