巷説!『かごめかごめ』! その1
「あらよぉ?ハリガネじゃないの?ご馳走してもらってるのかい?よかったねぇ」
払いを済ませた客の、テーブルを片付けに来た海の家『源九浪』の女将とおぼしきパンチパーマの女性が目を細め、土間にあるテーブルの下で皿の上に盛られた焼き蛤のむき身にかぶりつく猫に、濁声で語りかけた。
「ハリガネ?」
猫が潜り込んでいる、四人掛けの安っぽい木のテーブル席に一人で座るレンレンが、女将に尋ねる。
その声に、彼女は足を止めて人当たりのいい顔を彼女に向けた。
「あらよぉ、このネコの名前だよ。ここから少し沢の方へ行った所にある深山さんって家の飼いネコだよ。去年亡くなったおじいちゃんの代からのネコでね。ほら、尻尾の先――。先っちょが面白い形に折れ曲がってるだろう?それが、まるで『針金』が入っているようだからって。そんな名前を付けたらしいよ」
「ふーん、あんたやっぱりそれって生まれつきなんだ」
レンレンがそう言ってテーブルの下をのぞき込むと、ハリガネは彼女を上目づかいで一瞥したが、すぐに意に介しないとでも言うように、小さく音を立てながら剥き身を咀嚼する。
「ねぇ!ハリガネにイワシを一匹焼いて頂戴!あと、どーんと刺身を舟盛りにして!コイツ気に入ったわん!私のおごりよん!おごっちゃうぅ!」
「あらよぉ!ほんとにいいのかい?」
半信半疑と言うように、女将が尋る。
「とーぜん!いいのよん!」
レンレンがそう言って、グラスに並々注がれた冷酒をあおると、女将は顔をほころばせてにっこり笑い、調理場へ注文を通しに向かった。
「あんた、私の知ってる奴にそっくりだわよん」
くりくりとした緑色の瞳に縦長の瞳孔。
多少、愛想無しではあったが、その愛らしさから、レンレンは風小の面影を思い出していた。
「女将さん、ちょっとお願いがあるんだけどぉ――」
調理場から戻ってきた、『パンチの女将』を見とがめたレンレンが、そう声をかけた途端、女将は調子っぱずれな馬鹿笑いを始めた。
「あらよぉ!アンタみたいなキレイな娘さんから『女将さん』なんて言われたら罰が当たっちまうよ!『おばちゃん』でいいよ!おばちゃんで!」
『パンチ』が何を根拠として何の話をしているのか、レンレンにはまったく理解できなかったが、どうやら、自分を『おばちゃん』と呼んで貰う事を希望しているらしいと理解した。
「じゃ、『おばちゃん』。頼みがあるのよん」
レンレンはそう言うと、車の鍵の付いたキーホルダーを彼女の鼻先に突きつける。
「海岸への降り口が判らなくってぇん。この上の道路わきに私の車が止まってるのよん。チップはずむから駐車場に移動して来てぇん」
「あらよぉ、ここの道路は駄目だよ、すぐ駐車違反やられちまうよ!」
おばちゃんはそう言うと、店の中を見渡し、別の席の注文を取っている青年に「しげちゃん」と声をかけ手招きした。
真っ黒に日焼けした、紫の海パン姿の青年が足早にやって来ると、おばちゃんはレンレンを指差して口を開いた。
「このお嬢さんが車を上の道に置いて来ちまったんだと!ケーサツ来る前に動かしてあげな!今日はあんまり混んで無いから、駐車場も空いてんだろうから。トシオちゃんとこの駐車場がいいかもしれんね」
おばちゃんがそう言うと、重ちゃんと呼ばれた青年は、爽やかな笑顔で「はい」と返事をし、レンレンに近づき鍵を受け取る。
「すぐわかると思うわん。赤のコルベット・スティングレーよん」
レンレンの言葉に、しげちゃんが一瞬怯んだ表情をする。
「ホントっすか?!」
「ホントよん」
レンレンが応えると、しげちゃんの顔が見る見る輝いて行き、小躍りするように店を出て行った。
「あらよぉ、あんなにうれしそうに!お客さんの車はよっぽどいい車なのかい?」
しげちゃんの後姿を追いながらおばちゃんが言った。
「さあねぇ、どうかしらねん」
グラスの酒に口を近づけながら、レンレンが気の無い返事を返す。
安っぽいアルコール臭のする、悪い意味で非常に水っぽい酒だった。
が――、海の家で出される酒など、どこもこの程度のものだろう。
我慢するほど『不味』くは無いのがせめてもの救いか。
「いやいや、お客さんが知らないだけで、きっとその車はいい車だよ。何つったって、しげちゃんはカーキチだからねぇ。車にはくわしいんだよ!」
おばちゃんの言ってる事のほとんどは、レンレンには理解の範囲を超えていたが、自分の車を褒めて貰っているらしいと言う雰囲気は、気分の悪いものでは無かった。
ただ――。
『カーキチ』が何なのか?それだけは後で聞いてみたいと思っていた。
「ねぇ、まどろっこしいわん。日本酒、ビンごと持ってきてよん!」
一息でグラスの酒を空にしたレンレンが気を吐いた。
「あらよぉ!飲みっぷりのいい娘さんだねぇ惚れ惚れするよ!ちょっと待ってな!おばちゃんがとびっきりを持って来てあげっから!」
おばちゃんはそう言って奥に引っ込むと、ややあって一升瓶と瀬戸物のお茶碗を持って再び現れた。
「ほれ!とっておきの純米大吟醸!うんまい、うんまい地酒だよ!」
高々と誇らしげに掲げられた一升瓶に貼られたラベル。
そこには――。
毒々しい極彩色の色づかいで、緑の亀にまたがり、真っ赤なサンゴの生えた海の中を行く『浦島太郎』らしき絵が描かれ、その横に、黒々とした太く力強い筆文字で『海亀』と銘打ってあった。
レンレンは愕然とした。
聞いたことが無い。
自分が知らない酒がこの世に存在している事に驚愕する。
さらに驚くべきは、その素性とも言えるラベルに踊るさまざまな文字だった。
見間違えることも無いほどはっきり書かれた『本醸造特別酒』の文字。
そんな表示は聞いたことが無い。
まがりなりにも『本醸造』の表示がある以上、大吟醸で無いのは勿論の事、純米酒ですら無いだろう。
現に手に取ってラベルを見ると『醸造アルコール』の文字があった。
後ろに貼られたラベルの宣伝文句に目が行く。
曰く――。
『先鋭的な杜氏の思想を基に造られた、まさに新世紀の酒と呼ぶに相応しい型破りな清酒がここに誕生しました。コストを抑える為に、精米歩合を、本醸造の規格ぎりぎりの70%に押さえ、香りと口当たりを補う為に高級醸造アルコールを添加!『特別』の名に恥じぬよう海洋深層水の溜め置き水を10%使用しています。……云々』
ラベルのイラストと相まって限りなく胡散臭い。
「くくくくくっ……。あははははははははははは!」
レンレンが高らかに笑い出すと、おばちゃんの馬鹿笑いが後を追う。
ハリガネがそんな二人を鼻で笑ったように見えた。
「気に入ったわよん!」
『悪意の無い悪意』とは違う。
強いて言うなら『善意の無い善意』。
双方とも無知であることに変わりは無いが、これは、あまりに愉快!
「嫌いじゃ無いわよん。こういうの」
「気に入ったのかい?そいつは良かったねぇ!」
盛大な勘違いと共におばちゃんが満足げに微笑み「お前のお客さんは気に入ってくれたってよぉ」と言ってハリガネにウィンクして見せた。
余興にしてはなかなかの思いがけない出来事だ。
レンレンは上機嫌でビンの封を開けると、茶碗に並々と酒を注ぐ。
溢れるばかりに注がれた酒の表面に波紋一つ立てずにスイと茶碗を持ち上げて、口に近づけようとしたその途端、彼女の手が止まった――。
その忌まわしい味感は口に含むまでも無くレンレンを襲った。
注がれた酒から立ち上る、度を過ぎて甘い珍妙な香りが、苦みとなって口の中に広がって行くのを感じる。
あまりの不意打ちに、一時、戸惑う。
茶碗を持つ手が動揺し、縁から酒が零れる。
ふと、茶碗から視線を上げると、いつの間にか、ハリガネがテーブルの上に乗って置物のように座り、彼女を、まるで値踏みするかのような視線で眺めていた。
応えるように、レンレンは不敵に一笑すると、一気に茶碗をあおる。
絶句。
全く酒の味とは違う味覚。
風味と言うより嫌味。
香りと言うより臭い。
酸味に近い苦みが舌を痺れさせながら広がっていき、むせるようなアルコール臭がいらいらと刺激しながら喉に流れて来る。
が――、それを良しとして一息に杯を空けた。
「ま、ますます、気に入ったわよん」
そう言いながら、空になった茶碗を持つ手でグイと口元を拭う。
その時初めて、ハリガネが『にゃあ』と鳴いて眼を細めた。
「お嬢ちゃんもテレビの人かい?」
オバちゃんがレンレンに声をかける。
「テレビ?」
懲りずに酒を注ごうとした手を止めて、レンレンが聞きなおした。
「あらよぉ、違うのかい?おばちゃんまた、芸能人かと思ったよう」
レンレンは、おばちゃんに自分の姿がどう捉えられているかを想像し、ニヤリと笑う。
「私ぃ、そんなに胡散臭いィ?」
「あらよう、そうじゃないよ。あんまりべっぴんさんだモンでだわ。今日来てるテレビの人と一緒に来たのかと思ったよぉ」
オバちゃんはそう言ってまた調子っぱずれに笑った。
「テレビの取材ねぇ」
レンレンは、最早、前足を折りたたみ、テーブルの上に伏せて眼を細めているハリガネを眺めながら、先ほどの廃墟にたむろしていた一行を思い出していた。
「何かあったのん?」
テレビと言う言葉に特別に反応して、尋ね返した訳ではなかった。
あの連中が何者かが解れば、或いは先ほどの騒動の『理由』が解るかもしれないと、そんな好奇心が湧いたためだった。
ハリガネを知るこのおばちゃんの反応や、自分に対するハリガネの態度を見る限りでは、少なくともレンレンには、今、ここにいるハリガネは、正直、無差別に人を襲う凶悪猫には感じられなかった。
(では、何があったのか)
「あらよう、最近特別に何かあったわけで来たんじゃないよ。この先の山の中腹に、大きな病院だった廃墟があってねぇ。そこが――、ほら、なんてったっけ?」
『なんだったか』と聞かれたところでレンレンに解るわけが無かった。
「うーん」と唸って考え込んでしまったおばちゃんを肴に、咳き込みながら茶碗酒をあおり、満足げなハリガネと共に答えが出るのを待つ。
「あれ、ほれ、『心霊ポット』とかいう奴だわ!」
物騒なポットもあったものだ。
多分間違っている。
話の前後から推察するに『心霊スポット』と言いたかったのだろう。
話には支障が無さそうだったので、面倒臭さも手伝って、レンレンは特に指摘せず、聞き流すことにした。
「3年くらい前まではよく来てたんだわ、テレビ――。最近は飽きられたのか来なくなってたんだけどねぇ――。ほら、去年――。新聞に出たから――。知ってっかい?」
病院やホテルの廃屋が心霊スポットとなることは、まったくもって珍しいことではない。テレビならぬレンレンにしてみても、最早、話の興味は消えかけていたが――。
成り行き上で彼女は首を横に振っていた。
「あったんだよ。『祟り』が――」




