第四話 最後の防衛線 前編
セシル王国軍との決戦となる早朝、フォルティスは昨晩と同じ体勢のまま東から昇る日の光を見つめている。ルナが自室に戻った後も眠ることが出来ないままに朝を迎えていた。
しかし、眩い日の光に照らされるフォルティスの表情には、昨晩までのような迷いや心の揺れは見られず、その瞳には決意が感じられた。
フォルティスは立ち上がり剣を取ると、そのまま謁見の間へと向かった。そこでは、ここでウォルトとフロリアを守るために陣を張る近衛騎士達が最終確認を行っている。フォルティスはその状況をひと通り確認すると、今度はクラウスがいるはずの待機部屋へと降りていった。
待機部屋の中ではこの戦いで要所の指揮を執る事になるであろう十数人の経験豊かな近衛騎士達がおり、その中央ではクラウスが王宮防衛のための細かな指示を行っていた。
しかし、近衛騎士達の口数は少なく何か淡々と作業をこなしている雰囲気であり、とてもこれからこの国の命運を左右する決戦が行われるようには見えなかった。
フォルティスは中に入るとクラウスを呼び出し待機部屋の外へと連れ出す。
「どうしました?」
「状況は?」
「……王宮内部はほぼ完了し、正門前ではグレンがセシル王国軍を迎え撃つ準備を進めています。それと、セシル王国軍の監視のために斥候を出しました。ですが――」
クラウスは現在の状況を説明すると、最後に言葉を詰まらせる。早朝から準備をしていたクラウスは近衛騎士団の士気の低さを肌で感じており、その後の言葉を出すことをが出来なかった。
このまま戦いになれば数刻と持たないであろうことを。
フォルティスはクラウスの言葉に一呼吸置くと、ゆっくりと口を開く。
「クラウス、謁見の間の防衛は任せる。……陛下とフロリア様を頼む」
フォルティスの言葉にクラウスはすぐに反応出来ず、怪訝な視線をフォルティスに送る。
「団長? 謁見の間での指揮は団長が行うはずでは?」
「変更だ。謁見の間と近衛騎士団の総指揮をお前に任せる。俺は、――正門に出てセシル王国軍を迎え撃つ」
「なっ!!」
フォルティスの言葉にクラウスは驚愕する。
「本気ですか? あなたは指揮官だ!! 正門はこの戦いの最前線です!! 指揮官は前線に出るべきではない!!」
クラウスは思わず声を張り上げた。
「この戦い、必勝と呼べる策は無い。そうであれば、必要なのは指揮ではなく士気だ。現状のまま戦えば正門はセシル王国軍に容易く突破されてしまうだろう」
「し、しかし、団長にもしものことがあれば……」
「だからこそ、先にお前に全指揮権を移譲する。近衛騎士団を死地へと送り出そうとしている俺が、皆の後ろにいるわけにはいかない。今、近衛騎士団の士気が落ちていることはお前も感じているだろう。全員にこの戦いの目的と意義を伝え、意識を統一し、士気を回復させなければ一気に瓦解しかねない。俺が前線に出ることで少しでも士気を向上させ、何よりもこの戦いの目的を伝える責任が俺にはある!」
「この戦いの目的……」
自分自身も疑問を感じているクラウスの表情は暗かったが、それとは対照的にフォルティスの表情には力強さが見えた。
「団長……わかりました。謁見の間と総指揮は私が行います」
フォルティスの強い決意に触れたクラウスは、そうとしか答えられなかった。
「頼む。それと、俺が外に出たら皆を正門側が見える位置に移動するように伝えておいてくれ」
「……わかりました」
フォルティスはクラウスに背を向け正門へと向かおうとするとクラウスが呼び止めた。
「フォルティス! 武運を祈る」
「クラウス、陛下とフロリア様を任せたぞ」
クラウスは静かにしかし力強く頷くと、フォルティスは正門へと歩いていった。
その姿を見ていたクラウスは、フォルティスの何か覚悟を決めた決意に己も昂るのを感じながらも、言葉にできない不安も感じていた。
フォルティスが正門に行くと既にグレン他、百五十名余りの近衛騎士達が集合していた。しかし、近衛騎士達は落ち着かず、陣にも乱れが見えた。規律の厳しい近衛騎士団では本来考えられない光景である。今回のこの戦いが、自分達の使命と合致しているのかと疑問を抱いているが故であろう。
近衛騎士達も当然この国を大切に思い、家族や友人が住み、そして祖先の眠るこの国を守りたいと思っている。しかし、自分たちは近衛騎士として王家に忠誠を誓い、生命を懸けて王家を守ると誓った。そしてそれが、自らの誇りでもあった。
本来であれば王家を守るためには、王家と共に亡命する事が自分達の最善の策だということもわかっている。同じ生命を懸けるとしても、王家を逃がすための戦いならば迷いはない。しかし、この戦いは勝ち目は無いに等しい。
そして、自分たちが負ければ王家の命も危機に晒されることになる。
己の使命と、現状、そして命令との狭間で苦悩している様子が目に見えて感じられた。
「フォルティス団長!!」
グレンがフォルティスに気付き走り寄る。
「斥候は戻ったか?」
「はい、間もなくセシル王国軍が王都に侵入してくるとのことです……」
グレンは力無く答えた。
「そうか」
フォルティスは短く答えると、グレンに告げる。
「俺も、皆と共にここで闘う」
「団長?」
フォルティスの言葉にグレンは一瞬意味がわからず、疑問の表情を浮かべた。
「陣を整えよ!!」
「は、はっ!! 全員、整列!!」
『はっ!!』
しかし、フォルティスの突然の一喝にグレンは慌てて全員に号令すると、周りの近衛騎士たちも急ぎ陣を整える。
近衛騎士達は正門に向かってフォルティスを中心にして陣を張る。王宮内ではクラウスの指示で近衛騎士達が窓より正門側を見ていた。
そして、フロリアはルナと共に謁見の間の近くの窓に、王宮の屋上にはウォルトがクラウスと共に姿を現していた。ウォルトの腰には日頃は身に着けることの無い剣が携えられており、ウォルト自身も自ら剣を取る覚悟を決めているようだった。
フォルティスは周りが鎮まるのを確認すると右手で剣を抜きそれを高く掲げた。それに近衛騎士達が注目する。そして、フォルティスは少し間を置くと、静かだが良く通る落ち着いた声で語り始めた。
「我らの後ろには、ここに残った多くの民がいる。皆がこの国を愛し、この地を愛し、故郷を愛する者達だ。そして、その者達と共に、ウォルト陛下、フロリア王妃も残られている」
フォルティスは一呼吸置き続ける。
「今、この状況は国家存亡の危機と言えるだろう。既に皆も知る通り、正面からセシル王国軍が大軍を成してこの場に攻め込もうとしている」
その言葉に近衛騎士達に緊張が走る。だが、フォルティスは事実を根拠の無い希望で覆うことなく語り続ける。
「王宮まで攻め込まれれば、王家の方々の命も危機に晒されるだろう。この状況は予想出来たことであり、我らの心に刻まれた使命を考えれば王家の方々を亡命させ、それに付き従うことが本来かもしれない」
その言葉にウォルトはゆっくりと目を閉じた。
「俺自身も、昨日まで心に迷いがあり、確信が持てずに揺れていた。しかし、昨晩俺に近衛の本当の責務を気付かせてくれた人物がいた。近衛の責務、紋章に誓った近衛の使命である『王家の守護』の本当の意味、それを再考し、そして自分なりの答えを見つけられたように思う。『王家の命を守る』ことも我らの絶対的責務ではあるが、それと同等に、王家の剣として『王家の意思を守る』ことも我ら近衛の責務では無いかと。王家の意思を無視して亡命し、王家の命だけを守るのでは無く、王家の意思を命と共に守り通すことこそが近衛の使命では無いかと」
王宮の窓際から正門のフォルティス達を見ていたルナも、『気付かせてくれた人物』が自分だとは思わず、ただフォルティスの言葉を聞き入っていた。
フォルティスの言葉はさらに続く。
「ウォルト陛下はこの王宮に避難してきた民のため、そして、前線で未だ死闘を繰り広げている王国騎士団のためにこの場に残り、王宮そして元老院を維持し続けると決断された。そして、それこそが我らが守り抜くべき王家の意思である!!」
フォルティスは声を張り上げ、腰の帯びていた鞘を後方に投げ捨てた。それは、剣がもはや鞘に納まることは無い、撤退は無いことを意味していた。
そして、フォルティスの声にさらに力が籠る。
「今日ここで、近衛騎士として、諸君と共に闘えることを誇りに思う!!」
一瞬の間、そして…
『おおおおおおっ!!!!!!!!』
正門はもとより、王宮からも一斉に声が上がる。ルナ、そして、ウォルトの側にいたクラウスまでもが叫び声を上げている。さらに、近衛騎士達もフォルティスに習い自らの剣を抜くと同じく鞘を投げ捨てた。フォルティスの示したこの戦いの目的、近衛の使命、それに気付かされた近衛騎士達にはもはや迷いはなく、『王家の意思を守る』というフォルティスの言葉に全員の心は一つになった。
それを屋上から見守っていたウォルトは、悲しげな表情と共に静かに呟いた。
「すまない……。――これが、この国の最後の防衛線だ」
その声は側にいたクラウスにも聞こえていなかった。
そして、この戦いの狼煙は唐突に上がる。
――― ドグゥンッ ―――
近衛騎士達の掛け声が未だ鎮まらない内に、正門の向こう、王都の中央にある広場付近から爆発音が響く。
そして、王都ルキアのシンボルとなっている時計台の上部が崩れ落ちるのが見えた。おそらくセシル王国軍がこちらに対する脅しか、自らを鼓舞するために放った魔法が原因と思われ、残された時計台の土台からは黒煙が上っていた。
それを見た近衛騎士達は、しかし誰一人動じることも陣を崩すこともなくその黒煙が立ち上る時計台を見つめている。近衛騎士達の表情には先程までとは違い、決意に満ちた表情に変わっていた。
フォルティスも剣を下ろすと、黒煙の立ち上る時計台に視線を向ける。そして、その眼は時計台の横を王宮に向かい進軍して来るセシル王国軍を捉えた。
その後、さらに二度ほど爆発音が聞こえた後、ついにセシル王国軍は正門の直前まで到達し進軍を止める。先頭にいる前線の司令官と思われる男の後ろに整然と隊列を成し、王都の大通りはセシル王国軍で埋め尽くされた。
「ダルリア王国に告ぐ! 我はセシル王国軍司令官ウィリス・ロカ! 我らの要求を伝える! 我々の目的は王宮の制圧でありダルリア王国の民の命ではない。王宮と元老院、そして王家の人間を引き渡せばそれ以外の者達の命は保障しよう。我々に降伏せよ!!」
セシル王国軍の先頭にいた白馬に跨った男、セシル王国軍司令官ウィリス・ロカがフォルティス達に対し降伏を促してくる。
「――ウィリス・ロカ」
フォルティスはダルリア・セシル同盟の締結前夜、近衛騎士団の待機部屋に王宮の案内を頼みに訪れた男を思い出していた。そして、自らの指示でウィリスに王宮内を案内させてしまったことを。
「それが、貴様の本当の立場というわけか……。思えば、あれが全ての始まりだった。やはり、全ては予定された行動だったのだな……」
フォルティスは怒りに震えながらそう呟くと、一気に声を張り上げウィリスに返答する。
「帝国の軍門に下った者どもの戯言を聞く耳は無い!! これが我らの答えだ!」
そう言うとフォルティスは右手の剣を上に上げた。それを合図に城壁の上にいる弓士と魔法騎士が構える。
そして、
「撃てぇ!!」
フォルティスの号令で弓が放たれ、続いて火の魔法がセシル王国軍の中央で轟音と共に炸裂した。数で圧倒的に劣る相手からの予想していなかった先制攻撃にセシル王国軍に動揺が走る。
「ちっ! この戦力差にもかかわらず抵抗するつもりなのか。その誇り高さは認めるが、現実が見えていないようだな。――前衛部隊突っ込めぇ!!」
ウィリスは自分の馬を立て直すと、前衛部隊に対し命令を下す。その命令に応えたセシル王国軍の先頭付近にいた前衛部隊が正門をくぐり、そして最初の一人がフォルティスに斬りかかる。フォルティスはそれを微動だにせずに直前まで引きつけると、相手が剣を振り下ろすよりも数倍早く、持っていた剣を振り上げると相手を鎧の上から肩口を一撃で叩き伏せた。斬りかかった兵は上体を腹部まで斬られ、そのまま力で地面に叩きつけられると、悲鳴を上げることすらなく無く絶命する。その光景を目の当たりにしたセシル王国軍は言葉を失ったように静まり返り足を止めた。
近衛騎士団は少数ながら建国より三百年、王家を守り抜いてきた。そして、フォルティスはその精鋭をまとめる団長である。
指揮能力だけでなく剣の実力も近衛騎士団随一を誇るフォルティスに、一兵卒程度では相手になるはずもなかった。
そして、フォルティスはまだ血糊の残る剣を腕と共に横に水平に構える。
「来い!! 貴様らにこの王宮を落とせはしない!!」
フォルティスの実力と言葉は、既に高揚していた近衛騎士団の士気を更なる高みへと引き上げ、セシル王国軍を怯ませた。
「フォルティス・ブランデル――」
ウィリス・ロカの目には正門の先でセシル王国軍に立ち塞がるように立つフォルティスの姿が映る。
「怒りと覚悟、そして強固な意思がここまで伝わってくるようだ。お前は双肩に相当重いものを背負っているのだろうな。――だが、私とて同じ。この手にはセシル王国の命運が託されている。例え誇れる戦いではなかろうと、祖国の未来のために、自らの手を汚し、ここまで来たのだ」
ウィリスは自らの左手を見つめると、それを固く握りしめた。ウィリスはその手で数日前に西方師団長エルス・アナントを討ち取っていた。セシル王国軍が西方師団に合流後、ウィリスは西方師団本陣のテントにいたエルスの元に出向き、前に会った時と同じくエルスに握手を求めた。同盟の際に行きと帰りに言葉を交わしたウィリスを信頼していたエルスは、疑いなくそれに応じたが、ウィリスは握手と同時に残った左手に隠し持っていたダガーでエルスを刺した。一瞬の事だった上に隻腕のエルスは成す術なく、そのまま討たれていた。
「絶対に、失敗するわけにはいかない」
ウィリスは固く握りしめた左手から視線を正面に戻すと、前衛部隊に再度命令する。
「臆するな!! 所詮相手は少数だ! 個々ではなく数人で一人に当たれ!! 態勢を立て直し再度突撃せよ!!」
ウィリスの号令に、立ち止まっていたセシル兵達は我に帰ると近くにいた者たちで組み、再度近衛騎士達に突撃していった。
そして、戦いは始まった。
個々の実力では近衛騎士団側が著しく高いが、それでもその実力差を圧倒的に覆す動員数。士気が回復したとは言え、圧倒的に不利であることは何も変わりなく、決して勝てる見込みの無い、ただ、耐えるだけの戦いが……。
公都防衛師団の到着まで、ただひたすらに……




