38話 捜索
オキアとジュリアスがいなくなった客室は、マルコにはずいぶんと広く感じられた。
なんだか、無駄に贅沢をしているような、もうしわけないような気がしてしまうのだが、シルフィの護衛のしやすさを考えると、今まで通りに宿の最上階を借りきったほうが都合がよいのだ。
聖都テテウの大通りに面する、宿屋の四階。
この宿で二番目に豪華な客室で机にむかっていたマルコは、眠気を覚えておおきな欠伸をした。
ランタンの、はちみつ色の暖かな灯りに照らされた机の上には、一枚の紙がおかれている。
『フレーチェ育成計画』
・修行の期間は短い。
・魔大陸のスライムは手に入らない。
・スライムは三体。
・フレーチェは炎と氷を操るセンスがある。
誰が見ても読みとれるが、読みやすいとは言いがたい、少し癖のある字は、マルコ自身が書いたものだった。
「うん。やっぱり、氷のスラザベスを防御特化にすべきだな」
フレーチェに戦士としての技能があるならともかく、ない以上は、スライムを使って身を守れるようにしておくべきだ。
適任は、氷のスラザベスしかいない。普段の大きさは桶の半分ほどでしかないが、魔力を消費し体を膨らませれば、氷の壁となって主を守ってくれることだろう。一方、炎のスラファニーは、体の一部を飛ばすなど、多様な攻撃方法を身につけたい。どちらも、土属性の魔力を吸収して、形状変化の能力を磨いていけばよい。
これは、どんな属性の魔法でも使えるシルフィに協力してもらえばいい。
それに対して、形状の変化があまり用をなさないのが、薬草で育てられたスラスタシアだ。このスラスタシアの存在こそが、そこらへんにいる魔法使いと一線を画すための肝となる。今はまだ、お肌のお手入れに使えるていどだが、鍛えあげていけば初級の回復魔法と同等の力も得られるだろう。
魔法使いと神官の能力を兼ね備えたスライム使い。
フレーチェがめざす形は、これだ。
回復魔法といえば、それこそシルフィの独壇場。
くず魔石にどんどん魔力を込めてもらおう。
そう考えて、マルコは眉間にしわを寄せた。
「あれ? フレーチェは俺の弟子のはず……」
なぜ、シルフィの仕事ばかりなのか。
これでいいのだろうか、と首をひねっていたら、唐突に、ドアが勢いよく開かれた。
びくりと肩をふるわせ、マルコはすぐさま振り返る。
「ノックくらい――」
「マルコっ! フレーチェが」
シルフィが血相を変えていた。
「フレーチェが行方不明になりました!」
「……は?」
異変を発見したのは、聖宮殿に勤める侍女だった。
その侍女はエステの予約を取りにいったそうだ。
玄関扉を叩いても反応はなく、鍵はかかっていなかった。
扉を開けてみると、店内には色水をぶちまけたように、スライムたちが倒れているだけだったという。
スライムが傷ついていた以上、フレーチェが自ら姿を消したとは考えられなかった。
連絡を受けるや、聖女グラータは即座にいくつかの指示をだした。
フレーチェの捜索、瀕死の状態で見つかったスライムの治療、宿に滞在するシルフィたちへの協力の要請。
神殿関係者は深夜の聖都を駆け回り、神官はスライムに回復魔法をかけるという過去に経験のない行為に手間取り、そんな状況でマルコたちもまた、自分たちにできることをしようとしていた。
ソファーの上で座禅を組む、マルコの額から頬へ、玉のような汗が流れ落ちた。
「どう、ですか」
「だめだ、見つからない」
シルフィが問いかけると、マルコは目を閉じたまま、大きく息を吐いた。
マルコは今、目玉スライムと視覚を共有している。
召喚した目玉スライムの数は五体。
ただ召喚するだけでなく、視覚を共有するとなると、この数が限度だった。
小さなスライムが空を飛び、隙間に潜り、その暗視能力で、肉眼ではとらえられぬ闇の様子を伝えてくる。
まぶたの裏で、マルコの視界は次々と切り替わる。
商会の大きな倉庫があった。まったく光の届かない暗闇のなかには、うずたかく積まれた麻袋があるだけだった。人気の無い路地裏で何者かが動いた。思いを確かめ合うように抱擁を交わしている男と女、逢い引きだった。貴族の屋敷では隠された地下室を発見した。がらくたばかりのその地下室は、長いこと使用された形跡がなく、埃だらけで蜘蛛の巣がはっていた。
目の奥に鈍い痛みを感じ、マルコは目頭を押さえた。
少なくない負担が、目と脳にかかっている。
マルコの瞳は聖都の闇に溶けているというのに、フレーチェの行方はようとして知れなかった。