のーと。
特別教室で科学の授業。
今日は塩の結晶を作るとかやっている。
ビーカーに濃い食塩水を作って、ビーカーに渡した割り箸に、釣り糸を結んで垂らす。
垂らした先には、小さい塩の結晶。
半透明で、四角い奴だ。
「智詞、おまえもう終わったのか?」
「なんだ鷹橋か。ああ、もうとっくだよ」
僕は暇を持て余し、ノートにいたずら書きをする。
「なになに、お塩、新聞紙、なんだこれ?」
鷹橋が僕のノートを覗き込む。
「回文だよ。上から読んでも下から読んでも同じになるってやつ」
「へ~。おしお、お、し、お。しんぶんし、し、ん、ぶ、ん、し。おー、ホントだ。ひっくり返しても同じだな」
「こらー、そこ。なに遊んでんだ。もうセットはできたのかー?」
僕は慌ててノートを理科室の机に隠す。
「は、はーい。できてまーす」
鷹橋を見ると、慌てて自分のビーカーをセットしにかかっていた。
遊ぶなら、僕みたいにやることやってから遊べよな。
授業中、黒板を書き写すふりをして、僕は回文を書いていた。
『お塩』
『新聞紙』
『竹やぶ焼けた』
『理科ばかり』
『暇で麻痺』
『キスが好き』
ば、バッカじゃねーの。自分で回文を作っといて、なにドキドキしてるんだか。
キスって、魚のキスかもしれないじゃないか。いや、ないけど。
「はーい。じゃあ、ビーカーは後ろの戸棚に丁寧にしまって、ほら、そこ。あまり揺らさない。それと、名札忘れるなよ~」
先生が授業の締めを始める。
僕も自分のビーカーに名札を付けて、戸棚にしまう。
これで来週の授業の時には、大きくなった塩の結晶が見られるかもしれない。
「智詞、次体育だから急ごうぜ!」
「お、おう」
僕たちは、チャイムと共に、理科室から急いで飛び出した。
昼休み。
「おーい、智詞」
鷹橋が教室の入り口から僕を呼ぶ。
僕が入り口を見ると、詩奈が隠れるようにして立っていた。
「智詞、ほら、詩奈先輩来てるぞー」
「鷹橋声でけーって。ったく」
クスクス笑うクラスメイトたちを無視して、ぶつくさ言いながら、入り口に向かう。
「んだよ、先輩」
「なんだよじゃないだろ。サっ君、理科の授業、これ置き忘れたろ?」
詩奈が僕の科学のノートを見せる。
「あ……」
「その様子だと、忘れたことにも気付いてないだろ」
「あー。うん」
「まあいいや。サっ君たちの次が、ちょうど詩奈たちでよかったな。
んじゃこれ、渡したかんな」
詩奈はそういうと、ふざけ半分に、えいっ、と言って、投げキッスの振りをする。
「ばっ、よせよっ」
「あははっ、じゃあな」
詩奈は軽快に走り去ろうとすると、すれ違った教師に、走るなよ、ってたしなめられる。
「詩奈先輩って、サバサバしてるってか、カワイイよな~」
「そか?」
「ああいうこと何気なくやったりとかさ、すっげーオトナ、って感じだけど、ドジっ子っぽいところもあってさ」
「ふ~ん」
「智詞がうらやましいぜ、あんなカワイイ先輩と幼なじみなんだもんよ」
「別にー。家が隣ってだけだし」
「またまた。おまえら、ほんとに仲いいのな」
「うっせ、バッカじゃねーの!」
授業が始まることを理由に、僕は鷹橋の追及から逃れる。
夜。
宿題を済ませ、なにげなく科学のノートを開く。
回文のところにクマっぽい絵が描いてあって、授業をまじめに、とあった。
まったく、人のノートになにするんだか。
まぁ、詩奈らしいといえば、詩奈らしいかな。
イラストと一緒に、漫画みたいに吹き出しがいくつかあって、セリフが入っていた。
なになに……?
『好きと言えよ』
『いいかな、仲いいかな?』
『仲いいよ。えい!』
と、キス。
なんだこりゃ。
詩奈が書いたんだろうな。
ったく、少女漫画のセリフかよ。
ふと、僕が書いた文字が目に留まる。
『キスが好き』
きす、が、すき。まさかな……。
詩奈の文を解いてみる。
「あっ」
好きと言えよ。いいかな、仲いいかな? 仲いいよ。えい! と、キス。
すきといえよいいかななかいいかななかいいよえいときす。
僕は、科学のノートに回文を書いた。
『夜。今、詩奈いないし。まいるよ』
あーあ。このノートは、もう置き忘れできなくなってしまった。