第二王子
咲き誇るライラック。
それは実らぬ恋だった。
ならばせめて、幸せに笑っていてほしかった。
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煌びやかなシャンデリアの揺らめき、色とりどりのドレスの裾。
花の匂いがそこかしこに溢れる宴。
扉の隙間から垣間見える、まばゆいほどの、ようやく迎えた春の夜。
いつもと同じのようで、それでもどこか違って見えるのは、今日の装いのせいだろうか。
腰まであった髪を断ち、胸の詰め物を取り去って。
そうして、用意されたものに袖を通し己の姿を鏡に映せば、かつての誰かに似た風貌の『男』がそこにいた。
“覚悟は、できているのか?”
数ヶ月前、父と交わした言葉が脳裏をよぎる。
“私から言い出したことです。覚悟など、とうの昔に”
何年もかけて培った、令嬢らしい仕草で艶やかに微笑んでみせれば、言葉に詰まったのか渋面で見据えられた。
「お父様が一体何をそんなにご心配なさっているのか…。
もちろん、お兄様のことがあったばかりですもの、わからぬわけではございません。ただ、今の状況を鑑みて、私は、私に課された義務を果たすべきだと、そう思っているのにすぎません」
覚悟を笑顔で塗り固めて気丈に振る舞う娘ーーー。
そう、見せることができただろうか。
いや、たとえ浅慮を見抜かれていたとしても、否と言われるはずがなかった。
もはや他に王子はいないのだから。
扉向こうの空気が変わる気配がした。
華やかな音楽がやや落ち着いた曲調のものとなり、人々のざわめきが遠巻きになる。
側に目を遣れば、鷹揚に頷き返す父親と目が合った。
軽く目礼を返し、深呼吸をひとつ。
…緊張しているのか、私も。
父を尊敬している。
兄を敬愛している。
この国を好きだと思う。
はっきり言葉にしたことはないけれど。
だから、自分が好きな人たちに、笑っていてほしかった。
世界はこんなに輝いているのだと、自分たちだけが囚われて生きるだなんて馬鹿みたいじゃないかと。
幸せだと笑ってほしかった。
幸せだと微笑むその隣で、彼女も幸せそうに微笑んでくれるのなら、それで自分はきっと満足できたのに。
風を吹き込みたくて、自分の侍女は元平民出身の者で固めていた。
父に、兄に、王宮の空気に染まりきらないよう、意図して作り上げた空間。
それが、裏目に出るなんて。
兄を苦しませたかったわけではない。
とばっちりをくらった侍女にも、償おうにも償いきれない。
ましてや、彼女の泣き顔なんて。
扉の向こうから、入場を告げる声が、聞こえる。
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何を伝えよう。
何から伝えよう。
貴女は驚くだろうか。
それともまた、困らせてしまうだろうか。
あるいはいつもの他愛のない冗談の続きだと、笑われるだろうか。
信じられない、と言わんばかりに見開かれた、その、菫色に手を差し出した。