第四話 評議会の決断 後編
「ガイズ殿、陛下を説得する算段はついておるのか?」
既に日が落ちており、バルドの執務室へと続く魔石のランプに照らされた廊下をガイズとフェルツは進んでいた。
「説得する算段? そんなもの、あるわけが無かろう。だが、法は我々に味方している。信念では対立するだけだ。法に基づいた正論を述べ、陛下が言動を撤回し、軍の撤退を決めるならばそれが最善。最悪でも裁判の場に立たせることが重要じゃ」
「そうじゃの」
二人は執務室の前まで来るとガイズが扉を叩いたが、中からの返事は無い。
「陛下。緊急の要件がありますので入らせて頂きます」
ガイズは扉を開けると、フェルツと二人で中へと入った。
中にはバルドがいつも通り執務机に座っていたが、室内は一人ではなく机の両隣には軍の魔法兵と思われる者達が二人控えていた。
それを見たガイズは表情を変えなかったが、フェルツは顔をしかめる。
「……どうやら、我々がここに来た理由は存じておるようじゃの」
フェルツは相手には聞こえないほどの声で呟くと、ガイズも頷いた。しかし、バルドは何も知らないかの如く口を開く。
「ガイズよ。何用だ?」
「数刻前にセシル王国国王ヴィント・セシアル殿より連絡が入りました。陛下、セシル王国、そしてダルリア王国元老の一人、オリゴ・ヴェチルと密約を交わされていたそうですな」
「それで?」
バルドは表情を変えることはなかったが、真っ直ぐにガイズの目を睨んでいる。
「他国と約を交わすことは国王の専権事項ではありませぬ。しかし、我々は承認するどころか、話すら聞かされておりません。この件についてご説明願いたい」
バルドは目を閉じるとしばらく押し黙った。
長い静寂が流れる。
感覚的なものではなく実際に相当な時間だった。そして、バルドは目を閉じたままゆっくりと口を開く。
「――説明する必要は無い。この戦争を勝利に導くために必要なことだった。それだけだ」
「勝利のために法を犯したと?」
「そうだ。ダルリア王国の諜報をかい潜るためにもこの事は秘密裏に、かつ確実に行う必要があった。お主達の承認を得ていては事を進めることは難しかったであろう」
「情報を漏洩させないために評議会に承認依頼をしなかったと? ……それだけとは思えませぬ。セシル王国とダルリア王国は元々この国と国交があったわけではない。その者達と約を交わすためには、それなりの取引が必要だったのではありませぬか? ヴィント殿の話によると、セシル王国とは恒久的不可侵と五分の同盟、そしてダルリア王国の元老オリゴ・ヴェチルとはダルリア王国制圧後の交易専有権を与える約束であったそうですな。どちらも陛下が重要視する事柄とは思えませぬが、評議会がその取引を認めるとは言いがたい。特に商人達から支持を得ている評議員は交易の専有権を認めぬでしょう。それ故に密約のことを評議会に提示すれば、否決の可能性があることを危惧したのではありませぬか?」
ガイズの言葉にバルドは目を閉じたまま肯定も反論もせず、ただ黙って聞いていた。
「当たらずとも遠からずといったところですかな? しかし、もしそうであるならば評議会が否決する可能性もあったということ。これは評議会議長として、とても看過できることではありませぬ」
「……ほう。では、どうするというのだ?」
バルドは目を開けた。
「陛下の行動は法の則ったものではない以上、正当性はありませぬ。故に、まずは前線にいる帝国軍に撤退命令を下して頂きたい。そして全てを明らかにし、その上でもう一度評議会に正式に承認を求めて頂きたい。さすれば、この件に関しそれ以上の追求は致しませぬ」
「我に自らの言葉を覆せと申すか……。そのようなこと、有り得ぬ」
バルドの目が細まる。それに対しガイズが言葉を発しようとしたのをフェルツが制し、ガイズの前に一歩出た。
「ならば陛下、一つ問わせて頂きたい。セシル王国側に行なわせていた策略は失敗に終わりました。今後はどうされるおつもりか?」
バルドはフェルツに視線を移す。
「セシル王国軍が王宮と元老院の制圧に失敗し、撤退したことは聞いている。しかし、前線の帝国軍は未だ大半が健在だ。ロビエス共和国側の国境警備軍、そして北方外征軍を動員し、力で制するまでだ」
「それほど大規模に軍を集結させればロビエス共和国が黙っていますまい。それ以前に、法を犯したままの国王がそのような提案を評議会の審議に掛けて、今度も承認するほど評議会は腐ってはおりませんぞ」
「法か……。お主は主権者である民の意思よりも法が重要だと言っておるのか? 評議会も民の意思により選ばれた者であるならば我に従え。――いや、そもそも民の意思の代弁者が二つ存在することに問題があると思わぬか? 共に民の意思を代弁するのであれば、国王と評議会、二つ存在する必要は無い」
バルドの目が鋭さを増す。しかし、ガイズはその視線に怯むことなく正面から見返し反論する。
「そうは思いませぬ。わしは二つの意思が同じ視点から物事見て判断していることに問題があると思っています。我々、帝国評議会は本来国王の独裁を抑制するために設けられた組織だったはず。しかし、いつからか民の現在の意思だけを気にするようになってしまった。それ故に民の意思を実現しようとされている陛下と同じ視点で物事を捉えるようになり、結果として今回の事態を招いていると考えています」
「お主は自らが率いる評議会が間違っていたと言っておるのか?」
「その通りです。我々は評議員選挙の際に帝国の現在ではなく将来と外、つまり第三者的視点を民に示し、民からの信任を得るべきだった。そして、民の現在の意思を具現化されようとしている陛下の政策を、その視点から審議すべきだったのではないかと」
「……審議する視点が間違っていたと言いたいのか? 今さらここでそのような話をしても、一度承認したものを取り下げることなど出来ん」
「無論です。それ故に陛下に自ら撤退命令を下して頂きたいのです」
「もう一度言う。そのようなことは出来ぬ」
バルドの言葉にガイズはフェルツと視線を合わせた。そして、フェルツもそれに対し覚悟を決めたように頷く。
「そうですか……。であるならば、法を犯した陛下には裁きを受けて頂き、代わりに我々が法に則り帝国軍を撤退させます。そして、その後のことは民に多くの視点と選択肢を提示し、再度民の判断を仰ぎましょうぞ」
「――そうか。本来国王に命令権があるはずの軍をお主達が撤退させ、再度民に判断を仰ぐ……。その方法は一つのみだな」
バルドの言葉が何かの合図だったのか、フェルツには両脇にいた魔法兵が僅かではあるが動いたように見えた。そして、ガイズは更に言葉を続ける。
「はい。陛下は評議会での承認が必要である外交政策を独断で行い事を進めた。これは国王といえども許される行為ではない。よって、法に則り陛下の国王権限を停止し、陛下を弾劾裁判に掛けさせて頂きます」
アルデア帝国では国王の権限が停止、または行使出来ない状態に陥った場合、国王が権限を回復するか次の国王が決まるまでの間、一時的にその権限は帝国評議会へと移行される。ガイズはそれを利用することにより軍の指揮権を合法的に取得し、軍を撤退させようとしていた。そして、撤退後に弾劾裁判でバルドに有罪判決がくだれば、バルドの後任を選ぶ国王選出選挙が開かれることになり、そこで再度民の審判を仰ぐことが出来る。
「愚かな。そのようなことをすれば、帝国は停滞する。先や外のことばかり考えていては身動きが取れず、民の意思は実現出来ぬ。お主にはそれがわからぬようだな」
バルドは右手を軽く上げると、魔法兵達がガイズとフェルツに向けて手を伸ばした。
「くっ……。やはりそのつもりだったか」
フェルツは一歩後ろに下がる。しかし、ガイズは逆に一歩前に出るとバルドを正面から見つめ返す。
「これ以上罪を重ねれば、不利になるのは陛下ですぞ。我らを殺して何になると?」
「議長であるお主が死ねば評議会は招集出来ぬ。新たな議長が選任されるまでの間、全てはわしの専権事項となる。それまでに事を終わらせれば済むことだ。さらばだ、ガイズよ。あの世で帝国の行く末を見守るがいい」
バルドは右手を前に下ろした。
『火よ!!』
それを合図に二人の魔法兵がガイズとフェルツに向けて火の魔法を放つ。
しかし、同時にガイズ達の後ろの扉が開くと突然、扉の外から強風が流れこんできた。そして、その風はガイズ達をかわすように吹き荒れると、放たれた火の魔法を押し返し、炎は魔法を放った魔法兵を燃え上がらせる。
『がぁああああ!』
二人の魔法兵は悲鳴を上げると床を転げ回り、なんとか火を消そうともがくが魔法の火は簡単には消えず、そのまま事切れた。
そして、扉からは十名程の憲兵達が室内へと雪崩れ込んでくる。
何が起こったのかわからないガイズとフェルツは周りを見渡すと、憲兵達の中心にティーシア・ニスターがいるのを見つけ、フェルツが歩み寄った。
「ティーシア殿! お主の魔法か?」
ティーシア・ニスターは帝都の魔法学校で校長を努めており、自身も帝都有数の魔法士として名を馳せていた。
「扉の外で全て聞かせて頂きました。ガイズ殿、フェルツ殿、お二人の頼みを破り申し訳ありません。ですが、一度法を犯した者がその後に法に従うとはどうしても思えませんでした。そして、どうやらその危惧が現実となったようですね」
「うむ。そのようじゃの」
「陛下、違法な外交政策の施行及びガイズ殿、そしてフェルツ殿に対する殺人未遂容疑により拘束します。憲兵達に直接命令を下しても無駄ですよ。彼らも扉の外で私と共に先程までの話を聞いていましたので」
ティーシアが憲兵達を見ると、憲兵隊長と思われる男も頷いた。
「――愚かな」
バルドはこの状況下でも表情を変えることは無かったが、ただ一言だけそう呟いた。
「陛下、先ほどの通り今回の違法行為により陛下を弾劾裁判に掛けさせて頂きます。判決が出るまでの間、その権限は我々評議会が代行致します」
ガイズの言葉にバルドは何も反応を示さなかった。
「憲兵! 国王バルド・グラネルトを拘束しなさい!」
ティーシアの命令に憲兵達はバルドを囲むと、バルドは抵抗することなく憲兵達と共に部屋を出ていった。
「ガイズ殿。これでお主が国王の代行者じゃ。急がねば」
「うむ。急ぎ評議会の招集を。事情を説明し、前線の軍の撤退とダルリア王国に対する事情説明の承認を取る」




