うたごえ。
「なぁ、先輩」
「どしたよ、サっ君」
3年生の教室の前。
珍しく、僕の方から詩奈に声をかける。
「今日さ、鷹橋とかとカラオケ行くんだけど、先輩もどーかな」
「お、いいねー、いくよ、いくいく」
やけに上機嫌だな。
これなら、お願いも聞いてくれるかも。
「それでさ、こっちは男子三人なんだけど、先輩、女子あと二人呼べる?」
「なんだ、合コンみたいだな」
「ち、ちげーし。だいたい、合コンなんて、先輩はやったことあんのかよ」
「興味あんのか?」
「ご、合コンに興味あるだけで、先輩のことは気にしてねーし」
「えー、なんだよそれ。面と向かって言われっと、腹立つな。じゃあ、詩奈、カラオケいーかない」
「え、ちょっ、う……」
「ふふっ。うっそだよーん。冗談だよ、間に受けんな」
「なっ、先輩ー!」
「わりいわりい。ちょっと聞いてみるから、帰り、昇降口な」
「お、おう。わーった」
なんやかんやで、男女三人ずつのメンバーが集まったな。
一応、鷹橋たちの要望には応えられたぞ。
僕たちは、隣町のカラオケボックスに行って、歌い始める。
「智詞、おまえって、すげーよな。こんなかわいい先輩たちを連れてくるなんてさ」
鷹橋が、泣き真似をしながら僕の隣に座る。
鷹橋、すごいのは僕じゃなくて、詩奈だよ。
確かに、詩奈のクラスメイトの、かわいいところが二人、一緒に来ていた。
中学生でも、三年にもなると、ちょっとメイクをしたり、ネイルをやったりしていたりするんだな。
なんだか僕たちより、すごく大人っぽく見える。
「ちょっとドリンクバー行ってくるわ」
僕はみんなに一声かけると、部屋から出ようとする。
「あ、詩奈も取ってくるかな」
詩奈も一緒に出てきた。部屋の中から、はやしたてるような声も聞こえた。
「なんでついてくんだよ」
「偶然だろ、いちいち気にすんなよ」
詩奈がドリンクバーのカップに、ココアを入れる。
「おっと」
僕がわざとらしく、コーヒーのボタンを押すと、ココアの入ったカップに、コーヒーが注がれる。
「おいサっ君、なにしてくれんだよー!」
詩奈の肘が、僕の脇腹を捉える。
「お、おっぷ、騙されたと思って、飲んでみろよ……」
脇腹を押さえながらだから、喋るのも苦しい。
「あ、ほんとだー。結構うまいな、これ」
「だろ」
「おう。ごめんな、サっ君。
じゃ、これはお返し。ほいよ、ストロー」
詩奈が、僕のグラスにストローを挿す。
流れるような動作で、僕がコーラを入れているところに、メロンソーダのボタンを押す。
「なっ、なにすんだよ!」
「へっへー、やられたらやりかえす、だかんな」
「これはハズレの部類だろー」
「そっか?」
詩奈がストローを口にして、コーラのメロンソーダ割りを飲む。
「ん、メロンソーダの味がして、でもコーラの炭酸も効いてて、なかなか鉄板だと思うけどな。まぁ、騙されたと思って飲んでみろよ」
仕方なしに、僕も濃い緑色の液体を口にする。
「うーん……。案外、悪くない」
「だろ? じゃ、戻ろうぜ」
僕は、詩奈の後について、部屋に戻る。
(あ、ストロー……)
「どした、サっ君」
「あ、いや、なんでもねーし」
「ふ~ん」
部屋のドアを開けると、中から大音量の歌声が聞こえてきた。
何曲か歌った頃。
(詩奈の奴、リモコンで何やってんだ?)
隣に座る詩奈に声をかける。
「なぁ、どうした、早く入れろよ」
詩奈が、子犬のような目をして、僕を見る。
(ああ、そういえば、昔から機械は苦手だったな)
どうやら、新譜はトップページにあるから選べるようだけど、検索が操作できないみたいだった。
「なんか歌いたいの、あんの?」
「うん、昔の歌でさ、題名とか覚えてないんだけど」
「なんだそれー、ハードルたけーって」
「サっ君は知ってるよ。ほら、こんな感じの……」
「え、なに? 聞こえねーし」
詩奈が、僕に聞こえるように、顔を僕の耳元に近づけて、ハミングする。
メロディーに合わせて、吐息が耳に当たる。
詩奈のハミングは、ココアの優しい香りがした。
「なあ、これ判る?」
聞き覚えのある曲だった。
かなり昔。
僕が小学校一年の頃。
僕と詩奈は、大人の真似をして、少し遠くに出かけようと、電車に乗ったんだった。
でも、小遣いがギリギリで、アイスを買ったら、帰りの電車賃がなくなっちゃったんだよな。
一駅だったけど、アイスを食べながら二人で歩いて帰ろう、っていうことになって、それでアイスはすぐに食べ終わっちゃって、ただ黙って、夕暮れの中を家に向かって歩いていたっけ。
「しーちゃん、ぼくつかれたー」
「そうだね、サっ君、もうちょとだよ」
「しーちゃん、足いたいよう」
「うん、ちょっと休もうか」
いっこうえの詩奈は、お姉さん気取りで、そんな僕を励まして、手をつないで一緒に歩いてくれたな。
その時詩奈が歌っていたのが、この歌だった。
当時再放送していた、アニメのエンディングだっけか。
確か、サビはこんな歌詞だ。
さあ、元気を出して。一緒に歩こう。
キミのことを守れるように。
ほら、わたしがいつも、そばにいるから。
キミのことが……。
「フフフン、チャラッチャ、キミのことが、大好きだから~、ジャジャーン、って歌」
耳元で囁くなよ。それに、なんで最後のフレーズだけ歌詞覚えてるんだよ。
鷹橋が、ドリンクバーから飲み物を持って戻ってきた。
「智詞、ちょい通るぜー」
「おい、部屋は狭いんだから、気をつけろ……って」
「あ、わりー」
狭い室内を移動しようとして、僕の膝にぶつかる。
その衝撃で、内緒話みたいな格好になっていた僕と詩奈がぶつかってしまう。
「いっつつつ」
「ごめ、し、先輩」
「鼻打った~。ん~、ん~」
詩奈は、痛みか涙を隠すためか、鼻と目元を押さえる。
「詩奈先輩、すいません、大丈夫っすか?」
「鷹橋君、だいじょぶだいじょぶ。うー、サっ君、石頭だかんなー」
詩奈がおどけたように言うけど、あの頬に当たったぷにっとした感触は、鼻じゃないよな……。
横目で詩奈を見ると、手で顔を隠しているふりをしてはいたけど、僕を見てぺろっと舌を出した。
僕はそれを無視して、思い出した曲を予約すると、リモコンをテーブルに置く。
詩奈は画面に表示された予約曲を見て、笑顔になる。
「お、そうそう、この曲だよ。さすが、サっ君だな」
「あとは勝手にやれよ」
「おっけー。さんきゅーな」
僕たちは、時間いっぱい歌った。
外はもう暗くなっていた。
「じゃあ、そろそろ帰んべ」
「だなー。先輩たち、今日は楽しかったっす」
「おう、うちらも、久しぶりにカラオケ楽しかったしー」
鷹橋たちは、だいぶ打ち解けたようだな。
「ま、また誘ってもいいっすか?」
「誘って誘って~。誘うのは自由だけど、行けるか判んないから、期待すんなよ~」
「なんすかそれ~」
あー、はいはい。そっちは好きにやってくれ。もう僕を巻き込むなよ。
「じゃあ、なにかあったら智詞が行くんで」
「なに言ってんだよ、僕を巻き込むなって」
「おー、智詞君なら、いいよー。カワイイし。な、詩奈?」
「え、なんで詩奈に振るかなあ。勝手にしたらいいじゃん」
「お、勝手にしろいただきました~。じゃあ、あたしが智詞君、もらっちゃっても?」
そういうと、僕の腕に絡みついてくる。
腕に当たるところが柔らかい。
「ばっ、ばっかじゃないの。詩奈、帰っかんね」
詩奈が一人で歩いて行ってしまう。
「あらぁ、詩奈、妬いちゃったかな~?」
「ちょ、からかわないでくださいよ」
「しょうがないなあ。智詞君、詩奈の事頼んだよ~」
まったく。勝手にやっといて、面倒押し付けないでくれよ。
僕は先に行ってしまった詩奈を追いかける。
駅に向かう途中、道の角を曲がったところに、詩奈を見つけた。
「先輩、待てって」
「なんだよ、サっ君」
「別に。帰り道、一緒だし」
詩奈、怒ってんのかな。
「ばっかじゃないの? 当たり前だろ、家、隣なんだからさ」
「んだよ、バカバカ言うなよ」
「なあ、サっ君」
「なんだよ、先輩」
「ちょっとそこのコンビニで、アイス買ってこうぜ」
「ん、いいけど」
「歌いすぎてさ、のど乾いたからさ」
そういうと、詩奈はアイスを買ってくる。
「サっ君、ほら」
「なんだよほらって」
「ひとくち、やるよ」
「い、いーのかよ」
「いいんだよ。食え」
「しゃーねーな」
詩奈が差し出す、カフェモカのアイスをひとすくいして、口に運ぶ。
かれたのどの火照りに、アイスの冷たさと甘さが気持ちいい。
「サっ君、やっぱ歌った後のアイスはうまいだろ?」
「ん、まーな」
なにがまーな、なんだか。
「先輩、スプーン、二本あんのか?」
「ないよ、そんなもん」
「え、じゃあ、だって……」
「ん? なんかあんの?」
「いや、なんでもねっし」
「ふーん」
詩奈が、普通にアイスを食べていく。普通にだ。
「なあ、そっち駅じゃねーんだけど」
「んー。あのな、サっ君」
「なんだよ」
「アイス買ったら、切符買えなくなっちゃってさ」
「へ? 定期あんだろ」
「昨日で期限切れ」
詩奈が定期券をヒラヒラさせる。
「なっ、ばっかじゃねーの!? 人の事バカバカ言って、先輩のがバカじゃん」
「どうせ一駅だろ、歩いて帰ろうぜ」
「ちょ、やだね、僕は電車で帰るし」
交通費を貸すなんてことは言わない。
カラオケ代を払った後の僕の所持金は、ガムも買えないくらいしか残っていないからだ。
「んじゃ、いいや。川沿いに歩けば、家の近くに行くしね。じゃあね、サっ君」
詩奈は、駅とは反対の方向に歩き始める。
僕は、駅へ向かって歩き出す。
少し進んで後ろを振り向くと、暗い中、人気のない河川敷へ向かう詩奈の姿が、どんどん小さくなっていく。
「っくしょー、ホントにバカだなっ」
詩奈のことを言ったのか、僕自身のことを言ったのか、それともその両方だったのか。
「先輩」
暗くなった河川敷。外套の灯りが道を照らす。
二人の影だけが映し出される。
「先輩」
「勇気を~出して~、キミは~、独りじゃない~」
詩奈がさっき、カラオケで歌っていたやつだ。
「戦いに~疲れたら~、そっと~目を閉じて~」
詩奈が真っ赤な目で僕の方を見たけど、そのまま歌いながら歩き続けている。
「いつでも~、見守ってあげる~、キミの~」
「ディスティネーション~」
詩奈の歌声に、僕が歌を乗せる。
詩奈は、嬉しそうな顔をして歌う。
きっと僕は、恥ずかしそうな顔だったのかな。
僕たちの声が重なる。
誰もいない河川敷。
カラオケの後の、妙なハイテンション。
「チャラッチャ」
「キミのことが、大好きだから~、ジャジャーン!」
僕たちは、昔見たアニメのエンディングみたいに、こぶしを握って、天に向かって上げていた。
「ぷっ」
「プフフっ」
「ぷははは」
「ハハハッ」
星の下で、僕たちの初めてデュエットした歌声が、河川敷の風に溶けていった。