第15話:それぞれのリブート
「MOCA!MOCAーっ……!!」
何度呼びかけても、両手で抱えたそれは、ただ静かにそこにあるだけだった。さっきまでの激闘が嘘のように静まり返った礼拝堂で、いろはの悲痛な叫びだけが虚しく響く。
「うそ……でしょ……?」
MOCAが、いつでも一緒にいた、誰よりも頼りになる相棒が、動かなくなってしまったなんて。
「しっかりしなさいよ」
不意に、背後からカレンの声が飛んできた。いつもの高慢さは消え、代わりに疲労と、ほんの少しの気遣いが滲んでいる。
「いつまでもそんなところで座り込んでいても、何も始まらないわ。ひとまず、ここを出るわよ」
カレンはそう言うと、いろはの腕を掴み、強引に立たせようとする。
「でも……MOCAが……MOCAがいないと、私……」
涙で視界が滲む。MOCAのいない毎日なんて、考えられない。
「私のドローンなんて、木っ端みじんなんだからね!」
励まそうと発したジョーク混じりの言葉だったが、いろはには逆効果だった。
「ぅ……うっ……」
「とにかくここを出ないと何も始まらないわ。さ、行くわよ」
カレンは有無を言わさず、いろはの手を強引に引き、瓦礫だらけの礼拝堂を後にする。静まり返った院内に、いろはの咽び声だけが響く。
病院の外に出ると、数人の黒服のスタッフが心配そうに待機していた。カレンの姿を認めるなり、彼らは駆け寄ってくる。
「お嬢様!ご無事で!」
「あなたたち、今までどこで油を売っていたのよ!肝心な時に役立たずなんだから!」
カレンはスタッフたちを一喝する。その剣幕にスタッフたちは縮み上がるが、すぐにカレンはハッとしたように、いろはの方を振り返った。
「そうだわ、あんた。この子たちに、あなたのお友達を見せてみなさい。専門の技術者もいるのよ」
「え……?」
いろはは、動かなくなったMOCAをスタッフの一人に差し出した。その手は震えている。
「こ、この子を……MOCAを、お願いします!なんとか……なんとかしてください!」
スタッフはMOCAの状態を一瞥すると、険しい表情を浮かべた。しかし、すぐに仲間と顔を見合わせ、頷き合う。彼らは手際良く機材を取り出し、その場でMOCAの応急修理を開始した。精密な作業が続く間、いろはは祈るような気持ちで見守るしかなかった。カレンも、珍しく黙ってその様子を注視している。
長い、長い時間が経過したように感じられた。スタッフの一人が、額の汗を拭い、ふう、と息をつく。
「……どう、ですか……?」
いろはの心臓が凍りつく。しかし、次の瞬間、スタッフは小さく微笑んだ。
「幸い、コアは無事でした……おそらく、単純な機能なら……」
その言葉と同時に、MOCAのボディに微かな光が灯った。そして――
「……起動シーケンス、再開。……マスター、無事か?」
聞き慣れた、少しだけノイズ混じりの、けれど紛れもないMOCAの声だった。
「MOCAっ……!MOCAぁぁぁっ!」
いろはは涙ながらに、まだ温かいとは言えないMOCAのボディに抱きついた。MOCAは小さな手をそっと伸ばし、いろはの肩を叩く。
「各部センサー、破損。自律での行動不能」
「うわあああん!よかった……本当によかった……!」
「マスター、私のボディが圧迫されている」
その軽口に、いろははさらに涙を流しながらも、ふふっと笑みがこぼれた。いつものMOCAだ。本当に、戻ってきてくれた。
「ありがとうございます!本当に、ありがとうございます!」
いろははスタッフたちに向かって深々と頭を下げた。彼らもまた、安堵の表情を浮かべている。
その時、MOCAのアイカメラが起動し、途絶えていた配信も奇跡的に再開された。
「マスターのバイタル、および周辺状況の安全を確認。配信システム、オンライン」
コメント欄が一気に爆発した。
『きたあああああああ』
『うおおおおおおおおおおお』
『生きてた;;』
『みんな無事っぽい!!!』
『神回どころの騒ぎじゃねえぞこれ!』
『泣いた』
安堵と興奮、称賛のコメントが滝のように流れ、画面を埋め尽くす。視聴者たちもまた、この奇跡的な生還を固唾を飲んで見守っていたのだ。
いろはは涙を拭い、カメラに向かって笑顔で手を振った。
「みんな、心配かけてごめんね!私も、MOCAも、カレンちゃんも、無事です!」
そして、カレンの方を向き直り、改めて深く頭を下げた。
「カレンちゃん……本当に、ありがとうございました。あなたがいなかったら、私……MOCAも……」
「……ふん。別に、あなたのためじゃないわ。ただ、私のショーを邪魔されたくなかっただけよ」
カレンはそっぽを向き、髪をかき上げた。
「それに……今回は、貸し、ということにしておくわ」
カレンはいろはに向き直り、深紅の瞳で真っ直ぐに見据える。
「でも、次は負けないわよ、白石いろは。今日のところは、せいぜいこの勝利に酔いしれていなさい」
その言葉は、いつものような見下したものではなく、ライバルに対する宣戦布告のようにも聞こえた。一時的な和解ムードから一転、二人の間には新たな、そして正式なライバル関係の火花が散ったように感じられた。
カレンはスタッフたちに撤収を指示し、颯爽と用意された車に乗り込んでいく。去り際に、ほんの一瞬だけ、いろはの方を振り返り、小さく微笑んだように見えたのは、気のせいだろうか。
朝日が完全に昇りきり、廃病院はその禍々しい影を薄れさせていた。いろははMOCAをそっと抱きかかえ、その場を後にする。
「MOCA、完全な修理は、ククさんにお願いしないとね」
「ああ、それが賢明だろうね。現状、私の戦闘能力は著しく低下している。……帰路でのトラブルは勘弁だ』
「もー、そういうこと言う!」
軽口を叩き合いながらも、二人の間には確かな絆と、共に死線を乗り越えた達成感が満ちていた。
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