八話 動き出した生徒会! 狙われたマルコ!
広大なパラティウム帝立学園の敷地には、幾つもの大きな建築物が、それぞれの領分を争うように無秩序に建っている。
白い柱で屋根を支えた、神殿建築を思わせる、優美な回廊をシルフィは歩いていた。
柔らかな春の日差しの中、翠銀の髪の少女がにこやかに歩く。
その姿は神に祝福されし清らかな乙女そのもの。
通り過ぎた生徒は男女を問わず、陶然とした面持ちで酩酊する。
ある男子生徒はよろけふらつき、バケツに足を突っ込んだ。
ある女子生徒は立ち止まり鼻を押さえる、その指の隙間からは鼻血が流れていた。
背後で繰り広げられる惨状とは裏腹に、シルフィは上機嫌だった。
ジュリアスにケーキをおごってもらったからではない。
そこまで食い意地は張っていない。
学園に登校してきたジュリアスは「これは敗者のけじめだ!」といい、『銀の小皿』で皆にケーキを奢った。賭に負け、支払うはずだった生徒達にも奢った。
現金なものだが、ジュリアス自身が懐を痛めることで、クラスにはなんとなく彼を受け入れやすい空気が生まれていた。
「ふっ、よくやったジュリアス、それでいいんだ。さすが我が友よ、フフフ……」
マルコがこっそり呟くのをシルフィは聞き逃さなかった。どうやら彼の入れ知恵のようだ。
マルコに伝言を頼んだのは正解だったと言えよう。
少し怪しい気もするが、正解だったということにしておこう。
「可愛らしいスライムといい、素晴らしい仕事をしてくれますね。さすが魔王軍四天王、幻の五人目『理不尽』」
もともと、シルフィは負ける方に賭けるつもりだったのだ。
皇女ヘルミナからマルコの情報を得ていたシルフィは、マルコが勝つのを知っていた。
ジュリアスに賭けたのは、試合の後にどうなるかを考えてのこと。
プライドの高そうなジュリアスは試合に負け無様をさらしたら、もしかしたら姿を見せなくなるかもしれない。
入学試験のときのシルフィへの態度を見るに、ジュリアスは『聖女の再来』を崇め奉るタイプの人間だ。
崇拝の対象が敗北の前から変わることなく、今も期待していると伝えれば、少しは心の支えになるのではないか?
たとえそのまま学園を去ることになってしまったとしても、道を誤るおそれは減るだろう。
伝言をマルコに頼んだのは、騎士道に憧れ、試合の勝敗を重んじるジュリアスを最も説得しやすいのがマルコだと見たからである。
「なにより、魔王軍でトップに立つほどの人材ですからね」
魔大陸、魔王軍で生きてきたマルコが、胆力を備えていないわけがない。
――そこには、マルコという人物への個人的な興味もあった。
世界最強と言われる魔王軍、その力は帝國騎士団をも大きく凌駕するという噂だ。
そこでトップに立ったというスライム使い。
彼がどうやってその力を得たのかは、実に興味深い。
表向きは天使の笑顔を振りまきながら、中身は意外とこざかしい。
しかし腹の中はどうあれ、外から見れば輝く姿に一点の曇りもない。
「……ふふ」
策士を気取るには少々浮かれているシルフィ。
今まさに、彼女の身に春雷にも似た荒れ模様が迫ろうとしていた。
春雷は皇女とともにやってくる。
赤いドリルが人目を引く美少女、ヘルミナがベンチに座っていた。
上品に微笑む皇女殿下の隣には、美形の男子生徒が!
黒い長髪の男子生徒は皇女を相手に全く臆するそぶりも見せず、ごく自然に隣に座り、悠然と会話をしている。
シルフィの脳裏に雷が奔った。
浮かれは瞬時に消し炭になり、慌てて柱の陰に身を隠す。
ヘルミナには婚約者がいる。しかし、学園生ではなかったはずだ。
――皇女の許されぬ恋。
シルフィはロマンスのかほりを振り払うように首を振る。
息を整え、見てはならぬものを、そっと柱の陰から覗こうとし、
「あっ……」
柱のすぐそばまで来ていたヘルミナと目が合った。
シルフィを映す皇女様のルビーの瞳は、美形男子生徒に向けていたそれとは比較にならぬほど熱っぽかった。
「シルフィ!」
目を離したわずかな隙に、ベンチからシルフィの元へと移動したヘルミナは、シルフィを力強く抱きしめる。
まさに電光石火、愛のなせる業であった。
シルフィが目を白黒させていると、ヘルミナの肩越しに男子生徒が苦笑していた。
彼は皇女の奇行に慣れた様子で、ゆっくりと近づいてくる。
「私のことも紹介してくれないかな、副会長」
「あら、失礼。シルフィ、こちら生徒会長のヴァリオス・フェルトハーンよ」
貴族らしく優雅に一礼され、シルフィも文句の付けようがない完璧な礼を返す。
「ちょうどよかった、これから君を誘おうと思っていたところだ」
「はい? 何か御用でしょうか」
フェルトハーン……確か公爵家だったはず、と思いながらシルフィは疑問を口にする。
ヴァリオスは苦笑を収め、真顔になった。
「シルフィネーゼ君、生徒会に入ってくれないか?」
パラティウム帝立学園の生徒会には普通の学校とは異なる役割、目的がある。
それは「将来、人の上に立つべき人材の確保」である。
貴族、平民、騎士、魔法使い、身分も職も問わず、いずれ帝國の中枢を担うであろう人材を育成するための場が生徒会であり、優秀な人材を国に囲い込むための場でもある。
その意味で生徒会は「国に資する人材の育成」という学園の理念が凝縮した場所なのだ。
「本音を言えば、入学式にでも勧誘したかったんだが……、副会長に止められてね」
「シルフィが自分で選ぶべきことですもの。シルフィの学園生活のためとあらば、わたくし、涙を呑むこともなく生徒会を潰してしまいますわ」
「冗談めかして言うけど本気なんだよ、このかたは……。ここまで待って、ようやく皇女様のお許しがでたということだ」
シルフィはヴァリオスとヘルミナに連れられ、道中で生徒会の活動内容を聞きながら、生徒会室へ向かう。
他の教室とは一風変わった、重厚感のある生徒会室の扉を開けると、中にいた生徒達の視線が一斉に入り口に集まった。
入口に立つシルフィを見て、生徒達の動きが、絵に描き出したかのように止まる。
ヴァリオスが金縛りを解くように、コホンと咳払いした。
「はい、皆、静粛に……、もう静まっているか。新人を連れてきたぞ。彼女のことは知っているだろう?」
シルフィは一歩前に出て笑顔を振りまく。
マルコの妄想世界ではいじめられていることになっているが、現実ではそんなことはない。
シルフィは社交用の笑顔をごく自然に浮かべて言う。
「生徒会へのお誘い、謹んでお受けいたします。私のことは是非シルフィとお呼びください」
道すがら、彼女は即決していた。
シルフィに魅入られ凝視していた生徒会室の面々は、挨拶に一拍遅れ、次の瞬間には満場一致の拍手で迎える。
「さて、無事に最も重要な新入生の勧誘に成功したところで、次に勧誘するメンバーを決めようか」
ヴァリオスはそう言って、他の教室と全く変わらない、簡素な木製の椅子に腰を下ろした。
ヘルミナとシルフィが座るのを待ち、興味深そうな眼差しと、突拍子もない言葉を送る。
「ときにシルフィネーゼ君、いや、シルフィ君。君のクラスにスライム使いのマルコという生徒がいるね?」
「はい?」
「彼はどのような人物かな?」
まさかマルコが生徒会に狙われているとは。
驚いたシルフィがそっとヘルミナに視線を送ると、皇女様は小さくウインクした。
「会長、待って下さい! 私は反対です!」
シルフィが口ごもっていると、小柄な男子生徒が口を挟んだ。
彼の言葉に同調するように、幾人かが頷いている。
大柄な男子生徒が腕組みをし、厳めしい顔をして口を開く。
「ヴァリオス、魔物使いですらない、スライム使いを生徒会に入れようとでもいうのか?」
大柄な生徒の言葉には詰問の色が混ざっていた。同意の声が続く。
「そもそも家柄、能力、共に生徒会の一員となるにはふさわしくないかと」
生徒会は帝国の中枢となるべき人物の育成と囲い込みの場なのだ。
抗議の声が上がるなか、
「ユリアン、マルコ君を推薦したのは副会長だ」
生徒会長のヴァリオスが大柄な生徒、ユリアンに放った一言で批判は封殺され、視線が副会長ヘルミナに集まった。
シルフィは眉を曇らす。
彼らは、マルコの能力を知らないから反対なのだという。
ヘルミナはマルコの情報を伝えずに、推薦したのだろうか?
それでは誰も納得しない、シルフィでも腑に落ちないだろう。
何を考えているのか、ヘルミナは「あら、怖いわ皆様」などと面白がっている。
ふざけているのは明白だが、相手が皇女なだけに、誰も強くはでられなかった。
マルコは鋭く煌めく刃先を突き刺した。
深く刺さるように、足を掛け体重を乗せる。
「ふっ!」
呼気と共に刃先を強引に動かし、切り口を広げ、空気を送り込むようにえぐり取る。
そして、えぐり取ったものを周囲に撒き散らした。
穴のそばにシャベルを突き立て、横に置いた苗木を持ち上げる。
生徒会が自分を議題に紛糾していたとはつゆ知らず、マルコは、購入してまだ間もない自宅の庭で、木を植えていた。
買ってきたばかりの苗木を穴に置いて土をかぶせ、仕上げにブルースライムを地中に染みこませ、根と土を馴染ませれば作業は終わりだ。
「ふー」
マルコはいい顔をして汗をぬぐった。
これで庭に六本の木を植え終えた。
聖風水闇土火の六属性の木を、それぞれの方角にあわせ植えていたのだ。
正しく配置すると、それぞれの属性の力が干渉し合い強化され、葉はその属性の魔力を宿すようになる。
スライムの進化や変化に、属性魔力を取り込むのは基礎中の基礎である。
自身の魔力を注ぐことでも同じ事はできるが、先天的に魔法の才がないマルコは魔力を体内に循環、増幅させることは出来ても、属性を付加することは出来ない。
「やっぱり、養分として消化、吸収するのが一番安定しているからな」
木を植えておけば、いつでも葉から栄養を取り込める。
帝都ウーケンの園芸店は、さすがに物流のメッカで勝負しているだけあって、見たこともない木がたくさん並んでいた。
値段もさすがだった。
「……たかが木に付く値段じゃないだろ、あれは」
珍しい木だけに値段には泣いた。
懐が温かいとはいえマルコの経済感覚は基本的に庶民のものだ、時々おかしな事になるが。
「また冒険者ギルドに素材を納入しといた方がいいかな……」
使った分だけ、稼いでおきたい気分になってしまった。
「……ん?」
何やら敵意を感じる。殺気、というほどのレベルではない。
ちらり、とマルコは敵意の向かってくる方向へ視線をやった。
誰もいない。
何だろうな、と首を傾げながらシャベルをスライムに掃除させ、ピカピカにすると空間収納へ収納する。
「夕飯、どうしようか……」
マルコは夕暮れの赤い空を見上げた。
カラスが郷愁を誘うように、カアカアと鳴いて飛んでいる。
ディアドラの家にお世話になっていた頃と違って、どうにも料理にやる気が出ない。
自分一人で食べるだけの食事に、手間をかける意欲がわかないのだ。
「っ!」
マルコの聴覚が風切り音をとらえた。
緩やかな放物線を描いて矢が飛んできて、マルコの家の壁に当たって地面に落ちた。
その鏃には紙が結びつけられていた、矢文だ。
「鏃は潰してある、か……」
練習用の矢だ、といっても危険はある。
マルコは矢の飛来した方向を見やったが、やはり射手らしき人物は見えない。
あらかじめ計算しておき、見えないところから曲射したのだろう。
それなりに腕の確かな射手、少なくとも素人ではないはずだ。
慎重に矢を拾い、矢文を開ける。
「人ん家の壁に跡をつけるのは減点だけどな、と……」
矢文を見たマルコは、慣れ親しんだ争いの匂いを嗅ぎ取って、目を細めた。
――スライム使いは 身の程をわきまえよ――。




