第四話 評議会の決断 前編
「ガイズ殿。それは誠か?」
帝都の評議会が設置してある帝国議事堂内にある評議会議場に三人の評議員、ガイズ・ボト、フェルツ・トリアス、ティーシア・ニスターがいた。
正式な評議会が開かれているわけではなく、評議会の議長であるガイズが二人のみを会議場に呼んでいた。あまり人に知られたく無かったのか、中の魔石のランプは必要最小限しか灯されておらず薄暗い。
「うむ。つい今しがた、セシル王国の国王ヴィント・セシアル殿より直接わし宛に連絡が入った。アルデア帝国との間で交わされた密約が、失敗に終わったと。わしに陛下との間に入り、セシル王国の責任を問わぬように口添えして欲しいと言うのじゃ」
「我々との間の密約じゃと? どういうことじゃ?」
正面にいたフェルツは覚えの無い話に、怪訝な表情を浮かべる。
「ヴィント殿はわしも承知しておると思っていたようじゃがの、どうやら陛下が単独でセシル王国と約を交わしていたようじゃ」
「なんですって? 単独で密約など……。内容はわかっているのですか?」
隣に座るティーシアは思わず声を荒げたが、慌てて声をひそめ周りを伺うと、ガイズに話を促した。
「うむ。今回のこのダルリア王国への侵攻戦でアルデア帝国に協力すること。そして、その見返りとして帝国はセシル王国に対し恒久的な不可侵と、何の条件も無い五分の同盟を結ぶとの約束だったそうじゃ」
「我々に協力とはどういうことじゃ? まさか、セシル王国がダルリア王国を裏切ったことか?」
「いや、そう単純な話ではない。どうやらこの話はもう数ヶ月も前から進行していたようじゃ。セシル王国はダルリア王国を裏切ったのではなく、ダルリア王国と同盟を組むことそのものが、陛下と交わされた密約の一つだったそうじゃ」
「なんじゃと!? いや、そうか。それ故にダルリア王国とセシル王国が同盟を組む可能性があるという話を陛下にした時にも、陛下は慌てることもなく……。確かにそうであるならば合点がいくが……」
フェルツは自分が掴んだダルリア王国とセシル王国が同盟を組むという話を、バルドにした時のことを思い出した。そして、その時点でこういった事が予想出来なかったことを悔やんだ。
その隣ではティーシアが不満を露わにした表情で口を開く。
「しかし、そのようなことを評議会には何も報告を入れずに他国の王と進めるなど。自国だけでなくセシル王国をも動かしていたとは……」
「セシル王国だけではない。ヴィント殿の話によると、協力者はもう一人おる。ダルリア王国元老の一人、オリゴ・ヴェチルも内通者として陛下に協力していたようじゃ。見返りとしてダルリア王国制圧後に交易権を一任されることを条件にの」
「なんて姑息な手を……。陛下が戦争は短期間で終わると言っていたのはこれが理由だったのですか? そのような真似をしてダルリア王国を制圧しても、他国から蔑まれるだけではありませんか! 陛下は帝国としての誇りを失われてしまったのか!」
アルデア帝国の民としての誇りと正義感を強く持つティーシアは、バルドの行為が許せず今度は周りを気にすることも無く声を荒げた。
「バルド陛下故であろう。他国がこのアルデア帝国をどう思うかなど意に介さぬ口ぶりであったからの」
「そんなもの、世迷言です。他国から蔑まれれば、今後はまともな外交など出来なくなるではありませんか」
「当然その通りじゃ。このような裏工作が明るみに出れば、他国がこの国を信用することなどあるまい。しかし、陛下は他国と友好関係を築く気が無く、民が望む通り帝国が大陸を単独で支配することを目指しておられる」
「まてまて、よくわからん。話が逸れておるぞ。そもそも、ヴィント殿はお主に何を口添えして欲しいと言うとるのじゃ?」
ガイズの最初の話からずっと考え込んでいたフェルツが、ガイズとティーシアの話を遮る。
「うむ。陛下がヴィント殿に依頼した当初の計画では、ダルリア王国と軍事に関わる同盟を締結し、その条項に戦時には援軍を派遣する約束をすること。ダルリア王国から援軍要請を受けた際はそれに迅速に応え、合流することになる西方師団を壊滅させること。そして、王都防衛師団のいない王都とアサシンによる王家暗殺後に混乱している王宮及び元老院を即時制圧し、ダルリア王国の統治機能を麻痺させ、王国騎士団を連携不能とすることだったようじゃ」
「アサシンまで放っていたなんて……」
ティーシアは嫌悪の表情を浮かべる。ティーシアは国王直属の暗殺部隊であるアサシンの解散を求めていた。
「そうじゃ。しかし、アサシン達はカイザス王家の暗殺には失敗したらしいのじゃ。そのため、カイザス王家を守護する近衛騎士団が、王宮でセシル王国軍を待ち構えていたらしい。それでセシル王国軍はその攻略に時間が掛かり、公都シーキスより駆けつけた公都防衛師団の到着を許してしまい撤退を余儀なくされたと。ヴィント殿としては、失敗の原因はアサシン達の王家暗殺失敗にもあるとしており、この部分で陛下に口添えをして欲しいとのことじゃ」
「我々に何も話さず、内密で事をそれ程詳細にまで詰めていたとは……。しかし、セシル王国が王宮と元老院を制圧出来なかったということは、この策は失敗に終わったのじゃろう? このままでは、ダルリア王国の制圧など難しかろう。どうするのじゃ?」
「陛下がダルリア王国を制圧するという方針を変えないのであれば、もはや帝国軍単独で事を成すしかないであろうが……。だが、それは難しいじゃろう。ダルリア王国の統治機能が生きている以上は、増援も物資供給も滞ることはない。そうなれば、今前線にいる軍だけでは前線は突破出来たとしても制圧は困難だ。しかし、今から他の軍を動かしても相当な時間が掛かる。時間を掛ければダルリア王国の騎士団は全軍招集を掛けることも可能じゃろう。そうなれば、国境紛争どころではない。ダルリア王国との本格的な全面戦争になる。敗北は無いにしろ何年もの戦いになるだろう。戦費もかさみこの国は疲弊する。しかも、軍を指揮しているのは野心高きザイルだ。功を焦るあまり無謀な方法を取らぬとも限らん。全面戦争を回避するためにはなるべく早く前線の軍を撤退させる必要がある」
「しかし、撤退させると言ってもの。軍の移動は国王命令が必要じゃ。陛下にとって撤退は、自らの言動を覆すようなもの。そのような命令を下すとは思えぬ」
「陛下を通さずに前線の軍に直接訴えかけてはいかがでしょうか? 評議会では命令は下せませぬが、その戦争が招く結果を話せば司令官の権限で撤退させることも出来るのでは?」
ティーシアの言葉にフェルツは首を振る。
「軍の司令官がファビエラであったならばその可能性もあるが、残念ながら今回の司令官はザイルじゃ。我々の話になど耳を貸すまい。むしろ、今回のダルリア王国への侵攻戦をなんとしても成功させ、それを実績としてバルド陛下の後釜を狙っている節さえある」
ザイルは明確な国王派であり、ある意味で国王バルドよりも評議会を軽んじていた。
「うむ。我々単独で軍を撤退させることは今の状況では無理じゃ。そもそも評議会も今回の軍の侵攻を承認してしまっておる。軍を撤退させるにはもはや国王命令しかない。何としても陛下を説得する必要がある」
「説得すると言ってもの。陛下とて生半可の動機で事を起こしておるわけではないのじゃろう? 説得に時間が掛かり過ぎれば、ザイルがいらぬことをせんとも限らんぞ」
「わかっておる。陛下の信念を覆すことが難しいことは、この前話した際に十分に感じられた。信念と信念で言い争っても話は平行線を辿るだけかもしれん。しかし、そうであるならば、法治国家として法で陛下を問うしかない」
ガイズの言葉には硬い決意が込められていた。
「ガイズ殿?」
「お主……。陛下を訴えるつもりか?」
「訴えると決めておるわけではない。しかし、セシル王国、そしてダルリア王国の元老との密約は明らかな外交政策。外交政策には評議会の承認が必要であることは、法で明確に定められておる。例え、陛下の信念に基づき民の意思を実現するための行動といえども、法は法じゃ。法を元に陛下と話し、陛下がこちらの求めに応じ軍を前線から撤退させるのであればそれでよし。それ以上に事を荒立てようとは思っておらん。だが、陛下が求めに応じないのであれば、法に基づいた正攻法で戦うしかない」
しかし、ガイズの案をフェルツは否定する。
「陛下が自らの言動を覆すものか。その上で国王を裁判に掛けるなど、そのような法はあっても前例が無い。陛下が裁判におとなしく従うとはとても思えん。陛下は法よりも民の意思を優先しておるのじゃろう? 下手をすればお主は……」
「陛下が従う、従わないの問題では無い。この戦争は絶対に止めねばならぬ。陛下は帝国の将来は民の意思を具現化した先にあり、その責任は民自らが取る必要があると言われた。しかし、それは民に対し全ての選択肢を用意し、選択した結果をある程度見通せるのであればその通りかもしれぬが、評議会が帝国の現在に迎合している状態では、民に選択肢があるとは言えぬ。この戦争に反対しておるわしの意思が正しいなどと言うつもりは無いが、この戦争が帝国の民の意思を反映しているとも言えないように思う。わしはこの国は一度足を止め、複数の選択肢と視点を民に提示し、再度民の審判を仰ぐ必要があると思う。その為には、陛下には手を引いて貰う必要がある」
「しかし……。確かにお主の言うことは正論じゃが……」
「ガイズ殿。私もフェルツ殿と同じくあまり賛同できません。法を一度破った者が、今度はおとなしく法に従い軍を撤退させたり、法の裁きを受けるとは到底思えません。そのような話をすれば、必ず抵抗するでしょう。――あなたの命を奪ってでも。こうなった以上は、我々も法を犯してでも別の軍を動かしてはいかがですか? 軍の中には十二年前の戦争に参加した部隊長達を中心に、今回の陛下の行動に疑問を呈している者達もいます。彼らであれば話を聞くでしょう。彼らを前線に送り、ザイル達の部隊の補給路を断ってしまえば前線は継戦が難しくなる。そうなれば撤退を余儀なくされるでしょう。一度撤退させてしまえばもう一度行く事は困難です」
ティーシアの案にはガイズは強く首を振った。
「そんなことをしてはだめじゃ。陛下は法を破り行動しておる。だからこそ、我々は法に基づいた行動をせねばならぬのだ。陛下には民の意思の実現という行動動機があり、支持を得てもいる。その上で、わしらまで法に則らずに軍を動かすような真似をしては、民も軍も我らの方を反乱と見るじゃろう。それでは戦争を止めることなど無理じゃ。むしろ、その状況で下手にわしらが支持を得ては国内を、そして何より軍を二分することになり、それはいずれ内戦に発展する。それは正に最悪の結果だ。正当性なく軍を動かすことは絶対に出来ない。軍は法に則ったやり方で動かさねばならぬ。反乱ではなく、我らにのみ正当性があることを示さねばならぬ。そして正当性を示すためには、法という後ろ盾を持つことだ。――心配しなくてもよい。お主達を巻き込むつもりは無い。この事はわし一人で行う」
「ばかを言うでない。いくら評議会の議長とはいえ、お主が一人で背負い込むようなことではない。どうやら意見を変えそうに無いの。ならばわしも同席させてもらおう。こんな老人では役に立たぬかもしれぬが、いないよりはいいじゃろう。駄目だなどと言うでないぞ。こんなところで言い争っても仕方がないからの」
「……すまぬ。その言葉、受け取らせて頂く」
ガイズは感謝の言葉を述べるとフェルツと共に立ち上がった。
「ガイズ殿、フェルツ殿……」
座ったままのティーシアは二人を見上げた。
「ティーシア殿はしばらくわしらとは距離を置かれるがよかろう。わしらは陛下の説得を試みる。最悪でも法に訴え、裁判の場に出てもらう。お主はそれを外側から見守っていて欲しい。そして、もし、我々が失敗に終わった場合は、その後のことを頼みたい」
ガイズの言葉にティーシアは何の反応も示さない。しかし、ガイズはそれ以上は何も言わず、フェルツと共に会議場を出ると王宮にいるバルドの元へと向かった。
「もし、などと……。ガイズ殿、フェルツ殿。やはり陛下があなた方の話を受け入れるとは到底思えません……」
一人残されたティーシアは誰にともなく呟くと、自らも足早に会議場を出ていった。




