上昇する未来
初投稿です。
試しにちょっとしたショートショートを書いてみました。
よろしくお願いします。
「はぁ、金が無ぇ……」
田中ヒロトは大いに嘆息した。六畳の1ルーム、ユニットバスの安アパートで缶チューハイを飲みながらのことである。
社会に出てから十年。田中は彼なりに必死に働いてきた。朝から晩まで働きづめで休日も疲労からほとんど寝てばかりだ。そんな人生がこれからも続くというのにその見返りの少なさにはため息しか出ない。
彼が眺めていた預金通帳にはようやく100万に達したばかりの悲しい数字が記載されている。これからの支出を考えればこの金額もすぐに吹き飛んでしまうだろう。将来や老後のことも考えれば絶望しかない数字である。
いっそ首でも吊ってしまおうか。うっすらとそんなことを考えていた田中の耳に場違いに明るい音楽が飛び込んできた。つけっぱなしだったテレビのCMである。
『あなたの未来ちょっとだけ覗いてみませんか?』
画面の中では最近売れ始めた女性アイドルが、手のひらサイズの機械をこちらへと差し出している。
『これは未来資産算出装置、通称【ミラシーくん】!最新のAI技術であなたの将来の資産状況を99%以上の精度で予測します!
操作はとっても簡単!こうやって画面に表示されたいくつかの質問に答えるだけ。さてさて、私の資産は……ワォ!!』
そう言いながら装置をのぞき込んでわざとらしく驚いてみせる。
正直に言ってかなり怪しい宣伝だが、妙に田中の心に引っかかった。ちょうど、重くのしかかる将来の不安に辟易していたところだ。たとえ出鱈目でも不安感を紛らわせてくれるならいいのかもしれない。
そう考えると田中は先ほどの商品名をスマホで検索してみた。すると、値段がかなり安い商品だとわかった。最新のゲーム機には手が出せない田中でもこの程度なら無理なく買うことができる。さらに驚いたことにこの商品には肯定的なレビューが多かった。「騙された」「最悪だ」などという意見もあったがごく少数であり、「参考になった」「資産価値の目減りを事前に知れて助かった」のような誉め言葉が大多数を占めていた。
これはひょっとすると本物なのかもしれない。昨今のAI技術の発展は目覚ましく、田中も驚くことばかりだ。経済の動きを正確に予想することも既にできるようになっていたとしても不思議はない。
そう考えた田中は、半ば酔った勢いということにして、注文ボタンをタップした。
数日後、田中の下に件の「ミラシーくん」が届いた。十センチほどの立方体で、正面はタッチパネルになっており、それ以外の面はビビットグリーンのプラスチックで出来ていた。早速起動させてみると、名前の入力を求められた。
それが終わっても次々と質問をされた。身長体重年齢から職業年収、学歴に資格、家族構成や結婚願望、子供が欲しいか、持病の有無や勤労意欲や趣味、余暇の過ごし方から様々な価値観について、トロッコ問題のようなものから犬と猫どちらが好きかといったものまで。とにかくありとあらゆる質問をされた。
すべて答えきるまで2時間近くかかったろうか。田中が流石に焦れ始めてきたころ、唐突に合成音声で質問の終了と演算の開始が告げられた。
ネットの情報によれば、十分ほどで演算は終了するらしい。1週間後を予想する短期予想と、10年後を予測する長期予想が同時に行われるそうだ。
ずいぶんと間隔が空くが、そういう計算しかできない仕様なのだろう。数分間スマホを見ながら待つと、唐突に計算結果が告げられた。
『田中ヒロトさんの1週間後の資産は1000万円、十年後の資産は50兆円です!』
「へぇ?」
あまりにも予想外過ぎた結果に思わず珍妙な声が漏れてしまった。50兆円といえば世界一の大富豪並みの資産である。それだけの金額を十年で自分が稼ぐというのだ。まさかと思い何度か再演算させてみたが結果はすべて同じ。10年後に50兆円稼ぐのは確実だというのだ。
田中はその日は興奮して一睡もできなかった。だが、夜が明けると早速会社へと退職届を出しに行った。低賃金で働き続けても50兆円を稼ぐことなどできない。他の方法があるに違いない。そう確信した田中は投資という手段を思いついた。貯金の100万円をすべて新設した証券口座へと移し、ピンときた銘柄の株を買う。安定して価値のある企業ではなく、ハイリスクハイリターンな銘柄を選んだ。
単なる勘頼りのやりかただったが、結果的にこれがうまくいった。田中が買った電子部品の製造会社が新たな特許技術を考案し、一瞬にして業界の注目を浴びたのだ。当然株価もうなぎ上り。まだまだ上がり続けるだろうという世間の予想と裏腹に田中はそこそこのところで株式をすべて売り払い現金化した。
これがまた良かった。田中が売却した直後に株価が一気に下落したのだ。投資家たちが何か仕掛けたのかもしれない。だが、田中にとっては理由などどうでもよかった。彼にとってはこの危機を直前で回避できたことが全てであり、それは自身の投資の才能を確信するのに十分なものだった。
しかも、この時田中の手元に残った資金は1000万円。ちょうどミラシーくんを使てから一週間後である。単なる偶然ではない。ミラシーくんの予測が確実であることの証拠に違いない。
そう確信した田中はますます投資にのめりこんでいった。値下がりしている株を買い、値が上がったら早めに売る。単調な作業の繰り返しだがそれがすべてうまくいき、一年もしないうちに彼の資産は何倍にも膨れ上がっていった。将来50兆稼ぐのだからこの程度は当然だ。そう考えた田中は金をいくらか使うことにした。何せ後から50兆円手に入るのだ。数千万円程度なら使ってしまっても誤差範囲だろう。
田中は都心の高級マンションを買い、安アパートを引き払った。狭いユニットバスともおさらばである。さらに高級車、ブランド物のスーツ、高級腕時計など、金持ちの象徴と言えるものを買いあさった。足りない分は多少ローンを組んだが、何せ50兆だから少しの不安もない。自分の人生はこれからどんどん上向きになり、良くなっていくに違いない。そんな確信が田中にはあった。
金持ちグッズに身を固めた田中は、やがて高級クラブへと通うようになった。美女たちを侍らせ、貧乏人なら目玉が飛び出るような額の酒をろくに味わうことなく飲む。飛び切りの贅沢だ。
そんなことを続けていたある日、たまたま隣の卓の会話が耳に入ってきた。隣の客も田中同様高級スーツを纏っていたが、まだ下ろしたてで全然着慣れていない感じだった。
「さぁ、ドンドン飲め。ドンドン飲め!金なら気にするな!俺は10年後には大金持ちになるんだからな、ワハハハハ。愛人になりたい子は今のうちに立候補しておけよ」
かなり下品な飲み方をしている男だったが、その発言の一部が気にかかった。確かめてやろうと一番高級な酒の瓶を担いで隣席へと向かう。一言二言おべんちゃらを口にして高級酒を注いでやれば、もともと出来上がっていた男は気分を良くして口を滑らせてくれた。
「実はな。この間CMでやってたミラシーくんを買ったんだよ。何て言われたと思う?10年後には3000億円の大金持ちだとさ!
だから投資で稼いで、こんな良い所にまで来られるようになったのさ、ワハハハハ」
なるほど、この男は自分と同類というわけか。しかし3000億など50兆円に比べればはした金、とんだ貧乏人だ。その程度でいい気になれるとは器が知れるな。わざわざこっちの事情を話してやる必要もない。好きなだけいい気分にさせておいてやろう。そんなことを考えながら山田は酌を続けた。
しかし、ミラシーくんで大金持ちになると予測された人間が自分以外にいたとは驚きだ。あの機械は全部で何台ほど売れたのだろうか。何万台も流通していたなら、金持ちになる者はもっとたくさんいるのかもしれない。それならなにか大規模な経済的な動きが起こる可能性が高い。そして当然それに乗り遅れるわけにはいかないのだ。パイの取り合いには必ず先んじなければならない。
そこまで思い至った田中は3000億の男の下を辞し、自宅に戻ると早速次の仕事にとりかかった。そして、今まで以上の情熱をもって取引へと打ち込み、たくさん金を儲け、たくさん金を使った。勢いをつけてやらねば経済は大きく回らない。一年近い投資家としての経験が田中にそう直感させていた。
そして、そう思い至ったのは田中ばかりではなかった。彼の予想通り、将来莫大な金額を手に入れると予測された者は何万人もいたのだ。3000億の男をはじめ、彼らが皆大きく金を使い始めた結果、日本の経済は少しづつ勢いを増していった。
物がたくさん売れれば企業が潤う。仕事が増えれば人手が足りなくなる。人手不足を解消するためには給与を増やす。人々の財布が膨らめば、企業は商品の値段を上げる。高値で売れればまた企業が潤う。
社会は俄かに沸いた好景気を歓迎し、経済の循環は徐々にだが確実に勢いを増していった。しかし、とある不可視の閾値を超えたときに経済は完全に制御を超えてしまった。坂道を転がり落ちる雪玉のように、止めることが不可能なバブル経済へと陥った。むろん政府を介入を試みたが、長らく不景気の対策しかしてこなかった政治家や官僚たちには適切な対応策を講じることはできなかったのだ。
熱狂を帯びた経済はやがて狂乱と呼べるような状態となり、物価と給与は天井知らずに上がり続けた。
そしてついにその日がやってきた。それは田中がミラシーくんを使用してから8年後のある日のことだった。
海外からの一隻の船が嵐によって寄港が3日遅れた。きっかけはただそれだけのことである。だが、材料が期日までに届かなかったことで、小さな電子部品の工場が不渡りを出し、倒産してしまった。するとその工場と取引のあった中規模企業の業務が支障をきたし、あっという間に大赤字を出した。
それだけならばまだよかったが、何せ株取引が活発で価格の乱高下の激しい時世である。その企業の株は次々と売り払われ、価格が紙くずと同然になり、この企業もまた倒産してしまった。
そこからはもうドミノ式である。倒産した企業と関わりのあった大企業が次々と傾き、あるいは倒産し、多くの銀行までもが経営を破綻させた。
そして当然あらゆるものの生産、流通が滞り、市場に残されたわずかな物品は天井知らずに値上がりし続けた。
バブルがはじけた後に残ったのは、国民の半数近い数の失業者と廃墟化、スラム化したした街並み、馬鹿馬鹿しいほどに高騰した物価ばかりである。実に惨憺としたものであった。
「はぁ、金が無ぇ……」
田中ヒロトは大いに嘆息した。その声が四畳半の風呂なし安アパートにむなしく響く。ミラシ―くんを手に入れてからちょうど10年後のその日であった。
財布を何度覗いてみても、中にあるのは10兆円札がたったの五枚。銀行口座はとっくに空っぽになっている。マンションも車も腕時計も、売れそうなもはすべて手放した。この財布が空になった時が自分の死ぬ時だ。あと一ヶ月保つかも怪しい。
付けっぱなしのテレビの中ではコメンテーターがやかましく持論を述べている。
『物価の上昇は10年前と比べて10億倍であり、その責任のすべては政府にある。今こそ総辞職を……』
だが、そんな言葉は田中には響かなかった。政治が動いても社会が立ち直るのはきっと何年も先だろう。田中にとっては将来のことより明日の食い扶持の方がはるかに大事なのだ。
田中にはすでに定職もない。投資できるだけの資金も無いうえに、そもそもの株式市場が壊滅状態だ。
現在は日雇いの仕事で給与を得ているがそれもどうなるかわからない。多くの失業者達と仕事の取り合いをするために、毎日朝早くから受付に並んで、それでも仕事を得られない日の方が多い。これから先はもっと仕事が減るだろう。
先日はたまたま通りかかった公園で、かつてクラブの隣席だった3000億の男を見かけた。わざわざ声を賭けることなどしなかったが、その風体から彼がホームレスであることは一目でわかった。なにしろ彼はたったの3000億円しか持っていないはずなのだ。とても生活できる金額ではない。
自分もいずれそうなるだろうか。絶望しかない自分の将来を嘆くしか彼にすることはなかった。
ふと部屋の隅に目をやると、あるものに気が付いた。10センチ四方のビビットグリーンの立方体。かつてはそれを神の啓示とも福音とも思ったが、今では何かの呪いにも思える。そう、ミラシーくんだ。
この機械だけはリサイクルショップでも売値がつかず引き取ってもらうことができなかったため、今でも床の上に転がりっぱなしだったのだ。
なんとなくそれを手に取ってみた田中は、特に深い考えもなく起動スイッチを押してみた。演算開始の案内が再生される。
思えばこの機械に振り回されてきた10年間だった。だがこいつは嘘を吐いたわけじゃない。こいつの演算通り50兆円を所持していることは間違いがないのだ。ただ世の中がこんなにひどくなるとはこの機械もわからなかったのだろう。これからも物価は上昇し続けていくに違いない。出口の見えない殺人的不況なのだ。
などと田中が考えているうちに、ミラシ―くんは10年ぶりの計算結果を発表し始めた。
『田中ヒロトさんの1週間後の資産は40兆円、十年後の資産は3億円です!』
絶望的な数字だった、これよりももっと減っていくのか。しかもたったの3億とは。3000億の男でさえホームレスなのだ。もはや生きている意味などない。
死んでしまおう。そう決断した田中の行動は早かった。素早い決断が大きな利益を生む、損切りは早ければ早いほどよい。それが10年続けてきたトレーダーとして経験から得た田中の人生訓だ。
田中はベルトを外して梁につなげると、そこに自らの首をかけ、この世を去った。
* * * * * *
まだ揺れている田中の死体の足元で、つけっぱなしになっていたテレビが叫び出した。
『……番組の途中ですが、緊急ニュースをお伝えします』
ニュースキャスターが緊張した面持ちで紙面を読み上げる。その一言で世界が変わることを知っているのだろう。
『先ほどの内閣からの発表によりますと、政府はデノミを断行するとのことです。10年前の通貨単位に戻すため、政府は10億分の1の額面の新紙幣を発行し、半年後の流通開始を目指す考えです。
また併せて、欧米各国の支援の下での強力な経済政策を複数実施するとし、我が国の完全なる経済再生を目標とした10か年計画も発表されました。
これに対して経済界からは「未来に期待感が持てるニュースだ」と歓迎の声が上がっています。
繰り返します。デノミにより貨幣価値が引き戻されます。……』
明るい未来について熱意を持って語り続けるキャスターの声を聞く者はすでにこの部屋には居なかった。
(了)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




