はんかち。
美術の授業中。
やっちまった。やらかしてしまった。
版画製作の時、彫刻刀で左手の指を切ってしまった。
切ったというより、突き刺した、って感じかな。
「ん~、そんなに深くはないんだけどなあ……」
少し血がにじんできた。
怪我をしていない右手でポケットを探ってみよう。服に血が付いたら嫌だし。
確か、ティッシュとかハンカチがあったはず……。
「大丈夫かよ、智詞」
鷹橋が気にかけてくれる。
ハンカチとティッシュがあった。
ハンカチはポケットに戻そう。
こっちにも血が付くの嫌だし洗うのもなんだし。ティッシュで押さえてみよう。
「ちょっと洗ってくるよ。ヤバそうだったら保健室行くし」
「そっか。せんせー、智詞が指切ったんで、保健室行きまーす」
「大丈夫か? 判った、鷹橋ついていってやれ」
「へーい」
ガラガラと美術室のドアを開け、鷹橋もついてきてくれた。
僕は両手が塞がっているから、ドアの開け閉めとかはとても助かる。
「わりーな」
「いいって。さぼる口実だよ」
「ははっ、そりゃもっとわりーわ」
軽口をたたきながらだと、少しは痛みも感じなくなるかな。
慌てる必要もないし、ゆっくり保健室へ行こう。
「いてーの?」
「んにゃ、そんなでもねーかな」
「でもちょっと血、出てなくね?」
確かに、じんわりにじみ出る感じで、ティッシュで押さえてもすぐ白い部分が赤くなっていく。
「ちーす、せんせー。智詞が指切ったんで、針と糸貸してくださーい」
「おー鷹橋か。どした。ここは保健室で家庭科室じゃないぞ」
おいおい鷹橋、滅多なこと言うなよ。
縫うような傷じゃないって。
「ほーどれどれ。こりゃあ大変だ、血が出てるじゃないか」
「当たり前っすよせんせー。智詞のやつ指切ってんすから」
「見りゃあ判るわい。それよりほれ、ちっと染みるから我慢しろよ」
保健の先生はそれなりに若い女の先生なんだけど、どうも口調がおっさんっぽい。
なめられないようにするためのバリヤーみたいなもんなのかな。
「あー、サっ君、どしたのさ!」
「うぇっ、先輩、なんでいんだよ」
マジビビった。まさか詩奈がいるとは思わなかったからな。
「体育の時間に転んじゃった子がいてさ、今日保健委員休みだったから詩奈が代わりに来たんだよ」
言われてみれば詩奈は体操着だし、ベッドには詩奈のクラスの女子が座っているな。
ひざの絆創膏。この女子が転んだ子か。
「先輩、んなこと言って、授業さぼろうとしたんじゃねーの?」
「智詞、それは俺だぞ。ねー、詩奈先輩!」
「鷹橋君は相変わらずバカだねえ」
「いやいや、それ程でも」
詩奈たちと話していたら、いつの間にか僕の指にも絆創膏を先生が貼ってくれていた。
消毒液の匂いはするけど、かけられても気にならなかったな。
詩奈と鷹橋のおかげかな。
傷口に集中していたら、染みて痛かったかもしれない。
「ほら、終わったぞ。痛みが出るようだったらまた来なよ」
「あ、先生、ありがとうございました」
「いいって。まだ少し時間あるから、教室戻りなね」
「はーい。じゃあ、失礼しまーす」
「せんせー、また来るね~」
「おう鷹橋、頭パックリ割れたらお前のプルプルの脳を診てやるからな」
「う、うぃーっす」
鷹橋、相変わらずだな……。
「智詞、そういやあさっきハンカチあったじゃんか。なんで使わなかったん?」
「なんだ鷹橋、よく見てんな」
「そなの、サっ君?」
あ、さっきしまい損ねたハンカチが、ポケットからちらっと顔を出していた。
「あー、サっ君、それー!」
「うっ」
しまったなあ。
「それ、詩奈のハンカチじゃん。なんでサっ君が持ってんのさ」
「え、そなの、智詞?」
う、いや、まあ。
「そうなんだけどさ、前に借りてたの、返しそびれたっていうか……」
「あ、確かあの時サっ君コンパスで指突いたとかって、血出してたよね。その時貸したハンカチ……」
正解だよ詩奈。
その時から借りっぱなしのハンカチでしたとさ。
「じゃあさ、返してよそれ」
「え、ダメだよ」
「なんでよー」
「だってさ、ほら、血で汚れてるし」
「うーん、いいよ洗うからさ」
なんだよ詩奈、いつになく強引だな。
「あれ、智詞さっきはハンカチじゃなくてティッシュで……」
うっさい、鷹橋。
「あ、詩奈今日ハンカチ忘れちゃったんだ。ねえサっ君、ハンカチ返してよ」
「じゃ、じゃあ、僕のハンカチあるから、それ貸すよ」
「えー、なんかそれわけわかんないよー」
確か反対のポケットには、普段使ってるタオルハンカチがあったはず。
もう絆創膏を貼っているから、左手でポケットを探っても大丈夫。
「ほら、これなら使っていいからさ」
「そう? じゃあしょうがないな。いったん交換ね。洗ったら返すからさ」
「お、おう」
よし、詩奈はクラスメイトと一緒に昇降口へ向かっていったな。
「なあ智詞、詩奈先輩のハンカチって、ずっと持ってんの?」
え。
「い、いやあ、んなわけねーじゃん。借りたまま、気付いたら、ポケットに入ったままになってた、とか?」
「えー、ほんとかー?」
「ほんとだよ! ほら、教室戻るぞ」
くっそ、鋭いな鷹橋。
詩奈に借りたハンカチは、なんとなくポケットに入れておくとなんかいい感じなんだよ。
シンプルだけど柔らかいガーゼの感触と。
「詩奈先輩の匂いでもするのか?」
「んなわけあっかよ!」
「うそだー。俺にも嗅がせろよー」
「黙れ、寄るなヘンタイ!」
「こらぁ! 授業中だぞ、静かにしろっ! お前らどこのクラスだ!」
「うわっ、すんませーん!」
「ほら、鷹橋がうるせーから僕まで怒られただろ」
「まあいいってことよ」
なにがだ鷹橋よ。
まあ、ハンカチのことは忘れてくれたかな。
このハンカチは僕のお守りみたいなものかもしれない。
いつか、返す日が来るのだろうか……。
そうだな、一応無期限で借りておくことにしよう。
ポケットに入っているガーゼ生地が、指に気持ちよかった。
作風が変わったのか、地の文の書き方が違ってきた気がします(^_^;)