第二話 ウォルトの覚悟、近衛の使命
フォルティスは自らの私室を出てクラウスと別れた後、真っ直ぐウォルトの執務室へと向かった。
途中、フォルティスは外に目を向けると雨が激しく窓を叩いており、その向こうは雨のせいなのか闇が濃く、王都の灯りもいつもより暗く見えた。しかし、フォルティスは歩みを止めることなくウォルトの執務室の前までくると、すばやく扉を叩いた。
「フォルティス・ブランデルです。危急の要件があります」
気が焦っていたのか、幾分強い口調になっている。
「――入れ」
中からウォルト以外の声と何かの話をした後に、ウォルトから入室を促す声が聞こえた。執務室に入ると中にはウォルトの他にフロリアとクレーネ、そして、大公アウロがいる。
「どうした?」
フォルティスの表情から通常とは違う雰囲気を感じ取ったのか、ウォルトは怪訝な表情でフォルティスを迎えた。他の者達もフォルティスに視線を集めている。
「はっ。まず、国家防衛に関し発言する許可を」
フォルティスの言葉に、アウロとクレーネが顔を見合わせた後ウォルトを見た。
国家防衛に関して何の権限も持たないフォルティスがそれに意見することは完全な越権行為である。
「何か事情がありそうだな。話すがよい」
「はい。セシル王国軍は、ここに進軍して来るものと思われます」
「――なに? どういうことだ? セシル王国軍はその動きから見て前線の挟撃を狙っているはずだ。諜報部隊が何か掴んだのか?」
「いえ、違います。それは――」
フォルティスは先ほど、クラウスに説明したことを順を追って話し始めると、その場にいる全員がフォルティスの話に耳を傾けた。
フォルティスの話が終わった後、しばらくの沈黙が流れた。ウォルト、そしてクレーネとアウロは元老会議に参加しているため、オリゴの言動に何か思い当たることがあるのか非常に厳しい表情をしている。
そして、その重い雰囲気の中クレーネが口を開いた。
「陛下、フォルティスの話は信じるに足るものかと。現に先程の会議には――」
ウォルトは机に片肘を付き、その手で顔を覆っている。
「ヴェチル卿は先ほどの会議で何か?」
フォルティスがクレーネに問いかけたが、その問いにアウロが答える。
「参加していない。ヴェチル卿とリウス卿は連絡が取れなかったのだ。リウス卿は戦地の領主のため当初より連絡が付きにくかったが、ヴェチル卿の理由はわからない」
(遅かった……。では、もう既に王都を離れた後か……)
フォルティスは拳を強く握った。
クレーネは厳しい表情のまま目を閉じ口元に手をあてて何かを考えていたが、再びを目を開くと体ごとウォルトの方を向く。
「陛下、リーフポートの放棄を宣言します。リーフポート及びその周辺住民を避難させる許可を」
リーフポートは西方師団の砦から王都まで続く道沿いにあり、セシル王国軍が王都に向かうとすれば必ず通過する場所だった。
ウォルトは手で顔を覆ったまましばらく動かなかったが、クレーネの言葉に顔を上げるとその重い決断をしたクレーネの覚悟を強く感じ無言で頷いた。直後ウォルトの隣で聞いていたフロリアが突然声を上げる。
「クレーネ殿。 民をオーシャルカーフへ。兄へは私から連絡しておきます」
「フロリア様……、ありがとうございます。そうさせて頂きます」
クレーネはフロリアに深く感謝すると、避難の手配をするために執務室を後にした。オーシャルカーフとは、元老の一人であり王妃フロリアの実兄、オルコット卿フォンス・オルコットが治める南方の街である。
クレーネが部屋を出ると、しばらく声を発さなかったウォルトが口を開いた。
「アウロよ、王都の民を受け入れてくれ。少し距離があるが、王都の人口を収容できるのは公都以外にない。移動に堪えられぬ者は王宮に避難させてくれ」
ウォルトも王都ルキアの民の避難を決めた。
「わかりました。王都の民の避難は私の方で手配させて頂きます」
「頼む。それと、一刻後に再度元老会議を開く。招集しておいてくれ」
「はい」
アウロも執務室を後にすると、部屋にはウォルトとフロリア、そしてフォルティスが残された。
「陛下、先ほどの元老会議ではこちら側は何か動きを?」
「うむ。当初は前線を撤退させる予定だったが、王都防衛師団が未だ移動中で連絡が取れない。負傷者を抱えた北方師団と緊急展開師団だけで退却戦を行わせることは難しいため、王都防衛師団の前線到着を待って撤退させることにした。しかし、それもやめる必要があるな。セシル王国軍が前線に向かわないのであれば、前線の王国騎士団を撤退させる意味は無い。ここに向かわせても間に合わんであろうし、それこそ帝国の思う壺だろう」
「公都防衛師団は既に公都を出られたのですか?」
「ああ、今日中に公都を出る予定だ。三日程で到着できるだろう」
(三日……。もはや、選択の余地はない)
フォルティスはウォルトの顔を真っ直ぐに見ると、ここに来た理由を話始める。
「陛下、ヴェチル卿が帝国側であった可能性が高い以上、公都防衛師団が王都に向かっていることは帝国、そしてセシル王国も知っているでしょう。西方師団砦から王都までは二日程で到着します」
フォルティスは真っ直ぐにウォルトの目を見ている。ウォルトもその視線を正面から受け止めた。
そして、フォルティスは更に現在の状況を説明していったが、途中でウォルトは何かを感じたのかフォルティスの言葉を手で制する。
「フォルティス、何が言いたい?」
ウォルトの言葉にフォルティスは一度目をつぶると、自らを落ち着けるため深く呼吸をする。そして、目を開けると再びウォルトを正面から見据えた。
その目には強い決意が伺える。
「陛下。王家の、都市同盟への亡命を進言します」
フォルティスの声は決して大きくは無かったが、しかしはっきりとした口調でウォルトに伝えた。ウォルトはその言葉に顔色を変えると、勢いよく立ち上がった。
「駄目だ!!」
ウォルトは即座にそれを拒否すると机を離れ、フォルティスの正面へと移動する。
「王国騎士団は未だ国境で戦っている。王宮内にも多くの民が残ることになるであろう。そんな中で我々王家だけが亡命するわけにはいかない!!」
「しかし、セシル王国軍は西方師団との戦いで相応の被害が出ているとしても、数千は残っているものと思われます。その上、王都には既に防衛師団は無く、残るは我ら王宮の近衛騎士団二百余名のみ。とても退けられません!! 仮に、制圧直前に王宮を脱出出来たとしても、王国の統治機能が奪われれば帝国に下ったも同然! そうなれば帝国は、民の命と引き換えに王家の首を要求して来ます! 今国外に出なければ、王家はこの国をも敵に回しかねません!!」
「では、未だこの国の為に戦っている王国騎士団や王宮に残される民を見捨てて亡命しろというのか!!」
「国家防衛は王国騎士団が責務。我らの責務は王家の守護です!!」
フォルティスの口調はいつになく強い。無論、王国の民から厚い信任を得ているカイザス王家を、民が帝国に差し出すような事をするとは思えない。だが、それでもそれに甘える訳にはいかなかった。
そうなれば、民も、そしても王家も苦しい立場、判断を迫られることになる。しかし、今国外に亡命すれば民からは恨まれることになるかもしれないが、帝国は王国内にいない王家の命を取引材料とすることは出来ず、王家も命が救われる可能性が高い。
フォルティスは王家を守るためには亡命こそが最善の策と信じていた。
そして、フォルティスが口にした『王家の守護』。それは大恩あるウォルトとフロリアを守るために近衛騎士になったフォルティスの信念でもあった。
だが、ウォルトも自分達を慕う王国の民を見捨てて亡命することは出来ない。フォルティスの言うことも理解出来たが、だからこそやり場の無い怒りが込み上げ、ウォルトの口調は荒くなった。
「国を捨て、王家だけが生き残ることになんの意味がある!!」
「――返答しかねます」
ウォルトの口から咄嗟に出た言葉にフォルティスはうつむいた。ウォルトもはっとし、フォルティスから視線を外すと目を伏せた。
「すまぬ……」
王家が生き残ることの意味の否定、それは近衛の誓い、そして責務の否定でもある。ウォルトは謝罪した。
「いえ……」
長い沈黙が流れた。そのためか、雨が王宮を叩く音が執務室内に強く響く。
しばらくその状態が続いていたが、ウォルトが先程までとは違い、ゆっくりと落ち着いた口調でフォルティスに語りかけた。
「フォルティスよ、お主もわかっているはずだ。王都が、王宮が落ちればどうなるか。公都防衛師団が到着するまででよいのだ。王宮を、民を守ってくれ」
フォルティスは答えず目を閉じた。
またしばらくの沈黙が続く。
ウォルトはフォルティスの言葉を待っていたためか、長い沈黙になった。フロリアはそんな二人を見ていられないのか、目を伏せうつむいた。
しばらく続いた静寂の後、フォルティスは静かに目を開くと顔を上げる。その眼には何か覚悟を決めたような強さがあった。
そして、フォルティスはウォルトと再び目を合わせると強く、はっきりとした口調でその覚悟を伝えた。
「陛下、近衛騎士団の団長として現状を有事と判断し、近衛騎士団有事大権の法に基づき陛下を――」
「フォルティスッ!!」
しかし、フォルティスの言葉をウォルトは割れんばかりに声を張り上げ遮った。フォルティスが何を言おうとしたのか悟ったのか、その表情には焦りが伺える。
「フォルティスよ、頼む……」
ウォルトは声を絞り出した。
ウォルトの発した『頼む』という言葉。それは、国王であるウォルトが近衛騎士団の団長であるフォルティスに発する言葉とは到底思えない。だからこそ、フォルティスにはその言葉が強く胸を突き刺さった。
再び、何度目かの沈黙が流れる。
フォルティスは一瞬フロリアに視線を送ると、フロリアはその視線をやさしく受け止めた。フォルティスはフロリアから視線を外すと、再度ゆっくりと目を閉じる。
「……わかりました。では、せめてフロリア様と両王女、それに大公殿下の亡命を」
フォルティスはここに来た時とは違う覚悟を決めた。
「うむ。皆を、亡命させてくれ」
ウォルトは、自らはこの国の王としてその責務を果たす覚悟を決めていた。しかし、それでも家族の身を案じていないはずはなかった。
ウォルトが自分以外の王族の亡命を決めたが、その言葉を聞いたフロリアは二人のもとへと歩み寄ると、静かに口を開く。
「私は参りません。亡命はレニスとクリシス、それに大公殿下を」
ウォルトはその言葉に驚いてフロリアに詰め寄る。
「フロリア!! 何を言っている! 駄目だ。お主は亡命してくれ!」
「フロリア様……」
フォルティスもフロリアの言葉に驚きを隠せない。
「亡命とは万が一の際に王家の血を絶やさぬための行為のはず。王位継承権を持たない私が亡命する必要はありません。陛下が残るのであれば私も残ります」
フロリアは慌てている二人をよそに、既に決まっていることを話すように淡々と、しかし力強く語った。
「しかし……」
フォルティスは困惑した。まさかフロリアまで残ると言い出すとは思っていなかったのだろう。
そんなフォルティスにフロリアは優しく微笑んだ。
「陛下、そしてフォルティスも、もう何も言わないで下さい。考えは変わりません」
フロリアの眼にも覚悟が込められていた。
「フロリア、すまない……」
ウォルトはフロリアに歩み寄るとフォルティスの目を気にすることも無く、強く抱きしめた。フォルティスはそこから静かに視線を逸らす。
フロリアもウォルトを抱き返した後に離れると、フォルティスに歩み寄り手を取り強く握りしめた。
「フォルティス、レニスとクリシスの亡命をお願いします」
「――かしこまりました」
フォルティスは複雑な感情の入り混じった震えた声でそう言うと、二人に敬礼をし執務室を出た。執務室の扉を閉めるとフォルティスはしばらくその場に立ち尽くした。
正面の窓の外では未だ雨が激しく振り続いている。
フォルティスは少しの間その雨を眺めると、自室へと向かった。
「クラウス、ボスト殿……」
フォルティスが自室の前まで来ると、扉の前でクラウス、そしてそのクラウスから連絡を受けたボストが待っていた。フォルティスに気付いたクラウスが駆け寄ると早口に話し始める。
「フォルティス、都市同盟が亡命の受け入れを了承してくれた。こちらの準備も問題ない。いつ出る?」
「――」
フォルティスは答えない。
「団長?」
ボストが怪訝な顔でフォルティスを見ると、フォルティスもボストの方に目を向ける。
「ボスト殿、レニス様とクリシス様、それに大公殿下を連れて明日の朝、都市同盟へ向かって欲しい。陛下とフロリア様はここに残られる。俺とクラウスはここで公都防衛師団の到着まで王宮を守る」
フォルティスは表情を変えずに坦々と二人に伝えた。
「なっ――、本当か? それが陛下の意思なのか?」
クラウスの言葉にフォルティスは無言で頷いたが、クラウスは眉間に皺を寄せ戸惑いを隠せない。
「団長、今は有事ですぞ」
「――わかっている」
ボストの問いにフォルティスは静かに頷くと短く返事をした。
その後もしばらくボストはフォルティスの目を見据えていたが、フォルティスもその視線から目を逸らさずに見返した。その視線から何かを感じたのかボストは一度目を閉じると静かに口を開く。
「そうですか。では、これ以上は言いますまい。私は亡命の準備を整えます」
ボストはフォルティスに敬礼をすると、クラウスを残しその場を離れた。
「ボスト殿!!」
クラウスはボストを呼びとめたが、ボストは何も言わずそのまま去っていった。
「フォルティス、本当なのか? セシル王国軍から王宮を近衛騎士団だけで守り切れると?」
クラウスの言葉にフォルティスは何も言えなかった。
「フォルティス……。――いや、すまない。わかりました、これより王宮防衛のための準備に取り掛かります」
クラウスは一瞬目を閉じると、友とはいえ団長であるフォルティスに疑念を抱いた自らの態度を諌めた。
クラウスもフォルティスに敬礼をすると、足早にその場を離れて行く。フォルティスはその後ろ姿を見送ると、自室へと入った。
そして、灯り付けることも無く執務机の椅子に座ると、両肘を付き、顔の前に組んだ手に額を乗せる。
部屋の中は、王宮を叩く雨の音が一層強く鳴り響いていた。




