国王
結婚もした。
子供にも恵まれた。
飢えや渇きを感じたことはない。
それはきっと、幸せなことなのだろう。
それでも、満たされることは、ない。
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「大事な人が、できました」
言葉とは裏腹に、顔に苦痛の色を浮かべながら息子が言う。
「その人と離宮へ行こうと思います。
…私の婚約破棄と、廃嫡の準備をしていただきたい」
ポトリ、と、隣に座った王妃の手から、扇子がこぼれ落ちた。
王族の男子のみに顕現する異能…いや、呪いというべきか。
想いを言葉に乗せ、対象となった相手を言葉で縛り、ついには変質させる。
初めてこの異能を宿したのは、十数代前の王の時代だったと言い伝えられている。
病であれば、治療の研究も出来よう。
血によるものであれば、王をすげ替えることも出来よう。
だが、病ではなく、遺伝でもない。
この地を治める王であると、その直系であると承認された瞬間から、それは顕現する。
だからこそ、王族の直系男子は、幼い頃から徹底して感情を制御するよう教え込まれる。
赤子の頃は、母親と共に離宮に隔離し、自我を持ち、意思決定が下せるようになる5-6歳頃までは、できるだけ人と関わらせぬように育てる。
痛ましい「事故」ができるだけ起こらぬように。
「そこまでする必要が、あるのか?」
「はい。……もって、半年でしょうから。こうなるまで気づけなかったのは、私の失態です」
「そんな……、あの子には、姪にはなんと…?」
顔を青ざめさせながらも、隣で王妃が気丈にも言葉を紡ぐ。
「……まだ、伝えておりません。もう少し早ければ、助力を願うこともできたでしょうが…」
幼くして息子の婚約者となり、来年には挙式を予定していた公爵令嬢の、王妃の姪の、王妃とよく似た菫色の瞳が陰るのが容易に想像された。
相手を変質させる。
それを防ぐために、感情を殺し、王としての責務に耐え、国家に君臨し続ける。
そんなことが、ただの人間の身で出来ようか。
救済措置が、ないわけではない。
王の直系に異能が顕現するのと時を同じくして、傍系の女子にはそれを抑制する異能が確認されるようになった。
但し、言霊の異能は直系男子、という条件さえ満たせば必ず出現したのに対し、抑制の異能をもって産まれてくる女子は、一代につきひとりのみ。
藤色の髪、菫色の瞳を持って生まれてくる王の傍系の女子。
ただ近くにいてくれるだけで、感情の昂りによる異能の発現を抑え、人並みの交流を可能にしてくれる。
だからこそ、王妃を妻とし、息子には王妃の姪を婚約者に据えた。
それなのに。
「相手は、3ヶ月ほど前に行儀見習いとして王女付きになった子爵家のご令嬢です」
…子爵家の。
それを聞いて、どこかホッとする自分がいる。
身分で区別するわけではないが、公・侯・伯爵位に比べれば、まだ王の権限一つでなんとか穏便に事をすすめることが出来る。
想われ人となってしまったその令嬢には、申し訳ないが。
「……そうか、覚悟は、出来ているのだな」
「ーーーはい」
「ならばよし。お前の言う通りに準備に取り掛からなくてはな」
「あなた…っ!」
陛下、と縋りついてくる王妃の視線を振り払い、淡々と告げることしかできなかった。
「わがままを聞いていただき…ありがとう、ございます。…父上、母上」
伏し目がちだった眼差しをつとあげたのを見遣れば、そこにはなぜか安堵する息子の顔があった。
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結婚をしても。
子供に恵まれても。
きっと満たされることは、ない。
壊れることが分かっていてなお、その側に在ることを希うような、狂おしいほどの愛や恋など、知らない。
この先もきっと、知ることはない。
だからこそ、私は少し、お前が羨ましい。