序章2
~登場人物紹介~
小林 将宗
新城 楓
「牛丼大盛り2つで」
「かしこまりました、少々お待ちください」
到着して早々、俺が彼女の希望を聞くことなく勝手にメニューを注文する。俺が来たのは徒歩5分くらいにある近くの牛丼屋さんだ。最初はファミレスの方がいいかとも考えたが、あえて牛丼屋を選択した。お金を返してもらうつもりはないが、ファミレスとかに行って、彼女がドリンクバーだけ頼まれてもこっちとしては逆に困るような気もしたから、それならいっそう勝手に注文してしまおうということだ。
「私、ほんとうにお金もってないんですよ?」
「いいって別に。今回は黙って奢られておきなさい」
「たいへんおまたせしました。牛丼大盛りです」
そして、運ばれてくる牛丼大盛り。牛丼屋は来るのが早いという点からも、今の状況にぴったりな気がした。来る途中に何度もおなかの主張が聞こえてきた気がする。
「とりあえず、どうぞ」
「じゃあいただきます・・・」
「はい」
そう言って彼女がスプーンを使い恐る恐るごはんと牛肉を口へと運ぶ
「!!!」
その瞬間、彼女の目が、カッと見開かれたと思いきや、ものすごい勢いでごはんを食べ進め、ズズズっとみそ汁を体へと流し込む。
「ひさしぶりです、こんなおいしい食事」
「ゆっくりな?」
彼女は俺の忠告も聞かず、味わっているのかよくわからないまま牛丼大盛りをあっという間にたいらげてしまった。
「世の中にこんなにおいしい食事があるんですね!」
「俺が食い終わるまでちょっと待ってな。ってか早いから」
感動しっぱなしの彼女を横目に自分のご飯を食べ進める。俺のも食べるか?と一応聞いてみたが、さすがに遠慮はしてくれたようだ。しかし人に見られながら食べるごはんというのはなんとも落ち着かない感じだった。
「私、見ての通り貧乏なんですよ」
俺がご飯を食べていると、ふと彼女がそんなことを口にした。
「今財布に150円ちょっとしかないんですよ」
「150円・・・」
「それでこれが今のところ私の全財産です」
「お、おう」
こういうとき、どんな反応をしてあげればいいのか、俺には正直想像すらつかなかった。
「給料日になったら、お母さんから少しだけ仕送りしてくれるはずなんです。でも最近は新しい子どもさんのこととか、お父さんのこととか、いろいろあったみたいで。1万円送られてくればいい方です。・・・変ですよね?私」
「変っつか、なんつーか。その、なんで大学に来ようと思ったんだ?一応私立だし金はかかるとおもうんだけど?」
俺が牛丼を食べる手をやめ、彼女の顔をみつめる。俺が今通っている大学は公立ではなく私立大学。当然学費がかかって、それはお世辞にも安いとは言い難い値段だ。俺だって毎年奨学金でお金を借りて、バイトをしてやっと大学に通えている状態だ。これはもちろん社会人になったら少しずつ返していかなきゃならない、いわば学生の借金のようなものだ。
「私、本当は国公立の大学に推薦だったはずなんです。でも受験で失敗しちゃって。で、希望していたところ落ちちゃったんですよ。それでほかにあてのない私を高校の先生が返済義務のない奨学金、ってことでここの大学を紹介してくれたんですけど」
「そんなすごい制度、うちの大学にあったっけ?」
「はい、でもこの奨学金、最初の1年だけなんです。だから2年生になったら私が学費を全額払わないとだめなんです。だから1年間で頑張ってアルバイトして、貯めようかなって」
「・・・そんな無茶な」
一年間でアルバイトをして、それをすべて学費に回して、さらに自分の生活もしていかなければならないなんて、あまりにも無茶すぎる、無謀すぎる。そう俺は思った。
「無謀ですよね、でもやらなきゃだめだったんです」
「なぜ?」
「もうあの家に私の居場所はないんです。ただでさえ狭いアパートですから。私の居場所なんてあっという間になくなっちゃいました」
そう言って彼女はさらに続けた。
「私は物心ついたころからお母さんと二人でずっと住んでいました。お父さんがいなくて寂しいなんて思ったこともありませんでした。確かに生活は豊かじゃなかったけど、それなりに幸せでした。でも数年前、お母さんが再婚して、子供を授かって、新しいお父さんができて、弟さんが生まれました。そして私の部屋は弟さんの部屋になりました。お母さんは弟さんのお世話で忙しいです。お父さんはお仕事で日中はいないですが、夜になると家に帰ってきます。お父さんは私なんかいないように振る舞うんです。そりゃあそうですよ。再婚したお父さんからすれば、私はあかの他人なんですから。だから私は私のお母さんのため、あの家族のために家を出なきゃならなかったんです」
「・・・でもそれじゃあ。高校を卒業して就職先を探して、一人暮らしをしたって良かったんじゃないのか?」
「それは・・・。その、お母さんの夢なんです。私も最初はそう言いました。早く就職をして、お母さんを楽にしてあげたいって。でもお母さんは違ったんです。私はお母さんと違って頭もいいし、優秀だし。大学に行って学びたいことを学んでほしいって。そして将来もっとお金を稼いで、子供に貧しい思いをさせてほしくないって。だから」
そう言い切って、彼女は手元にあったお茶入りのコップをグイっと飲み干した。
「大学に進学しようって決めたんですけど、受験失敗しちゃいました。」
そう言ってテヘッ、と舌を少し出して、笑ってみせた。
「ほんとは完全学費無料で行けるはずだったんですけどね。最終面接の日に大雪で、お父さんに車を出してもらうつもりだったんですが、お父さんが寝坊しちゃって、さらに渋滞に巻き込まれちゃって」
「・・・遅刻で不合格ってことか」
「はい。着いたらもう試験は終わってました。・・・私が悪いんです。最後の最後にやらかしちゃいました。車で送ってくれる、って言われても電車かバスか使っていけば良かったんです。でもいいんです。お母さんは本気で悔しがってくれましたから。だから私は大学生を頑張って、お母さんにちゃんと恩返ししてあげないといけないんです」
「なんつーか。なんて言えばいいんだろうな」
もうすでにご飯は食べ終わっていて、ただひたすら彼女の話に聞き入っていた。牛丼屋はすでに何人ものお客さんが入れ代わり立ち代わり、辺りは騒然としているなか、この話を聞いている最中だけは、なぜか一人だけただ取り残されているそんな錯覚に陥りそうになった。
「ごめんなさい。こんなしめっぽい話をするつもりはなかったんです。でも要するに私、貧乏でやばいってことなんですよ」
「そう聞くとなんかそうでもないように聞こえるんだよなぁ」
経済状況は人それぞれと聞くが、彼女はなんというか、壮絶な部類だと個人的には思った。
「えっと、伊達さん、でしたっけ?」
「違うから。マサムネだけどさ。苗字は小林だから」
「はい、とりあえず店出ましょうか。ちょっと長居しすぎちゃいましたね。将宗さん、ごちそうさまです」
「あぁ、いえいえ。とんでもない」
出会ったときから落ち着いた雰囲気といい、彼女がほんとうに年下だということを忘れそうになるくらいしっかりしているな、と思いつつ会計を済ませ店を出た。
「とりあえず貧乏すぎてやばいんです私。猶予は1年、それまでに学費を貯めて、払わないといけないんですよ」
「学費、ってのはどれくらい必要なんだ?」
牛丼屋からの帰り道、少し肌寒い3月の風に当たりながら、二人はコートの前を閉め、ゆっくりと歩道を歩いていく。
「とりあえず、ざっと100万円くらいですかね」
「ひゃくまん、ねぇ」
「しかも、それを残りの在学年数3年間。つまるところ、300万」
「無理でしょ。絶対無理だって」
「無理じゃないです。無理っていうから無理に聞こえるんですよ」
「いやいや」
1年生の間はとりあえず学費が免除される。あとは2年生から4年生の3年間の学費を1年間で貯め、それを支払い、さらに自分の生活を維持していかなければならないというわけだ。
「今から就職とかじゃダメなのか?」
「ダメです。絶対にダメです。これはお母さんの願いですから。・・・違うんですよ、お母さんも結婚してしばらくは身体の自由がきいて協力してくれたんですけど、さすがに子供ができるとなると話は違うみたいで。なかなか大変みたいです。本当は、私がお父さんときちんと折り合いつけばいいんでしょうけど」
「うーん・・・」
「どうにかならないですかね。将宗さん。・・・って、私なんでこんな会ったばっかりの人と人生相談してるんでしょうか。将宗さん迷惑じゃないです?」
「いや、俺は全然かまわないけど」
俺は彼女と話しながら、過去の俺の少ない経験を総動員させながらどうにかならないものかと少しだけ考えてみたものの、この状況を打破する作戦はさすがにすぐには思い浮かばなかった。
「やっぱり、無理なんですかね。私、身売りでもしようかなって考えてるんですけど」
「・・・身売り?」
その不穏な単語に俺は眉をひそめた。
「ここから少し行けば夜の繁華街みたいなところもあるじゃないですか。そこで私の時間を一晩だけ買ってくれる人とか見つけられれば、って・・・」
そういって彼女は自分の胸に両手をあててみせる。彼女の起伏の少ないほっそりとした身体。顔は、まぁ、普通、というか着ているジャージも相まって少し地味な印象を受ける。
「・・・いま色気のない女だなって思ったでしょ」
「いや、色気がないとは思ってないですよ。ただそれってどうなんでしょう。お金を稼ぐ手段としてはいいのかもしれませんが、果たしてそれでお母さんが喜ぶかどうかと言われたら自分は微妙な気がします。確かに世の中身売りしてお金を稼いでいる方ってのは一定数いると思います。ただ、もし自分の娘がそういうことをしているって知った時にはやっぱり悲しくなると思いますよ」
「・・・伊達政宗のくせにいいこと言うじゃないですか。もしかして、私のこと口説いてます?」
「人が真面目に相談にのってるっつのに・・・」
俺がそういって彼女にグーパンチをするしぐさをみせると、彼女は笑いながら頭をかくし少し距離をとってみせた。
「ごめんなさい。なんかこう、私、真面目な雰囲気苦手なんですよ。伊達さんも敬語じゃなくていいですから」
「えっ、はい。じゃないか。うん・・・?」
「どうしましょう。私このままじゃのたれ死んじゃいますよ」
「・・・俺だってあと数日、150円で過ごせって言われて咄嗟に答えが出るほどアイデアに富んでないから。とりあえずアルバイトみたいなのを複数掛け持ちとかでどう?」
「そうですねー。まず私的にはコンビニのアルバイトは必須なんですよ」
「それはなぜ?」
「ほら、まず食費問題をアルバイトで解決するんですよ。廃棄のおにぎりやサンドイッチ、お弁当をもらってその日をしのぎます。コンビニのアルバイトがない日は海苔と水道水でしのぐんです」
「・・・後半はちょっとわけがわからないけど、まぁとりあえずはいいと思う」
「そして、大学生になったら家庭教師のアルバイトをしてみたかったんですよ。時給もいいし、私それなりに勉強はしてきたんで」
「なるほど」
「でもね、これじゃあきっと足りないんですよねぇ。まず今から急いで働いても4月の給料が振り込まれるのは5月の半ばなんですよ。それに学校が始まると教科書だったり、電気代、ガス代だって払わなきゃいけないんです。家賃と携帯代はお父さんがどうにかしてくれるらしいんでそこはあのクソ野郎を信じるしかないです」
「クソ野郎って・・・」
家賃はおよそ管理費込で4万円、これにインターネットも無料でついているのでうちの物件は比較的お得かなと思える。携帯代は彼女のお母さんが唯一の通信手段だということで持たせてくれているらしい。だとしても、彼女が言う通りこのままでは4月いっぱい過ごせる目途がどうしても立たなくなってしまう。お母さんから仕送り1万円が来るとしても、全て4月の食費に回してやっとというところだ。そして今はまだ3月の中旬、どう考えても絶望的にしか見えない。
「やっぱり最初にお金って必要ですよね。こうなったら知らない誰かと夜を共にする運命なんでしょうか。まぁ、覚悟はしていましたし、平気ですよ」
彼女はあっちの方を見て笑いながらそんなことを言っていた。
「まぁ、150円じゃ多分、夜の街まで行けないけどね。電車の切符的な意味で」
「えっ、そうなんですか?」
「それに、その。敢えて聞きますけど服とか可愛い下着とかちゃんと持ってます?」
「まぁ下着は数枚ありますけど・・・。服も何着か着まわしてます」
「そういう商売をするからには予め最低限の身なりは整えないと、詐欺だ、俺はこんなやつには金払わないぞって喚かれておしまいですよ。そんなのただ自分のトラウマになっておしまいじゃないですか」
「うぅ・・・」
「それに何より、そんなことしてるってお母さんが聞いたらどう思いますか?悲しむに決まってるでしょう」
「じゃあどうすればいいんですか・・・」
「簡単ですよ。お願いすればいいんです」
「お願い、ですか?」
そう言って俺が少しだけ得意げになりながら話を続ける。
「楓さんは幸運にも、隣の部屋に心優しいお兄さんがいるんですから、頼ればいいじゃないですか。まぁさすがに私もできることに限度はありますけど。できる限りお手伝いしますよ。正直最初、洗濯機の下敷きになってる楓さんを見て自分もへんなのに捕まったかなぁと思いました。でもあの荷物を放り出して先に帰ってしまわれたのを見てさすがにこれは冗談じゃないな、って思いました。なんか貧乏なのもネタじゃないみたいなんで、ただ自分からあれこれするのは違うかなぁって。楓さんから言ってくれれば全然協力しますよ。できる限りですけどね」
自分でも少しかっこつけすぎたか、と思いながら彼女の方を見ると、目を見開いて、じーっとこっちを見ながら少し不安そうな顔だった。
「あの、先輩・・・。頭、大丈夫です? どっかに頭打ちましたか? それともやっぱり私のこと口説いてます?」
ちょっと俺的にはかっこよく決めてみたのだが、なんか逆に腹の立つリアクションが返ってきた。
「・・・口説くならもっと色気のある女性を口説きますよ」
俺がそうボソッと言ったのを彼女は聞き逃すことはなかった。
「あっ、やっぱり私のこと色気のない女だと思ってたんですね。童貞のくせに生意気ですね。どうせい口説く勇気もないくせに」
そして今度俺は彼女の「童貞」という言葉をさすがに聞き逃すことはできなかった。これだから女は嫌いなんだ、と。男を童貞か非童貞かでしか見分けようとしないやつにはろくなのがいない。
「はぁ?俺が童貞なのとなにが関係あるんだよ。楓さんだってそんな地味なジャージ着てるくらいなんですから、経験豊富ってわけでもないでしょ?」
俺がそう決めつけたかのように言うと、彼女もまた俺の見た目だけで人を判断した言葉が若干気に食わなかったらしく、珍しく目くじらを立て、少し怒ってみせた。
「確かに私は経験豊富な部類ではないかもしれません。でもね、そういった人を好む男性ってのは世の中にたくさんいます。いわば私は需要のある人間なんです。童貞さんに言われたくありません」
「・・・経験がない人に『私みたいなのは需要がある』とか言われても説得力に欠けますけどね」
「そこまで言うなら勝負しましょうよ。伊達政宗さん」
いつの間にかお互いところどころため口になっている彼女がその場で少し立ち止まり、ビシッと指をさしてきた。
「はぁ、勝負?」
「そうですね。今日から私が一年で伊達さんを落としてみせます。なので伊達さんは今から一年間、嫌でも私を養ってください」
「はぁ。俺になんのメリットが?」
またなんかこいつはわけのわからんことを言い出したな、と思いつつとりあえずその話を最後まで聞いてみることにした。
「もし私が伊達さんのことを落とせなかったら私が一年間貯めた貯金を全て崩して今までの養育費としてすべてお返しします。もし伊達さんが落ちたら一年間の養育費はデートで私に貢いだと思ってすべて忘れてください。これでどうですか?私が伊達さんを落とすことに失敗したら私はもう大学に通えなくなり貯金もゼロになります。伊達さんは一年間先払いで私のことを養ってあとはポイってすればむしろプラスになってお金が戻ってきますよ。ま、私の魅力に耐えられればの話ですけどね」
「はぁ、ばかばかしい。やれないってそんなこと」
「おっとぉ、童貞が怖気づいてますね」
「・・・」
そういって彼女が挑発的な微笑みを浮かべる。くっそ腹が立つが、改めて考えてみると決して悪い条件ではないということに気が付く。俺は要するにこいつにちょっと飯を食わしてやって、あとは1年後、捨てればいいだけの話なのだ。そうすれば何事もなく俺は大学を卒業し、企業に就職だ。どうせ大学生活、やることがなくて退屈していたところだ。わけのわからない勝負に乗ってあげるのも面白いだろう。
「わかった。ただし、ひとつ条件を付ける」
「なんですか童貞将宗さん」
「・・・俺は一年間あなたに養育費を払うわけだ。当然、その途中に逃亡するかもしれないというリスクを伴うことになる。だから養ってはやるが、基本的にいるあいだは俺の方針にはすべて従ってもらう。当然、飯だって文句を言わせたりはしないし、そもそも俺の家の家事、掃除自体をやってもらうことになる。そしてお前はこれを基本的に拒否はできない。これでどうだ?」
「いいですよ。掃除でも洗濯でも料理でも『なんでもいうこと聞いてやろうじゃないですか』。どうせ童貞野郎の命令なんて大したことないですよ」
たったいま、俺たちの「とてつもなくくだらない」戦いの幕が切って落とされた。