37話 スリードロップスの夜
フレーチェはカウンターに硬貨を並べて、今日の売上を数えていた。
人形のような顔に、悪徳商人を思わせるゆがんだ笑みが浮かぶ。
「ふっふっ。順調、順調ですぅ」
窓から店の中をのぞく人がいたら、あまりに似合わないその笑顔に吹き出したことだろう。
もっとも、この時間帯になると、どの店もとっくに閉まっていて、通りを歩く人はめったにいない。
昼の喧騒が嘘のように、窓の外はひっそりと静まりかえっている。
聖都の大通りも夜遅くなると、おそろしいほど静かになる。
大通りに店を構えて、はじめて知ったことだ。
フレーチェは悪人顔をやめて硬貨をしまった。
すでに帳簿はつけていた。ただ、お金を数えていただけ。そこにはなんの意味もない。エステ店をはじめてから、身についてしまった習慣。
客が来ない日は、数えたくとも数えようがないのだ。
そんな日はどうしようもなく不安に苛まれる。
店が軌道に乗ってきた最近こそ少なくなってきたが、最初は、そんな日ばかりだった。
商売をはじめる前、フレーチェは聖宮殿の侍女見習いで、その前は学生だった。
マルコたちがやってきたとき、店に押しかけていたのは、聖カエリウス中等学校に通っていたころの同級生だ。
かつて、フレーチェは炎と氷の魔法使いだと思われていた。
スライム使いであることを隠し、周囲にそう思わせていたのだ。
「ねえ、スライム使いってホント?」
そんな噂が流れたのは、三年ほど前のこと。
噂はまたたく間に広がった。
いじめられるようになるのに、それほど時間はかからなかった。
それでも魔法使いであろうとしたフレーチェは、誰よりも努力したと思う。
だが、周囲の成長においていかれ、次第に魔法使いとは見なされなくなっていく。
歯を食いしばりながら学校に通ったのは、半年くらいだったか。
もう無理だと、あきらめた。
幼いころから当然のように過ごしてきた場所は、スライム使いのレッテルを貼られたフレーチェにはひどく生きづらい場所になっていた。
けれど、今のフレーチェは、先行きに闇しかなかったあのころとはちがう。
自分の力で稼げるようになった。
それだけではない。
底辺職のスライム使いが、魔法使いを超える。
そんな夢みたいな話が、降って湧いたのだから。
「これで、今まで散々スライム使いとさげすんできた連中に、ひと泡吹かせてやれるですぅ」
マルコが垣間見せたスライム使いの可能性を思い、フレーチェは唇の端だけで悪人顔を復活させてみる。
一風変わった実力の持ち主、スライム使いのマルコ。
ただで修行をつけてくれるという、物好きな少年だった。
下心でもあるのではないか、と勘ぐるところだが、そんな雰囲気も感じられない。
怪しいか怪しくないかでいえば、ものすごく怪しい、としかいいようがない人物ではあるが。
そもそも、彼の雇い主からして、全身を隠した得体の知れない女性である。
「ふたりそろうと、怪しさが二乗ですぅ」
一カ所だけのぞくその女の瞳は、昼夜の空を溶かした、吸い込まれるような美しさをたたえていた。
一度見たら忘れるはずがないであろうに、不思議と既視感のある瞳をしていた。
カタリナと名乗るその女から渡された、白いくず魔石をフレーチェは取りだす。
「何者なんですかねぇ」
なんとなく口に出してみたのは、たいしたことだとは思っていないから。
フレーチェは、マルコが修行をつけてくれさえすればそれでいい。
このまま無料だと、もっといい。
だからといって、あの女の正体が気にならないわけではない。
魔石に魔法を込める。魔法が使えるならそれ自体は簡単な技術だ。
しかし、くず魔石というのは、使えないから、くず魔石なのだ。
込められる魔力量はたかがしれているうえに、さじ加減を間違えるとあっさり砕けてしまう。
そこに魔法を込めるには、繊細な技術が必要となる。
魔法の才に恵まれないフレーチェは、そのぶん努力した。
魔法の出力が小さいのを、技術でカバーしようとしてきた。
その結果、魔力量の微調整だけは自信があるのだが、それでもたまに、くず魔石を砕いてしまう。
あの女は難しいとされる回復魔法で、一粒も砕くことなく、いとも簡単にそれをおこなった。
高位の神官?
それならば、神殿の総本山である聖都で素性を隠す必要はないはずだ。
彼女は帝國から来たという。
護衛と侍女がいるのだから、それなりの立場のはず。
帝國の宮廷魔導師、だろうか?
神官以外にも、回復魔法の使い手がいないわけではない。
フレーチェが、謎の女の正体を思いはかっていると――
かすかな金属音が聞こえた。
「えっ?」
戸締まりしたはずの扉が開くとほぼ同時に、なにか硬いものがコトリと床に音を立てた。
きれいな切断面をさらして、鍵だったものが落ちていた。