39話 行方
「本当に聖都の様子が見えているのでしょうか?」
疑念の声は侍女メアリーのものだった。
フレーチェを探すマルコは、目を閉じたままこたえる。
「見えているぞ。聖女の護衛、ハイデマリーが大通りを走っているな」
すごい勢いで走っている。昼間だったら、人をはね飛ばす勢いだ。
方向を見るに、この宿に向かっているのだろうか。
ほかにもいろいろ、見てはいけないようなものまでマルコは見てしまった。
たとえば聖宮殿。
シルフィが聖宮殿で襲撃されたばかりなので、念のため、聖宮殿ものぞいてみたのだが……。
そこでは、聖女グラータがベッドの上で、頭を抱えてごろごろ転がっていた。
彼女はふいに、ピタリと動きを止めると、枕に口を押しつけて叫んだ。
「私のせいじゃないからあああああああッ!!」
……聖女様の名誉のため、この光景は口外しないほうがいい、とマルコは判断した。
「やみくもに探しても、無理かもしれません。
せめて、なにか当てがあればよいのですが……」
そう言いながら、シルフィがハンカチを取りだす。
マルコの汗を拭こうとしているのだ。
その意図に気がつき、メアリーが目をつり上げた、そのとき。
廊下から荒々しい足音が聞こえてきた。
しっかりしたつくりの壁とドアを越えて伝わるほど、騒々しい足音だった。
乱暴なノックののち、ドアが開く。
そこには、息を切らせたハイデマリーがいた。
「シルフィネーゼ! 聖騎士だ!
門が閉まってから、聖騎士の馬車が西門から外に出た!」
閉門の刻限を過ぎれば、そこで外との人の往来は途絶えるものだ。
これは都市が大きくなり、城壁が立派になるほど顕著になる。
しかし、聖都のような大都市とて、例外はある。
それなりの立場にあるものが、強引に門を開けさせることがあるのだ。
聖騎士ならば可能だろう。
それは同時に、強引な行動をとるだけの理由が、聖騎士にはあった、ということでもある。
聖地を離れれば、もう神殿の手は届かない。
だが、ここには、大陸の外にまで手が伸びる人物がひとりいた。
「へぇ、聖騎士か」
自分でも驚くほど冷酷な声音でいって、マルコは目を開け、立ち上がった。
がたごとと、激しく揺られていたことも影響したにちがいない。
フレーチェは目を覚ました。
最初に目に入ったのは、ランタンの弱々しい光に揺れる、木製の屋根。
勢いよく流れる窓の外は暗く、通り抜ける風は聖都ではなく、森のなかの空気であるように思えた。
なにやら薬でも嗅がされたのか、鼻の奥に、かすかな違和感が残っている。
フレーチェは手を縛られて、薄っぺらな布がはられただけの、硬い座席に転がされていた。
背中が痛むが、馬車の床ではないだけ、ましではある。
意識が覚醒するなり、フレーチェは腹の底からこみ上てくる怒りを、目の前にいる男にぶつけた。
「聖騎士様が私なんか誘拐して、なにしようってんですか! うちのスライムになにしてくれるんですぅ! お店の営業、どうなると思ってるんですか! 賠償ですよ賠償!! しっかり払ってもらうですぅ!!」
目覚めたばかりとは思えない口達者ぶりに、男が一瞬、目を丸くした。
男は聖騎士の白い鎧の上に、青いマントを身につけていた。
「フレーチェ様、おとなしくしてはくださいませんか。我々とて、できれば手荒な真似はしたくないのです」
「これのどこが手荒な真似じゃない、っていうんですかっ!」
青マントの男は渋面になると、同僚と顔を見合わせた。
馬車のなかには同じ白い鎧の男が、ほかにふたりいた。
そちらは、緑マントと茶マントである。
「私なんか誘拐したって、なんの価値もないですよっ!」
今にも噛みつきそうなフレーチェに、聖騎士たちは困った顔をむける。
「それを決めるのは、我々ではありませんので。
ご自身の価値は、おわかりでしょう」
青マントは、申し訳なさそうに言った。その声には同情の響きもあった。
「私はもう、貴族なんかじゃないんですぅ!」
「存じております。スライム使いであるがゆえに勘当された、大公家の姫君の話は。ですが、それと陛下が納得されるかどうかは別の話なのです」
黒髪の、冷たい美貌の女の姿が、フレーチェの脳裏に浮かんだ。
母王を弑して至尊の座についたという、ヴィスコンテ女王。
フレーチェの顔から血の気が引いた。
あの女王のもとへ連れて行かれたら、なにをされるかわかったものではない。
「くっ、あの女王に利用されるくらいなら、ひと思いにここで殺せですぅ!」
「……少し、静かにしてはいただけないでしょうか、フレ-チェ様」
青マントはため息をつくと、懐からハンカチを取りだした。
小さな灯の下でも一目でわかるくらい、汚れているハンカチに、青マントは顔をしかめた。
フレーチェの小さな口を見て、ハンカチに視線をもどして、そのハンカチを丸める。
こんなものかと、大きさを調整するように。
意図を察したフレーチェは自主的に、大声で叫ぶのをやめることにした。