第二話 衝突 後編
「斥候から報告が入りました。もう時期帝国軍がここから確認できる距離に到達するとのことです」
戦陣の設営が終わり師団長のテント内でオルカとシハタ、そして第一師団に配属された三人の大隊長が策を練っていると、斥候から連絡を受けた騎士が報告を入れる。
「来たか。よし、全員手筈通りに頼むぞ。帝国軍の目標はトリトア渓谷を突破し、我々との正面衝突による総力戦を狙って来るだろう。そうなれば数に劣る我々には不利になる。我々の目標は帝国軍のトリトア渓谷突破阻止だ。帝国軍の殲滅ではない。帝国軍が撤退を開始した場合は深追いをするな」
『はっ!!』
オルカの指示にその場の全員が応じる。
オルカ達全員がテントを出ると大隊長達は自らの大隊を指揮するために移動し、オルカはシハタと共に第一師団が陣を構える戦陣の正面、トリトア渓谷のダルリア王国側の出口へと向かった。
トリトア渓谷の両側には標高の高い山が崖のようにそびえ濃い木々が密集しており、渓谷の中央部には元は幅の広い川だった場所が、今は枯れ果て川底にあった岩が道のように渓谷の奥にある森まで続いていた。ダルリア王国とアルデア帝国は過去に外交関係をもったことが一度も無いため、国境には街道が整備されておらず、この枯れた川が唯一の道ともいえた。
オルカ達がいる場所は渓谷をダルリア王国側に抜けた先にあるコルシア草原とトリトア渓谷の堺となる場所にあたり、渓谷内とは違い足場はしっかりとしている。山に囲まれているため、日はかなり高い位置にあるにも関わらず若干の薄暗さはあったが、見晴らしはよく渓谷の奥の森まで見通すことが出来た。
オルカは第一師団の戦闘陣形の後ろに到着すると、号令をかけ全員の注目を集め声を張り上げる。
「全員聞け! もう時期帝国軍がこの場に到達する。この戦い、我々が第一陣だ! 我々の戦いが今後の戦いを左右する! 全員それを肝に命じ、死力を尽くせ!」
『おおっ!!』
オルカが第一師団を鼓舞すると、それに第一師団全員が一斉に声を上げて応じる。オルカはその士気の高さに満足するように頷くと、全員に体勢を戻すように伝え指揮を取る為にその場で帝国軍の到着を待った。
シハタは本陣への報告と第二師団との連携を行うためにその場を離れ、通信球が設置してあるテント内へと足を運ぶ。
そして、全ての準備が整ったオルカ達第一師団が見据える先に、ついに帝国軍が姿を現す。
渓谷の先に見える森から姿を見せた帝国軍は、オルカ達の想定通り渓谷内に全軍を横展開することはできず、縦に伸びた陣形を取っていた。第一師団はトリトア渓谷出口付近の開けた場所に陣を張っているため、三大隊が第一大隊を中心にその両側を第二大隊と第三大隊が弓状に弧を描く形で展開されており、このまま帝国軍と衝突すれば緩やかに囲む陣形となっている。そのため戦闘に参加できる人数はわずかではあるが第一師団が上回るように見えた。
「よし、こちらからは仕掛けるな! 向こうの出方を待て!」
オルカが指示を出すと同時に、帝国軍側から馬に乗った兵士が一人オルカ達の方へと駆けて来る。武装はしておらず第一師団への伝令と思われるその兵士は、声の届く位置まで近づくと馬を止め、オルカ達に向かって声を張り上げた。
「ダルリア王国軍に我が軍の司令官ザイル・ダイメルからの伝言を告げる。『降伏せよ。この戦い、結果は火を見るより明らかである。我々の目的はヒリーフの奪還でありダルリア王国との戦争ではない。ヒリーフの村を明け渡せばこの戦争は終結する』以上。返答せよ!!」
オルカが応える。
「拒否する!! 貴様らの戯言に惑わされる我等ではない!! ヒリーフの村はもとより、貴様らにダルリア王国内の土を踏ませる事は無い!!」
伝令の兵士はオルカの言葉を聞くと、何も言わずそのまま帝国軍側へと去って行った。
帝国軍としてはオルカ達が引かないことは想定済みだったのだろう。それでも伝令を走らせたのは第一師団に揺さぶりをかけ、士気を乱す狙いがあるものと思われた。
「小賢しい真似を。武闘派ではなく頭を使う司令官のようだな」
伝令の兵士が帝国軍側へと戻り、一呼吸の間を置いた後に帝国軍の前衛が僅かに動く。そして帝国軍側から銅鑼の音と思われる大きな音が渓谷に反響して響き渡った。
それが開戦の合図となる。
銅鑼の音が静まるのを待たずに帝国軍の前衛がゆっくりと第一師団へと向かって進軍を開始したのである。第一師団の騎士達もそれに対し迎撃のための構えを取る。
徐々に間合いを詰めてくる帝国軍と第一師団との距離が最初の半分程になると、再度銅鑼の音が今度は二度鳴り響くと同時に帝国軍は第一師団の右側、第三大隊側に方向を変え速度を上げた。
「なるほど。正面からぶつかって囲まれる程愚かではないか」
第一師団としては帝国軍が直進し、第一大隊とぶつかりその両側から第二大隊と第三大隊で取り囲むのが最善の策であったが、それを読んだ帝国軍は方向を替え、第三大隊側の一点突破を狙っているようだった。
「第三大隊迎撃用意!! 第一大隊は帝国軍が第三大隊と接触後に側面から攻撃!! 第二大隊は第三大隊の後方に回り支援せよ!!」
オルカはいくつか想定していた迎撃パターンの一つを各大隊に指示し、各大隊が整然とそれに応え行動を開始する。
そして、第三大隊が迎撃の態勢を取った瞬間、帝国軍側の魔法士からと思われる火球が大きな弧を描いて第三大隊側へと飛来した。それを第三大隊及び第一大隊の魔法騎士が同じく火の魔法や風の魔法で迎撃すると、火球は空中で轟音を立てて炸裂、または強風により霧散し、それと同時に帝国軍の前衛と第三大隊が衝突する。
同時にトリトア渓谷内には剣の交わる音、矢が空を切る音、魔法による爆発音や光の閃光、怒声、自らを鼓舞する掛け声が響き渡った。
序盤は、渓谷の断崖と側面から攻撃を仕掛けた第一大隊により帝国軍は十分な展開が出来ずにおり、囲むことは出来なかったとはいえある程度オルカの想定通りの展開となった。
オルカは弓や魔法が届かない位置に移動すると、各大隊や見張りに配置された伝令係から届けられる情報に耳を傾けている。
「第三大隊、第一大隊交戦を開始しました! 負傷者は少数、第二大隊により随時後送中!」
「小隊単位で第二大隊と入れ替えを行い、体力の消耗に注意させろ」
「帝国軍の後方部隊、未だ動きはありません!」
「よし、継続して監視。おそらく今はまだ相手も様子見だろう。いずれ仕掛けがある、些細な動きも見逃すな」
次々と届く伝令にその都度指示を出しながら、自らも帝国軍の動向を見逃すまいとしてか、その視線は帝国軍へと向けられたまま変わることは無かった。
「向こうも期を伺っているようだな」
オルカは誰かに話し掛けたわけではないようだったが、近くにいた護衛の騎士がオルカの言葉に応じる。
「はっ。こちらが突破する隙を見せるのを待っていると思われます」
「ああ、動員数に物を言わせて強引に突破してくるかとも思ったが……。なかなか慎重だな」
十二年前の戦争時は王国騎士団側から攻撃に出てしまったこともあり、帝国軍に強行突破されヒリーフの村まで侵攻された。オルカとスタインは同じ愚を犯さぬように今回は防御に徹し、帝国軍の強引な侵攻にも備えていた。
「次の一手はどう出てくるか」
オルカ達としてはこのまま向こうに休む間を与えずに徐々に帝国軍を削っていくことが最善だが、帝国軍の後方部隊が動きを見せていない以上はこのままオルカ達の狙い通りになるようには見えない。
その状態のまま数刻程経った頃、オルカが見つめる視線の先で銅鑼の音が一度鳴り響いた。
「動くか……」
オルカがそう呟くと、伝令の騎士がオルカの元に報告に来る。
「報告! 帝国軍の後方部隊の一部が進軍を開始! 第一大隊を側面から攻撃する模様です!」
「強引に横展開するつもりか」
第一大隊の側面への攻撃は、渓谷の壁面があるためそれほど広範囲に行える訳ではないが、第一大隊は既に帝国軍の前衛部隊と交戦中であり側面からの攻撃には備えていない。
その上、正面から戦っている第三大隊とは違い第二大隊のような支援大隊も無いため疲労がたまり負傷者も多くなってきており、少数でも相手の陣形を崩したり士気を削ぐなど十分に効力を発揮すると思われた。
第一大隊が崩れれば帝国軍に横展開を許してしまい、そうなれば第一師団にとっては不利となる。
「第一大隊の被害がある程度大きくなるのを待っていたか。なかなかの戦巧者じゃないか。伝令! 第二大隊に通達! 大隊を二つに分け一つを第一大隊側面に回し帝国軍を迎撃せよ!」
第二大隊へ伝令を向かわせるとと共に第二師団へも伝令を伝える。
「第二師団に前進するように伝えろ。いつでも交代できるように体勢を整えつつ、我等を包囲する陣形で待機させておけ!」
「はっ!」
オルカからの指示を聞いた伝令の騎士は急ぎ第二師団へと向かって馬を駆る。オルカの第二師団への指示は万が一突破された場合に備えてのものである。
「慎重かと思えば、強引とも思える手法に切り替える。緩急の激しい戦い方だな。動きが読み難く、先手を打ち難い……」
オルカの言う通り、第二大隊が二つに分かれたため帝国軍と正面から交戦している第三大隊側は薄くなり、また第一大隊は側面を突かれ第二大隊の一部の支援があるとはいえ、陣形に乱れが出ているのがオルカからも確認できた。
「第二師団はどうなっている?」
しばらく様子を見ていたオルカが後ろを振り返ると、第二師団との連絡係となっている騎士が答える。
「既に陣形を整え後方に待機しています」
「よし。早めに第一師団と交代さ――!? 何だ?」
突然、オルカの指示を遮るように大きな唸り声ともいえる帝国軍の声があたりに響き渡った。
それは正面から当たっている第三大隊側ではなく、先ほどの帝国軍からの攻撃により若干の乱れを見せていた第一大隊側からのものであり、その乱れを抜け目無く狙ってきた帝国軍が第一大隊を崩した際に発せられた声だった。
「まずいっ!! 期を誤ったか。第二師団を前進させろ!! 第一師団は第二師団到着と同時に後退!!」
オルカは伝令の騎士達に急ぎ指示を伝えると、自らも小隊率いて状況を確認するために突破された箇所に向けて馬を駆った。
「オルカ師団長! これ以上は危険です!」
「わかっている!」
帝国軍側から放たれた矢がオルカのすぐ前方に突き刺さる。行動を共にする魔法騎士は魔法が飛んできた際はいつでも迎撃できるように魔力の集中に入った。オルカが突破されている場所付近まで来ると、帝国軍の進入を完全に許したわけではないが、既に陣形は大きく崩れ乱戦状態になっていた。
「くっ、陣は破られたか。被害が拡大する前に立て直さなくては……」
オルカは後ろを振り返り第二師団が第一師団のすぐ後方まで接近していることを確認すると、すぐさま両師団に指示を出す。
「よし。第二師団はそのまま前進、第一師団との交代を――」
しかし、オルカの師団への指示が終わらない内に帝国軍側からまたも銅鑼の音が、今度は三度鳴り響いた。
「今度はなんだ?」
オルカは慌てて帝国軍は振り返ると、帝国軍は剣を交えながらもゆっくりと下がっていくのが確認出来る。
「――なに? 後退だと…… 何故?」




