すけーと。
「んじゃ、またなー」
「おーう」
クラスメイトと別れて駅へ向かう。
「お、先輩じゃん」
「あー、サっ君。今帰り?」
「まーな」
「クラスの子と帰んないの?」
「しゃーねーよ。家違う方向だし」
「そっか」
「なぁ、先輩」
「なんだよ、改まって。気持ち悪いな」
「うっせ。あのさ、ちょっと聞いていいか?」
確かに、改まって聞くと、少し恥ずかしいというか、話しにくいな。
「なんだよ。悩み事なら、詩奈お姉さんが聴いてあげよう」
「微妙にムカつくな。まぁいいや。あのさ、来週、クラスの奴らとスケート行くんだけど」
ちょっと言葉に詰まる。
「先輩って、スケートできた?」
「あ、うん。滑れるよ」
即答かよ。
「サっ君、滑れたっけ?」
いや、滑れません。
「ねぇねぇ、滑れるの? ねぇ?」
「わ、笑うなよ……?」
「うんうん、笑わないから」
「あのさ……。滑れるんなら、教えてくんない? スケート……」
恥ずかしい! これは恥ずかしいぞ! でもよく言った!
「ぷっ……」
「あっ! 笑ったな! 今笑ったろ! いーよ、もーいーよ! 先輩なんかに相談しようとした僕が間違ってた!」
「わははは、ごめんごめん、ほんとにごめんって」
謝るにしても、笑いながら涙を流していう言葉かよ。
「解った解った。詩奈がおしえてやっからさ。来週なんだろ?
じゃあ、次の日曜、時間空けとけよな。特訓してやっから」
ちょっとアレだけど、持つべきものは、幼なじみってやつかな。
日曜日。
天気は晴れ。気温は低い。放射冷却とかいうやつだ。理科の授業で聞いた気がする。
「寒いね、サっ君」
「そりゃあ氷が張るくらいだからな」
「今日は詩奈がビシッと鍛えてやるからさ」
「お、おう。お手柔らかに頼むぜ」
「ふっふっふー」
笑う詩奈の目つきが怖い。
スケートリンクで靴を借りる。
「よくこんな刃で氷を滑ろうとか考えたよな。普通に歩けっつーの」
「でもさ、スケートの方が、氷の上なら速いっしょ?」
「ったって、広いところの氷なんて、湖くらいしかないじゃん。地域限定過ぎんだろ」
「なぁ、サっ君、手袋は持ってるよね?」
「ん? あるよ。手袋しないと、リンクに入れないんだろ?」
「まあね、ここはそうだよね」
「危ないからな」
「靴のエッジが当たるとね。それと、マフラーはある?」
「んー、マフラーは持ってきてないな。だいじょぶっしょ」
「ダメだろー。今日は特に寒いからさ」
「だいたい持ってきてねっし」
「風邪ひかれても困るし、詩奈マフラーもう一本持ってきたからさ、貸したげるよ」
「お、そか? んじゃ頼むわ」
「ちょっと待ってろよ」
詩奈がカバンからマフラーを一本取り出す。
「おわっ、なんだそのドピンクの!」
「えー、マフラーに決まってんじゃん。かわいいっしょ」
いやいや、ないから。ピンク地の花柄とか、ありえないって。
「いいよ、どうせ貸してくれんなら、先輩が今してるその青いの貸してよ」
「お、こっちにする? いいよ、モフモフして、気持ちいいぜ~」
そう言うと、詩奈が自分の巻いていたマフラーを僕に手渡す。
青いマフラーを首に巻くと、ほのかにあたたかくて、ミントみたいないい香りがする。
「そ、そういやあ、靴って言ってもさ、足首まであるなんて、ブーツみたいじゃね」
照れ隠しに、僕は文句を言いながらも、スケート靴を履く。
「足首までしっかり結んでおかないと、ちゃんと滑れなかったり、捻挫したりするからね」
「へー、そうなんだ」
生返事をしつつ立ち上がると、少しぐらぐらした。
この靴、歩きにくいな。
「もう、サっ君、適当すぎ!」
いきなり詩奈が屈みこむと、僕の靴紐を結び直し始める。
「ちょ、先輩、なにやってん……」
「いいから、座ってな」
僕は、もう一度ベンチに座りなおす。
僕の顔のすぐそばに、詩奈の頭がある。
首筋にかかるサイドテールの髪。それが、僕のひざにかかった。
髪から、マフラーのものとはまた違う、石鹸の香りが漂ってくる。
「いででで! 痛いって!」
「はい、これでいいよ」
「いってー、こんなに締め付けんのかよ」
「あったりまえだろ、それとも怪我でもしたいわけ?」
「いや、そうじゃないけどさ」
「じゃあ文句言わない」
「う、おう……」
僕は赤くなった顔を見られないように、リンクに向かって歩き出す。
「じゃあ、始めよっか」
リンクに立つと、ほんとにこれ、滑るんだな。
「せ、先輩、僕は初心者なんだからな! コケても笑うなよな!」
「えっらそうな初心者だな。転んだら盛大に笑ってやるから、覚悟しなよ」
「オニ~!」
「まぁ、心配だったら、手すりを磨いていたらいいよ。キレイに、ピッカピカにな」
「く、くそっ」
「じゃなかったら、ここまで来てみなよ。ほれほれ」
詩奈が僕を煽る。くそう、その挑発に乗ってやる。
「おっと、ほっ、おわわわ!」
そして無様にも尻餅をついてしまう。
「ったく、しょうがないな。ほら」
詩奈が僕の腕をつかんで、持ち上げる。
「お、わわっ、ちょ、先輩! 手、手、離さないで……! おわっ」
「はいはい。ちゃんと持ってるから、ゆっくり来なよね」
カモシカのような足とかいう表現があるけど、今の僕は、生まれたばかりの小鹿のような、プルプルと震える足だった。
詩奈に手を引いてもらって、及び腰でプルプル震える姿なんて、クラスの奴には見せられない。
なんて羞恥プレイだ。
「もちょっと、ゆっくり、ゆっく……おわぁっ!」
重心が傾いて、つんのめってしまった僕は、そのまま前に倒れそうになる。
必死に立て直そうとして、僕の手が宙を舞う。
「うわっ」
「きゃぁっ」
とっさに手に触れた物をつかんだけれど、そのまま僕は倒れてしまった。
「ん?」
でも、思った程、痛くない。
というより、氷の感触って、こんなに柔らかかったっけか。
「サっ君……」
倒れそうになって、閉じてしまった目を、ゆっくり開けると、目の前にはドピンクのマフラーと、ダウンジャケット。
「しょうがないなあ。あんまり自信ないんだから、そんなに見るなよな……」
「おわわっ!」
僕は、うずめていた詩奈の胸から顔をそらす。
立ち上がろうとして、思いっきり滑って、腰から転んだ。
回数も忘れるくらい、何度も転んで、時には詩奈を巻き込んで倒れて、それでも、ハの字に立ったり、重心を傾けて滑ったりして、日が傾くころには、それなりに自分でも滑れるようになっていた。
「おお、流石はサっ君だな。初日でここまでできるなんて、やっぱりコーチの腕がいいんだな」
「そ、そうだね、はぁ、確かに、ここまで滑れるように、なるなんて、ぜぇ、思ってなかった、から。
でも、膝とか足とか、ぶつけたところがアザになってるんじゃないかな」
「しょうがないよな。これも勲章だと思って、帰ったらシップ貼っときなよ」
僕たちは、リンクから上がると、スケート靴を脱いで、自分の靴に履き替える。
「ちょっとそこの屋台、食べてく?」
「言われてみれば、腹減ったなー」
「ここの小ジャガ串、うまいぞ~」
詩奈が教えてくれた屋台には、小さなジャガイモを二つ、串に刺して蒸かした物が売っていた。
屋台のおっさんが、詩奈に話しかける。
「あ、お嬢ちゃん、今日は彼氏くんと一緒かい?」
「また~、おじさんてば、そう見える?」
「見える見える、お嬢ちゃんかわいいから。彼氏くんがうらやましいなあ」
なんだか僕そっちのけで話が盛り上がっているらしい。
「ごめんごめん、お待たせ」
「あれ、一本?」
「うん、そうだよ。もう夕方になっちゃったから、夕飯にひびいちゃうだろ」
詩奈が、串に刺さったジャガイモを、一つ甘噛みして串から引き抜くと、もう一つを僕に渡した。
ジャガイモから温かそうな湯気が立ち上って、口の中でよだれが出る。
「んじゃ、もらうわ」
「おう」
僕が串に刺さったジャガイモをかじると、口の中でほろほろと崩れていって、染み込んだバターの香りが鼻から抜ける。
「ほふほふ……」
「あったかいな。詩奈、この小ジャガ、好きなんだよね~」
「ん、うまいね」
「だろ~? 寒い時には、めっちゃうまいよな~」
夕暮れ時、帰りの電車に乗るため、駅へ向かう。
僕たちの影が、長くなっていた。
「今日一日で、結構滑れるようになったじゃん」
「まーな。元々運動神経いーし」
「じゃあ、クラスの子と一緒でも、滑れたんじゃないの?」
「そーかもしんないけど、やっぱ最初っから滑れた方がいーじゃん」
「そっかぁ? みんな一緒に転んだらいいだろ」
「やだよそんなの。カッコ悪いし」
「えー。だったら詩奈には転んだの見られても、カッコ悪くないのかよ」
「カッコ悪いと思う、けど」
「けど?」
「……先輩だったら、見られても、いいかな」
「なんだよそれ」
「なあ、先輩」
「ん?」
「去年までスケートできなかったよな、確か」
「あれー、そうだっけ?」
確か、詩奈はスケートができなかった。
僕がスケートの話をした次の日、詩奈が足にテープを巻いていた。
その次の日は、スカートじゃなくて、ジャージで通学していた。
マフラーからする、ミントみたいな匂い。シップの匂いに似ている。
そういえば、さっき屋台のおっさんが、今日は、って言っていた。
あ。
もしかして、僕がスケート行くって言ったから……。
あの日から、詩奈とは一緒に帰っていない。
「うーん、今日は一緒に滑れて、楽しかったぞ。お?」
「先輩、今日は本当に……」
「どうした、なんだよ、急に立ち止まってさ」
「ありがとうございましたあっ」
深々と頭を下げる。
僕の、精一杯の気持ちだった。
「ちょっ、おい、やめろよ、人が見てんだからさ……。頭、上げてよ、ねぇ……、サっ君」
それでも僕は動かない。
ため息が聞こえ、まだ下げていた僕の頭に、柔らかいものが当たる。
包み込むようにして、僕の頭に詩奈の手が置かれた。
「ずるいよ、サっ君。そういうところ、カッコいいんだからさ」
詩奈の小さな手のひらが、僕の頭を撫でる。
「滑れるようになるまで、よく頑張りました」
バカ言え。
本当に頑張って、本当にカッコいい奴を、僕は……。