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苦手な方はご注意ください。

孤影ウィズアウト

作者: 庵途

「私、今日死ぬことにしたの」

 騒然とするクラスの中で、隣の席の唯奈は僕にそう耳打ちしてきた。

 彼女のカミングアウトは、騒がしかったクラスには響かず、僕にしか届かなかった。

 それを聞いた僕は、彼女の顔を見つめる。彼女は驚く僕の顔を見て、いたずらが成功した子供のような笑顔を浮かべていた。

「……そう……なんだ」

「嘘だとは思わないの?」

 彼女の自殺宣言を受け入れた僕に、彼女は不服そうに頬を膨らませ、露骨にそっぽを向いて不満を訴えかける。

 いつもだったらそんな彼女に適当な謝罪の言葉を口にして、彼女との会話を再開しようとするところだが、今の僕にはそんな余裕がなかった。

 僕は俯いて、そっぽを向く彼女に僕が笑っている顔を見られないようにした。


 僕が彼女の言葉が嘘じゃないと思う理由、そして、僕が笑みを浮かべる理由、それは僕が半年後の未来から来たからだ。

 理由は分からない。僕は先ほどまでいつものように退屈な授業を受けていたはずなのに、気が付いたら隣の席に唯奈がいて、彼女が死んだことを知った前日と同じことを言いだしたのだ。

「うん。思わないよ」

 僕は何とか笑みを押し殺して、いつものように彼女に返答する。

 それを聞いた彼女は諦めたのかこちらに向き直って陰りのある表情を見せてくれる。

「え~。じゃあ、なんでそんな冷静なの?」

「いや、驚きすぎて返って冷静になっている感じ?」

 僕の言葉に唯奈は納得できず、首を傾げていた。しかし、問い詰めることはせずに言葉を飲み込んでくれた。

 半年ぶりに見た彼女の間抜け面に、僕は懐かしさを覚え、涙を流してしまいそうになる。しかし、彼女にバレないように深呼吸をしてその感情を殺した。


「ねぇ、お願いがあるんだけど」

 僕は真剣な顔をする。彼女は面倒くさそうにしながら、僕から目を背ける。

「何を言われても私は死ぬよ」

「分かっているって」

「え?」

 僕が死ぬのを止めると思っていた彼女は、目を丸くして僕の顔を見る。確かに彼女の思う通り、過去の僕は死なないで欲しいと訴えかけた。

 その結果、過去の彼女は「冗談だよ。本気にしたの?」と言って笑ってごまかし、翌日にはそのまま死んでいってしまったのだ。

 だから、今回は僕の心の思うまま生きてやろう。

 そう決意した僕はその強い決意とは裏腹に、自然と僕の願望を口にしていた。

「僕に君を殺させてくれないかな?」

 僕の提案に彼女は少し考える。

二人だけの少しの静寂の後、唯奈はニヒルに笑った。

「いいよ。今日の放課後に一緒に行こうか」




 約束の放課後が来るまでは一瞬だった。学校での唯奈は比較的いつも通りで、今から死に行く人とは思えないほど元気で、人生を楽しんでいた。

 そして、放課後僕と唯奈は学校の外に出ると、いつもの帰り道とは正反対の方向にある繁華街を歩いていた。

「それで? どこに行くの?」

「どうしようかな……」

 目的地もないまま歩いていそうな彼女に対し、僕はそう質問した。それを聞いた彼女は何かを考えこむように黙ってしまう。

 そんな彼女の様子に、すぐに痺れを切らした僕は彼女に続けて質問する。

「どうやって死ぬのか決めてないの?」

「うん。死ぬという事は決めていたけど、どうやって死ぬのかはまだ決めてなかったんだよね~」

 未来の記憶では唯奈は自室でロープを首に吊って亡くなっていた。

 しかし、今の唯奈が死ぬ方法を思いついていないのを見て、自殺の方法はこの放課後中に思いついたものだったようだ。

「……じゃあ、首吊りとかは?」

 だから、僕は未来の記憶を頼りにそう提案した。

 それを聞いた彼女は立ち止まり、目を丸くして僕を見つめる。彼女の歩幅に合わせていた僕も彼女に合わせて立ち止まると、彼女は少し頬を引きつらせた。

「あれ? 君ってエスパーだったけ? 私も少しありかもって思ってた」

 似たようなものではあるな。なんて思いながらもそれを彼女に明かすわけにはいかなかったため、僕は呆れた素振りを見せながらゆっくりと歩き出した。

「別に……、自殺するんなら首吊りがいいと思っただけだよ」

「まぁ、王道だよね。首吊りって」

 どこかずれている発言をしながら、彼女は僕の後をついてくる。

「まずは丈夫なロープを買わないとね」

「ホームセンターならこの近くにあるみたいだよ」

 僕はスマホを使ってホームセンターの場所を調べる。ホームセンターは徒歩300メートル以内にあるようで、僕と唯奈はホームセンターの方に進路を変更して、歩いていく。


「あっ」

「ん? どうかしたの?」

「ちょっと待っててもらってもいい?」

 ホームセンターに向かう道中で、僕は昔ながらの揚げ物屋を見つける。

 僕は唯奈に断りを入れてから、揚げ物屋に駆け足で寄っていく。

「コロッケ2つください」

「あいよ。200円だよ」

 店主であるおばちゃんはすぐにコロッケを紙袋に詰める。僕は財布の中から100円の硬貨を2枚取り出すと、青いトレーにそっと乗せた。

「はい。ちょうど!」

 おばちゃんは200円を手に取ると、コロッケ2つを僕に手渡してくれる。

 僕は両手に2つずつコロッケを受け取る。

「ありがとうございます!」

 僕はおばちゃんにお礼を伝えてすぐに唯奈の元へ戻っていく。

「お待たせ」

「コロッケ?」

「そうそう。ここのコロッケ美味しいから食べてほしくてさ」

 僕は唯奈にコロッケを一つ手渡すと、紙袋を開いて大きなコロッケにそのままかぶりつく。

 この店のコロッケはジャガイモが大きくて食べ応えがある。元々コロッケのサイズが大きいことも相まって一つでかなりお腹が膨れてしまう代物だ。しかも、一つ100円とお手ごろなことから、僕たちが通う高校ではこのコロッケのファンが多かったりする。

「いただきます」

 唯奈は丁寧に紙袋の封を解くと、そのままコロッケにかじりついた。

 コロッケを一口食べた唯奈の目は輝いて、それを僕に見せつける。

「何これ! すごい美味しい!」

「でしょ!」

 唯奈もコロッケの魅力にハマったようで、すぐに二口目、三口目へと食べ進めていく。僕も負けじと、大きな口を開いてコロッケを食べ進めていくと、2人ともすぐにコロッケを食べ終えてしまう。

「あんなにおいしいもの知っているなら、前もって教えてくれたらよかったのに!」

「いや、いつかは一緒に食べに行こうと思っていたんだけど、唯奈って帰り道が逆だからさ。誘いにくかったんだよ」

「え~。このコロッケのためだったら毎日でも寄り道するのに」

 一度食べただけですっかり、あのコロッケのファンになった唯奈は楽しそうに不満を口にする。

 僕はそんな彼女の顔を見て、思わず口角が上がった。


「あぁ。死ぬのが名残惜しくなっちゃうね」

 唐突に彼女の口から、そんな言葉が零れ落ちた。きっと、何も考えずに口にしたその言葉に僕は立ち止まってしまう。

 その言葉を聞いてしまったら、唯奈が死ななくてもいい未来があったのかと、僕は淡い期待を抱かずにはいられなかった。

 そして、その希望は本当にあったのか、僕は彼女の瞳を見つめた。

「……君は……死にたくないの?」

「いいや、私は死にたい」

 そして、そんな妄想はあっけなく彼女の言葉によって否定されてしまう。

 僕は右手を軽く握りしめて、彼女に向き直る。

「……そうだね。僕もちゃんと君を殺さないと」

「別に君が私を殺す必要はないんだよ」

「友達だから。思いは汲んであげたいんだ」

 過去の僕はそうすることができなかった。

 彼女が死ぬ理由も、僕への想いも知らないまま、僕は一方的に彼女に死んではいけないという一般論を押し付けてしまった。

 だから、僕は君を殺したい。

 友達の彼女の想いを肯定するために、僕は君を殺したい。


「……変わってるね」

「お互い様だろ」

「……そうだね」

 唯奈は満面の笑みを浮かべて、僕の言葉を肯定する。

 君の笑みに笑うしかない僕は、君に聞きたいことがあったのにその質問を飲み込むことしかできなかった。

 そうこうしているうちに僕たちはホームセンターに着いた。

 ホームセンターは倉庫のようになっていて、僕たちは目的のロープを探しながら、ホームセンターの中にある色々なものを見て回ることにした。

「何これ」

 そんな中で唯奈が一番に手に取ったのはパーティー用の馬の被り物だった。

「いる?」

「いらない」

 馬の被り物を差し出された僕は、それを受け取り、元の場所に戻した。しかし、唯奈は馬の被り物を名残惜しそうに眺め、再度手に取る。

 そして、今度は僕に直接かぶせてこようとしてきた。

「やめい」

 頭の上にある彼女の手を振り払いながら、呆れた目で彼女を見る。

 彼女は僕に不満を訴えかけるように、両頬を食事中のリスのように膨らませた。

「一生に一度のお願い!」

「やめろ。お前の場合、一生に一度のお願いが重いんだよ」

 普通だったら一生に一度のお願いは何度も使う信頼に欠ける常套句なのに、これから自殺する人間の一生に一度のお願いは本当に文字通りの意味になってしまう。

 それが分かっている唯奈はしてやったり顔を僕に見せてきた。

 彼女のそんな顔にむかついた僕は馬の被り物を彼女の手から無理やり奪うと元の場所に戻した。

「え~。私のお願い聞いてくれないの?」

「これから一生を捨てる人間の一生の願いなんて、聞く価値ないだろ」

 自分でも非道徳的な物言いだったが、唯奈はその言葉を聞いて頬が緩ませた。

「確かに。初めて死ぬのが惜しくなったよ」

「……っ。こんなことで死ぬのが惜しくなるな」

 思わず死なないでほしいといいかけたが、僕は彼女に目を背けながら冷たく言葉を吐き捨てた。

 きっと酷い顔をしている僕は、自分の顔を見られるのを恐れて、その場から逃げるように次のコーナーへ足を進めていく。


「へぇ~。こう見ると結構木材とかもあるんだね」

「DIYとか最近、流行ってるみたいだしね」

 次に僕たちが来たのは木材が置かれているコーナーだった。

 木材の前には作業服を着た眠たげな男性や会社帰りのくたびれたサラリーマンが木材を見定めていた。

 木材に用はなかった僕たちは雑談をしながら彼らの後ろを通り過ぎようとする。

「角材で頭を叩くっていうのはどうなのかな?」

 しかし、唯奈は木材がどうやら気になるようで、僕たちは人気のない木材の前に行き、木材を見ることにした。

「でも、木材で何度も頭を叩くなんて疲れない?」

「まぁ、そこは頑張って」

 無責任な物言いをする彼女に、僕は苛立つ。

 そして、僕は木刀サイズの木材を手に取ると、それを軽く振った。

「どう?」

「あ~。思っていたよりも振りやすいな」

 角があるということで手に角が当たって振りにくいと思っていたが、芯が細いため自分が思っていたよりも木材は手になじんだ。

「でも、折れそうだな……」

 しかし、木材は僕が片手で悠々持てるほど細く、人の頭を何度も殴ったら折れてしまいそうだ。

「じゃあ、何個か買えば?」

「あ~。それならなんとかなりそうなんだけどね……」

 確かに何本か予備があれば折れても安心だろう。しかし、僕は角材の下に貼られている値札に目をやった。

 角材の値段は一本1000円を超えており、それを何本も買うのはバイトをしていない高校生のお財布事情的にはかなり厳しかった。

「……予定通り、ロープにしようか」

「……そうだね」

 僕の視線の先に値札があるのに気が付いた唯奈は角材を諦めてくれた。


 そして、次のコーナーに向かうと、ようやくそこが目的のロープが置かれている場所だった。

「それで、どんなロープがいいの?」

「え~? リボン!」

「ぶっ殺すよ」

「え、リボンで!?」

「違う! そういうことじゃなくって……」

 肝心な質問に対して冗談を言ってくる唯奈に、僕は笑顔のままいつものように不謹慎な冗談を口にする。

 しかし、それがこの場においては冗談にならないことをすっかり僕は忘れていた。

「まぁ、まじめな話をするとある程度太さのあるものじゃない?」

 そう言いながら唯奈が手にしたのは白いロープの束だった。プライスには商品の名前が書いてあり、太さは12ミリで、長さは5メートルのものだ。

「というか、どこで吊るすのかも考えないといけないな」

「え? 君が絞めてくれるんじゃないの?」

「は?」

 呆けた顔の彼女に、僕は驚いて声をあげた。

「だって、君が私を殺してくれるっていうから、てっきり、君が私の首を絞めあげてくれるものかと」

「いやいや! さすがに吊るすのを手伝うだけだろ」

 僕は彼女の自殺を手伝うだけのつもりだったが、どうやら唯奈は僕が縄で首を絞めてくれると思っていたようで、不満気にロープを戸棚に戻した。

「買わなくていいの?」

「う~ん。いや、てっきり殺してもらえると思ってたからさ」

 僕に殺してもらえると思っていた唯奈は落胆したような様子で、他のロープを見て回る。

「……これとかいいんじゃないの?」

 僕は隣にあった3メートルのロープを手にして唯奈に見せる。

 唯奈はそれを受け取ると、いぶかしめな目でこちらを見てきた。

「3メートルはさすがに短い気がするな……。それに細い気もする」

「でも、長すぎたり、太かったりすると絞めるのに僕が大変だからさ」

 その言葉を聞いた瞬間、唯奈は首をあげて、僕の顔を見てきた。そして、餌を欲する鯉のように口をパクパクさせている。

「……いいの?」

「もちろん。そもそも、僕が殺すって言ってたのに手伝うだけなんておかしいからね」

 そういうと、唯奈は目を輝かせてロープを大事そうに握りしめた。

 その姿を見て、僕は彼女の想いに答えられてよかったと安堵する。


「あのすみません……」

 しかし、そんな僕たちに水を差すように店員が話しかけてきた。

 店員は僕たちと同じくらいの年代で、店名が入ったオレンジ色のエプロンを身に付けていた。そして、その顔は鏡写しかと思うくらい、僕に顔が似ていた。

 僕は顔が似ている彼に驚いて何も言えなくなる。そんな僕に変わって唯奈が声を発する。

「どうかしましたか?」

「……すみません。先ほどから話が聞えてて……」

 申し訳なさそうに口を開いた店員に、僕たちは身構えてしまう。そして、顔を青ざめている唯奈の前に出て、僕は冷ややかな視線を彼に向けながら重たい口を開ける。

「……なんですか?」

「実は……僕の親友が半年前に自殺をしたんです。だから……死なないでほしいと思って……」

 彼は自分の親友のことを思い出しているのか、どこか寂しそうな顔をしている。自分に陶酔しきっているような顔を見て、僕は苛立ちのあまり、言い返そうとする。

しかし、僕よりも前に唯奈は激高して目を見開いた。

「……だからなんですか? この命は私のものです。だから、どう使おうが私の勝手じゃないですか?」

 敵意に満ちた唯奈の言葉に僕と店員は声を詰まらせてしまう。

 僕が知る彼女が怒る時はいつも感情的で論理的に話そうとはしなかった。しかし、今のように感情を押し殺そうとしているのにそれが溢れ出しているような怒り方を、僕は今まで見たことがなかった。

 彼女の姿に戸惑う僕よりも早く、店員はすぐに口を開いた。

「そうかもしれないですけど……! でも死ぬなんて」

「あなたと私では命の価値が違うんです。一方的にそちらの考えを私に押し付けてこないでください」

 毅然とした態度で言い返す唯奈に、店員は黙ってしまう。そして、彼は僕に視線を合わせる。

「でも、あなたが死ぬことで悲しむ人がいるんじゃないですか?」

 その視線の先には僕がいた。それに気が付いた唯奈も僕の方へ視線を向ける。

 2人して僕に答えを求めている。しかし、2人が僕に求めている答えは全く違った。

 視線を向けられた僕は少し、目を瞑る。そして、唯奈の手からロープを奪い、それを棚に戻した。

「行こ。唯奈」

「……ッ! いいんですか! 後悔しますよ!」

 僕は唯奈の手を引いて店員から逃げるように歩き始める。そんな僕たちの背中に向けて店員は叫んだ。

 僕は一度振り返り、彼の顔見つめる。店員は必死の形相をして目からは涙を流していた。その姿は唯奈の葬式で泣きじゃくっていたあの日の僕と重なる。

「……後悔しないために……、彼女と一緒にいるために、僕は唯奈を殺すんだ」

 かつての僕にそう言い残し、僕は唯奈の手を引いてホームセンターを出る。幸いなことに、店員はホームセンターの外までは追いかけてはこなかった。

 僕たちは店員から逃げるように早足でどこかに向かって歩いていく。その間、二人には会話はなかった。


 そして、気が付くと僕たちは最寄りの駅のホームに立っていた。

 どうやって改札に入ったのかは思い出せなかった。いや、違う。僕たちは改札を通っていない。気が付いたらここにいたのだから。

「疲れた~」

 唯奈は近くにあった椅子に座る。

「ごめん。急ぎすぎたね」

「ううん、大丈夫だよ」

 僕は唯奈の隣に腰を掛ける。唯奈は少しだけ息を切らしており、何回か深呼吸して息を整えていた。

「見てみて、綺麗な星空だよ!」

「え?」

 唯奈にそう言われて僕は空を見る。そこには満天の星空が広がっており、夜の街を弱弱しい光で照らしていた。

 僕は驚いてスマホの時計を見る。そこにはもう23時30分過ぎだと表示されている。しかし、僕たちが高校を出たのは17時くらいなので、あまりにも時が経つのが速すぎていた。

 しかし、この世界の仕組みに気が付いていた僕は、このありえない現状をすぐに受け入れられることができた。

「……どうする? 死ぬまでもう時間がないけど」

 僕が彼女に時計を見せると、彼女は少し考えるように右手を顎に当てた。今日が終わるまでもう30分もない。

「ねぇ、次の電車っていつ?」

 唯奈に言われて僕はスマホを操作して、次の電車の時刻を調べる。

「次は23時50分だね」

「そっか。じゃあ飛び込もうか」

 唯奈の言葉に僕は黙ってしまう。そして、僕はスマホをポケットにしまった。

「ねぇ、なんで死のうと思ったの?」

 僕の質問に唯奈は何も言わない。口を閉ざして僕の瞳をじっと見つめる。

 そして、彼女らしくない、どちらかというと僕らしく静かに笑って見せた。


「君は半年前に知っているんじゃないの?」

 そうだ。彼女の言う通り、僕は彼女が死んだあと、彼女の唯一の友人として様々な事情を警察から聞かれた。

 そして、同時に僕が知らないところで君がどうして死んだのかをはじめて知った。

「僕は……それでも、君の口から聞きたかったんだ」

 僕の願いを聞いて、僕が生み出した彼女の幻影は重たい口を開いた。

「最低だね。君は」

「そうだね。でも、僕が最低なのはいつものことだろ?」

 君を怒らせる冗談を言うように、僕はいつも言っていたことを告げる。そして、観念した彼女は満天の星空に手を伸ばした。


「私はずっと死にたかったんだ。笑っている時も、愛されている時も、泣いている時も、君と話している時も、私はずっと死にたかった。他人には一度たりとも理解されなかったけどね」

 彼女が自殺した後の事、僕は彼女の父と話すことが一度だけあった。

 娘が死んだというのにすんなりそれを受け入れていた彼女の父に対して、僕は責めるようにどうして、娘が死んだのに落ち着いていられるのかと問い詰めた。

 そして、彼は先ほど唯奈が話していた内容を僕に聞かせてくれた。

 彼女は生まれながらに、いつだって自殺志願者だった。

「生きるのってそんなに価値のあることなのかな?」

 星空を見つめる彼女の顔はまるで子供のようだった。そう、命の価値が分からないが故にどこまでも残酷になれる、そんな子供のような顔をしていた。

「さぁ、僕は死んだことがないから分からないよ」

「じゃあ、君は私が死んでどう思ったの?」

 どう思ったのか。僕はその質問に対しての答えを持ち合わせていない。

 彼女が死んで悲しいと思ったし、どうして死んだのかという困惑もあったし、死ぬことにしたという言葉が本当だったのかと絶望したし、君を救えなかったと罪悪感もあった。

 唯奈が死んだと聞いた時、僕の心の中にはいろいろな感情があった。だからこそ

「話してほしいと思ったんだ」

「……どうせ、上から目線で私が死ぬのを止めてくるくせに?」

「それでもだよ」

 彼女が死ぬことを知っている今の僕は、唯奈が死ぬということをある程度は受け入れていた。しかし、彼女が死ぬことを知らなかった僕は、世間一般論を無慈悲にかざして彼女が死ぬのを止めるまで説得した。

「だから言ったんだよ。君は私が死ぬ理由を知りたがると思ったからね」

 僕は何も言えなかった。今さらになって彼女が僕に死ぬことを伝えてきたのは、彼女のSOSではなく、僕を想って伝えたことを今さらながらに知る。

 それに気が付かなかった僕は口を開けて彼女の顔を見る。彼女は自慢げに僕の顔を見ていた。

「……そうだったんだね」


「そうだよ。だって、私は君のことが好きだったんだから」

 突然の唯奈の告白に、僕は茫然とその顔を見た。

「私の恋心を知っていたのに、なんで驚いているの?」

「それは……」

 彼女の言う通り、僕は唯奈が僕に恋心を抱いているということを知っていた。そして、僕も彼女のことが好きだった。

 しかし、僕には彼女に告白する少しの勇気がなかった。いつかは伝えよう。そう思っていたのに彼女は消えて行ってしまった。

「……そんな顔しないでよ。君は何も悪くないんだ。むしろ、今みたいに悪い夢だと思ってほしい。君は運悪く死に場所を探していた女の友達になって、恋されて、恋してしまう。そんな夢を見ていたんだ」

 唯奈は足をバタバタと揺らして、あっけらかんとした態度を取る。

「もしも、僕が告白したら君はそれを受け入れてくれたの?」

「う~ん。たらればの話にはなるけど、たぶん、受けなかったかな。付き合いたての彼女が自殺するって嫌でしょ?」

 彼女の答えを聞いて、僕は安堵で笑みが零れ落ちていく。

「じゃあ、僕と付き合ってくれない?」

 僕は立ち上がり、唯奈に手を伸ばす。彼女は少し拍子抜けしたように目を見開き、そしてしかめ面を僕に見せてくれる。

「話、聞いてた? 私は君の恋人には……」

「君が自殺するとか関係ないよ。僕は君が好きだ。だから、付き合ってほしい」

 心臓が息を初めて鼓動が大きくなる。そして同時に今まで抑圧されてきた感情が溢れ出した解放感がある。

 緊張で歪む僕の顔を見て、唯奈は少しだけ吹き出して笑って見せた。

「……いいよ。付き合おうか」

 そして、彼女は僕の手を掴み、立ち上がった。

 恋人になった彼女の瞳を僕は見つめる。そして、彼女は僕の手を離して、黄色い点字ブロックの外側へ向かっていく。

 僕は彼女を追いかけて点字ブロックを越そうとするが、彼女は右手で僕の体を押してこちらに来させないようにする。

 そして、彼女の寂しそうな同時に満足そうな笑顔が線路上に走ってきた電車のライトによって照らされる。


「……約束を守らせてくれないかな」

 僕の言葉に唯奈は少し息をのんだ。そして、今度は考えるまでもなく、すぐに頷いてくれた。

 そして、彼女は僕に背中を見せてホームの縁ぎりぎりに立つと、電車が駅のホームに近づいてくる。

 僕は意を決し、両手を前に構える。

「ありがとう。私のことを愛してくれて」

 最後に彼女がそう言い振り返ると、そこには僕と対照的に涙ではなく、笑顔を浮かべた唯奈の姿があった。

 電車は定められた速度を守りながら僕たちに近づいてくる。僕は両腕を前に突き出して、彼女を線路に突き飛ばした。

 電車は柔らかい彼女の体をいとも簡単に轢き殺し、周囲には彼女の体内に隠されていた血液が吹き飛び、世界が彼女で染まっていく。

「ごめんね。君の想いに気づけなくて」

 僕が彼女に謝罪の言葉を口にした時僕の視界に、彼女の少しだけ暗い情熱を連想するような赤色の靄がかかっていく。

 霞みがかっていく視界は遠くなっていき、僕の体は誰かに揺らされる。




「おい、起きろ」

「先生?」

 どうやら、僕は授業中に眠っていたようで、担当の先生が不機嫌そうな顔で僕の肩を揺らしていた。

 僕は眠たげな眼を擦りながら、先生の顔を見る。

 先生は僕が起きたのに気が付くと、すぐに教卓に戻っていき、授業が再開される。

 先ほどまでの唯奈との日々は、やはり夢だったのだろう。

 そのことに少しだけの絶望感と寂寞感と共に、僕は半年前に誰も座ることがなくなった隣の席を見つめる。

 もしも、あの日、僕が本当に君の死にたいという気持ちを受け入れて、君を孤独にしなければ、こんな気持ちにならずに済んだかもしれないのに。

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