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停滞


 ばあか、と形の整った唇が歪んで、白い息と共にその言葉は声となって出てきた。一瞬、ぐっと身を硬くして、そのあとに妙な緊張を体全体に伝達させるかのように、どくりと心臓が大きく脈打つ。背中を強く押されて、よろめいた拍子に、腕いっぱいに抱えていたバレーボールが全て落ちて四方八方に転がってしまった。わたしは慌てて、ボールを拾いにいく。すると後ろから、大笑いする声が聞こえてきた。嘲笑うように、複数の重なった笑い声は凶器となって、わたしの心を抉る。

「全部拾って、カゴに戻しておいてね」

 わたしが所属しているバレー部の部長である歩美あゆみが、バレーボール専用の収納カゴを指差す。わたしは下唇を噛んだまま、何も言うことができなかった。直接的に暴力を振るわれるいじめより、こうして間接的に、じわりと心に毒を沁みこませるようないじめの方が、ずっと陰湿で厄介だ。そして何よりも、わたしが反抗することによって歩美を筆頭とした、同じ部員であり同級生でもある友人たちからのいじめがエスカレートすることを恐れていた。

 何も言い返さず、ただぐっと息さえも押し殺してるわたしに飽きたのか、歩美たちは「帰ろ帰ろお」と口々に言いながら体育館を出ていった。残されたわたしは、あまりの惨めさと悲しさに、唇を震わせる。泣きそうになるのをぐっと堪えて、胃の中に落ちた鉛のようなものが体内を転がる感覚を忘れようと、せっせとボール拾いを始めた。午後に体育館を使用していたのはバレー部のみだったので、転がっているボールの範囲は広い。歩くたびに、履いているバレーボールシューズの裏のゴムと床とが擦れ、キュッキュと音を立てる。そしてその音は、深閑とした体育館内に大きく響いた。

 ボールを四つ拾っては、カゴに入れる。それをずっと繰り返しているうちに、約二十個ほど落ちていたボールはもうほとんどカゴの中へ入れ終えた。最後の二つをカゴに入れると、ふう、とため息をつく。体育館の冷たい空気が、足の裏まで伝わってくる。指先は特にその冷たさを敏感に感じ取って、もう既に感覚がない。電気を消されて、薄暗いことも手伝ってか、いつも以上に今日は冷え込んでるように感じる。わたしはカゴを押して倉庫へと戻して、早足で更衣室へ向かった。


 わたしが憧れていたバレーボールと、今のバレー部はとてもかけ離れていた。小学校の頃にテレビで試合を見て以来、わたしはバレーボールの虜になった。ボールのアタックの勢いだとか、ガードだとか、全てがかっこよく見えて、絶対に中学校に入ったらバレー部に入部しようと決めていた。しかし、時が経っていざ入部してみると、ルールをいまいち知らない人はおろか、未経験者すらほとんどいない状況で、わたしを含め、新入部員の中の数人が、長い間肩身の狭い思いをしなければならなかった。新入部員といっても、小学校のときに地区のバレー部に入っている一年生もいて、その人たちは顧問や先輩からも優遇され、未経験者のわたしたちは何度も悔しい思いをした。けれどもやはり、器用な人や運動神経の良い人は、めきめきと上達してくるもので、ひとり、またひとりとわたしの元から離れて、二番目に上手いBチームや、その次に上手いCチームにどんどんと入っていった。わたしも負けるものかと意気込んで、毎日遅くまで練習をしたけれど、元々才能がなかったのか、向いていないのか、全く進歩せず、ただただ友達が明るい笑顔で自分のもとから去るのを見送るばかりだった。二年生になって、今度こそはBチーム、できることならレギュラー入りを果たそうと気合いを入れてはみたものの、やはり一年生のときと同様に、そう上手くはいかなかった。いくら頑張っても進歩しないわたしを、同級生の部員も最初は励ましてくれていたのだが、やはり練習試合などで足を引っ張ってしまう。そして、そのたびに、段々と部員の態度が冷たくなっていくのに、嫌でも気付かされた。最終的に、それはいじめと化して、三年生の先輩が引退したのをいいことに、日に日に陰湿になっていった。後輩も最初はためらいながらもわたしと一緒に後片付けをしていたものの、歩美や副部長の明奈あきなにこっぴどく叱られて以来、全く片付けをしてくれなくなった。


 着替えを終えて、はあ、と深く息を吐く。入部して少ししてから買った、茨木東いばらきひがし中学校のバレー部のロゴが入った、練習用の長袖のシャツを見つめる。更衣室はわたし以外には誰もいない。片足だけに体重を掛けると、床の木の板が軋んだように小さな音を立てた。情けない、悔しい。この二つの言葉ばかりが頭の中でぐるぐると円を描く。木の匂いがする、古臭い棚に凭れかかって、肩の力を抜いた。窓から傾いた太陽のやわらかな光が差し込んでいて、空中を漂ってる埃がきらきらと宝石のように光っている。しんとした、あたたかな雰囲気がまた心地よい。誰もいない空間が、今のわたしにとっては一番の憩いの場だった。

 そういえば、今日は暗くなるにつれていつもより一段と冷え込むと、天気予報で言っていた気がする。

 わたしはエナメルバッグに、練習着を乱雑に突っ込むと、それを肩に掛けて、更衣室を出た。外に出た瞬間、冷たい風が体に体当たりしてきて、体の芯がいっきに冷えてしまったような気がした。空の半分くらいが、もう暗くなってきている。寒さを少しでも凌ごうと、マフラーをぐっと首に巻きつけた。

 校庭を眺めながら、やはり冬には色がないなと思った。淡いというよりかは薄い感じがする。すっかり禿げ頭になってしまった、校庭を囲むように並んでいる桜の木を見つめて、茫漠とした時間の流れに、わたしはできるだけ早く、良くも悪くも、何かしらの変化が訪れるようにと願った。


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