第8話:配信は二つ、戦場はひとつ。
――翌朝。
朝靄の中に佇む、巨大な廃墟。霧科医療センター跡地。
その威圧的な姿を前に、いろははゴクリと唾を飲んだ。昨夜の事故のせいで少し寝不足気味だ。隣には、人型のMOCAが静かに浮遊している。
「これより配信を開始する。チャンネル接続、安定。タイトル『【ガチ潜入】呪われた霧科医療センターに挑む!』……配信開始した」MOCAはそのままドローン形態へと滑らかに変形し、配信用UIを画面に投影する。
『はじまた』
『きたー』
『待機してた!』
『もう現地?』
「みんなー、こんばんいろはっ!いよいよ来ちゃいました、例の場所――霧科医療センター跡地!今日はいよいよ、ガチ潜入・本番配信です」
『うおおお』
『ヤバいって』
『マジで大丈夫?』
「正直、めちゃくちゃ怖いけど……でも、やるしかないよね!」
いろははカメラに向かってピースを決め、背後の廃病院をちらっと見やる。その表情に、緊張と覚悟、そして少しの高揚が混ざっていた。
「行くよ、MOCA」
「マスター、スペクトラル・ファインダーを起動して。隠し通路へのエントリーポイントを探す。……くれぐれも、無茶はしないように」
いろはは頷き、片目に装着したモノクルを起動する。視界にオーバーレイされる情報と、MOCAがセンサーで示す方向を頼りに、少女とAIは、深淵へと足を踏み入れた。
「こっちだ、マスター」
MOCAが示すのは、病院裏手の雑草に覆われた地面。一見、ただの地面だ。
「え、ここ?何もないじゃん」
「ファインダーでよく見て。エネルギーパターンが違うはずだ」
言われてモノクル越しの視界に集中する。確かに、そこだけわずかにエネルギーが揺らいで見えた。
「ほんとだ……!これが隠し通路の入り口……」
「周囲に人影、監視カメラはなし。エントリー可能と判断する」
「りょ、了解……」
ごくり、と喉が鳴る。昨夜の事故が頭をよぎる。壁に穴を開けたあの暴走……ホルスター越しにゴーストキャンセラーを握る手には、じっとりと汗が滲んだ。
「MOCA、くれぐれも、出力制御は頼んだからね……!絶対、勝手に上げたりしないでよ?」
「マスターの指示なく設定は変更しない。ただし、緊急回避時はマスターの生命維持を最優先する。……昨夜のような無謀な操作は厳禁だ」
「うっ……わ、わかってるって」
釘を刺され、ぐうの音も出ない。気を取り直して、地面の特定箇所に手を触れる。ズズ……と音を立てて地面がスライドし、地下へと続く暗い階段が現れた。
「うわ……本当にあった……!」
カビ臭い、ひんやりとした空気が吹き上げてくる。
「よし、行くぞ!」意を決して階段を降りるいろは。MOCAも静かに後に続く。
「みんな、聞こえる?見えるかな?今、廃病院の地下通路に潜入したところだよ」
コメントが一気に流れ出す。
『マジでキターー』
『うわ、雰囲気あるな』
『昨日の事故大丈夫だったんか?w』
『壁の穴どうなった?』
『モノクルかっこいい!』
『音ヤバない?反響してる?』
「壁のことは聞かないで!カメラは暗視モードだから大丈夫!それより見て、このモノクル、『スペクトラル・ファインダー』。これで怪しいエネルギーを探しながら進むから」
モノクル越しの視界をワイプで表示する。ワイヤーフレームと、時折チカチカ光るエネルギー反応が映る。
「黒月カレン氏も配信を開始した。タイトル『【緊急生中継】黒月カレン、呪われた病院の謎を解き明かす!』……現在、視聴者数はこちらの15倍だ」
「くっ……相変わらずすごい人気……でも!」
悔しさを滲ませつつも、いろはは前を向く。
「私たちは私たちのやり方で、ガチでいくから。みんな、応援よろしくね!」
『ガチ勢きた!』
『カレンはヤラセっぽいからこっち見るわ』
『Qチップ投げた!壁直せよw』
『がんばれー』
通路を進むと、壁に不自然な染みを見つけた。赤黒い、まるで血糊だ。
「うわっ、何これ……血?」
「成分分析……赤色塗料だ。乾燥具合から見て最近付着したものだろう。カレン氏サイドの演出用小道具と推定される」
「やっぱり仕込みか……。あ、こっちにも何か……スピーカー?」
壁の通気口の奥に、小型のスピーカーが隠されている。
「徹底してるなあ……。でも、私たちはこんなのに騙されないよ。ね、MOCA?」
「ああ。スペクトラル・ファインダーは物理的な偽装には反応しない。本物の異常エネルギーのみを追跡する」
『うわー、カレン完全にヤラセじゃん』
『血糊www』
『スピーカーまでwww』
『いろはちゃんガチ調査がんば!』
「てことは……カレンたちもこのルート知ってたってこと?カレンの情報班、仕事速すぎっ」
ファインダーは偽の血糊やスピーカーには何の反応も示さない。だが、通路の奥、古い手術室へと続く扉の前で、モノクルが強い反応を示した。
「ここ、何かある……!反応強いよ!」
扉に近づくと、ひんやりとした空気が漂う。モノクル越しの視界では、扉全体がぼんやりと青白く光って見える。冷たいオーラを放っているようだ。
「高密度の残留思念と、微弱な空間歪曲の兆候を検知。内部に強いエネルギー反応あり。注意して」
ゴクリと唾を飲む。扉の表面には、無数の引っ掻き傷。そして、人の形にも見える黒い染み。よく見ると、傷は内側からつけられたようにも見える。
「こ、これは……怪異……?」
コメント欄もざわつく。
『ガチで怖いやつじゃん』
『染みが人に見える……』
『カレンの方はCGっぽい演出してるぞw』
『こっちの方がリアルで怖い』
『開けろ開けろ』
いろはが恐る恐る扉に手をかけようとした、その時。
「警告:外部より強力なエネルギー干渉波を検知。発生源は……カレン氏の配信で使用されているAR装置だ」
「えっ、カレンの?」
「このエネルギーが、院内の不安定なエネルギーフィールドを刺激・増幅させている可能性がある」
ほぼ同時に、別のモニターでチェックしていたカレンの配信画面で、派手なエフェクトと共に巨大なARゴーストが召喚されるのが見えた。カレンが高らかに叫ぶ。
「さあ、私の前にひれ伏しなさい!」
その瞬間だった。
バチィッ!!
目の前の手術室の扉が激しく火花を散らす。ノブが勝手にガチャガチャと乱暴に動き出した!
「ひゃっ!?」
それだけじゃない。通路の壁の古い医療機器がバチン!とショート。金属製の配管がガタガタ揺れ、天井から埃が降ってくる。
「きゃあああっ!?」