あまやどり。
放課後。
雨が降っている。
「サっ君、昇降口でぼーっとしてさ、傘どうしたの?」
「誰かに盗られた」
「わー、災難だったね」
「なんだよ、笑うとこじゃねーだろ」
「ごめんごめん。そっかぁ。盗った奴、天罰下るように、詩奈が祈っといてやるよ」
「いーよ、そんなの」
「あのさ、じゃあさ、詩奈の傘。ちいさいけど……一緒に入る?」
「え、や、やだよ! 僕なんかが入ってたら、キモいじゃん。誰かに見られたりさ」
「そんなことないよ。雨だし、人もあんまりいないしさ。大丈夫だよ」
「いやいや、大丈夫じゃないって! いいよ、気にしないで! あ、鷹橋だ、おーい、鷹橋! 傘入れてってくれよー!」
クラスメイトの鷹橋が、丁度帰ろうとしていたところだったのを捕まえて、僕は鷹橋の傘に入る。
「智詞、いいのかよ。なんか詩奈先輩と話してたんじゃねーの」
「いいのいいの。先輩、あれだよあれ。テレパシーがなくてさ」
「プッ、それ言うならデリカシーだろ? テレパシーなんて誰もねーよ、プワハハ!」
「うっせ、傘から追い出すぞ」
「バカ、やめろ、これオレの傘じゃん!」
後ろに残した詩奈には目もくれず、僕は鷹橋と駅に向かった。
僕は鷹橋と別れて、地元の駅で降りる。
「これなら、行けるかな……うわ、結構雨が!」
急に雨脚が強くなって、近くのコンビニに避難した。
「傘買う金、持ってないしなぁ」
雨に濡れて冷えた身体には、レジ脇で湯気を立てている、あんまんがおいしそうに見えた。
だが、金欠の僕にはぜいたく品だ。
消費税がなかったら、ギリギリ買えたのに。
「少し雑誌でも読んでようかな」
一冊目を流し読みして、二冊目に移ろうとした時。
「あれ、サっ君?」
「先輩?」
「まだ帰ってなかったんだー。大丈夫?」
詩奈は、私服に着替えて、自分の傘と、大きな黒い傘を持っていた。
「駅までお父さんを迎えに行くところなんだけどさ、外からサっ君が見えたから」
「ふーん」
「サっ君さ、傘無いなら、これ。貸そうか? 今度は詩奈と一緒じゃないから平気でしょ?」
「え、おじさんはどうすんだよ」
「いいよいいよ、お父さんの傘大きいから、お父さんと一緒に帰るよ。だからさ、この傘使ってよ」
詩奈が、自分の傘を僕に差し出す。
「ヤダよ、こんな女物の傘なんて、恥ずかしいじゃん」
「え、でも、まだ降って……」
「……」
言葉が出なかった。
外へ駆け出した僕の背中に、詩奈が僕を呼ぶ声と、コンビニのチャイムが重なって聞こえた。
家には遠回りだが、少しでも濡れないように、店の軒先や橋の下伝いに、少しずつ進み、電車の高架下で一息入れる。
「短い距離だけど、結構濡れたな……」
まだ家までは距離がある。
辺りはだいぶ暗くなって、街灯の照明だけが頼りだ。
少し待っていたけど、雨は強さを増すばかりだ。
(もう、いっそのこと、びしょ濡れになっても強行突破かな)
そう覚悟を決めようとした時に、後ろから男の人の声がした。
「智詞君かい?」
振り向くと、スーツを着た男の人が、コンビニの袋を持って立っていた。
「詩奈……さんのおじさん」
「やっぱり、智詞君かー。まだ帰っていなかったのか」
「おじさんは、どうしてここに……?」
「詩奈に買い物頼まれてね。そこのコンビニで買ってきたところなんだ」
わざわざ家に帰ってから、買い物を頼むなんて。帰りに買っていけばよかったのに。
「智詞君、ちょっと隣、いいかな」
おじさんは、傘を閉じて高架下の柱に寄りかかる。
「詩奈から聞いたよ。智詞君に悪いことを言っちゃったんだって?」
「いえ、別に。そんなことはないです」
「駅に来た詩奈がさ、智詞君に余計なことをして、迷惑かけちゃった、って言ってね。
そのあと、急に大声で泣きだしちゃうものだから」
「詩奈……さんが」
「そうなんだよ。もう、ちっちゃい子みたいにわんわん泣くもんで、おじさんも困っちゃってさ。
女の子を泣かせる悪いおっさんだ、なんて、周りからも白い目で見られるし」
「あー、それは。……すいません」
「いいっていいって。智詞君が謝ることじゃないから。
それでさ、ご機嫌取りに、買い物に行ってきたってところだよ」
なんか、おじさん……、すいません。
「寒くないかい。これ、食べなさい」
「あ、えっと」
「肉まんとあんまんがあるけど、どっちがいい?」
コンビニの袋の中にある物が、湯気を立てていた。
「じゃ、じゃあ、あんまんで」
「ほい。熱いから、気を付けるんだよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
一口ほおばると、雨で冷えた身体に、口から温もりが伝わって、身体の中に入ってきた。
あたたかいあんこが、寒さで強張っていた肩をとろけさせるようだった。
「あ、あの」
「ん? なんだい」
「……詩奈さんは、悪くないんです。
悪いのは僕なんです。親切にしてくれたのに、僕が、詩奈さん、知ってたのに……」
おじさんが、僕の頭に手を乗せて、髪をくしゃくしゃにしながら撫でる。
「男にはさ、プライドっていうのがあるんだよ。
これはね、大人も子供も関係ないんだ。
時にはそれが邪魔をしてね、思ったことを言えなくなってしまう。
やろうとした反対のことをしてしまうんだ。
でもね、智詞君。
君は正直に気持ちを言ってくれた。これはおじさんでも難しいことなんだよ」
「でも、おじさん……」
「智詞君の気持ちは、伝わったよ。ありがとう」
おじさんの言葉で、こらえていた僕の目から、涙があふれた。
あんまんが、少ししょっぱく感じた。
「さてと。まだ雨はやまないけど、少しあったまったら帰ろうかね。
あんまり遅いと、心配しちゃうだろうし」
おじさんが傘を広げると、僕を手招きした。
「おじさんとだったら、男同士だし、大丈夫だろ?」
僕は口をぬぐうふりをして、目元を拭くと、おじさんの傘に入った。
雨の中、おじさんと僕は無言で歩いていた。
そういえば、詩奈の家では、あたたかいあんこが苦手で、正月もお汁粉じゃなくて雑煮にするって言っていた。
だから、あんまんなんて、普段買う家じゃなかった。
「ん、どうした、智詞君」
「いえ、あの、おじさん。
……あんまん、おいしかったです。ごちそうさまでした」
「そうか。うん、どういたしまして」
傘を叩く雨の音。
おじさんの傘は、大きかった。