第三話 消耗戦 前編
「帝国軍が波状攻撃だと?」
帝国軍との最初の戦いが行われた日の夕刻、薄暗いテント内の中央にある台座の上で、青く輝く通信球の前にスタインはいる。地面には魔石と魔方陣が縫い込まれた布が広げられており、王国騎士団はこのような布と水晶を用いて即席の通信球を設置していた。
テントの中にはスタインの他にトリストと通信官がおり、先程から戦陣にいるオルカからの報告を受けていた。
<<はい。帝国軍は数刻の間隔を開けて攻撃を繰り返す戦術を取っています。物量に物を言わせて強行突破してくるであろう帝国軍をこちらが波状攻撃で食い止める予定が、逆手に取られたかのようです。それと気になることが……>>
「なんだ?」
<<序盤に一度、第一師団が崩されかけてしまい我々に隙が出来たのですが、帝国軍はその隙を突くことなく後退したのです。帝国側の攻めで崩されたので帝国軍が気付かなかったはずはないのですが……>>
「隙を見逃し後退したということか? こちらとしては幸いではあるが、妙だな」
<<はい。陣の一部が崩され乱戦に持ち込まれたので後続を投入して押し切ってくるかと思ったのですが、特に試みることもなく銅鑼の音と共に後退を。確かに第一師団の後方に第二師団を待機させて、我らとしても突破させない準備はしていましたが、それにしてもやけにあっさりと……>>
「確かに気になるな。帝国軍としては無理にでも渓谷を突破し、広い場所での総力戦に持ち込みたいところだろう。そうでなければ帝国軍の動員数を生かせない。隙を見つけたのならば突破を試みればよいものを」
スタインは腕を組み少しの間沈黙する。
<<スタイン副団長?>>
「……オルカ、帝国軍は今どうしている?」
<<先程攻撃が引いたばかりで、今のところ動く気配はありません。こちらは現在負傷者の手当てを行なっています>>
スタインは状況から帝国軍の動きを分析するために再び目を閉じ沈黙する。しばらくすると考えがまとまったのかゆっくりと目を開いた。
「まさか、消耗戦に持ち込むつもりなのか。この戦いだけを考えれば妥当といえば妥当だが……」
<<消耗戦ですか? 確かに動員数の差から考えると戦力の削り合いを行なっていけば規模に勝る帝国軍が有利ですが、では帝国は長期戦も辞さないと考えていると?>>
「いや、考え難いな。確かに帝国軍に有利な戦術ではあるが、我らの補給路を断った状態で仕掛けるならわかるが、そうでない以上は相当な持久戦になる。帝国がダルリアを制圧するつもりであるなら今は序盤戦のはず。この段階で長期戦など仕掛けるだろうか……」
<<そうですね。消耗戦となれば字の如く帝国側も消耗する。この段階で行う戦法では無いように思います>>
「ああ。だが、こちらが不利であることには変わらない。消耗戦を仕掛けているのであればなんとか打開しなくては。相手の補給路を断ちたいところだが……」
持久戦で重要なのは軍の士気と体力である。士気の面ではスタイン達王国騎士団は十二分に高いが、帝国軍も侵攻を阻まれるのではなく、自らの意思でそこに留まっている以上はその士気も下がりにくい。そうなれば問題は体力である。
互いに自国を背にしている以上、兵糧が尽きることはまず有り得ない。となれば、軍の体力はその動員数となって来る。
そして、その動員数は王国騎士団が大幅に少なかった。
「オルカ、帝国軍の補給路を断つことは可能か?」
<<難しいですね。少数であれば渓谷の両側の山から帝国軍の後ろに回りこむことは可能でしょうが、それでは補給路を断つことは出来ないでしょう。しかし、補給路を断つことが出来る程の軍勢を帝国軍に見つからずに送り込むことは厳しいと思われます。無理に送り込んだとしてもその部隊が孤立してしまう恐れがあります>>
「そうなると、場所が裏目に出たな。補給路を断つためにはもう少し引き込まなくては。しかし、そうなれば全面衝突は避けられん。それこそ帝国側の思う壺だ。それが帝国軍の狙いなのか……。ちっ、主導権を握られたな」
スタインの表情はさらに険しさを増した。
「オルカ、少し時が必要だ。現状では帝国軍の動きに付き合う以外にない。師団を早めに交代しながら体力を温存しつつ帝国軍の侵攻を防いでいてくれ。その後の動きは追って指示する」
<<かしこまりました。我々は帝国軍の侵攻阻止に全力を上げます>>
「頼む」
<<はっ>>
スタインは通信官に通信球を切断させると後ろを振り返った。
「トリスト、策はあるか?」
唐突な問いにトリストは戸惑いながら首を横に振る。
「申し訳ありません。少し、検討する時間をください……」
「そうか。俺も一度戦陣に出向きこの目で状況を見定めて来る。お前はルーク団長に現状の報告を行っておいてくれ」
「承知しました」
スタインはトリストを残し通信球のテントを出るとその足で戦陣へと向かう。その場に残ったトリストは通信官に王都にある王国騎士団の大砦、クラウストルムに通信球を開かせた。
クラウストルムには王都防衛師団の他に王国騎士団長ルーク・アステイオン、各師団の軍師官を束ねる軍師長カストス・ミーズ・ペクシスが詰めている。
「クラウストルムと通信球が開きました」
トリストは通信球が開かれると、クラウストルム側の通信官にカストスを連れてくるように伝えた。程なく青く輝く通信球からしわがれた声が聞こえて来る。
<<カストスだ>>
軍師長であるカストスは既に齢六十を超える年齢ではあるが、各師団の作戦立案者たる軍師官を束ねる者として、副団長に次ぐ地位の人物である。
「カストス様、前線より報告がございます」
<<声が暗いな。あまり良い知らせではないようだな>>
カストスはトリストの声がいつもと違うことを感じ取った。
「残念ながら……。現在我々はトリトア渓谷とコルシア平原との間で陣を張り帝国軍を迎え撃っていますが、帝国軍が我々に波状攻撃を仕掛け、消耗戦に付き合わされている状態です。どうやら帝国軍は長期戦も辞さない模様かと」
<<波状攻撃? 帝国軍側として有り得ない戦術ではないが、奴らにとっての最善手とも思えんな>>
「はい。何か引っ掛かるのです。我々に追い込まれて戦術を切り替えた訳では無く、どうやら最初からそのつもりだったように思います」
トリストはオルカからの報告で気になっていたことをカストスに告げる。
<<最初から長期戦を? 我々が全軍を前線に集めているなら理解出来なくも無いが、この段階で兵力を削るような消耗戦を仕掛ける理由があるようには思えん>>
考えながら話しているせいか、カストスの口調はかなりゆったりとしたものになっていた。
「はい。何かを待っているようにも思えますが、増援が来る可能性があるのでしょうか?」
<<いや、帝国軍にこれ以上動員できる余地は無いはずだ。ロビエス側の国境警備軍は動かすことは出来ぬだろう。増員出来るとすれば北方の外征軍だけだが、動いたという報告は受けていない。帝国の外征軍の動きを近衛の諜報が見逃すはずはない。仮に秘密裏に動かしていたとしても、距離から考えれば到着には三ヶ月以上掛かる。それを待つとは思えん>>
「確かに……」
<<スタイン殿は?>>
「自ら確認するために戦陣へと出向かれました。ただ、現状では帝国軍に付き合う他は無いと」
<<うむ。賢明は判断であろう。相手の意図が掴めるまでは強引な攻めや奇襲は控えたほうがよい。それを誘っている可能性もある。こちらで検討してみよう。ルーク団長へはわしの方から伝えておく。トリストよ、細部まで観察し今は被害を最小限に抑える策を考えるのだ>>
「かしこまりました」
その後、トリストは現状の詳細な状況をカストスに伝えると、通信球はクラウストルム側から閉じられた。
「ふぅ……」
トリストしばらく同じ姿勢のままだったが顔を上げるとテントを後にした。
カストスはトリストから連絡を受けた後、王国騎士団長ルーク・アステイオンをクラウストルム内の会議室に来るように伝言し、先に通信室の近くにある飾り気のない殺風景な会議室へと入った。
王国騎士団の砦は全て実用のみを考えられており、王都の大砦も例外ではなく砦自体は石組みされており所々に窓が開いている程度で、入り口となる扉に王国騎士団の紋章が掲げてある以外は一切の装飾品は無い。内部も窓と魔石のランプにより明るさは保たれているが、石組みが剥き出しており無骨な様相である。
カストスは内部にある棚からトリトア渓谷周辺の地図を取り出すと会議卓の上に広げ、トリストから聞いた自軍の布陣と帝国軍の布陣がわかるように駒を並べた。
「やはり、何か裏が……」
互いの布陣を視覚的に確認すると誰もいない部屋で一人呟いた。
カストスはかなりの高齢ではあるが白髪の多く交じる髪と相応の皺以外は、割腹もよく足腰もしっかりしており年齢を感じさせない。二十年以上に渡り王国騎士団の軍師長を務め、十二年前の帝国軍の侵攻を退けた立役者でもある。
そして、もう一人の立役者であり当時は副団長として現場指揮を取ったルークが会議室へと入ってくる。
「前線から報告があったと聞いたが?」
ルークは部屋に入るなり本題を切り出す。ルークの後ろには常に行動を共にする副官も従っていた。
「ええ。先程トリストから報告が入りました。帝国軍側から仕掛けられた波状攻撃に戸惑っているようですな。スタイン殿が直接戦陣に出向いたようです」
「波状攻撃? 手堅い戦術を取ってくるな」
ルークは会議卓に広げられた地図と駒を見ながら椅子に座るとカストスも座り、副官はルークの後ろに立った。
「はい。あきらかに前回とは戦術を変えてきていますな。しかし、帝国にとってもあまり良い手とは思えませぬ。確実に我らの戦力を削ぐつもりかもしれませぬが、我々に時間を与える行為でもある。攻め手の帝国軍が守り手の我らに時間を与えることに利点があるとは思えませぬ」
「ああ、帝国軍としては物量に物を言わせて強硬にトリトア渓谷を突破し、コルシア平原まで突き進んで短期戦を仕掛けたほうが結果的には負傷者も少なてく済むだろうに」
「スタイン殿も帝国軍はそう来ると睨んで、その出鼻を挫く布陣をしたようですが。今は帝国軍の波状攻撃に付き合わされている状態のようです」
「どう読んでいる?」
「帝国軍の司令官が教科書通りにしか動けない無能か、もしくは何かを待っているか、でしょうな」
「司令官の名は?」
「ザイル・ダイメルとかいう者とか」
「聞かん名だな」
ルークは副官に視線で促すと、副官は手に持っていた羊皮紙に目を通す。近衛騎士団が調べた情報は元老院を通して王国騎士団にも届いており、その資料の一部は常に副官も持っていた。
「宣戦布告を聞いた近衛騎士団の話によると、『国王付き政務官』と名乗ったそうです」
副官は資料を見つけると素早く答えた。
「政務官? 軍の者ではないのか。そうなるとますます読み難いな」
「わしにもこれ以上はなんとも。どちらにしろこのままでは確実に前線の戦力は失われる」
「そうなると、増援……か」
「元老達が決断出来るかどうかによりますが、おそらく……」




