第三部
山田太郎(2014) イーダ教におけるアルビノの神性 ninjournal 52 125-183 要約(一部)
イーダ教は二神教で、雪を表すハクと夜を表すコクが存在する。どちらが先に生まれたかは分からない。昼はハクの世界であり、夜はコクの世界である。昼にコクは影に紛れて存在し、夜にハクは星や月となって存在する。古来よりアルビノはハクの化身として崇められてきた。そのため各地方のアルビノを集めて彼女がいまいる場所でコクと対面させる祭りが十年に一度開催される。このイーダ教に類似した考えが多くの社会で見られること、交流のなかった複数の社会において言語体系が比較的似ているところが多々存在することから、一部の学者らは我々は古代に互いの存在を知るような広いネットワークシステムが存在していたという説を唱えているが、まだまだオカルトの域をでない。このスタディの目的は先行研究の乏しいイーダ教とアルビノの神性について諸遺跡群の発見を……
町よりいくらか高台に位置する洞窟の出口から見るリュウザンは何の変哲もない平和な状況であった。一同はそれを見て、顔を再び見合わせた。最初に口を開いたのはザ・オーだった。
「砲弾が音より後にくるということは?」
「まずないだろう。もしあったとしても、まだ着弾していないということはあり得ない」
フリゴレスが即答した。
「どういうことだろう? 狙われていたのはリュウザンではなかったのか?」
「まって下さい。人が下から走ってくる」
ナトリの指した先には確かにこちらへ向かってくる人影が見えた。
「彼は?」
フリゴレスは武器を片手に持った。
「この場所を知っているのは協力者のみです。恐らく、あの砲撃の音について何らかの報せを携えてきたのでしょう」
「ふむ」
数分の後、やってきたのはナトリによく顔の似た少年であった。ナトリは弟だと紹介した。
「兄さん、この人たちは?」
「私の上官、その元同僚と隣国サクラダーの騎士たちだ」
「始めまして。僕、ナトリの弟、コナトリです。リュウザンでは長男の名前に、弟を表す文字コを付けてその弟を呼び表します」
「そうか。で、そのコナトリが何の用であろう?」
「聞いてください、サクラダーの騎士さん。私は兄が心配でした。私の友人たちにもベニマル(ご存じですよね?)で働く家族を持つものが幾らかおりました。彼らとともに、ベニマル職員であった人たちに何か起きぬよう、このリュウザン周辺を見張っていたのです。私の友人の一人が偶然にもサキューとの国境沿いを先ほど巡回していたのですが」
「ちょっと待て。そんな勝手は許していないぞコナトリ! 気持ちは嬉しい、しかしお前の身に何かあったら」
「まあまあ。それでお友達が何だって?」
アテラザワはナトリの袖を引っ張った。
「はい、友人がサクラダーの方向で戦が起こっていると」
「ではあの列車砲はリュウザンに向けたものではなかったのか」
「ひょっとしたら、リュウザンの遺跡を破壊するという目的が誤っていたのかもしれない。また、あの列車砲を運ぶのに適した軌道だからと言って、線路を引いた会社と今回の傭兵を雇った会社が同じ会社だとも限らない。我々は誤った推論をもとに動いていたのだろうか? 戦っている相手について何か分かっていることはあるか?」
コナトリはイガリストを操作した。すると、その友人と思われる人物と周辺の景色のホログラムが現れた。ホログラムの相手の何やら会話をすると、武力衝突の様子のホログラムが現れた。しかし画像が荒くよくわからない。
フリゴレス騎士団長が洞窟の中へと力なく歩いていった。
「どこへ行くのです?」
ハンナビー兄弟が聞いた。
「これ以上、わが故郷を好き勝手させてなるものか」
フリゴレスは槍を地面に突き立てた。
「ここまで世話になった。しかしもう私は隠れる必要はない。私は小さな肉片になるまで、一人でも多くの侵略者たちをこの槍で突き刺し、引き裂かなくてはならない。ハンナビーよ」
「はい」
「お前たちはまだ若い。故郷に命を捧げる必要はない。ここリュウザンにでも住み、機会を得ればサクラダーに戻ってくれば良い。私は町を守れなかった愚かな軍の指導者だ。どちらにせよ死して詫びる他はないのだからな」
「しかし団長、我々も」
「ならん。命令だ」
洞窟の方へ歩いていくフリゴレスをザ・オーとアテラザワが追った。
「私たちも帰る場所とてないのだ。子もなく両親もない。サクラダーの者たちには恩義がある。行かぬわけにはいくまい」
「その通り。僕らもついていきますよ」
「しかし君らには一度私を助けてもらった。これ以上求めるわけには」
「売った恩が増えたところで損はしますまい。だろう、アテラザワ」
「ああ」
三人の眼前に広がるサクラダーの町はまさに戦場であった。彼らが攻め込もうとしていた偽サクラダー軍人たちは方々で数人の集まりをつくり、何者かに応戦している。その何者かは風のように動きながら現代的兵器で武装した偽軍人に襲い掛かる。あちこちにどす黒い枯れたバラの花のごとき返り血を浴びていた。三人はその場に立ち尽くしていた。血煙と硝煙の中を走っていく姿は古のニンジャ神のようで畏敬の念に打たれていたのであった。
数分の後、それは去って行った。思い出したように彼ら三人は歩き出した。そのうち早歩きになり、やがて走り始めた。ザオーはそこに息絶えた兵士の群れを発見した。集落の中央の広場には煤で黒っぽい亡骸が冬の寒さに腐りもせずにうず高く積まれていた。フリゴレスは膝をつき、悲痛な声を漏らした。右手に持っていた武器はゆっくりと傾き、そして倒れた。
彼らは山積みになった遺体に火を放った。
夜が来た。サクラダーの食料庫から食料を頂戴したザオーとアテラザワはツヤヒメの家に入って火を起こし調理を始めた。フリゴレスは広場から二人が半ばひきずるようにして屋内に連れてきた。彼は二つの頭蓋骨を卓に置いたままそれを凝視していた。
料理ができると二人は卓に行き、三人で食事をした。誰も話さなかった。夜が更けた。フリゴレスは寝ずの番を買って出た。二人はもうかなり前のことのように思える日々、貸されていた部屋に行って寝ることにした。
「あの者は何だったのだろう」
と先に口を開いたのはアテラザワだった。
「分かるはずもない」
「どこの、つまりどのような立場ものだと思う?」
「全くわからん」
「僕もだ」
小さな窓から切り取られた空から澄んだ冷たい月光が入ってくるが、ザ・オーの位置から月は見えなかった。しかしだからといって体位を変えて窓から覗こうとも思えなかった。会話が尽き、やがて眠気が襲ってきた。
突然フリゴレスがするすると音を立てぬように階段を下りて行った。不審に思って二人は静かに後を追った。フリゴレスと目があった。彼は仕草で来いと言う。彼らは裏口についた。木の軋む音とともにゆっくりと扉が開くと顔を隠した細身の女が現れた。かと思うとすぐに防寒のための布を外した。
一同は目を見開いた。月のあかりが彼女の病的に真っ白い肌を照らした。彼女の頬は涙でぬれていた。
「ツヤヒメ」
かすれた声でザ・オーが何とかそう言った。
「ザ・オー、そしてあなたはアテラザワね。そして、」
影からぬっとフリゴレスが姿を現した。
「フリゴレス……」
「何をしにここへ? もう誰も残ってはおらぬ」
「我が家に帰ってきて悪いというの、我が家に」
そこまで言うとツヤヒメは崩れ落ちた。ザオーとアテラザワでツヤヒメを彼女の寝室に運んだ後、居間に戻るとフリゴレスがいた。
「ツヤヒメのことだが、彼女からきつい血の臭いがしてな」
「それで」
アテラザワが静かに訊いた。
「それだけだ」
フリゴレスはため息をつくと、また上に行き寝ずの番についてしまった。
翌朝、ツヤヒメは四人そろった卓で今までのことをつらつらと話し始めた。その内容は以下の通りである。
いざ断崖から飛び降りるとなった際、ツヤヒメの顔は青ざめた。本当に死ぬのではないかという思いが頭から離れない。それでも音を吸い込むかのようなふっくらとした深雪を踏みながら彼女はじわりじわりと断崖へ向かって進んでいった。ザオーが何か言っているが何も聞こえない。ツヤヒメも何か話したが自分の唇がどう動いているのかすら意識できなかった。アイポーンがポケットの中でかじかんだ指に振動を伝えていた。断崖を背に、ゆっくりと後ずさりもう後がないと分かった時、彼女は宙に体を任せた。落下しているとき、辺りの景色はいやにゆっくりとしていた。
下に落ちると―下と言ってもその場所は飛び降りた場所からそう離れてはいない―柔らかな雪が彼女の体を支えた。彼女はその場から岩壁に開いた隙間へと入って行った。
雪のない季節であればここに来ることはそう難しくない。しかしながら、今の時期となると階段に雪が積もりそこを降りることは難しい。また、一般の参拝客が来る場所でもないので階段の場所は目に付きにくく、この崖の下に何かがあるとは知らなければ考えることすらしないだろう。
隙間を入ると、中は暗かったが以前一度来た際の記憶を頼りに彼女は最奥部にある巨大な扉にたどり着くことができた。もし灯りがあるときに読者がこの扉の前に立つ機会がこの先あるなら、一体どれほどの権力をもってすればこの山中にこれほど巨大で荘厳な建造物を作らせられるのかと驚嘆するに違いない。
ツヤヒメはかじかんだ手を扉の中央に当てた。すると、地響きのような音を立てて扉が開いた。中はぼんやりと青白い光で照らされていた。ツヤヒメはためらわず中に入った。後ろで扉が閉まる音がした。部屋も扉にふさわしく巨大であり天井を見ているとツヤヒメは眩暈がした。部屋の奥には真っ黒い岩で造られた像があるが、あまりの岩の黒さに像の陰影が分からず人の立像であることは分かるが顔などは分からなかった。
像に手の届く距離にまで手が届いたところで、ツヤヒメは目の前の祠を開け中から鋭利な刃物を取り出すと自分の手の平に傷をつけて祠の中に血液を垂らした。血のしずくが地面に落ちると、像から染み出るように黒い液体が流れ落ち、ツヤヒメの足元の盆を満たした。すると彼女は液体を一息に飲み干した。焼けるような感覚は全身を巡り、体液という体液すべてを構成する分子が即座に猛烈なエネルギーを得て揮発し、肢体は粉微塵になるかと思われた。想像を絶する痛みがどれほど続いたか分からない。痛みはいつ去ったとも知れず、正気に戻ると体は羽のように軽く思われ、洞窟を構成する岩はバターのように柔らかく感じられた。
そこまで話すとツヤヒメは一息ついたザ・オーは驚いた調子であった。
「まてまて、その液体は結局何者なんだ?」
「イーダ教の訓え、ハクはコクの血によりコクを倒すというのは前々からある予言です。コクとはあなた方のいうところのハトリです」
「神話の話だ。現実じゃない。一般的に考えて何かの比喩、そうだな、例えば、黒の部族と白の部族が対立し、黒い部族はいずれ何らかの自分が引き起こしたことにより悲惨な結果を招くだろう、といった予言と解釈するのが自然ではないか。たしか、サキューというのは古サキュー語で砂を意味するのだったな。砂とは白だろう。リュウザンのあたりの岩場は黒と考えれば辻褄があう」
「しかし、あれは存在しました。辻褄の合う合わないより、それは存在したか、存在していないか、でしょう」
「そう言えば似たような話、超人的な力を授ける液体の話はニンジャ神話にもあるな。二つは関係しているかもしれない」
「では君はイーダ教に関する知識があったのだな。どうして我々をあの場所に連れて行った? あの場所に向かうために山を登っている君を見た様子だと、一人でも行けそうではなかったか?」
「それはそうなのですが、騙したわけではなく結局あの場所しかあなた方二人もいく宛てがないと思ったからです。そうお話しませんでしたか」
「たしかにそうだが、結構ひどい目に」
「ウマウマに飛来する爆発物をシュリケンで落とすような人たちが坊主に襲われたところでどうにでもなりましょう。あそこはとにかく外界から遮断された場所でしたから」
「それはどうかな?」
アテラザワが割って入り、ぬくぬくと寝ようとしていたザオーのことを話した。
「それで疑いが完全に晴れたわけではない」
「私はすでに家族を失っています。勿論私が裏切り者でないと完全に証明することはできません。しかし、私が仮にザイバツやサムライソードの手の者だったとしても家族を失う目にあわされた今、騙された彼らに復讐しようとするのが道理ではないでしょうか? 大切なのは目的のはずです。手段ではありません。仮に以前敵であったとしてもこの段階では手を組みザイバツ・サムライソードを倒すというのが賢明でしょう」
フリゴレスはそうか、というと部屋を出た。
「ところで話しておいた方がいいのでしょうか。例の液体を手に入れた祠についてなのですが……。そこに秘伝の文書とでも言ったものがありまして。ハトリの意識の一部がリュウザンのどこかにあるらしいのです」
「ハトリの意識?」
二人がほぼ同時に返答した。
「その、イーダ教ではご存じのとおり、身体を精神の上に考えています。これがハトリズムへの逆行であるという受け取り方をする人々もいます。ハトリはなにか高度に精神的な存在だと考えれば、何も違和感はないでしょう。私が予言の一つが真実だと証明してしまった今となっては」
話を聞いたあと、ザオーはこめかみのあたりをさすって、何やらぼんやりとしていたが、数分してかっと目を見開いた。
「頭痛?」
ツヤヒメが心配そうに聞いてきたが、
「いや、ただ通信用のデバイスをインプラントで入れているんだ。違和感があってな」
とザオーはけだるそうに答えた。
朝食を済ませ、村の中で昨日死亡した偽サクラダー兵士たちの死体のポケットから日記が発見され、どうやら彼らはザイバツの手のものだと判明した。
「つまり結局黒幕はやはりザイバツってわけか」
アテラザワは壊れた小銃を投げながら言った。
「そのようだな、彼らの横暴を訴えるか?」
ザオーはポケットに手を突っ込んでぼんやりしている。
「無理だよ、かたや亡命官吏と亡国の生き残りとかたや司法とも警察とも癒着したザイバツたちだよ。結果は火を見るより明らかじゃないか」
「そうだよな」
「なあ、アテラザワよ、我々は何者だ?」
「ニンジャさ」
数時間の後、ショットグラスに一杯ずつのバーボンを乾杯すると、四人はサクラダーの武器庫から軍用ヘリを拝借し、サキュー縦断鉄道に沿ってザイバツの国、ザイバツブルグを目指した。
洞窟の中には音もなく三次元空間を通過していく物体の投射と、その片に空いた穴に接続され、高速で目を動かしつつ宙を見つめるハンナビー兄弟とベニマルリュウザン支部のメンバーの姿があった。彼らの後頭部には情報の送受信を高速で行うためのケーブルが挿入してあった。洞窟内はしずかで、ケーブルにつながれていないコナトリなど数人が緊張した面持ちで武装しながら警備にあたっていた。
この部屋、この物体は122トンネルでの崩落事故により発見された。放射性炭素年代測定によると、この物体ができたのは王墓の建設よりはるかに以前であった。驚嘆すべきことに、この物体は意識を完全に電気生理学的に理解した者が作ったと推測された。というのも、ここに単純な情報交換のためのケーブルを介して人間が接続することで人の意識はデジタルなデータとして変換され、肉体を離れ生と死を超えた領域に行くことができると発見されたからであった。ベニマルはこの明らかに現代を超えたテクノロジーに畏怖し、隠蔽することにした。この発見にかかわったザオーとアテラザワは記憶を抹消され、昇進とともに監視の目から離れられなくなったわけである。そして122トンネルは地震によってトンネル内部の遺跡は完全に埋没したとされ、この機械に関する情報の一切は封印された。
これら、ザオーの物体との接続によって得られた情報とザオーの記憶から算出された推定はザオーかた常に洞窟内のメンバーに送信され続けていた。
リュウザンから遠く離れ、延々と続く砂漠地帯をヘリはすべるように飛んでいた。
「イガ社のビルが複雑な形状をしているのは何故だと思う」
ザ・オーが運転席の方へ言った。
「技術力のアピールだろう」
フリゴレスは興味になさそうに返した。
「いや、違うね。あの光を一切反射しない不自然に真っ黒いビル、そして外から見ただけでは内部構造が一切分からないあの形状、内部に隠したい構造物が存在しているに違いないんだ。イガ社ができたのはごく最近だ。つい数年前までただのベンチャー企業だったものが、今では世界的大企業だ。悪いことをしていないはずがない、そうしてその悪事にまつわる『何か』を大胆に隠すために……そう考えるのは少し根性が曲がっているかな」
「ううむ」
フリゴレスは髭をひっぱりはじめた。
「実際に裏でなにかしらやっている可能性がとても高いということを把握しているからこそ、そう考えてしまうのかもしれないけれど」
会話を聞きながらツヤヒメが言う。
「どうにも腑に落ちないことだらけだ」
アテラザワはそう言いつつも、目は上げずに手裏剣の手入れをしている。
「見えてきたぞ。」
フリゴレスが唐突に表れた地平線の彼方に林立するビル群を指した。ザ・オーはサクラダーの軍事倉庫から拝借した小さなマシンをパラパラとヘリからばら撒き、その小さな粒々は羽虫のように砂漠に屹立する摩天楼の方へ向かっていった。
「使い捨て通信デバイスを規定の周波数にセットしてから、これで体内に埋め込んでくれ」
運転席のあたりをゴソゴソとやってフリゴレスは小さな肌色の直方体とペン型の針を後へ投げた。
「側面の小さな溝に嵌め込んでから、上のボタンをワンプッシュすれば埋め込めるぞ。それからこれだ。」
また小さな直方体を投げてよこした。
「こいつは遺伝子改良された即効型のレトロウイルスが入っていてな。食事や体組織から取り出した炭素を利用して上皮を炭素繊維で覆ってくれる酵素とそれを制御する遺伝子がコードされている。ちなみに制御は意識的にできるし、あー他にも研究段階だが筋力の増強や……」
「とりあえず、筋力が急に上がったら体術がうまく行えないし、通信デバイスと上皮の強化だけにしておくよ」
ザ・オーはそう答えて、バチンと打ち込んで、隣のアテラザワに渡した。
乱立するビル群は雲を突き抜けているために曇った日ではビルのそれぞれがどれほどの高さなのかは判断ができない。しかし晴れた日であればビル群の隅に一際高く大きく現代的ながらも神秘的な印象さえ与える建築物がまず目につくことだろう。真っ黒く見える複雑な形をした―しかしあまりの黒さゆえに光の当たる部分と影の色に差はなく、ビルの形状が複雑であることは遠くからビルの回りを一周したときに角度によってさまざまに建築物の形状が変化することでしか分からない―表面は太陽光による効率的な発電を可能にする。それがイガ本社ビルだ。ザ・オー、アテラザワ、フリゴレス、ツヤヒメの四人を乗せた軍用ヘリは真っ直ぐに吸い込まれるようにそこへ向かっていった。
ビルに近寄ると彼らはホログラムと音声による警告を受けた。
「どうする?」
ザ・オーが運転席のフリゴレスに尋ねた。
「構うことない」
フリゴレスの指が動くと、ヘリに積まれたミサイルは一斉に射出された。建造物は彼らの目の前だけ抉られ、黒煙を噴き出した。フリゴレスはヘリを上昇させ操縦桿を固定した。
「口を覆え! 飛ぶぞ!」
四人はヘリから落下したが、ヘリコプターの速度と足し算され、柔らかく黒煙に満ちたビル内部に落りたつことができた。そして次の瞬間には轟音が耳を劈き、床を大きく揺らした。
「無茶苦茶だ」
煤だらけの顔に防塵のため布を巻いたアテラザワが辺りを見回した。
「アテラザワは打ち合わせ通りイガ本社ビルの内部の詳細情報を」
フリゴレスは命じた。
「了解」
アテラザワは横に倒れている社員をイガ社端末のところに引きずって行くと、彼の体を利用して生体認証を行った。辛うじて生きているその脳に社内情報をインストールすると、ポケットからイガ製のコードを取り出し、アテラザワは自分の脳へその情報を送った。その間、ほんの数マイクロ秒の間、宙を見つめていた。そして、既定の周波数で三人に社内見取り図や警備員の現在位置等を転送した。
ほぼ同時に、ザ・オーは先刻撒いた羽虫ロボットから得た情報をもとにイガ社本社ビルの形状を構成していた。時間と共に内部の詳細構造が更新されるだろうが、それを悠長には待っていられない。ザ・オーはアテラザワから送られてきた地図情報と羽虫ロボットからの情報を簡単に比較し、大幅に異なっている部分を探して、残り三人にその情報を転送した。
「一か所おかしな場所がある。すぐ近くだ。運がいい。」
ザ・オーが三節根の調子を確かめるように回した。
「行くか。警備が来るようだ」
まだ端末に接続していたアテラザワが急かした。
しかし時すでに遅く黒煙の中からゆらゆらと無数の人影が現れた。
「邪魔なり」
フリゴレスの耳を聾せんばかりの声に一瞬人影は固まった。次の瞬間、風が黒煙を綺麗に二分した。肉を断つ嫌な音が一瞬響き、静寂が覆った。辺りは生臭い鉄の臭いに覆われ、何本もの脚だけが、命令する脳を失ったまま床から生えていたが、それらも幾秒かすると主人と共に床に斃れた。
その頃には修羅となったフリゴレスは廊下の重装備した兵士たちを豆腐のように切り裂きながら、目的地への道を文字通り切り開いた。やがて、目的の場所についたがそこは壁である。ザ・オーの更新された情報によると壁の裏が目的地のはずであった。ザ・オーが三節根で渾身の突きを放った。彼の突きはコンクリートブロックを水のように貫通する。しかし、壁には傷一つつかなかった。フリゴレスは大層な膂力の持ち主であるが、彼の武器もまた壁に傷一つつけることができなかった。遠くから無数の軍靴の響きが聞こえた。
「爆薬をセットする」
フリゴレスは慣れた手つきで爆発物を組み立て、一分もしない内に壁に設置すると数メートル先まで退避し、壁にたいして攻撃を行った。しかし煤がついただけであった。
ツヤヒメが渾身の逆突を放った。
「シールドを」
驚異的なジュール熱と閃光とそしてひょっとしたら未だ発見されていない非常に不安定な原子が炸裂した。莫大な熱量により周囲の空気やビルの構成物質が昇華した気体は一瞬にして膨張し、半径数キロのあらゆるものはその爆風で灰塵に帰した。音速を遥かに超えた衝撃波が四人を襲ったが、炭素繊維で編まれたシールドによって四人は繋がれていた。
彼らが叩きつけられた地面はイガ本社ビルから数キロ離れたところだった。シールドの表面は泡立っており、一部蒸発したことが見て取れた。
「対消滅でも起きたのか、なんて爆発だ! ツヤヒメは何をしたんだ?」
ザ・オーの声だった。真っ黒であり、よく分からない。どういうわけか彼らは生きていた。
「生きているぞ。サクラダーの科学力に感謝しなくてはな」
「正確にはイガ社の技術を利用しているんだがな」
フリゴレスが立ち上がった。
「ねえ、あれを見て」
それはドクロといっていい形をしていた。厳密にいえば我々の持つ頭蓋骨ではない。形状もそうだが、問題は数百メートルはあるその大きさであった。
「夜空はハトリの頭蓋骨……」
震える声でザ・オーが言った。
あと少しなんだ、そう言いながら主観時間が数千倍に引き延ばされた仮想現実の世界で疲労の極みにあったハンナビー兄弟たちはもはや自分自身が記号の相対となり情報の乱流の中でイガ社のHyper Technological Reconstraction programに侵入していた。この防壁は現存するいかなるそれとも様相をまったく異にしていた。防壁も含めてそもそも全く異質な概念のもとに作られているかのようで、まるで糸口が見えなかったが、どういうわけか彼らが用いたマシンは適確にハトリプログラムへの侵入方法を示してくれた。
ハトリプログラムを構成する部分が徐々に浮かび上がっていった。
爆風により頭蓋骨周辺の雲が消え、青空が広がっていた。しばし、その神秘的光景に見とれていると、四人の視界がジャックされ仮想現実の世界へ送られた。
「久しぶりだな、ザ・オー」
真っ白いどこまでも続く空間をこちらに向かって初老の男が歩いてくる。チョウカイ局長だ。
「お久しぶりです」
「誰も信ずるな、と言ったはずだ。ここに来たからには、君の友人たちの話を信じたんだろう。イガ社はサクラダーの町を狙っていた、いやナリサーワを狙っていたと君らは推測したかもしれない。まあ、それはどうでもいい。問題なのは予想外に物事が早く起こってしまったということだ。私は入念に準備し、ハトリのもとへ至れるように」
「ハトリの元へ至る?」
フリゴレスが怪訝そうな顔をして言った。
「初めまして、ご武人。そう、ハトリのもとへ。どのように説明したものか……。あなたがたは、そう、まるで自分自身が一個のシステムであるかのように感じたことはないだろうか? コーヒーを飲むと動悸がする、酒を飲むと気分が高揚する。神経系を構成するシナプスのネットワークやそこに作用するドパミンやセロトニンなどの種々の伝達物質、それら化学反応の総体が我々の意識だ。古今の学者は精神の何たるかについて侃侃諤諤の議論をしたかもしれない。しかし、高々数万の遺伝子によって成立する我々の意識などというものがそう高尚なものであるはずがない。さらに言うなら先ほど述べた化学反応すらが、精神を構成する純粋な成分ではない。それは我々未熟な生命体が意識を成立させるためにやむなくとった下等な手段に過ぎない。精神はより純化することができる存在だ。進化の過程でありえた他のありかたによる精神を私は発見した。私は統一する。しなくてはならない。我々の意識を。個となった我々、私、はこの閉塞的世界からの離脱を可能にするだろう」
「私にはあなたの言っていることがどれほど正確に理解できたか自信がない。しかし、あなたが狂信的に何かを崇拝していること、そして私の村を奪った者であるということ、これだけは分かる」
フリゴレスの声は恐ろしく落ち着いていた。
「しかし、アテラザワ。君になら分かるはずだ。君になら」
アテラザワはしばらく沈黙していた。しかしようやく話し始めた。
「体験としての理解はある。しかし納得ではない」
「どういうことなの?」
ツヤヒメはたまらず質問した。
「イガ社の端末にアクセスした際に、私に関する計画があった」
「そう、アテラザワ。本当の君はもう死んでいる。死をどう定義するかによるが、君は君が我々と同じ体を持っていた時の精神をデータ化して義体に埋め込んだものだ。君らのうち誰ひとり気づかなかったのではないかな、アテラザワも含めて。アテラザワを離す前にポリサツが何やら信用できないというデータを加えたのは私だ。ザオーに少し手の込んだメッセージを残したのと同様ね。私の介入により、君らの人格を考慮すると、計算によれば98%の確率で君たちのコンビは我々に有利な方向に働くはずだった。うまくいかなかったがね」
「そうだな」
アテラザワの顔から表情を読み取ることは難しかった。
「122トンネルか。あの技術を利用したんだな」
ザオーの声はかすれていた。
「君たちに理解を得ようとは思わない。サクラダーのご武人の激昂は当然理解できる。しかし、私はそれと同様に今後数百年の後、我々人類が歩まなくてはならない苦難についても理解できるのだ。サキューは国土の大部分が砂漠であり、農作物は地下水源を利用できる一部の耕作地に依存している。ナリサーワは王家が力を失いつつあり、進むべき方向を決める指導者がいない。しかし、非協力的二国間の関係は改善されそうにない。さらには我々の人口は徐々に減り始めている。これに関しては具体的原因すら分からない。まるで種自体が滅ぶことを求めているかのように見える。そのうちこの空間に人々が殺到するだろう。イガ社のあらゆる端末は使用者の生活から使用者の精神を逆算する。それによって得たデータがここで統合されるのだ。私は私の計画の末、罰を受けるだろう。しかし今ではない。時は近いがな」
「そう時は近い」
聞き覚えのある声と共に無限遠方まで続いていた白い空間は彼方より小さな粒子となって崩れていった。
「何奴!」
チョウカイは目を見開いた
気づくと彼らは元いた場所に立っていた。火災による上昇気流で、断熱膨張した水蒸気は黒煙をたっぷりと含んだ黒い雨として大地に降り注いでいた。
「ハンナビー兄弟は何をしたんだ?」
フリゴレスは状況の急転に戸惑いを隠せず辺りを見回している。
「私があの空間の情報をハンナビーに転送したのです。彼らは私を枝にすることで、チョウカイの作りだした空間に移動しました。そして彼の空間に攻撃をかけたのです。私にインプラントした端末を通じてね。しかし壊れていないのは奇跡的だったな」
そう言ってザオーはこめかみの辺りをさすった。
どれほどの時間がたったろうか、彼らは並んで壊滅したビル群を眺めながら世界を救った―滅ぼしたのかもしれない―という考えに沈んでいた。やがて、リュウザン山系から吹き降ろす風が上空の雲を彼方へ追いやり、雲間から夕陽が差し込んできて、真っ黒い頭蓋骨をテラテラと照らした。