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第一部

 −ナリサーワの神話によれば空はニンジャの祖、ハトリの頭蓋骨でできている。これを自然科学的素養のない古代人の馬鹿な話だと断ずるのは早いが、もう少しこのことについて考えてみよう。ナリサーワの民族では古代より心は脳より生ずると信じられてきた。とするなら、思考の入れ物たる頭蓋骨に我々が入っているという事実はハトリが如何に絶大な権力を持っていたかを暗に示すものだと考えられはしないだろうか。

 ナリサーワの国立図書館でニンジャに関する神話を調べていたザオーはここでパタリと本を閉じ、振動したアイポーンを手に取った。ザオー上級捜査官は至急ベニマルへ急行されたし、との旨のメールである。(ベニマルとはナリサーワの起源に関する研究所である。「ベ」はナリサーワ国家によって運営される組織を表し、「ニマル」は起源を表す。 )

ザオーは黒塗りのウマウマ(作者注:ウマウマは四本の脚を持つ。主にラーメンを燃料とするが、実際には炭水化物、脂質が含まれていれば良い。ラーメンを主としているのは、ラーメンが脂っこくまた炭水化物の麺が多量に含まれているからだ。ウマウマはセルロース、炭水化物、脂質を多数の酵素によりグルコースに分解する。そのグルコースはウマウマ内部の転換炉に送られ酵母菌の働きによりアルコールとなる。このアルコールを燃焼することでエネルギーを得ている乗り物である。このため、アルコール中毒のことをウマウマシンドロームと称することもある。アルコール中毒者がアルコールがないと何もできないように、ウマウマもまたアルコールがないと走れないからだ。もっとも、アルコールを消費するか、生成するかの違いはあるのだが)に乗り込み、エンジンを掛けると音もなくベニマル本部ビルへ走り去った。

 官庁街の中にベニマルビルはある。コンクリートの直線を基調とするモダニズム建築であり、白い箱をいくつも重ねたような形をしている。これは同一規格の箱状の部屋を組み立てたことでコストの削減を図ったためである。実用主義のなした業であって、決してアートというわけではない。こういったビルの造形は調査対象が古典であることと対照的であるように思うかもしれない。しかし、ナリサーワにおいて世界の起源というのは国境問題をはじめとする政治的な問題に深く関わるものであり、決してカビの生えた学問ではない。世界の起源は非常に実際的問題である。

 ザオーはまっすぐベニマル局長、チョウカイの仕事部屋に向かった。そこはいつも通り埃ひとつない清潔さであり、静かな室内では通気孔からの換気音だけが響いている。 局長の前の机には幾つかの書類が角を揃えて積まれていた。

「ザオー上級捜査官、先ほどまでは国立図書館にいたということだが」

「ええ、チョウカイ局長。ご存知のように、わたしの担当は神話における創世の解釈を通じた起源の解明です。多くの古文書は先の大戦により失われて久しく、希少な古文書はわたしであっても持ち出しが禁じられていますから。もっとも仮想現実の普及により図書館に足を運ばずともインプラントの端末を用いて読むことは可能ですが、私はそれがあまり……」

とザオーは後頭部をさすりながら答えた。(仮想現実を生むためにもともとは外装のデバイスが用いられていたが、体の動きと機械の作り出す視覚情報のずれ―すなわち使用者が左を向いてから映像が左に動くまでのタイムラグ―によりひどく酔ってしまうのだ。数十年前までは多くの新しいもの好きな人々が吐き気を訴え問題となった。しかしこんな話も今では飲み屋で年配者が語る類の話になってしまった。現在では脳内のインプラントにより内側膝上体での内耳からの情報に修飾を加える手法が一般的になっている。したがって後頭部のコードに外装のデバイスを接続する方法と、眼球自体を電子義眼に変えてしまって任意のタイミングで仮想現実に没入できる方法が存在する。ほとんど”酔い”は発生しない仕組みにはなっているが、完全ではないため、違和感を主張する使用者もいる。会話から察するにザオーは前者であるのだろう。)

「分かった、分かった。もう良い」とチョウカイは言葉を遮った。

「まあ、つまり、君は求められた通り仕事をしている。非常に結構だ。結構この上ないほどだ。優秀な人材には相応しい居場所がある。君も知っている通り、ベニマルは……」(局長は国家を示す「ベ」の部分にアクセントをおいた)「ベニマルは、年々予算を削られている。今の体制を維持することすらままならない」

「では、クビだと?」

「そうは言っておらん。話は最後まで聞くものだ二度目になるが、優秀な人材には適切な居場所がある。君には新しい配属先がある。場所は……リュウザンだ」

「考える時間は、ありますか?」

「考えるも何も他に道はない。私は君を評価しているが、国が君を評価しているとは言っておらん。言いたくはないが私が苦労して見つけた行き先だ。一週間猶予をやろう。」

「一週間……」

 ザ・オーは項垂れながら、局長室を出た。部屋に入る時には気づかなかった部屋の廊下の電燈の故障に気づいた。そして肩を落としながらエレベーターへと向かっていった。

 ザオーのオフィスはベニマルビルの中層階にある。ザオーは入口でIDカードをかざして中に入った。(生体認証はサイボーグ化の普及に伴い廃れてしまったために現在ではこういったセキュリティが主流である。勿論機械ごとにシリアルナンバーはありそれで識別することは一般的には可能だが、サイボーグ手術の普及した昨今では裏マーケットでどこで作られたのかも分からない得体のしれないパーツが出回っている。悪意をもって侵入する人間が律儀に正規パーツを使用してると考えることは難しい。IDカードを奪われたら元も子もないように感じるかもしれないが、IDカードはリアルタイムで持ち主の生体反応と持ち主は正当な持ち主であることを確認し続けている。)隣の机のアテラザワは暢気に鉛筆を回していたが、ザオーが来ると椅子をくるりと回して向き直り複雑そうな顔をしていた。

「おお、ザオーじゃないか」

「あと一週間で今残っている仕事に片を付け、引き継ぎ用の簡単なマニュアルを作成し、そして引っ越しの準備と手続きを行う。世話になったな」

ザオーはなるべく表情をださないように言った。

「まあ、リュウザンといえば確かに田舎だ。ああ、僕が転属先を知ってるのはニンジャスキルに頼ったわけでなく、そこに貼り紙があったもんでね『ザオー上級捜査官は九月十一日よりリュウザン支部長に就任』とか何とか。階級だけ見れば、昇進だ。田舎とは言え、温泉街でもあるし、スキー場もある。いわばリゾートだろう、あそこは。プライドの高い君のことだからさしずめ左遷だとか思って」

「いや、いいんだ。まあ絵はがきでも送るよ」

 そう話して席についた彼はメモを見つけた。そこには一週間は休暇でありゆっくりと準備して欲しいと書かれていた。彼はなんだかあまりにも急じゃないかと思いつつも、与えられた仕事や休暇に口を挟むことは懸命ではないとも知っていた。彼は公務員だからだ。メモを取って丸めると、ウマウマに乗り込みザオーは家へと帰った。

 彼の住む独身用の官舎はベニマルビルに程近い丘の上にあり、眼下すぐに広がるどこか化け物じみた巨大ビル群の並ぶ官庁街と活気ある旧市街の町並みと、そしてはるか遠くにリュウザンの地を眺めることができる。旧市街は夜霧に霞んで、橙色のやわらかい光の電燈がそこかしこでぼんやりと町を照らしている。彼は部屋の書架から『ニンジャ神話のフィールドワーク』という本を取り出し、中程にあるリュウザンの頁を読んだ。

 −リュウザンはニンジャの父祖ハトリの十世代ほど後のニンジャであるニトリが地上に初めて降り立った地であり、今も神聖な地として一部の熱狂的ニンジャ教徒の巡礼が絶えない。また、周辺にはニンジャが傷を癒したとされる温泉が数多くあり、現在は観光地としても名高い。

 ニンジャ神話に関するフィールドワークの場としては相応しい場である。現に先史時代の遺物や周辺の土人たちの口承による物語などは彼の研究対象だ。リュウザンにはベニマルのニンジャ神話に関する研究支部があり、彼がそこの支部長に配属されることには何の違和感もなかった。そのようなことを考えてから彼は、たしかに中央にはもう戻れないにしても私の学問の完成(完成などというのはおこがましいが)という面においては、必ずしも悪いことではないのだ、と納得するとともに長い付き合いのチョウカイ局長に感謝すらしたのであった。

 幼少時より神童と言われていた彼が主席でナリサーワ大学を卒業したころ、彼は自分は何かをなせる人間だと考えていたし、それまでもそう考えていた。それがいつの間にか現在の立ち位置に安住していた。何かを絶えずしていえるように見えて、実際にはほとんど何もしていないようにも思えた。そんな日々に嫌気がささなかったわけではない。

 何かをなすためには何かを選択しなくてはいけない。あることをするということは、他の何かをする可能性を捨てることだからだ。ザオーは偶然にも選択せざるを得ない。だから、これは、天啓なんだ。などと考えているうちに夜は更けていった。居間のソファーに座りナリサーワのソウル酒であるポンシュを飲みながら考えた。(ツマミはリュウザンで採取された岩塩だ。)飲むことはザオーの中のリトルザオーを引き出す作業でもある。私は天啓だと思う、しかし私の私以外の私はどう思うだろう。妙に現実感のない、まるで自分の人生が物語であるかのような感覚にとらわれながら、旧市街の安っぽいネオンのあかりを眺めていると、日付が変わろうかという時間になった。

 ピンポーン、玄関のチャイムがなった。

「どなたですか?」

ドアを開けると降り続く雨に濡れたアテラザワの姿があった。

「事情は話す中にいれてくれ」

 ザオーはアテラザワにタオルと服を渡して、部屋へ通した。

「で、何だってこんな時間に?」

アテラザワはゆっくりと話し始めた。

「順を追って話そう。最初は関係ない話に思えるかもしれない。けれど、聞いてくれるかい?」

「ああ、秋の夜は長い」

「最近、夢を見るんだ、同じ夢を。地震でトンネルに埋まっていた時の夢だ。僕らの初期の発掘作業だよ。崩落しただろう。勿論、トラウマになっておかしくない経験だから、僕はまずPTSDを考えた。そして精神研究所にいったんだよ。最近じゃ、彼ら、人の精神をデジタル化することすら可能になりつつあるみたいでね。ほらここんとこよく国営放送でやってるだろう? 我々は電気信号の総体か、それとも霊的な存在か、って。まあ、とにかくだ。僕は最新の精神スキャナーで自分の精神分析をおこなってもらったというわけだ。その時には気づかなかったんだが、どうもそれから記憶に違和感があってなあ。ザオー、お前どうやって例のトンネルから助かったか覚えているか?」

「生き埋めになった際、アテラザワが割れ目をみつけてそこを掘り進んで……」

「そうだ。そこまでは同じだ。だが、僕が夢で見ていたのはその先なんだ。その先の記憶があるかい」

「救助隊がきたろう」

「救助隊はすぐに来たわけじゃない。だとしたら、僕らは自分たちでえっさほいさと助かるために穴なんか掘らないで酸素の消費を極力抑えようとするはずじゃないか?」

「いや、だから、穴の先の情報は分からなかったんじゃないのか」

「いや、救助隊がすぐ近くにいるなら、声くらい聞こえないと妙じゃないか。まあ、そして、だ。僕の夢はその妙な部分を避けて通っていたんだ。その空白の時間にあたる部分で夢はいつも途切れてしまっていた。しかしな、検査を受けてからというもの、その検査が僕の海馬に何等かの介入を副次的に引き起こしてしまったのだと思うが、その続きが見られるんだ。掘った先、隣の空間には何かがあった。我々の記憶を改竄してまで守らなくてはいけなかった何かが」

 ここまで一気に言い終えると、アテラザワはグラスをキッチンに取りに行くと、ポンシュをあおった。

「僕はこの問題に関して自分なりにケリをつけるつもりだ。ひょっとしたら、ザオー、君の急な異動もこれに関与しているかもしれない」

「アテラザワ、妄想知覚っていうのがあってだな。何でもない徴候から直観的に意味をひろってしまうんだな。たしか君の施された検査には一時的にそのような副作用が見られたはずだ。確かに辻褄が全くあっていないわけじゃない。けれど、僕は自分の説明のほうがよほど現実的じゃないかと思うんだ」

「分かる、いいたいことは分かる」

「論理的に考えると僕の仮説のほうがあっているだろう、ということをアテラザワよ、どの程度納得できる?」

「二割程度だ。論理的に考えて正しいことは正しいんだ、ザオーはそう言いたいのだろう。十割正しいと考えるべき判断を二割としか信じられない僕が病的状態になる、と。それは分かる、まあ、気をつけろということだ。武具はつねに携帯しておいたほうが身のためだぞ」

 その一週間の後のことである。ザオーはリュウザン行き、単線一両編成歯軌条列車の中にいた。ナリサーワの中心部からリュウザンへの道のりは公共交通機関を乗り継いで約五時間である。

 ナリサーワは中心部こそ無機質な巨大なビルが立ち並ぶ都会然とした様相であるものの、ウマウマを30分も走らせれば南は果てなき穀倉地帯(この地域は雨量が多い。というのもリュウザンにぶつかった雲はその手前で雨を降らせるからだ。リュウザンに蓄えられた水は川となって穀倉地帯を潤す。したがって、ザオーのいたナリサーワの首都ナリサーワも非常に雨量の多い地である。)、北はリュウザン山系、東西はリュウザン山系よりなだらかに広がる斜面に鬱蒼と生い茂る深い森とその中に点在するいくつかの集落とがあるばかりである。(点在する集落はアンチサイボーグ派の末裔であり、ナリサーワ中央とは不干渉を保っている。ナリサーワが国名でもあり首都名でもあるという不思議な現象は、我々がナリサーワについて話す時は一般に大都市ナリサーワのことを呼ぶからであり、集落は近現代史の表舞台にでてこないからである。)リュウザン山系の向こうにはサキューという砂漠の国が存在するが国交はない。大戦後は緊迫した関係ではないが、互いが相手国の存在を認めていないために国境の警備というものもない。人は嫌な奴をみたら殴るか無視するかである。幸い二国の間にはリュウザンがそびえているのだから、無視することが正しいのかもしれない。大戦前はいくらかの交流はあったようだが、それも絶えて久しい。したがって、市民の行き来自体は法的には自由であるのだが、あえて異国の地に行くものは普通はいない。しかし、リュウザン周辺の、それも治安の悪い場所では金に困った失うものを持たないものたちがサキューとの密貿易によって暮らしているとメディアでは報道されている。しかし、リュウザンの中でも観光客が訪れるような場所は、職も多くあり治安がそう悪いわけではない。戦後の荒廃からリュウザンは復活した、少なくとも教科書上はそう書かれている。

 捜査官という役職の職業病だろう、ザオーは予めこのようなリュウザンに関する事柄を一通り調べ上げていた。そうした事柄を一つ二つと思い返しながら、また時に、約束されていたはずの中央での出世に思いを馳せ、彼のリュウザン行を悲しんでくれた多くの人々が内心では自身の成功の確率が上がったことに嬉々としていることを―いや、アテラザワは別だ―考えながら、勾配のきつい坂を上る列車の窓を流れる雨景色を眺めていた。 愛車ウマウマと共に来なかったことが彼をいっそう悲しい気持ちにさせた。

 ゆっくりと電車が減速し、森の中に集落が現れた。駅からウマウマタクシーに乗ってベニマルのリュウザン支部に到着すると、初対面の自分の部下(であろう、彼はここの長であるから)によって庁舎の案内を受けた。案内人はナトリと名乗った。庁舎は大戦後に再建されたもので、デザインは非常に古いのだが、素材は比較的新しくちぐはぐな印象を受けた。

「ナトリというと、君はニンジャの血を継いでいるのだろうか。ニンジャの血族には名前の終わりがトリであるものが多いことは知っているだろう」

「ええ。私の一族の伝承ではそういうことになっております。しかし、考えてもみてください、多くの家の家紋は有名な氏族に由来しているでしょう。そして何よりここはリュウザンです。ニンジャが初めて下界に降り立ち、そして国創りを行った地です。だとしたら多くの家で実際に関係がなくともニンジャの血族の名前がつけられているとしても不思議はありますまい」

「もっともだ。では他にも君のようにニンジスティックな名前の人々が多くいるという解釈で問題ないか」

「ええ」

「ところで、ベニマルの本部にはリュウザンにおける現在の研究に関する情報がロクに得られなかった。そういうわけで、私は自分の統括するべき仕事が見えないのだが」

「支部長室にデンとすわってチャでも飲んでいたらよいでしょう。仕事は下々の者がするものですから。支部長の許可が必要な書類等がありましたら私共の方から伺いますので」

「はあ」

ザオーは肩を落として支部長室へ向かった。

「自分は研究者だ。印鑑を押すだけならサルにだってできる」

ボソっといった言葉はナトリには届いていないようで

「では、一日頑張りましょう」

という言葉を残すと彼は去って行った。

 退屈な仕事を終え、与えられた官舎へ赴くと、そこは住み慣れた中央の官舎のような無機質なものではなくリュウザンの伝統的な建築に倣った茅葺き屋根の建物であった。支部長ということもあってか、他の職員−といっても十人程度だが−の暮らす集合住宅からは少し離れた岩場を背にした一戸建てであった。

 先に送ったウマウマは自動運転ですでに車庫に収まっており、大きな荷物は業者によって家の中に運び入れてあったが、本や書類、日用雑貨については自分で片付ける他ない。ザオーはため息をつくと、段ボールを空けて仕事に取りかかった。 彼はいくつめかの段ボールを開けた際に見覚えのない、ニンジャ文字の書かれた紙を見つけた。誰かの書類が混ざってしまったのであろうか、しかし良く見るとザオー宛となっている。

  書類はニンジャの定型詩に見られる母音の数を、5−75(Nセット)−77とする書式で書かれていた。ナリサーワにおいて、文章は詩歌や美文調で書くことが良しとされ、それは公式文書であっても変わらない。上手いレトリックに富んだ文章かどうかで文書作成者の知的レベルが判別でき、そのことによって文書の重要度合いが分かるからである。神話の中でニンジャはこう言っている。

「力無き虫の類いは往々に声も出せずに踏まれ死ぬかな」

 さて、そのザ・オーの記憶にない書類を読むに、どうやら宛名は自分であり、差出人はベニマルのチョウカイ局長である。パッと見どういうこともない文書であった。が、所々に5音や7音からはみ出した文字がある。勿論これは技巧上何らかの意図がある場合もあるが、どうにもそれが多すぎて不自然だった。 とはいっても、局長なりの表現技法なのかもしれない。必ずしも型にはまらず、自由な形式で文章を書こうという風潮は何も今に始まったことではない。したがって、六音や八音が多少多かったところで、そう訝しむほどのことではないのかもしれない。そこでザ・オーは自分が環境の変化故に平時よりも物事に対して敏感になっているのだと自身に言い聞かせることで納得した。

 局長からの書類には、君には分かりきっていることと思うが、というような書き出しに始まりつまらない処世訓のようなものが書いてあった。



 サキュー辺境の小国サクラダーの夜には静かな活気とでもいうようなものが満ちている。家々の灯はとうに消えているが、そこかしこに人の気配がある。人の気配を辿っていくとリュウザンへとつながる古代遺跡のトンネルから人々が来ていることがわかる。トンネルを通ってやってくるものたちは皆一様に大きな荷物を背負っている。ウマウマに大量の荷を積載しているものもいる。そうした彼らは、サクラダーの町へ入ると迷うこともなく町の片隅にある大きな石造りの家へと行く。そこで家主と何やら話した後、またそこで荷を得てリュウザンの方へと帰っていく。

 運び手の一人が集団を外れて、裏路地に消えた。その裏路地は多くの運び手たちが集まる建物の脇に面しており、その建物の裏口が裏路地に開いていた。一人の若く美しい、色の白い女が幻のように軽やかに音もなく裏口の戸を開け運び手の男を中に招いた。男もまた、音もなく家の中に入って行った。

 二人は慎重に歩を進めた。ごつごつとした岩の冷たく長い廊下を歩いた。階段を降り地下室へ入って行った。

 中は湿っぽく、天井に電球が付いた電球が地下室の人々を照らしていた。ここまで来ると外の者たちに会話は聞こえないということであろう、彼らは互いに話し合っていたが、二人が入ってくると静かになった。

「こちらリュウザンから来て下さった同志ナトリです」

女が集団の前に出て説明した。

「挨拶は抜きにして、話を始めましょう、夜明けまで時間がない。最近の動きについてです。我々、というのはリュウザンとサクラダーのことですが、この二自治体の間で行われているあらゆる取引について過激な反対派が何やら動いているようです。それは今までにもあったことなのですが、今回は相手が正確にはつかめていません。まるで何者かが」

「ナリサーワ王家のブタどもだ!」

髭の生えた中年の男が言った。

「お静かに願います」

女はなだめた。

「その可能性も否定できません。ナリサーワはサキューと友好関係にない。そこで我々のような密貿易組織が莫大な利益を上げている。容認できるはずがない。またナリサーワの財政は決して厳しくないわけではない。何らかの圧力をかけて我々を滅ぼし、そのあとで我々の資本を回収できたらということを考えたなら、食指が動かないのが妙なくらいです」

全員が一瞬の沈黙の後に、全面戦争だの、現実的な案を出せだの、金で敵末端の工作員を懐柔しろだの、と口ぐちに言い始めた。

 やがて東の空が薄らと紫色に変わり始めた頃、ナトリはリュウザンへの道を戻って行った。


 チョウカイ局長は不思議と落ち着いた気分だった。彼はいつも通り自分のオフィスに座って、妻と娘に思いを馳せていた。三十年ほど前まだ大戦は始まっておらず、彼はナリサーワ王立大学考古学部を主席で卒業して数年の若者であった。妻は卒業後すぐに娶ったが、これは互いの両親が決めたことであった。しかしこれに対して反感を覚えることはなかった。楽しくもあるが長くつらい仕事の中であたたかな家庭というものを一緒に築いてきた妻には一方ならぬ愛情があった。始まりがどうであったかは関係ない。結局その後の関係を自分たちでどのように作っていけるかだ。結婚して二年目、目の中に入れても痛くない娘が生まれた。彼女が生まれたのは夏の早朝四時で、夜通し降っていた土砂降りの雨が止み、東の空に綺麗な朝日がみえていた。彼女の人生の夜明けと同様、彼女の人生は豊かに続いていくことを切に願ったことを思い出した。

 その後数年がたった。ようやく一人で歩くことができるようになった娘と週末に西ナリサーワ公園に行きましょうと言ったのは妻だった。彼はその日午前勤務であったので十二時半に待ち合わせをした。彼が仕事を終えて西ナリサーワ公園へと向かう途中で大きな地響きが聞こえた。黒煙を見た。そしてナリサーワとサキューの大戦が起こることになった。犯行はナリサーワの軍閥が権力を文人から奪うために行ったとも、サキューの過激派が行ったとも言われた。しかし、彼にはそんなことは関係なかった。妻子を失った彼は感情を失い、ただ冷徹に仕事をこなす抜群に優秀な官僚となった。

 自分の仕事は少しでも彼女たちへの弔いになっていただろうか。紫煙を燻らせながら珍しく感傷に浸っていると、ドアをノックする音が聞こえた。

「来たか」



 翌朝ザオーが目覚めると、外がどうも慌ただしい。何かが起こったか、或いはここでは朝がいつも騒がしいのかもしれない。

 急かすように家のベルが響き渡り、ザオーは身支度も程々に玄関へと急いだ。何かが起こった方が正しかったようである。まだ出勤時間ではない。

 ドアを開けると昨日世話をしてくれたナトリ捜査官補佐が体調の悪そうな顔をして立っていた。

「こんな早朝から何事かあったのか」

「ベニマル局長のチョウカイ氏が暗殺されたとニュースで報道されています。おそらく、ニンジャによる世界創造に反対する過激派、サムライソードによる犯行だそうです」

「暗殺? サムライソードだって? 彼らは百年も前に最後の残党が処刑されたはずではなかったか。」

「ええ、ですが……。これを」

そういって彼は自分の手首につけたiWristからホログラムが出現させた。そこには「チョウカイ局長暗殺か」「サムライソードの犯行声明」といった見出しが並んでいた。煙を上げたベニマル本部ビルの立体写真がゆっくりと宙を回っている。

「信じられんことだが……。我々はただの起源に関する研究家の集まりに過ぎない。武力は持たず、他の機関から独立している。というのも、ベニマルには名前こそ接頭語の『べ』が表すように国家機関かも知れないが、事実上はニンジャの血を継ぐといわれる王家からの私財で成り立っている機関だ。それに現在はどうだか知らないが以前のサムライソードのベニマル強襲事件の際にはナリサーワの有力な貴族議員グループが絡んでいたと専らの噂である。というのも彼らは自分がニンジャの血族でないことを発見されると困るか、あるいはサキューとの歴史関係を暴かれることで何らかの被害をこうむるからだ。とするなら、支援を軍に頼んだところで妨害されるに決まっている。リュウザンにいる我々も狙われるに違いないが、我々には手だてがない」

ナトリ捜査官補佐は目には隈を額には脂汗を浮かべつつ、黙っている。

「火の収まるまで我々は逃げ隠れするより他に仕方ないのだ。王家の庇護を受けるという手もある。しかし、どのみち中央まで遠いここリュウザンの地ではな。至急職員を集めてはくれないか」

「了解です」

 30分の後、通常の出勤よりも早い時間に召集されたリュウザン支部の職員たち10名は例のニュースにおびえながら、ザオーの話を聞いていた。サキューに親戚や友人のあるものはそれを頼っていくこと、何も身寄りのない者は地下に潜って―このあたりでは古代にニンジャが用いた穴が地下に縦横無尽に広がっているために文字通りの地下潜伏である―禍の去るのを待つより他に仕方なし、との達しを皆に伝えると、ザ・オーは職員たちを励まし、そして自分の荷物をとりに官舎へと帰った。

 ザオーは官舎の中で自分の機能ひもといた荷物をもう一度眺めてみて、さしあたって必要なものだけを大型のバッグに詰め込んでいると、アイポーンが鳴り響いた。非通知の電話である。一瞬ためらったが、電話に出たくらいで生命が脅かされることもあるまいと、彼は電話に出ることにした。

「アテラザワだ。時間がない手短に話す。質問は後だ。私はウマウマに乗ってサキューに亡命する。深夜の事故を知ってすぐに出たためにそちらにはそろそろ到着できる。ポリサツは事故直後から我々の保護を申し出てくれたが、どうもアテにならないからだ。詳細は後ほど話す。122トンネルの入り口で会おう。君と無事に会えることを祈る。ニンジャのご加護を!」

 彼は一息にそれだけ話すと一方的に電話を切ってしまった。122トンネルとはトンネルの掘られるより前のニンジャによって建造されたと思われる古代遺跡が発見されたトンネルである。ザオーは感傷にひたりながら122トンネルのことを思い出していた。122トンネルはニンジャ学に関係する者なら一度はその名前を聞いたことがあるはずだ。ザオーとアテラザワの共著論文で言われていたことについてである。


 そのころすでに大戦は終結しており、世の中は回復に向かいつつあった。したがって、122トンネルの発見がサキューとナリサーワとの関係性の修復に一役買うということは社会において誰もが認めたかったことに他ならない。そしてそれは当然そのようにして誰もが認めるべきであったのだ。

 ザオーは引越し直後の雑多な部屋のガラスから、リュウザンを見つめ回想した。122トンネル内は暗く、まとわりくような湿気と夏であることを無視したまるで身勝手な冷気が満ちていた。王墓に関する物品の大部分はすでにベニマルの本部に持ち返られていた。

 突如、地面が揺れ始めた。大地、山、そういった巨大な物体が突然にして生を受け、長らくこの地にとどまってきた鬱憤を晴らすかのようであった。時間にして数十秒であったろう。しかし、轟音とともに周囲の岩盤は崩落し、非常用の照明だけが生気のない明かりを圧倒的な闇の中でぼんやりと発していた。リュウザンは活火山であり、その周辺では火山性地震が頻発する。これは、貴重な未発見の遺跡群が埋没してしまう危険性をはらんでおり、世のニンジャ学者たちを多いに困らせるものである。しかし、そんな心配をここにいたチームの人々がしたはずもなく、ただ自らが今回この調査チームの一員として加えられてしまったことに関する怨嗟の声を発するか、それも出来ずにただ茫然自失となって淀んだ目で夢の中にいるような状態となってしまうか、そのような状況であった。それも当然で地震の頻度が高いとは言え、遺跡内で生き埋めになるようなケースは非常に稀であるために、コストの問題上そう毎度毎度非常食をどっさり持っていくようなことはしないのである。そしてそのことはこうして生き埋めになるまで誰も問題にはしない。

 あたりの空間が光を失うとともに時間はその伸縮性を突然に発揮し、ザオーは時間の感覚をまったく失ってしまった。そうして、時計遺伝子の発現は松果体や光と関係しているんだったかな、などと学生の頃に聞いた話をぼんやりと思いだしていた。その時アテラザワが脇腹をこずいてきた。

「何か様か? タバコなら持っていないぞ」

「いや、違う。どうも空気の流れのようなものを感じるんだ」

アテラザワは地面にあった軽石を近くの岩にこすりつけて粉状にし、明かりを持って数十メートル奥に行ったところで粉を撒いた。すると、光に照らされたそれらは洞窟の側壁にできた隙間へと吸い込まれていった。

 割れた岩の隙間を掘り返しながらどれほどの時間がたったのかまるでザオーには分からなかった。食べ物もなく、水もなく、光もなく、辛うじて希望だけを持って彼らは掘り進んだ。手近にある岩を使いひたすら隙間を広げることに執心した。隙間に人が通り抜ける隙間さえできればそれが希望の通り道になる。そうこうしているうちに手の間隔はなくなり、起きているのか眠っているのかも分からなくなった。朦朧とする意識の中で彼らはただひたすらに掘り進めた。そしてようやっと人一人が通ることのできる隙間ができた。

 そうしてアレは見つかった。?? アレとは?

 一瞬の回想ののちザオーは引き続き必要な荷物を詰め込む作業に打ち込み始めた。 アテラザワに聞いたはなしのせいであろうか、どうにもこの記憶を掘り返すと空白の時間があったように感じられてならなかった。自分の気が狂っていく感覚を追い払おうと荷物の生理に専念することにしたのだった。そしてアテラザワの武具は携帯しておくのが身のためだ、というセリフが亡霊のようによみがえってきたのであった。

 数分したところで、局長からの書類が出てきた。

「これが図らずも暗殺された局長からの最後の言葉となってしまったわけだ。図らずも? 本当に? ベニマル局長といえばその天才的な有能さを以て局長に抜擢された人間である。現在もっともニンジャ神話に関する物事に精通しているのが彼である。その彼が何一つ察知することもなく、アンチニンジャ派に殺されるなどということがあろうか。そしてこのタイミングで私だけがリュウザンへ行ったことは不自然ではないか?」

 そう思ったが早いか、ザ・オーは局長の書類に目を再び通し、紙を透かしたり、こすったりしてみた挙句、昨晩気になったこの文章の不自然さに目をとめた。ニンジャポエム調の文章にしては不自然に多い字余りである。ここに何かヒントがあると考えるのは容易である。 字余り部分だけを抜き出して彼は手紙を読んだ。

「ダレモシンジルナ。誰も信じるな、か。これがメッセージということか。ではハトリよ、偉大なるニンジャの祖にして全知全能の原初の創造主よ、私はどうすれば……。アテラザワを見捨てることは許されるのでしょうか。あァ」

壁に寄りかかりながらザオーは散らかった部屋で途方に暮れた。

 ニンジャ神話の熱心な研究者であるザ・オーはニンジャ神話学者の家系に生まれたために、時として彼にとってはニンジャ神話は単なる研究対象を越えた行動の規範になる。ニンジャ神話でニンジャはこう言っている。

「友情は大切!」

 ザ・オーはバッグ一つにサバイバルセットと七節棍を持つとウマウマに乗り122トンネルに向かって風のように走り出した。

 かつてそれを掘った者たちが長らく手をつけずにおいたために、122トンネルはトンネルとは名ばかりの、外からみた限りでは自然に岩に開いた亀裂のような空洞にすぎない。一時は発掘調査により周辺に仮設の小屋が建てられていたが、今ではそれらも撤去されてしまい、地衣類の繁殖によりその痕跡を見つけることすら殆ど不可能である。何度も足を運んだことがなければ獣道を踏み分け掻き分けここにたどり着くことは至難の業であろう。そもそもトンネル番号をはじめとしたニンジャの遺跡に関する詳細情報はベニマルの暗号化ファイルにのみ記録されている。そのためサムライソードが何らかの手段を用いて先ほどの電話を盗聴していたとしても彼らの落ち合う場所が知られてしまうことはない。他の省庁にいかに強力な人脈があろうともベニマルの暗号化ファイルを解読するにはかなりの時間を要するだろう。

 限界近くまでエンジンが熱され、静寂に包まれた森に不似合な音がウマウマより発せられている。

「アテラザワよ、いるのか」

と囁くように呼びかけると、彼は後の茂みよりぬっと姿を出した。体は土にまみれ体には小さな無数の擦り傷、幽鬼のような姿である。

「わが友ザオーよ。先日まで国家の機関の一員として一介の研究員だった我らだが、今や帰る場所とてない。かつてよく、ともに飲んだナリサワのソウルサケであるガサンリューの味は遠くかすんで思い出せぬ。途中で足であるウマウマを失ったが数名の追手もすべて処理した。」

「ニンジャ体術か」

「そうだ。君と一緒に面白半分仕事半分で解釈したニンジャ体術がこんなところで役に立つとはな。それで、とりあえずサキューへの亡命を提案したわけだがサキューにたどり着いたとして行く場所がない。保護してもらえるとも限らないのだ」

そこでザオーは道中考えてきた事を彼に話した。

「サキューのお偉方はナリサーワと未だに険悪である。したがって罪なき我々がナリサーワに迫害されている、少なくとも亡命も已む無しとなるほどの危機的状況である、ということがサキューを通じて公になればナリサーワにとっては損害それすなわちサキューの益である。サキューという国家が後につけばサムライソードとて手を出せぬさ」

「うむ。サキューの権力者が一枚岩かどうかは分からない。しかし、大部分は君の言った通りの考えを持つだろう。その大部分に出会えるかどうかはニンジャ学会で知り合ったサキューの学者を頼りにするほかないだろうな」

「うむ。とにかく先を急がねば。トンネルの内部を通り遺跡を通過して両国のグレーゾーンとなっている地帯にでる。安心はできないがここよりはましだろう」

 ウマウマに乗り曖昧な国境を越えるトンネルを抜けると雪国であった。トンネルは中で相当の距離を上るためにサキュー側の出口の方が遥かに標高が高い。多く湿気を含んだ季節風がリュウザンにぶつかるためにこのあたりは冬は豪雪地帯となる。しかしまだ冬本番はではなく、晩秋の仄明るい白い空からハラハラと枯草の生えた地面に向かって雪の舞う程度である。

 権力者たちを含む秘密結社サムライソードと言えども、ここはサキューの法の下にあるため迂闊に手を出すことは出来ない、そのような思いからか二人は今までの疲れが一度に出た。そしてトンネルの出口に座り込み、見晴らしのよいそこから、下に見える集落を眺めた。

 とりあえずあの集落に行こう、と先に言い始めたのはザオーである。より長距離の強行軍によってここまでたどり着いたアテラザワの顔には色濃い疲労がはりついていたが、反対することもなく腰を上げると、二人は坂を降りて集落までの道なき道を歩いていった。

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