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プロローグ
拍手の音がまだ耳に残っていた。
照明が落ち、会場の空気が一瞬だけ静まる。
拍手の余韻の中で、絵が現れる。
正面のキャンバスは、大きくも小さくもない。
どこにでもある絵画のように見えた。
海と空と、ひとりの青年。
けれど、そこには“時間”がなかった。
誰かが息を呑む音が聞こえた。
光が、止まっている。
反射も影もなく、ただ“そこに在る”。
まるで世界の側が、その絵に合わせて呼吸をやめたみたいだった。
油絵の鑑賞に相応しくない大歓声。
絵を見ているのか、絵に踊らされているのか。
その境が曖昧になる。
人々の眼差しが、少しずつ吸い込まれていく。
それでも客席の彼女は、微かに笑った。
描かれた青年の頬の線、
海面に散る光の粒、そのひとつひとつを追うように。
誰も知らない。
その絵の奥に、何が埋め込まれているのか。
どんな思考が、どんな熱が、どんな“観測”が塗り重ねられたのか。
この場所で彼女だけが知っている。
絵の紹介が終わると拍手歓声が強まる。
けれどそれは祝福というより、
封印の蓋を閉じるような音に聞こえた。
光は、逃げなかった。
――あの日から、ずっと。




